ガイルの弱点になってはいけない。
ガイルは、驚くほど冷静な声で言った。
「……そういうことだ。俺は行くぜ」
その言葉は、決定事項だった。
レイズが一歩前に出る。
「もう行くのか……?」
「ぁあ。このままにしておけねぇだろーがよ」
炎の匂いが、まだ残っている。
ノエルの送り火の熱が、空気に溶けきっていない。
ルルが、声を絞り出す。
「ガ……ガイル……」
「おう。なんだ?」
いつもの調子。
いつもの軽さ。
だからこそ、ルルは怖かった。
「私は……行けないの……?」
その問いは、不安そのものだった。
けれど、心の奥では理解している。
ガイルがあんな顔をした理由。
あの女性に向けた切なさ。
それはつまり――戦いに行く覚悟。
連れていってもらえない。
連れていけるはずがない。
もし自分に何かあれば。
ガイルは壊れる。
それを、ルルは誰よりも知っている。
ガイルは短く答える。
「ぁあ? ルル、わりぃな。今回の件も踏まえて連れていけねぇ」
迷いはない。
「……やっぱり」
ルルは微笑もうとして、失敗した。
「うん……わかった……」
ガイルは肩をすくめる。
「平和になったらよ。また一緒に行くだろ」
ルルは、小さく首を振った。
「んーん。私は、もうガイルと旅をしないわ」
その言葉は、静かで。
けれど決定的だった。
ガイルは一瞬だけ目を細める。
「……ぁあ、そうかよ。わかった」
あまりにも、あっさり。
レイズが声を荒げる。
「おい!また一緒に旅したらいいだろ!?そんな簡単に決めるなよ!」
「簡単……なわけない」
ルルは、振り向かない。
そのまま、走り出す。
ガイルは追わない。
「よし、スカイ!!」
大声でスカイドラゴンを呼ぶ。
すぐにその背にまたがる。
レイズが呆然と呟く。
「追わなくていいのか……? だっておまえ、ルルが……」
ガイルは鼻で笑う。
「ハァ?勘違いすんな。俺とルルは別にそういう関係じゃねぇ」
そう言い放ち、空へと飛び立つ。
レイズは、ルルの走った方向を見つめる。
「……世界樹の方か」
帰るのだろう。
自分の居場所へ。
クリスがため息をつく。
「まったく……あの男は……鈍いにもほどがあります」
「ぁあ……」
レイズは苦笑する。
「あそこまで出しておいて、自分の気持ちをちゃんと理解してないんだよ」
クリスは無言で足に魔力を溜める。
「おい!?クリス!?どこ行くんだよ!?」
「教えに行くのです」
地面を蹴る。
凄まじい跳躍。
「あのバカに。ルルがどこへ向かったのか」
「ガイルは怒るだけだぞ……」
レイズは頭を抱える。
――――
空。
ガイルは大笑いしていた。
「クハハ!やっぱ空は最高だ!!」
風を切る。
自由。
「久々に一人で……いや、おまえがいるか」
スカイの首筋を撫でる。
「少し長い旅になるかもしれねぇ。でもそれでいい。俺は自由でこそだろ?」
スカイが、低く鳴く。
「ぁあ!?おまえルルに懐きすぎなんだよ」
そのとき。
背後から凄まじい気配。
「なんだ!?」
振り向いた瞬間――
クリスがスカイの背に着地する。
「はぁ!?おまえ何しに来た!?ぜってぇ連れてかねぇぞ!」
「勘違いするな」
クリスは冷ややかに言う。
「伝えに来ただけだ」
「ぁ?なにをだよ」
「ルルは世界樹に向かった」
「ぁあ!?そりゃいいじゃねぇか。あそこは安全だ。余計に憂いがなくなるな!」
クリスは、じっとガイルを見る。
「それだけだ」
一拍。
「死ぬんじゃないぞ」
そう言い残し、空へ飛び降りる。
「……あいつ……意味わかんねぇ……」
ガイルは呟く。
「てか、跳躍でスカイに追いつくとか……人間やめてんだろ」
そして、顔が変わる。
目的地は決まっている。
砂漠の国。
すべてが繋がる場所。
未知。
魔女。
「クハハ……俺が全部ぶっ壊してやるよ」
目が、鋭くなる。
「ディアブロをよくも利用しやがって……待ってやがれぇぇぇぇ!!」
怒りが爆ぜる。
空間が歪む。
魔力が弾ける。
レイバードの夜。
ノエルの遺体。
押し殺していた怒り。
それらが一気に解放される。
ルルがどうでもいいわけじゃない。
この怒りを。
この殺気を。
見せるわけにはいかない。
ルルを怖がらせる姿は、見せない。
だから笑う。
だから軽口を叩く。
だから、ガイルなのだ。
優しすぎるほどに。
スカイが高く鳴く。
「クハハ!!乗ってきたな!!全部ぶち壊してやろうぜ!!」
ガイルの本当の全力が、解き放たれる。
一直線に、砂漠へ。
――彼は知らない。
砂漠の国がすでに無人であることを。
――彼は知らない。
一人での旅が、もう二度と楽しいものにはならないことを。
人と関わりすぎた男にとって。
孤独は、もう昔のように甘くはない。
それでもガイルは笑う。
そして怒る。
「てめぇの体はてめぇので満足しろや!!」
魔女への怒りを、空へ叩きつけながら。
その背は、誰よりも孤独で。
誰よりも優しかった。
ルルは、走りながら泣いていた。
本当は、ずっと一緒にいたい。
それだけだった。
ガイルの隣で、
笑って、
怒って、
くだらないことで言い合って、
空を見上げて。
それだけでよかった。
でも。
理解もしていた。
みんなが戻ってきて、
なにかをしてきたのだと。
送り火の夜の空気。
ガイルの顔。
レイズの目。
あれは、ただの旅じゃない。
きっと、危険で。
きっと、深くて。
きっと――私には教えてくれない。
なぜなら。
もし知れば。
私は止まれなくなるから。
ガイルの隣に立とうとする。
戦おうとする。
傷つこうとする。
だからこそ、教えてくれない。
それは仲間外れなんかじゃない。
彼らの計画が、安全に遂行するために必要な配慮。
私を守るための、距離。
ルルは立ち止まる。
胸が苦しい。
「……私が……役に立たないから……」
ぽつりと、零れる。
「いつも……ガイルは傷つくの……」
思い出す。
ガイルは必ず、最後に自分を逃がす。
どんな状況でも。
どれだけ不利でも。
笑いながら。
無茶をして。
私を守る。
それが当たり前のように。
もし、私がいなければ。
ガイルは、全力で暴れられる。
全力で振る舞える。
誰にも縛られず、
誰にも遠慮せず。
それこそが、ガイルが最強でいられる理由。
そして。
私がいるから。
ガイルが最強でいられない理由になる。
「……弱点」
それがまさか、自分になるなんて。
笑えない。
ガイルは無意識か、意識してかは分からない。
でも、必ず。
私を逃がすためなら、犠牲を惜しまない。
それは優しさ。
でも同時に、危うさ。
もし、私になにかあれば。
きっとガイルは壊れる。
恨む。
憎む。
復讐に取り憑かれる。
そしてまた――殺す。
あの頃のガイルに戻る。
血と怒りだけで生きる男に。
「……だめ」
それだけは、だめ。
私がいる限り。
ガイルは“戻る可能性”をずっと抱え続ける。
私は、その引き金になる。
分かってる。
全部、分かってる。
でも。
涙が止まらない。
「……でも……」
私は。
ガイルが好き。
どうしようもなく。
好きで。
好きで。
好きで。
だからこそ。
離れなきゃいけない。
世界樹の影が、遠くに見える。
あそこは安全だ。
精霊に守られ、
外敵が近づけない場所。
「……私は、安全にいよう」
それが一番、ガイルの安全になる。
私は、もう近づかないでいよう。
それが一番、いまのガイルが保たれる。
理解していても。
涙は止まらない。
胸が、焼けるように痛い。
それほどまでに。
ガイルを愛してやまない。
それほどまでに。
つらい。
ルルは空を見上げる。
もう姿は見えない。
けれど、どこかで飛んでいるはずの男へ。
「……ガイル……」
唇が震える。
「……さようなら」
それは、誰にも聞かれない。
静かな、静かな別れの言葉だった。




