自然の自我ニト
レアリスは、静かに目を覚ました。
森はいつも通りだ。
朝露が葉を伝い、光が木々の隙間から差し込む。
そして、いつものように歩き出す。
森を巡り、
気配を確かめ、
命に触れる。
それが彼女の日課だった。
やがて、花の咲く場所へ辿り着く。
その花は、ただの花ではない。
魔力を宿し、
長い時間をかけて育てられた、小さな核。
ニトに、渡すためのもの。
レアリスは足を止めた。
「……あれ?」
花が、少し欠けている。
触れられた痕跡。
わずかに乱れた魔力。
「ニト……?」
問いかける。
「もしかして……あげたの……?」
返事は、ない。
当然だ。
森は答えない。
だが。
花の魔力が、みるみる薄くなっていく。
吸われている。
どこかへ。
何かへ。
「ダメ……」
レアリスの声が、かすれる。
「貴方が……」
花の光が、揺らぐ。
「貴方まで、行くの……?」
枯れゆく気配。
「私を置いていくの……?」
返事はない。
ただ、花は最後に、かすかな光を放つ。
まるで――挨拶のように。
そして、静かに枯れ果てた。
その瞬間。
レアリスは、魔力の流れを視る。
細く、だが確かに、
どこかへと伸びる糸。
「……ニト」
その名を呼ぶ。
「貴方は……行かせない」
レアリスの周囲に、空気が歪む。
森がざわめき、
地がわずかに震える。
彼女は、魔力の渦へと力を放つ。
静かな、しかし絶対的な圧。
自然の理そのものが、干渉する。
魔力の渦は、霧散する。
砕け、
散り、
消えていく。
だが。
すべては消せていない。
ごくわずかに、
流れは続いている。
「ねぇ……ニト」
レアリスの声は、怒りではない。
「そんなことをしても……」
憎しみはない。
決して、ニトを憎むことはない。
だが。
ニトがしようとしていることは、
どうしても許せない。
なぜなら。
自然の概念となったはずの存在が、
自我を持ち、
誰かを“特別”にするなど――
あってはならない。
概念は、平等でなければならない。
偏りは、歪みを生む。
歪みは、崩壊を呼ぶ。
レアリスは、ディアの力を使う。
世界の均衡を保つ力。
それを、ニトへ向ける。
いや――
ニトの“一部分”へ。
触れた瞬間、
空間が裂ける。
ニトの一部が、消える。
削がれ、
削除され、
概念へと還る。
それは簡単だった。
もし本気で望めば。
すべてを消し去ることも、できる。
ニトという存在そのものを。
だが。
レアリスは、目を閉じる。
ニトがいなくなる未来を、想像する。
森が静まり、
空が鈍くなり、
精霊が迷う世界。
それを、望めるはずがない。
消せる。
だが、消せない。
その矛盾が、
レアリスの判断を鈍らせる。
「ニト……」
声が、震える。
「その状態じゃ……なにもできない」
概念と個の狭間。
中途半端な存在。
「だから……帰ってきておいで?」
優しく、
けれど確かな制止。
だが。
その言葉を無視するかのように。
削られたはずのニトの一部は、
わずかに形を保ち、
どこか彼方へ向かっていく。
森の外へ。
世界のどこかへ。
レアリスは、追わない。
追えない。
ただ、静かに立ち尽くす。
自然は、揺らいでいる。
そして、
ニトは、もはや完全な“概念”ではない。




