人でありたいウルティア
ウルティアは、ディアブロに腕を掴まれたまま引きずられるように進んでいた。
――進んでいる、という感覚すら曖昧だ。
足場はあるようでない。
空間は広がっているようで歪んでいる。
上下の感覚が狂う。
だが、止まれば終わる。
それだけは本能が理解していた。
やがてディアブロが、ふっと動きを止める。
そこは“間”だった。
何もない空間。
濃密な魔力だけが渦を巻いている、裂け目のような場所。
ウルティアは膝をつき、荒く息を吐いた。
「はぁ……はぁ……ねぇ……もう……ここなら大丈夫じゃないの……?」
視界を巡らせる。
巨大な白い影は見えない。
咆哮も聞こえない。
静かだ。
ディアブロは、喉の奥で笑った。
「ここに安全な場所があるとでも思うか?」
「でも……ここには……いないわよ?」
「ククク……」
低く、愉快そうな声。
「俺たちの動きなど、とうに知られているというのにか?」
ウルティアの背筋が凍る。
慌てて周囲を見渡す。
解読を使う。
だが――
情報が洪水のように流れ込む。
魔力。
魂。
歪み。
圧。
存在の残滓。
あまりにも多すぎる。
「っ……!」
頭が軋む。
視界が白くなる。
「ここでそれを使うな」
ディアブロが、冷たく言い放つ。
「それに……お前は魔女ではないと言っていなかったか?」
ウルティアは歯を食いしばる。
「魔女なんかじゃない……わよ……」
震える声。
「私は……感情を……理解したの……。好きな人だって……ちゃんと……できたんだから……」
ディアブロは、ふっと笑う。
「ならば人でいろ」
その声音は、意外にも真面目だった。
「魔女になればなるほど……奴らにとって最も望ましい形になる」
ウルティアは、なおも解読を使おうとする。
ディアブロの思考を読めば何か分かると、必死に縋る。
次の瞬間。
バシン、と頭を叩かれた。
「やめろと言っている、馬鹿者」
「いったぁ……!」
額を押さえ、涙目で睨む。
「ほんとに容赦ないわね……貴方も……あのレイズという男も……リリィも……」
息を整えながら、ぽつりと呟く。
「……それにどうして……貴方は私を助けてくれるのよ」
ディアブロは、視線を逸らしたまま答える。
「聞きたいことがあった」
「それに、お前があれに飲み込まれるのだけは防ぐ必要がある」
少しだけ間を置いて。
「勘違いするな。別にお前達のことなどどうでもいい」
「……わけわかんない」
ディアブロは肩をすくめる。
「よりによって、レイズとガイルに私をぶつけるとは……」
低く、吐き捨てる。
「無知とは滑稽だな」
「それは……私がしたわけじゃ……!」
「分かっている。お前の愚かな姉に言っている」
アルティナ。
その名を出さずとも、ウルティアの胸がざわつく。
「まったく……レイズにぶつけるとは。あまりにも相性が悪いというのに」
「ねぇ!! 質問に答えてよ!!」
声が荒くなる。
「あの男よ! 何なのよ!! 何も読めなかった! 本当に人間なの!?」
ディアブロは、少しだけ目を細めた。
「……俺ですら、よくは知らぬ」
「だが、あれもまた外の理にある」
「死属性だけではない」
静かに続ける。
「それ以上の“何か”を、あいつも持っている」
ウルティアは息を呑む。
「そうよ、それよ!! 死属性!? リリィも持ってたわ!」
「何なのよ、あれは!!」
ディアブロは、楽しそうに笑った。
「ククク……魔女なのに知らぬのか?」
「もう魔女じゃないわよ!」
叫んだ瞬間。
ディアブロの瞳が鋭く、別の方向を向く。
空間が、わずかに歪む。
「長話をするには、また移動が必要だな」
「ちょ、えぇ!?」
腕を掴まれる。
次の瞬間、景色が流れる。
いや、流れるというより、引き裂かれる。
魔力を蹴り、空間を裂き、ディアブロは疾走する。
「あなた……疲れないの……!?」
「ハハハ!」
高らかな笑い。
「ここには、使っても使い切れぬほどの魔力が満ちているからな」
その言葉に、ふと振り返る。
先ほどまで立っていた場所。
――そこが、裂ける。
地面のようなものが割れ、
巨大な“口”が出現する。
牙。
暗闇。
飲み込む動作。
何もなかった空間が、丸ごと喰われる。
ウルティアの血が凍る。
「な……なんなのよ……あれは……」
ディアブロは愉快そうに言う。
「ここにいる魔物は、どれも神話に語られる者ばかりだ」
「なんで……そんなこと知ってるのよ……」
その問いに。
ディアブロは、少しだけ静かになった。
「……俺は、ここの生まれだからな」
その言葉は、
冗談でも誇張でもなかった。
アビスの魔力が、
一瞬だけ、彼を肯定するように脈打つ。
ウルティアは、息を止める。
最も恐ろしいのは、
神話でも、
ウロボロスでもない。
いま自分の手を掴んでいるこの男が、
この世界と“同じ側”の存在だという事実だった。




