ガルシアの答え
ガルシアは、それでも落ち着いたように伝える。
「レイズ……」
呼びかけるだけで、声が僅かに揺れた。
揺れているのは怒りでも疑いでもない。――理解しようとする者の、必死の息遣いだ。
「なぜそのようなことを……言うのか……私には、わかりません」
レイズは、あまりに自然に首を傾げた。
その仕草が、なおさらガルシアの胸をざわつかせる。
「そうか……?
普通だと思うぞ」
「普通……?」
ガルシアは、ゆっくりと視線を上げる。
この青年が今まで積み上げてきたものの重さを思えば思うほど、“普通”という単語が、どれだけ奇妙な響きを持つかがわかってしまう。
「あなたは……アルバードを背負って立つ……
だから……王国の提案を……ヴィル様を継ぐと……覚悟されたのでは?」
問いは責めではない。
“そうであってほしい”という願いに近かった。
――そうであれば、目の前の青年の苦悩が、少しだけ理解しやすくなるから。
だがレイズは、穏やかに笑い、息をついた。
「んー……色々と誤解しているぞ」
「誤解……ですか?」
ガルシアは眉を寄せる。
誤解という言葉の裏に、何が隠れているのか。
それを聞くのが怖いのに、聞かずにはいられない。
レイズは、少しだけ目を細めた。
その瞳の奥にあるのは、誰かを責める怒りではなく――“間に合わなかったはずの未来”を思い出した者だけが持つ、静かな確信だった。
「ぁあ誤解だ。
そもそも……王国の提案を受け入れなかったのはメルェの件が一番だ」
レイズは言葉を選ぶように、ゆっくり続ける。
「レオナルディオが……
お義父さんを、そして魔族達を利用した。
それでアルバードを……魔族と争わせようとした。
俺は、そうなることを……そうさせていることを誰よりも早く気づいた」
“そうさせている”――
そこには意図がある。計画がある。冷たい手がある。
ガルシアは、背筋の奥が冷えるのを感じた。
「だから、王国の提案なんて受け入れるわけがない。
レオナルディオの計画には、
イザベルも利用し、
そしてお義父さんも利用して――」
レイズは一拍置き、吐き捨てるでもなく、淡々と言った。
「最終的にあいつが……レイバードとして生きる予定だった」
ガルシアの瞼が、わずかに震える。
「つまり……私もイザベルも……殺されるって言いたいのですか?」
言葉にした瞬間、胸の奥で何かが崩れた。
自分が最も恐れていた想像を、自分で口にしたからだ。
レイズは、目を逸らさない。
「そうだ。本当ならそうなるはずだった」
それは残酷なくらい、真っ直ぐだった。
「だって誰も気付けるわけがない。
魔族と対話なんてできるわけがない。
でも、おれはそれができた。
いや……俺しかできなかったんだ」
ガルシアは、黙って話を聞く。
唇が動かない。言葉が出ない。
――もしも、もしも本当にそうなら。
この青年が背負っていたものは、“王の責任”などという言葉では足りない。
レイズは静かに続けた。
「俺がアルバードを受け継いだって言ったな。
俺は別にアルバードを受け継ぐ必要なんてなかった」
ガルシアは首をかしげる。
受け継ぐ必要がない?
なら、なぜ――。
レイズの声音は、どこか遠いものを見るようだった。
「レイズをとにかく強く。
レイズを誰よりも可能性を示す。
それが俺にとってすべてで、始まりだったんだ」
ガルシアは、その一文の中にある違和感に気づく。
“レイズを強く”――自分の名前を、まるで他人のように。
ガルシアは言葉を絞り出した。
「意味が……わかりません……」
レイズは小さく笑う。
笑っているのに、目が笑っていない。
「そうだな、意味がわからない」
そして、淡々と断言した。
「つまり、俺はアルバードとそもそもなんも関係のない人間だ。
完全な別人だ。
それは再会したときに思っただろ?」
ガルシアは当時のことを思い出す。
太り、出来損ないと呼ばれ、当主の器ではないと断じた少年の姿。
あの少年が――いま目の前で世界を語っている。
ガルシアはゆっくりと、胸の奥に溜め込んでいた真実を吐いた。
……そして静かに。
「正直に申します。
わたしは……
レイズの事にまったく期待していませんでした」
その言葉を口にした瞬間、ガルシアの喉は痛んだ。
だが、それでも言わなければならないと思った。
「レイズがアルバードを……娘を……私から奪った……
わたしは、娘にずっと……レイバードにいてほしかった……
憎んだ。憎んださ。
妻の忘れ形見だ。
わたしにとってなによりも宝物だった」
涙は出ない。
だが心は確かに、あの頃の自分へ戻っていた。
「だが……ヴィル様は……
ヴィル様に……お願いをされた。
イザベルを……アルバードの当主に据える。と……
だから私は、断った。
何度も……だけど……ヴィル様の眼はあまりにも悲しみに……
あまりにも苦悩を抱えておられた。
私も……共に苦悩した。
どうして私の娘が……レイズが……もっとしっかりしていれば……」
その瞬間。
レイズの声が、きっぱりと空気を切った。
「勘違いしないでくれ」
低い。
怒りではない。――断定だ。
「レイズは、しっかりしていた。
しっかりしすぎていた。
それをすべてぶち壊したのはレオナルディオ、そして王国だ。
メルェを利用してレイズの心をめちゃくちゃにしたのはすべてそこから始まってる」
ガルシアは歯を食いしばった。
「そんなのは……認めるわけにはいかない。
つらい思いをするのは……みんな同じだ。
レイズだけを認めることなんてできるわけがない」
それは、父としての意地だった。
――誰か一人だけ救われたことにして、他の痛みを切り捨てたくない。
レイズは、静かに頷く。
「ぁあ、だからだ」
そして言う。
「だから俺がそれを変えるためにきたんだ」
ガルシアの胸が、どくんと鳴った。
「先程から一体なにを言っているんですか……?」
レイズは、迷わず言った。
「俺はレイズじゃない。
レイズの中に……
レイズの代わりの何かだ」
ガルシアは息を呑む。
「代わり……?」
「あぁそうだ」
レイズの声は淡々としていた。
淡々としているからこそ、真実味が増す。
「俺はもともとこの世界の人間じゃない。
こことはもっと違う何処か……
それこそ果てしなく遠い。
もはやそこに戻れることなんてない。
それくらいに……離れたそんな場所にいる別の人間だ」
ガルシアは、その言葉の異常さを理解しながらも、否定できなかった。
――否定するには、目の前の結果が大きすぎる。
「それは……娘も……イザベルも……ヴィル様も知っているので?」
「ぁあ知ってるよ」
レイズは頷く。
「ヴィルが始めに一番気づいた。
イザベルもすぐに気づいた。
そして……おれを受け入れてくれた」
声が、少しだけ柔らかくなる。
「嬉しかったさ。
そして必ずヴィルもイザベルもいない未来なんて起こさせないって俺は本気で覚悟を決めた」
そこで、レイズは静かに笑った。
「いっただろ。
イザベルはずっと守るって」
ガルシアは、その言葉を思い出す。
あの日――自分が頭を下げた時、青年は無愛想に言った。
あまりにも無愛想で、だからこそ嘘に聞こえなかった。
ガルシアは、震えながら言った。
「そ……そうだったのか……
すべてわかった……
レイズ……貴方は……全部知っていたんですか?」
レイズは首を振る。
「全部はしらなかったよ。
何もわかんなかった。
そもそもレイズのことだってなにもしらない」
そして、吐き出すように言う。
「俺がしってたのはいまからずっと先の未来だ。
そんときにはお義父さんもイザベルもリアノもリアナも全員いない!!
全員王国が……レオナルディオが……
どんな風に死んだのかだって……わからなかった」
拳が震えている。
それでも、言葉だけは止めない。
「だけどな。
全員いなかった。その事実は絶対だ」
ガルシアは、苦笑のような笑いをこぼした。
「ハハハ……
そうだったのか……
だから……イザベルは……ヴィル様は……レイズお前に……賭けたのか……」
レイズは頷く。
「ぁあ、俺に託してくれたアルバードの未来を。
そしておれの横にいてくれることを」
そして、重く言った。
「だから、俺はそのために全部をだしきった。
そしていろんな過去をしった。
クリスもグレサスも王国の事も……全部だ。全部知った」
その言葉は誇りではない。
――代償の報告だった。
「だから救えた。
だから戦えた。
だけどな。
それは王になるためなんかじゃない。
そのときにはそれが必要だったからだ」
レイズは目を伏せる。
「当主になったのは、そうしないと王国が付け入るからだ。
俺が強く……最強であり……
そして絶対に勝てないとわからせるために、
あらゆる手段を使った」
ガルシアは、無言で聞いていた。
否定する余地がない。
それほどの結果が、いま世界に残っている。
レイズは、ぽつりと呟く。
「だからもういいだろ??」
その声は、王のそれではなかった。
疲れた男の、素の声だった。
「アルバードの運命は、変えた。
魔族も王国も争っていない!
いまはみんな仲良しだ
充分にハッピーエンドを迎えたはずだ。
なら……」
言葉が詰まる。
「なら……
俺は、もう……王じゃなくたって……
当主じゃなくたって……
うまくまわるだろ……?」
ガルシアはようやく理解する。
目の前の青年は、“王になりたい”から王になったのではない。
“王でなければ守れない”から王になっただけだ。
だからこそガルシアははっきりと言う。
「ならば……そのハッピーエンドとやらを……謳歌したらいいではないか」
ガルシアは、まっすぐ見つめる。
「王?当主?
確かに……私は期待した。
いまのレイズ……貴方なら間違いなくその器だと。
でも違った。
貴方は……普通の人なんだと理解しました」
レイズは、小さく息を吐く。
「そうだ。俺は……普通だ。
特別なんかじゃない。
強いわけじゃない」
そして、少しだけ苦く笑う。
「強いのは……アルバードだ。
そしてその血を継ぐレイズだ」
自分を切り離すように言う。
「おれはぜんぜんすごいやつなんかじゃない。
むしろ、この世界の事をわかっているようで全然わかっていない。
おれは、この世界をただ、自由に過ごしたかった」
――自由。
その言葉が、どれほど贅沢な願いかを知りながら。
「でもどうだ?
皆救われた。
イザベルとも結ばれた。
リアナもリアノも……レイナも
幸せな時間も空間も全部……すぐそばにある」
声が震える。
「でもな……ガルシア……」
呼び捨てにした瞬間、ガルシアは悟る。
この青年は“父”に甘えたいのではない。
“父ではない”と自分から距離を取ろうとしているのだと。
「俺は……レイズじゃないんだ」
ガルシアは、その意味を理解する。
自分に父と呼ぶ資格などない。
イザベルを娶る資格などない。
アルバードに関係する人物達を率いる資格などない。
それは、つまり本来のレイズがやるべきこと。
本当のレイズがすべきこと。
いま彼の目の前にある幸せに見える空間は、
彼にとって、余計に苦しくなる空間になっていること。
ガルシアは理解した。
理解したからこそ――笑った。
「ハハハハハ!!」
豪快に。
その笑いは嘲りではない。
――息子の頑固さが、あまりにも不器用で、愛おしかった。
「そうか」
ガルシアは笑いながら言う。
「だけど、私はいまのレイズだからイザベルを託した」
レイズは目を見開く。
「は?」
ガルシアは、迷いなく続ける。
「私はいまのレイズだから娘を託せた。
それに後悔もない。
何故だかわかるか?
娘が幸せだからだ。
孫も幸せだ」
指を折りながら、確かめるように言う。
「この時間をくれたのは、もともといた出来損ないだったレイズではない。
いまのレイズだ」
ガルシアは一息つき、肩をすくめる。
「なにをさっきからごちゃごちゃ言っているのか私にはわからない」
それが、父の言葉だった。
「レイズじゃない?
貴方はレイズなんだ。
別人のレイズ?
前のレイズ?
そんなのはもはや意味のない話だ」
ガルシアの声は強い。
「いま生きているレイズが私にとって、
イザベルにとって、
そしてアルバードにとって本当のレイズだ」
ガルシアは、さらに踏み込む。
「他人の人生を乗っ取ったと勘違いしているようだが、違う」
はっきりと言った。
「他人の人生を救ったのがいまのレイズなんだろう」
ガルシアは胸を叩くように続ける。
「その功績と、結果とすべてお前が残したものだ。
作ったものだ。
なら、そこから得られるものはすべてお前のものだ」
ガルシアの目は、鋭く燃えている。
「本来のレイズがなにをしたと言うんだ。
私からイザベルを奪い、
ヴィル様の期待を裏切り、
アルバードを滅ぼしかけた原因はすべてそのレイズなのだろう」
そして、痛烈に言い切る。
「そして貴方が知る未来では、それらはすべて消えたという」
ガルシアは息を吸い込む。
「ならば、それが本来のレイズの未来であり、
本来のレイズが得た結果だ」
そして、今を指す。
「いまは違うのだとしたら、それは貴方がレイズだからだ」
重ねるように。
「そしていまの貴方が得た結果であり、
貴方自身であることを理解しろ」
ガルシアは、優しくも容赦なく言う。
「王をやめたいならやめればいい。
当主を降りたいなら降りればいい」
しかし、そこで声が一段深くなる。
「だけど、私が心から望むのは、
イザベルの幸せと
孫であるレイナの幸せだ」
それだけは、譲れない。
「それが叶うなら、私はいまのレイズでないなら絶対に認めない。
私の幸せはすべてそこにある」
ガルシアは、ふっと笑う。
「レイバードの跡継ぎ……?そんなものは貴方と同じだ」
レイズが息を呑む。
「別にレイバードの人間がレイバードを継ぐ意味なんてない。
アルバードが消えるというならレイバードだって消えていい」
それは無責任ではない。
優先順位を語る父の言葉だった。
場所ではなく、人を守る。
レイズは、絞り出す。
「レイバードは……
ガルシアがずっと守ってきたんだろう……?」
ガルシアは笑った。
「私が守ってきた?
だが、私はレイバードを守れずレオナルディオに乗っ取られていたんだろう?
なら私も守れてなんかいないではないか」
レイズは、なにも言えなかった。
“守れなかった”という後悔に、父もまた囚われていたのだと知ったからだ。
ガルシアは、視線をまっすぐにする。
「だからこそだ」
そして、はっきりと言う。
「私は君が気に入っている。
それはヴィル様もそのはずだ。
でなければアルバードを君に託す選択などしなかった」
ガルシアは、指を折る。
「イザベルも同じだ。
君に、お前でなかったら伴侶として選ばない」
その言葉が、レイズの胸を強く叩いた。
「……あまり我々を甘くみないでほしい」
ガルシアは、父として叱るように。
「私たちそれぞれがちゃんと選択して君を選んでいる」
そして、強く断言する。
「それはアルバードとは関係ない。
お前だから選ばれた!」
ガルシアの声が、震える。
震えているのは怒りではない。
誇りと愛だ。
「そのすべての結果がいまのレイズをすべて作った!」
ガルシアは、最後に吠えるように言う。
「なら、作ったものはすべて君のものだ。
他のだれの
それこそ本来のレイズなるもののものでもない!!」
そして、胸を張った。
「レイズは、貴方だ!!」
その瞬間、レイズの目から、ぽろりと涙が落ちた。
一滴では終わらない。
堰が切れたように、静かに、少しずつ。
「俺が……レイズ……なんだよな……」
その声は、子どものように弱かった。
弱いのに、これほど強く聞こえる言葉はない。
ガルシアは、まるで当然だと言うように笑う。
「そうだとも!!」
そして、誇らしげに言った。
「君は我々の誇り高い偉大な人だ。
レイズアルバードじゃなくてもいい。
君はレイズだ」
ガルシアの声は、もう揺れていなかった。
「それはだれもが理解している。
否定などだれもしない」
レイズは思い出す。
レアリスの言葉。
“レイズはレイズ”。
「そうなのか……
俺はやっぱりレイズなのか……レアリス……」
胸の奥に刺さっていた棘が、抜けていく。
完全に消えるわけではない。
けれど、“痛み”ではなく、“形”になっていく。
――自分がここにいていいという、証明になる。
「ありがとう……ガルシアさん……」
ガルシアは、わざとらしく眉を上げた。
「お義父さんと呼んでくれないのかい?」
レイズは、涙を拭いながら、照れくさそうに笑う。
「……そうだった。
ありがとう、お義父さん」
ガルシアも笑う。
その笑いは、長い夜を越えた者の笑いだ。
「まさか……そんな秘密があったなんてな。
だが、私からみても……レイズ。
貴方はかわいい息子だ」
レイズは、赤くなる。
照れで。
そして――救われたことで。
外では夜風が、屋敷の木々を揺らしていた。
けれどこの部屋の空気は、どこまでも暖かい。
王の凱旋でもない。
英雄の帰還でもない。
ただ一人の男が、
“自分であっていい”と認められた夜。
その夜、レイバードの灯は消えなかった。
使用人たちの足音が、どこか優しく響く。
遠くで子どもたちの笑い声が聞こえた気がして、
レイズは目を閉じる。
――もう大丈夫だ。
そう思えたから、涙はようやく止まった。
そして胸の奥で、誰にともなく、静かに呟いた。
(……俺は、レイズだ)
(いや……“レイズとして”じゃない)
(俺は、俺として……ここに在りたい)
ガルシアはそれを見て、柔らかく笑った。
「そういう顔ができるなら……十分だ」
レイズは、頷いた。
言葉はいらない。
この瞬間だけで、長い旅路の意味が、報われた気がした。




