レイズが本気で望む事。
その頃、イザベルもまた、皆に向けて静かに言葉を整えていた。
「みなさん……今日は……レイバードでお世話になります」
それは旅の流れの中で決まったことだ。だが――言葉にした途端、場の空気が少しだけ動いた。誰もが、まだ胸の奥に残る暗さを抱えたままだったからこそ、こういう「次の行き先」の話題が、少しだけ救いになる。
ジェーンが眉を上げた。
「レイバード? それは一体どこなんだい?」
イザベルは少し困ったように笑い、言葉を探す。
「えーっと……私の実家みたいな所で……正式には……王国、になるのかな?」
“実家みたいなところ”という表現は曖昧だが、イザベルにとってはそれが一番正確だった。そこは幼い頃の記憶と、父の背中と、帰るべき場所としての感覚が混ざり合う、特別な土地だった。
ジェーンは率直に続ける。
「あたしらみたいな部外者が泊まっても平気なのかい?」
イザベルはすぐに頷いた。
「問題ないですよ。むしろ……みんなで来てくれた方が……お父様はきっと喜びます」
その瞬間――レイナがぱっと顔を上げた。
「おじいちゃんに会えるの!?」
嬉しそうに、目を輝かせる。
その反応につられるように、アリスも身を乗り出した。
「え! レイナのおじいちゃん!? 会ってみたい!」
リアノは懐かしそうに目を細める。
「ガルシア様ですね。……ほんとに久しぶりにお会いしますね」
イザベルは、その声に静かな安堵を覚えた。レイバードという場所が“危険”ではなく、“迎えてくれる”場所として、皆の中に届いたからだ。
「ですので……みなさんどうか、ゆっくりしていってくださいね」
その言葉のあと、暗い空気にほんの少しだけ明るい風が流れ始めた。
あまりにもショックな経験をしたばかりの子どもたちが、それでも切り替えるように笑顔を見せてくれる。
その在り方が、どれほど救いになるか。
イザベルは胸の内で、そっと子どもたちに感謝した。
ジェーンが、ぽつりと漏らす。
「ほんと……切り替えが早くて……助かるね」
イザベルは頷き、微笑んだ。
「いまは……子どもたちに感謝しなくちゃですね?」
ジェーンは少しだけ肩をすくめ、次の問いを投げた。
「イザベルの父親ってことは、レイズにとっても父親ってことかい。さぞ緊張するだろうねぇ」
イザベルは笑いながら首を振った。
「そんなことはないですよ。レイズにとっても……お父様は……もとから親戚ですから」
ジェーンは、話の筋を追うように目を細める。
「それってつまり……そういうことなのかい?」
イザベルは、少し照れたように笑って――それでもはっきりと言った。
「ええ。私とレイズは従兄弟ですから」
「ハハハ……じゃぁ、あんたもレイズもどこか似てるのはそういうことかい?」
イザベルは驚いたように目を瞬かせる。
「私と……レイズが似てますか?」
リアノは迷いなく答えた。
「似てます」
そして、どこか楽しそうに続ける。
「イザベル様もレイズ様も、プライドが高いのに……すごく繊細なところとか……」
イザベルは、ふっと息を吐いた。
「そっか……レイズと似てるかぁ……」
その「似てる」という表現は、どこか複雑だった。
なぜなら――いまのレイズは、確かにレイズだ。
しかし、血縁とは呼べないくらいに、どこか遠い存在でもある。
イザベルも、リアノも、それをよく知っている。
だからこそ「似てる」という言葉は、単なる性格の一致ではなく――どこか繋がりを感じさせる、やさしい刃のようにも思えた。
(そうよね……従兄弟だもんね……)
レイズとイザベルは、確かに従兄弟だ。
だが「従兄弟としてのレイズ」は、すでに今のレイズに当てはめていいのか、わからない。
イザベルは、従兄弟であったレイズも好きだった。
そして、今のレイズも好きだ。
けれど、異性としてはっきり意識したのは――今のレイズになってからだった。
同じなのに、違う。
だから、イザベルが本当に惚れ込んだ男は――一体何者になっているのか。
イザベル自身にも、よくわからなくなっていた。
それでも。
(やっぱり……愛してるのよね)
それだけは変わらない。
好きという気持ちに、色褪せるものはまったくないのだから。
そうして――レイズはひと足先に走り、レイバードの屋敷へ向かっていた。
「ごめん!! 誰かいるか!?」
門番などもいない。
だからレイズは扉へ直接声をかけ、ノックをした。
ほどなくして扉が開く。
「どちら様でしょうか……?」
使用人のひとりが顔を出す。
そして目の前に立つ青年の姿に、思わず身体が震えた。
「レ……レイズ様!? どうして!?」
レイズは気まずそうに笑う。
「ああ、ちょっと……みんなで遠征してさ。戻ってきてたんだけど……ほら、もうすっかり日が暮れてしまってさ」
王の凱旋。
本来なら国中が騒ぎになるはずの出来事。
それが起きていないということは――お忍び。
使用人は即座に理解し、姿勢を正した。
「す……すぐに!! ガルシア様にお伝えします! レイズ様は中へ!!」
「急に来たのに……なんか申し訳ないな」
「滅相もございません!!」
使用人は勢いよく走り去る。
レイズは案内された場所に座り、深く息を吐いた。
そして――すぐに、慌てて走る音が聞こえてくる。
ドタドタドタドタ!
バァーン!
扉が勢いよく開いた。
「レ……レイズ様……」
そこに立っていたのはガルシアだった。
レイズは笑いながら手を振る。
「いやいや……お義父さん、“様”は勘弁してください」
「そ、そそそ……そうで……そうだな」
ガルシアは息を整えながら、必死に平静を装う。
「レイズ……どうしてレイバードに……? しかもこんな夜に……」
「ちょっと……やむを得ない理由があってさ。ジュラに行ってきて、いま帰ってきたとこなんだ」
ガルシアの顔色が変わる。
「ジュ……ジュラ!? そんな、危険なところに……? ですか」
「ああ。それで――もうすぐ、一緒についてきてくれた人たちが来る。……世話になってもいいか?」
「も、もちろんだ!! すぐに準備をさせます!」
ガルシアは振り返り、声を張る。
「おい!」
使用人が頭を下げて入ってくる。
「すぐに泊まれる場所を用意してやってくれ! どの部屋を使っても良い!」
「ハッ、旦那様」
その瞬間から、屋敷の中が慌ただしく動き始める。
ガルシアは改めてレイズへ向き直った。
「それで……ここに来るのは……?」
レイズは指を折るようにして、淡々と告げる。
「イザベルと……レイナも来る。それとアリスって子と……クリスもいるな。あとは聖国の……ジェーンっていう聖騎士と……それと……魔女のリリィって子が」
ガルシアは、ぽかんと口を開けた。
あまりにも意味がわからない組み合わせだ。
娘と孫娘――それはわかる。
それだけで胸がいっぱいになるほど嬉しい。
アリスという子ども――それも理解できる。
だが――
(クリス……つまり……ウラトス様……!?)
ガルシアにとってクリスは、恐ろしくもあり、同時に安全を保証された伝説のような男だ。
しかも聖国の聖騎士。
会ったことなどない。
だが、そんな遠い国の騎士を冠する者が、普通の人物であるわけがない。
そして――極めつけ。
魔女。
魔女という存在についてガルシアはよく知らない。
だが、伝承だけは知っている。
警戒心は、どうしても拭えなかった。
そんな中で、レイズはさらっととんでもないことを付け加えた。
「ああ、あと……ここには泊まらないけど……馬車にはガイルもいる。本人は馬車で過ごすって言ってるから……よろしく」
「ガ……ガイル……?」
ガルシアの声が裏返った。
「まさか……あのガイルですか?」
レイズはさらりと言う。
「ああ。いいやつだぞ。魔王ガイルは」
ガルシアは笑うしかなかった。
それだけの人物を平然と“仲間”として扱うレイズに。
そして、義理の息子の常識外れに。
「ほんとに……毎度驚かされる……」
「そうですか? もうわりと……アルバードでは自然になってますよ」
「ハハハ……自然なわけないでしょう」
ガルシアは、息を吐くように言った。
「全部……レイズ、貴方だから可能にしてる……」
「そんなことないけどな。……そんなことより」
レイズはここで、空気を切り替えるように言葉を落とす。
「お義父さんと話したいことがあるんだけど……少し時間はもらえますか?」
ガルシアの表情が引き締まる。
「一体どんな……話をするつもりで?」
「レイバードを……ここを今後どうするかについて、かな」
その言葉の意味を、ガルシアは理解している。
レイバードには、いま正式に跡を継ぐ者がいない。
その問題が、ここ最近ずっと頭を悩ませていた。
レイズはそれを見越して――レイバードの未来について話をしに来たのだ。
ガルシアは静かに問う。
「レイズ……あなたは、どうするべきだと考えていますか?」
レイズは迷わず答えた。
「跡取りを、ちゃんと決めるべきだろ。このままお義父さんがいなくなったら……レイバードはどうなるんですか?」
ガルシアは少しだけ目を伏せる。
「レイバードは……王国の所有する地ですので……そうですね。このままでしたら、きっと……座位騎士の一人が継ぐことになります」
「そうか……」
レイズは短く息を吐き、そして――短く、しかしはっきり言った。
「おれは、イザベルの故郷が、レイバードと関わりのない者が継ぐのは嫌です」
ガルシアは苦しげに返す。
「ですが……私のあとを継げる、レイバードの者など……」
レイズはまっすぐ告げる。
「レイナがいる」
ガルシアの視線が揺れる。
「レイナは……イザベルと俺の子だ。だから、レイナが大きくなったら……レイバードに行かせるつもりだ」
その言葉に、ガルシアはうつむいた。
確かに――イザベルとレイズの子であれば、その資格は十分にある。
だが同時に、浮かぶ疑問もある。
(レイナは……アルバードを離れたがらないのではないか)
ガルシアが言葉を探す前に、レイズは続けた。
「そもそもアルバードは……失くすつもりだ」
ガルシアは顔を上げた。
「は……? いま、なんて……」
レイズは当たり前のように言う。
「だから、アルバードはもう必要ないってことだよ」
あまりにも意味がわからない。
ガルシアは声を絞り出す。
「アルバードの跡を……誰も継がせないのですか?」
レイズは首を振る。
「勘違いしないでほしい。アルバードはそもそも――魔族と人々の戦いを止めるために独立した場所だろ」
ガルシアは頷く。
「ですが……アルバードはもはや一国です。その一国が……滅びるなど……あってはならない」
レイズは短く言い切った。
「そもそも俺は、アルバードの王の立場なんて……好きでなったんじゃない。王って立場に興味なんてないからな」
淡々と。
だが、その淡々こそが、胸を刺す。
「アルバードは、あの場所だけで十分だろ。実際、王国とアルバードには境があってないようなもんだ」
ガルシアはその言葉の意味を理解している。
王国とアルバードの行き来に、そもそも検問など存在しない。
王国に入国できた時点で、もはやアルバードにも入れる。
境界は形だけだ。
レイズは続ける。
「つまり……アルバードの本来の目的はとっくに成せたんだ。なら……アルバードは、もう“そういう場所”じゃない」
ガルシアは反論する。
「ですが、レイズ……貴方がそういったところで……クリス様や……アルバードの屋敷に住む者が、許すはずがない……」
レイズは笑った。
だが、その笑いは軽くない。
「みんなアルバード、アルバードってさ。自分の人生が、それぞれ自由にあるんだ。一生をアルバードに仕える……? いつの話をしてるんだ」
ガルシアは言葉を失いかける。
レイズはさらに言う。
「みんな、好きなように自由に……使命とか抜きにして、それぞれの居場所を作るべきなんだ」
そして、わずかに言葉を溜めた。
息を吸い――
「むしろ……俺もアルバードじゃなくていい」
静かな爆弾のように、その言葉は落ちた。
ガルシアの目が見開かれる。
レイズは、続ける。
「俺はイザベルや……リアノ、リアナ……それに子どもたちと、普通に家庭を持って暮らせればいい」
ガルシアは胸の奥が締め付けられるのを感じた。
世界を変えた男が望むものは――あまりにも小さな幸せだった。
レイズは、これまで押し殺してきたものを吐き出すように言う。
「何をするにも……みんなは俺を最優先に考えるんだ。おかしいだろ」
そして、はっきり言う。
「アルバードの使命は、戦いを止めるため」
息を整えながら。
「だが、もうそれは成している。いまの王国も魔族も帝国も……みんな仲間だ。信用できる。戦いはもう起きない」
ガルシアは、ただ聞くしかなかった。
レイズはさらに続ける。
「なら、わざわざいくつにも分ける必要だってない。王国のリオネルも……グレサスも……帝国のルイスも……全員、俺は信じてる」
言葉は止まらない。
「魔族だってそうだ。ガイルはもう脅威なんかじゃない。俺にとっては友達だ」
そして、最後に問いを置く。
「なら……王国はもうアルバードと混ざり、一つになってもいいはずだ。違うかな?」
ガルシアは何も言えなかった。
かつて王国がアルバードを管理する提案をした時――ヴィルは拒否し、レイズも断固として拒否した。
そして、その王国の手伝いをしてアルバードを裏切る行為をしたのが、レイバードであり――自分だった。
まさか。
レイズから。
アルバードから。
そのような話が持ちかけられるなんて――思いもよらなかったのだ。
そしてガルシアは、その言葉に喜ぶことなど到底できなかった。
なぜなら――
ガルシア自身は、レイズが王となり、そして王国までもまとめてしまう絶対的な立場になるべきだと、本気で思っていたからだ。
だが、レイズはそれを拒む。
王としての務めを放棄したいんじゃない。
彼は――一人の人間として、幸せな家庭を、小さくてもいいから持ちたいのだ。
あまりにも大きなことを成しておいて。
望むことは。
あまりにも小さな、幸せな空間。
そのギャップに、ただただガルシアは言葉を出せなかった。




