そのやり取りは普通の人そのもの
こうして、馬車での帰路。
行きはジュラの森の入り口で一夜を過ごしたが、帰りは出発が遅れたこともあり、空はすでに群青へと沈みきっていた。森を抜けたあとの街道は静かで、車輪の軋む音だけが、夜気の中に細く伸びていく。
やがて見えてくるのは、レイバードの領。
正しくは王国の領土内――その中でも、ガルシアが管理する区域だ。
馬車を止め、レイズは夜の空気を吸い込んだ。冷たい。どこか懐かしい匂いがする。
「イザベル……いいか?」
振り返ると、灯りに照らされた彼女の横顔がやわらかく揺れた。
「うん……だいぶ遅くなっちゃったからね」
彼女はすでに察しているらしい。レイズは小さく頷いた。
「今日は……ガルシア義父さんのところに泊まりたい。迷惑じゃないかな」
イザベルはくすりと笑う。
「お父様は……きっと喜ぶわよ?」
「でもな……何も伝えずにいきなりってのはどうなんだろうな。それに、レイナやお前だけじゃない。ガイルや、ほかのみんなもいる」
イザベルは一瞬、夜の屋敷の方へ視線をやった。
「お父様は……ずっと一人でここにいるの。レイバードで。……きっと、寂しいわ」
その言葉に、レイズは息を詰めた。
「……そうか。ガルシア義父さんは……お前以外に、子どもがいないんだったな」
「うん……お母様は身体が弱かったし……それに……」
言葉が途切れる。
「レイズくんの……リヴェルお義父様が亡くなってから、すぐに亡くなったって……私も聞いてるから」
夜風が、馬車の幌を揺らす。
レイズの父、リヴェル。
イザベルの母にして、リヴェルの姉、ルーベル。
兄妹だった二人。
だが、その兄妹の物語は深く語られたことがない。
物心つく前に父を亡くしたレイズ。
数歳になったばかりで母を失ったイザベル。
どちらも、“アルバードの血”を継ぎながら、親の記憶を持たない。
血だけが、確かに繋がっている。
それだけが、証だ。
「……それじゃあ、皆に伝えてくれるか? 俺は、ガイルたちに話してくる」
「ええ。わかったわ」
歩き出しかけたレイズを、イザベルが呼び止める。
「あなた……」
「ん?」
「王様が一人で走ってくるなんて……お父様のほうがびっくりするわよ?」
レイズは苦笑した。
「だな。でも……先に話したいこともあるんだ。ガルシア義父さんと、二人で」
イザベルは少しだけ呆れた顔で、そして優しく笑った。
「最初から、そう言いなさいよね」
「……ありがとう。それじゃ、またあとでな」
レイズは馬車へ戻る。
「今日は暗い。ここで泊まる。レイバードの屋敷に世話になろうと思う」
その言葉に、ガイルが鼻を鳴らした。
「ぁあ? お前らで泊まってこい。俺は馬車でいい。それに……あいつが独りになるだろ」
腕の中に抱えられた少女――ノエル。
息をしていないはずの身体を、ガイルは静かに支えている。
「……その子を、ガイルだけに任せていいのか?」
「ぁあ? こいつが死んだ理由は俺に原因があるだろ」
レイズは、即答できなかった。
ウルティアと出会ったのはガイル。
選ばれたのは少女。
間接的に見れば、因果は繋がっているようにも見える。
だが――
「違う」
はっきりと言う。
「その子はウルティアに殺された。ガイルが殺したんじゃない。ガイルのせいじゃない。そこだけは、間違えるな」
ガイルは鼻で笑った。
「めんどくせぇことまで考えてねぇよ。心配すんな」
その軽さが、逆に重い。
クリスが一歩前へ出る。
「ガイル。私も時々変わる。その魔法を使い続けるのは……さすがのお前でもきついだろう」
レイズはそこで、はじめて気づいた。
少女の身体の周囲に、薄く漂う魔力。
腐敗を止めるための、保存の魔法。
ガイルは抱えた瞬間から、誰にも言わず、ずっと使い続けていた。
ディアブロに大量の魔力を吸われた直後だというのに。
それでも。
止めていなかった。
レイズの胸の奥に、鈍い痛みが走る。
自分は王だ。
この世界を背負うと決めた。
だが、目の前の男は。
誰にも言わず、ただ一人の少女のために、静かに魔力を削っている。
どちらが強いのか。
どちらが正しいのか。
そんな問いは意味を持たない。
それでも、悔しさに似た感情が胸を掠める。
「別にきつくもねぇ。気にすんな。てめぇも休んでこい」
クリスは深く一礼する。
いつもなら皮肉の一つでも飛ばすところだが、今は違う。
「……正しいことには、正しく返す」
「きめぇからやめろ!」
「私はお前と違い、正しいことは正しく返すだけだ!」
「はぁ!? 俺だってやってんだろ! バカが!」
そのやり取りに、わずかに空気が緩む。
だが、レイズの視線は、ガイルの手にあった。
ほんのわずかに震えている。
夜風のせいか。
魔力の消耗か。
ガイルは気づかせないように、指を握り込む。
「……無理はするな。なんなら、アルバードへ先に戻るか?」
「真夜中に死体抱えて帰るほうがよっぽど怪しいだろ」
「……それもそうだな」
レイズは、ふっと笑う。
「お前……ほんとにまともなこと言うよな」
「俺は最初からまともだろうが!!」
怒鳴り返す声。
だがその奥に、ほんの少しだけ滲むものがある。
罪悪感か。
後悔か。
それとも――責任か。
夜は深い。
馬車の灯りが、レイバードの屋敷へと続く道を淡く照らしている。
それぞれが、それぞれの重さを抱えたまま。
この夜を越えようとしていた。そのやり取りを、少し離れた場所から見ていたリリィは、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
強い――それは疑いようもない。
目の前にいるのは、王と呼ばれる男レイズは。
魔王と呼ばれた男ガイル。
そしてアルバード最強の騎士クリス。
人の頂点に立つとさえ言われる存在たち。
そのはずなのに。
交わされている言葉は、あまりにも普通で、
あまりにも人間らしく、
あまりにも――優しかった。
怒鳴り合っているようでいて、そこには敵意はない。
突き放しているようでいて、そこには見捨てる気配はない。
それぞれが、それぞれの弱さを知っている。
それぞれが、それぞれの痛みを理解している。
だからこそ出る言葉。
だからこそ許される距離。
ガイルの荒い言葉の奥にある不器用な優しさ。
クリスの真っ直ぐな敬意。
そしてレイズの、誰よりも仲間を気にかける視線。
強いだけではない。
強さの先にあるもの。
それは、守ろうとする心であり、
責任を背負おうとする覚悟であり、
そして何より――
誰かの痛みに気づける優しさだった。
リリィは静かに息を吐く。
英雄でもない。
魔王でもない。
ただ、人として。
こんなにも温かく在れることが、
どれほど尊いかを、彼女は知っている。
だからこそ、その光景が眩しかった。
心を預けてもいいと思えるほどに。
「……みんな、本当に優しいです」
小さく零れたその言葉は、
夜の空気に溶け、
誰にも届かないまま、静かに胸の奥へと沈んでいった。




