グレイオンの血について。
アルバードの屋敷から、少し離れた丘道。
乾いた砂利を踏みしめながら、グレサスは振り向くことなく歩いていた。
その背を、クリスが黙って追う。
「……もう、いいでしょう」
沈黙に耐えきれず、クリスが口を開く。
「グレサス。それで……話とは?」
グレサスは立ち止まらない。
ただ、いつもの覇気を欠いた声で、思い出をなぞるように言った。
「ウラトス。お前が王国を出たのは……十三の頃だったな」
「そうだ」
即答だった。
「だが、今さらグレイオンに戻るつもりなどありません。
いまの私は――」
言い切る前に、言葉は遮られた。
「十五だ」
低く、淡々と。
「十五になれば……本来なら、父上から教わるはずだった」
一拍。
「だが父は、ヴィル・アルバードに殺された。
戦いと呼ぶのも馬鹿らしいほど、一瞬でな。
……雑兵が切り捨てられるようにだ」
クリスは眉をひそめる。
「それほど、ヴィル様は強かった。
そして私は、父を倒したヴィル様を恨んだことなどありません」
グレサスは、乾いた笑みを浮かべた。
「馬鹿を言うな。
私も、父を殺されたことを恨んだことなど一度もない」
「……では、なぜ?」
「喜びだ」
静かに、はっきりと。
「目指す目的を得た、その事実だけがあった」
クリスは言葉を失う。
「……それで、なぜ今、その話を?」
グレサスはようやく足を止め、腰を下ろした。
指で地面を示し、クリスに座るよう促す。
「長くなる」
一呼吸。
「ウラトス。
不思議に思わなかったか?」
「何を、です?」
「なぜグレイオンの者は、死を除くすべての属性を扱えるのか」
「それなら、あの魔王も――」
「違う」
グレサスは笑った。
「あれは別枠だ。
我らの父よりも、ヴィルよりも長く生きている。
実際は……爺さんだ」
「中身は子供ですがね」
「だからこそ、だ」
グレサスは指を立てる。
「この世界に、全属性を扱える者が何人いると思う?」
クリスは記憶を辿る。
――グレサス、クリス、ガイル。
それ以上は、思い浮かばない。
「四人だ」
四本の指。
「そして、その一人は――母だ」
「……母?」
「覚えているか?」
「いいえ。
物心ついた時には、もう……」
グレサスは、躊躇なく言った。
「名は、ルティ・グレイオン」
一瞬の沈黙。
「魔女の一人だ」
空気が凍る。
「……魔女?」
「そうだ」
低く笑う。
「その事実を知っているのは、今では俺とお前だけだ」
クリスは、自分の血を見つめるように手を握る。
「私の……半分は、魔女……」
だが、恐怖はなかった。
アルバードで過ごす日々において、魔女など考える暇はない。
王国と魔族――それだけが、世界のすべてだった。
「なぜ……十五まで教えてもらえなかったのです?」
「父の話だ」
「魔女の血は、十五を境に性質を変える。
魔力の質、身体能力……そして」
声が低く沈む。
「普通の者には見えぬものが、見えるようになる」
「……私は、ありません」
クリスは首を振る。
「鍛錬はしてきましたが、急激な変化の記憶もない」
グレサスは、わずかに息を吐いた。
「そうか……なら、まだいい」
だが、次の言葉は冷酷だった。
「もし、何かが見え始めたら――
その時は、俺もお前も、死を選べ」
「……なぜです?」
「愛する者がいるからだ」
「妻、子……」
「魔女の血は、近くの女を依り代に選ぶ」
名が挙がる。
「エルビス。ディアナ。クリアナ」
「……守ればいい」
クリスは強く言った。
「愛する者が魔女になっても、愛し続ければ――」
「違う」
即答だった。
「魔女になるのが問題ではない。
“誰か”に肉体を奪われる」
「名乗るのは、魔女の名。
だがその時、その身体にいた人格と名前は――死ぬ」
沈黙。
「前兆が出れば、どこに逃げても発動する」
「父は言っていた。
俺たちが男で良かった、と」
「母は……きっと、心配していた」
「そんなもの……レイズ様に相談すれば!」
クリスの声が、震える。
「レイズ様なら、死属性で――」
言葉が止まる。
――いまのレイズは、魔力すら使えない。
グレサスは、それを知った上で言った。
「言えば、あいつは必ず抗う」
「だが失敗すれば――
俺ならエルビスが。
お前なら、ディアナとクリアナが……あるいは両方だ」
クリスは、初めて言葉を失った。
「この話は、誰にもするな」
「前兆が出たら……迷わず死ね」
それは、命令ではない。
覚悟の共有だった。
ゲームの世界では、
グレサスもウラトスも独身だった。
だが、今の世界では違う。
妻がいて、子がいる。
だからこそ――
この世界には、悲劇が生まれる。
そしてこの真実は、
レイズですら、知る由もない。
沈黙を破るように、クリスはさらに問いを投げた。
「……なぜ、父は」
言葉を選ぶように、一拍置く。
「なぜあれほど魔族を毛嫌いし、
ましてや魔女を忌み嫌っていた父が――
その魔女を、妻に選んだのですか?」
グレサスは、思い出話でもするように笑った。
「父は王国騎士だ。
そしてな……実際の序列では、三位だった」
指を二本、三本と折りながら続ける。
「一位は、ヴィル・アルバード。
二位は、ヴィズ・アルバード」
「……父が、自分より上がいることを、
認めると思うか?」
クリスは、はっとする。
先ほどの戦い。
グレサスの言葉。
そして、幼い頃から叩き込まれてきた価値観。
――最強は、誰か。
その一点に対する異様な執着。
それは確かに、父から受け継いだものだった。
いや、グレイオンという血筋そのものが持つ、呪いに近い気質。
誇りであり、
目標であり、
そして絶対の信条。
誰よりも強く。
誰よりも最強であること。
それこそが、
グレイオンが最も愛し、
最も大切にしてきた言葉だった。
だが――
アルバード家の誕生によって、
その信仰は、無残にも打ち砕かれた。
「だからだ」
グレサスは、淡々と言う。
「普通の女と子を成したところで、
アルバードを越えられるとは……父は思わなかった」
「故に」
声が、低く沈む。
「父メイガスは、魔女を選んだ」
「愛があったかどうかは……分からん」
「だが、魔女との子であれば――
アルバードを越える存在を、
グレイオンから生み出せると信じたのだろう」
クリスは、鼻で笑った。
「魔女の血……
そんなものがあったところで」
一瞬、言い直す。
「……ヴィル様を。
いえ、レイズ様を越えるなど、到底無理です」
グレサスは、笑った。
そして――
珍しく、その言葉を否定しなかった。
「……そうだな」
短い一言。
そこに、悔しさも誇りも、もうなかった。
グレサスがここまで丸くなった理由は、
言うまでもない。
愛する妻がいる。
そして、守るべき息子がいる。
本来のグレサスであれば、
この話をクリスにすることなど、決してなかった。
だが――
グレサスは愛を知った。
家族を知った。
守るべきものの、重さを知ってしまった。
だからこそ。
「……伝える必要があった」
心の中で、そう結論づけたのだろう。
自身に残された、唯一の弟へ。
それは、
兄として初めて向けた――
不器用で、遅すぎる優しさだった。




