純粋な喜びを胸に
レアリスの元を発ち、
白い毛並みを持つ小さな小動物が一匹、静かに歩いていた。
その身体は掌に乗るほど小さく、丸みを帯びている。
耳はわずかに揺れ、尾はふわりと空気をなぞる。
外見だけ見れば、どこにでもいる愛らしい小動物――
だが、その瞳だけは不思議なほど澄み、揺らぎがなかった。
ジュラの外縁へと差しかかり、
小動物はふと足を止め、空を見上げる。
空が――歪んでいた。
巨大な魔力の波長が、目に見えぬはずの振動となって大気を震わせ、
まるで水面に石を落としたかのように、空そのものが波打っている。
雲は押し流されるように形を崩し、
風は逆巻き、収束し、また散っていく。
――尋常ではない。
だが、小動物の表情は変わらない。
恐怖も、驚きも、ためらいもなかった。
それどころか、
その魔力の中心へと向かって、迷いなく歩を進めていく。
理由は、わからない。
自分が何者なのかも、なぜ歩いているのかも、
明確な言葉にはならない。
ただ――
「行かなければならない」
「会いに行かなければならない」
そんな感情にも似た、使命にも似た衝動が、
小さな足を前へ前へと押し出していた。
トテテテテ――。
軽やかな足音。
……コテン。
石につまずき、小さな身体が前につんのめる。
柔らかな土に転がり、しばし動かなくなる。
だがすぐに、
何事もなかったかのように起き上がり、
毛についた土を軽く払って、再び歩き出した。
その様子を、
誰が見ているわけでもない。
だが確かに、
“何か”は、動き始めていた。
同じ頃。
アルバード領域の空に、
巨大な影が差し込んだ。
スカイドラゴン――
その背に、二つの影。
魔王・ガイルと、
エルフの少女・ルル。
彼らがアルバードの空域へ侵入した瞬間、
街は一瞬、静まり返った。
次の瞬間。
「た、大変だ!!」
誰かが叫び、
それを合図にしたかのように騒ぎが連鎖する。
「見ろ! 空だ!!」 「スカイドラゴン!?」 「……ガイル様だ!!」
人々は走り出す。
呼び合い、笑い、叫びながら。
「みんな!! 急げ!!」 「行かなくちゃならねぇ!!」
その騒ぎは喧騒となり、
喧騒は熱狂へと変わり、
瞬く間に街全体へと広がっていった。
――ただごとじゃない。
だが、それは恐怖ではない。
「なにか、とてつもないことが起きるぞ」 「面白いことが起きるぞぉぉぉ!!」
誰もが満面の笑みだった。
アルバードで起きる“異変”は、
もはや災厄ではない。
それは――
お祭りに近い。
「見物だ!!」 「早く行け!! 置いていかれるぞ!!」
我先にと人々は駆け出し、
魔族も、人族も、獣人も、
種族の垣根なく、その後を追った。
ある魔族の兵士は、空を仰ぎながら呟く。
「……ガイル様」 「ようやく、お戻りになられたのですね」
その声には、
懐かしさと、安堵と、
そして確かな誇りが滲んでいた。
――ガイルとレイズの再会。
ただそれだけのために、
国中が、いや、世界がざわめき始めていることを、
この時点では、まだ誰も正確には理解していない。
もちろん、
レイズ本人も、
そしてガイル自身も。
スカイドラゴンの背で、
ルルがちらりと隣を見る。
「ねぇ、ガイル」 「レイズさんに会えるからって……ちょっと、嬉しいの?」
その問いに、
ガイルは即座に反応した。
「ッハ!?」 「嬉しいだと!?」 「そんなわけねぇだろうがよ!!」
声は荒く、言葉は乱暴。
だが――
その顔は、どう見ても誤魔化しようがなかった。
口元は緩み、
目は輝き、
抑えきれない期待が、表情の端々から溢れている。
ルルは思わず小さく笑った。
ガイルの笑顔は、普段からよく見ている。
戦の前でも、勝利の後でも、
あるいはくだらないことで笑う顔も。
だが、今のそれは違う。
比べ物にならないほど、
無邪気で、素直で、
心の底から「楽しみだ」と語っている笑顔だった。
――本当に、楽しみにしているのだ。
だが。
その再会の先に待ち受けているものが、
“ただの再会”では済まないことを、
この時のガイルも、ルルも、まだ知らない。
レイズに会うために越えねばならぬ、
とんでもなく、理不尽で、
そして――
とびきり“面倒な壁”が待ち構えていることを。
空は波打ち、
人々は集い、
小さな白い影は歩き続ける。
すべては、
避けられぬ再会へと向かって――
静かに、しかし確実に、動き出していた。




