最大の魅せ場。
ゆっくりとレイズが身体を起こした。
全身は泥だらけだった。
服も。髪も。顔も。
全てが泥にまみれている。
腕は重い。足は震える。呼吸は荒い。
まともに立つことさえ難しい。
だが――周囲から注がれる視線だけは消えなかった。
心配。不安。期待。
様々な感情が入り混じりながらも、その全てがレイズへ向けられている。
普通なら恥ずかしい。 惨めだと思う。
こんな姿、誰にも見られたくない。
だが。レイズは違った!!
(……来た…)
心の中で呟く。
(ここだ…!!)
確信する。
(今こそ俺の最大の見せ場!!)
立ち上がる。ゆっくりと。重々しく。
そして顔を俯かせる。
あえて表情を隠す。
泥にまみれたその姿は、まるで幾度となく敗れながらも立ち上がる英雄のようだった。
沈黙。
誰も言葉を発しない。
全員の視線が集まる。
(今だ!!)
レイズは震える声で口を開く。
「俺は……まだ――!!」
「さぁ、続けてください。」
ヴィルだった。
あまりにも自然に。
あまりにも当然のように。
決め台詞へ被せた。
「…………」
空気が止まる。レイズも止まる。完全に止まる。
(おい)(おい)
(おいおいおいおいおい!?)
レイズの魂の叫び。
(今めちゃくちゃ良いところだっただろうがぁぁぁぁ!!)
心の中で絶叫する。
(ぜってぇぇぇぇぇぇ!!)
(ぶっ倒す!!!)
「このやろぉぉぉぉぉ!!!」
なぜか怒りの矛先はクリスへ向かった。
クリスは何もしていない。
本当に何もしていない。完全なるとばっちりだった。
一方。イザベルは思わず吹き出していた。
(なんでクリスなのよ……)
理不尽すぎる。
だがレイズらしい。
だから余計に笑ってしまう。
◇◇◇
それからも鍛錬は続いた。
何度も。何度も。何度も。
木刀がぶつかる。
転がる。倒れる。泥に沈む。
それでも。
レイズは立ち上がる。
また挑む。また倒れる。それでも諦めない。
息は荒い。
身体は限界を超えている。
だが。誰も笑わなかった。
誰も馬鹿にしなかった。
そこに見えていたのは失敗ではない。
成長だった。確かな前進だった。
ヴィルも。クリスも。イザベルも。
何も言わず、その姿を見つめ続けていた。
ただ一人を除いて。
「……レイズ君っ!!」
リアノだった。
彼女だけは耐えられなかった。涙を流しながら駆け出す。
泥にまみれ。傷つきながら。
それでも立ち上がるその姿が痛々しかった。
胸が締め付けられる。
苦しくて仕方なかった。
「もう……やめてください!!」
リアノはレイズへ抱きついた。
小さな身体で必死に抱き締める。
「レイズ様は十分立派です!」
涙が零れる。
「弱くなんてありません!」
震える声。だが。
そこには本心しかなかった。
「だから……お願いです……」
必死な懇願。
その姿を見たヴィルが重々しく口を開く。
「……リアノ。それは余計にレイズを――」
しかし。
その言葉は最後まで続かなかった。
レイズが叫んだからだ。
「俺は弱い…!!」
全員が息を呑む。
張り裂けるような声だった。
「こんなの……弱い者いじめだ!!」
心からの本音だった。
誰よりも本音だった。
だが…
その瞳は死んでいない。
悔しさ。意地。決意。
全てが宿っていた。
そして。レイズは前を向く。
「……だが」
誰も言葉を挟まない。
「それも今だけだ…」
泥だらけの顔で笑う。
「俺は…強くなるぞ。」
そして。
真っ直ぐに宣言した。
「誰よりもだ!!」
その瞬間だった。
限界だった。
ぷつりと糸が切れる。レイズの身体がゆっくりと崩れ落ちる。
意識が闇へ沈んでいく。それでも最後まで。
その顔には諦めがなかった。
◇◇◇
レイズは知らない。
自分が今。どれほど人の心を動かしたのかを。
誰よりも前へ進もうとする意思。
誰よりも強くなろうとする覚悟。
その姿は。本来なら誰よりも誇らしいものだった。
ヴィルは震える手で目元を覆う。
溢れるものを止められなかった。
クリスも静かに涙を流していた。
周囲の使用人たちも同じだった。
誰もが心を打たれていた。
ただ一人。
イザベルだけは違う。
涙ではない。
胸が高鳴っていた。
どくん。
どくん。
鼓動が速くなる。
目が離せない。 ただ見つめてしまう。
(なんて……)
言葉にならない。
(なんて立派なんだろう)
誰もが感動していた。
だが。
イザベルだけは少し違った。
その感情は。尊敬だけではなかったのだから。
図らずとも。
レイズが思い描いていた“見せ場”は訪れなかった。
泥にまみれながら格好良く決めるはずだった台詞はヴィルに遮られ。
本人は悔しさと屈辱でいっぱいだった。
だが――
そんなことは誰も気にしていなかった。
誰も見ていなかった。皆が見ていたのは。
何度倒れても立ち上がる姿。
何度負けても前へ進もうとする姿。
そして、自らの弱さを認めながらも強くなろうと足掻く姿だった。
それこそが。
レイズ自身が気づいていない最大の魅力だった。
だからこそ。
その日、その場にいた誰もが胸を打たれた。
ヴィルも。クリスも。リアナも。
リアノも。イザベルも。
そしてアルバードに仕える全ての者たちも。
図らずとも――レイズ最大の見せ場は。
レイズが思い描いていたものとは全く違う形で。
皆の心に深く刻み込まれていく。




