どこをみてもレイズの名。
祭りの喧騒の中、リリィはニアと肩を並べて歩いていた。
夜風と共に流れる音色。
遠くで鳴る太鼓。
笑い声と店主たちの威勢のいい声。
そして灯りの海の中には、種族を超えた世界が広がっていた。
人族。
魔族。
エルフ。
亜人。
そして“魔女”である自分。
こんなにも多くの種族が、同じ広場で、同じ灯りの下で笑っている光景など、リリィは生まれて初めて見た。
森の奥でひっそりと生きてきた自分が――
こんな賑わいの中で、堂々と笑えるなんて。
リリィの胸は、いつのまにかじんわり温かさで満たされていた。
「にしても……すごい数の屋台だなぁ……」
リリィは思わず呟いた。屋台の並ぶ通りを見渡すだけで、胸が高鳴る。
魔族が焼く肉料理。
エルフが調合した香草スープ。
亜人が織り上げた色鮮やかな菓子。
人族の小麦料理。
その全てがリリィには未知で、どれもこれも新鮮だった。
一つの屋台の前で、リリィの足がぴたりと止まる。
「あの……これは……! すごく……いい匂い……」
漂ってくる香りは、刺激的でありながら、どこか懐かしさもある。胸の奥にまで染み込むような芳香だった。
店主の男が豪快に笑う。
「お、嬢ちゃん、気になるのかい? これはな、レイズ様が見つけた香辛料を使った特製料理さ!」
レイズの名前がまた出た。
リリィは思わず問い返してしまう。
「ま、また……ここでもレイズさんが……?」
どういう人なのだろう。
どこへ行っても耳にする名。
どこへ行っても、人々が笑顔で口にする名。
まだ会ってもいないのに、胸の奥のどこかがきゅっと締めつけられる。
――いったいどんな人なんだろう。
リリィは料理を受け取り、一口、口に運んだ。
「っ……!?」
舌が驚きに震えた。
一瞬で口いっぱいに広がる風味。
鼻へ抜ける香りと、深く沈む旨味。
「な、な、なんですか……この豊かな……味は……!」
思わず手が震えるほどの衝撃だった。
ニアも一口食べて、頬を緩ませる。
「んーーーっ! やっぱり美味しい! この料理、メランラーネアっていうのよね。紫のナウとマトマの実を薄切りにして、チーズと……あとこれは何のお肉だろ?」
店主は笑って答える。
「それは、ピグェって魔物の肉さ。」
リリィはフォークを落としそうになる。
「ま、魔物の……肉……!?」
ニアは笑って説明する。
「魔物はね、普通は食べられたもんじゃないのよ。血の匂いが強いし、固くて……。でも、このお肉はまったく臭みがないの。むしろ香辛料との相性が最高なのよ!」
リリィは再び一口食べる。
――信じられない。
魔物の肉を食べるなんて考えもつかなかった。
それをこんな料理にまで昇華するなんて。
「……ほんとに……魔物を……食べる日が来るなんて……」
魔族の肉は本来、食用には向かない。
動物より遥かに強い生命力と筋肉を持ち、血も肉も硬質で、扱いを知らなければ噛み切れない。
だが今、リリィの口の中でそれは柔らかく、美味で、香り高い料理となっている。
「……レイズさんって……どれだけのことを……」
文明。
食文化。
灯り。
水の出る装置。
思えば、この街の“便利”のほとんどにレイズの名が絡んでいる。
無価値とされたものに価値を与え、食べられないものを食べ物に変え、誰も知らなかった発見を日常に落とし込む。
その積み重ねが、どれだけの未来を変えるか――想像するほど恐ろしくなる。
そして、誰も知らない。
レイズの持つ知識は、すべて“別の世界の産物”であることを。
灯りも、水も、香辛料も。
ぜんぶ、彼が歩んだ異世界という過去が生んだ結晶だ。
リリィは震える声で呟く。
「この灯りだって……あの水が出る装置だって……全部……あの人が……ただ強いだけじゃなくて……知識まで……こんな……」
胸が熱くなる。
「会いたい……」
その言葉は、声にならず、リリィの心だけで囁かれた。
その頃、アルバードでは。
レイズが湯船に肩まで浸かり、隣で同じく湯に浸かるクリスと話していた。
レイズがゆるい声を出す。
「なぁ、クリス。」
「はいっ! レイズ様!」
相変わらずテンションの高い返事だ。
「明日さ、ピクニック行きたいんだけど……いい?」
クリスは首を傾げる。
「どこへ行くおつもりで?」
レイズは湯の中でぷかりと足を伸ばしながら笑う。
「ガルェの丘だよ。昔にさ。橋を作ったんだ。氷の橋。あれ、ちゃんとしたものにしたくてさ。」
「氷……の橋……?」
「そうそう。氷だけじゃなくて、水と風だけでも足りなくて。クリスの多属性が役に立つんだ。だから手伝ってよ。」
クリスは勢いよく胸を叩く。
「ハッ! 私の力は、きっとそのために授かったのだと自負しております!!!」
レイズは苦笑する。
「いや……たぶん違うと思うぞ……?」
そのやり取りは呆れるほど日常で。
だがリリィが想像する“偉大なレイズ”は――
ただの青年で。
ただ“やりたいことを好き勝手にやっているだけ”の男だった。
それをリリィが知るのは――
もう少し後のことだった。




