リリィの旅 知らなかった世界
リリィはひとつの町へ辿り着いた。
長い旅路の途中。
目的地までは、まだまだ遠い。
だが――人のいる場所に入るというだけで、胸は恐怖で締め付けられる。
魔女というだけで拒まれ、蔑まれてきた。
その視線の痛みは、もう慣れたはずだった。
けれど。
町へ踏み入れたリリィは、息を呑んだ。
そこには――
魔族が、エルフが、獣人が。
かつてなら憎悪と恐怖の対象でしかなかった亜族たちが、
当たり前のように人間と並び歩き、笑い合っていた。
「……なんで……?」
リリィは思わず立ち止まる。
本来の歴史では、あり得ない光景。
魔女である自分など、町に足を踏み入れただけで石を投げられてもおかしくない。
しかし、人々の視線は暖かく、穏やかで……
誰ひとり、彼女を“特別”として扱わない。
震える手でそっとフードを外す。
そして、堂々と歩き出した。
その瞬間。
「おい、お嬢ちゃん!」
突然かけられた声に、リリィは思わず肩を震わせた。
「は……はい……?」
声の主は、逞しい腕をした店の主人だった。
「旅してるのか? 今日はもう夕刻だぞ。
よかったら、うちの宿に泊まっていきな!」
あまりにも普通の言葉。
けれど、リリィにはあまりにも眩しい。
そんなふうに“人として”声をかけられたことなど、
もう何年もなかった。
物を売ってもらえない。
値段を吹っかけられる。
話しかければ顔をしかめられ、
魔女というだけで罵倒される日々。
サリィと二人で静かに暮らしていた森も、
師匠が亡くなってからはただの孤独な棲家に変わってしまった。
だから――
「っ……」
堪え切れず涙がこぼれた。
「お、おい! どうした!? 泣くほど疲れてんのか!?」
必死に慌てる店主に、リリィは、小さく首を振った。
「す、すみません……その……お金……は……」
「ああ、お金か?」
店主は気楽な顔で笑った。
「気にすんな。今日はお祝いだ。
この町はこれから夜祭りでにぎわうからな。
一泊ぐらいサービスしてやるよ!」
その言葉に、リリィはまた涙が溢れそうになる。
“どうして、私はこんな扱いを受けているんだろう?”
困惑と感謝が胸の奥でぐるぐると渦を巻いた。
店主は続ける。
「知らないのか?
今は帝国も王国も、あの魔族のガイルディアでさえ、戦争なんてしてねぇ。
種族の壁なんざ、もうなくなってるんだ」
そう言って指さした先では――
魔族の男と人間の女性が手を繋ぎ、笑いながら歩いていた。
リリィは思い出す。
異様な魔力を持つ魔王ガイル。
その隣に寄り添う、美しいエルフの縷々の姿を。
「し、知らなかった……世界が……そんなふうに……」
森で暮らし、世情を知らず。
ただ孤独に生きるしかなかった彼女には、
その変化があまりにも大きすぎた。
店主は茶化すように笑った。
「お嬢ちゃんみたいな美人、放っとく男はいねぇよ。
気をつけな!」
「え……?」
思わず周囲を見渡すと、
確かに数人の男たちが、興味深そうに、優しい目でリリィを見ていた。
嫌悪ではない。
恐怖でもない。
――好意。
そんな視線を向けられたことなど、生まれて初めてだった。
リリィの顔は一気に真っ赤になる。
「だ、だから言っただろ。部屋で休んでろっての」
店主は奥へ向かって怒鳴った。
「おーい、ニア! 案内してやれ!」
「はーい、お父さん!……あ、可愛い子だ!」
ぴょんと姿を現したのは、明るい目をした娘――ニア。
「夜祭りになったら、ニアが一緒に回ってやれ。一人だとこの子が心配だ。」
「えぇ!? うれしいけど……お父さん、私が変な男に絡まれたらどうするの?」
「絡まれねぇさ。
今の世の中はよ、昼は人間の正義の目、夜は魔族の正義の目が光ってる。
悪さしようとしても、すぐに誰かが止めちまうさ」
その“正義の目”という言葉に、
平和な世界のあり方が詰まっていた。
リリィは深く息を吸い、小さく微笑んだ。
「ニアさん、お願いします……
わ、私……リリィっていいます……」
ニアはぱっと笑みを咲かせた。
「リリィ! すっごい可愛い!
ねぇ、絶対一緒に祭り行こうね!」
その無邪気さに、リリィはまた胸が温かくなる。
――こんな世界が、本当に存在していたなんて。
“優しさは……こんなにも、眩しいものだったのだ。”
リリィはそっと目を閉じ、
この世界に初めて生まれた“幸福”を胸に抱きしめた。




