リリィの旅立ち
――その頃、どこかの森の奥。
霧に包まれた木々の隙間で、ひとりの少女が荷造りをしていた。
「サリィ……行ってきます!」
その声はどこか明るく、まっすぐで、少しだけ震えていた。
少女の名はリリィ。
かつて“魔女サリィ”の弟子として暮らしていたが、今は亡き師の家を出て――新しい世界へ歩き出す決意をしていた。
彼女をそうまで動かしたのは、外の世界で感じた“ぬくもり”だった。
レイズやガイル、ルルたちが紡ぐあの暖かな時間を知ってしまったからこそ、もうこの森に閉じこもっているわけにはいかなかった。
リリィは〈死属性〉、〈風属性〉、〈光属性〉――三つの相反する力を持つ魔女。
本来ならカイルの旅の仲間として登場するはずの人物。
だが、今は別の運命を歩もうとしている。
彼女の目的地は“世界樹”。
五年前、アースリガルドの大地に芽吹いた、命を宿す樹。
そこでは人とエルフ、そして本来交わらぬはずのダークエルフまでもが共に暮らしているという。
にわかには信じがたい“共存の地”。
その噂を耳にしたのは――あの二人と出会ったときだった。
◆ ◆ ◆
濃霧の森に、重い足音が響いた。
「この森……誰か住んでるな」
ガイルの低い声が木々の間を震わせる。
ルルがその隣で周囲を見回しながら言った。
「ええ。でも……ここは一体、何の土地なのかしら」
二人は世界を巡る旅の途中だった。
未開の森を越え、道なき道を進むうち、ふと奇妙な気配を感じ取ったのだ。
その頃、森の奥の小屋では――リリィが怯えながら身を潜めていた。
(ど、どうしよう……あの魔力……おそろしい……)
彼女は即座に〈死属性〉の気配を展開し、自身の存在を限界まで薄める。
まるで大気の中に溶けるようにして、気配を断った。
……が、次に視界を戻したとき、そこにいたのはルルの姿だけだった。
「えっと……さっきの黒髪の男は……?」
――耳元で。
「よぉ。」
「ひゃああああっ!!?」
リリィは飛び上がり、悲鳴を上げた。
いつの間にか背後に立っていたガイルが、楽しげに歯を見せて笑う。
「びびんなよ。別に食おうってわけじゃねぇ」
「ど、どうして……わたしの居場所が……!」
「おまえの魔力、わかるからだよ」
ガイルはニヤリと笑う。
「その“死属性”――俺にも覚えがある。おまえ、“も”使えるんだな?」
“も”――その一言にリリィの心臓が跳ねた。
彼女以外にも、この力を持つ者がいるというのか。
そこへ、ルルが駆け寄ってきた。
月光を反射する銀髪、深い緑の瞳。エルフの中でも際立つ美貌の持ち主だった。
「もう、ガイル! 怖がらせちゃダメでしょ!」
そう言いながらリリィを優しく抱きしめる。
「大丈夫、落ち着いて。私たちは敵じゃないの」
ルルの声は、春の風のように穏やかで、リリィの震えを和らげた。
「クハハハハ!! 旅はするもんだな! ルル、こいつ――レイズと同じじゃねぇか!」
「レイズ……と、同じ……?」
リリィは驚きに目を丸くする。
「あなた……この力をご存じなのですか?」
「ああ、知ってるぜ!」
ガイルは胸を張り、笑う。
「レイズってやつが使いこなしてやがる…めちゃくちゃ強ぇ奴だ! おまえ、会いに行ってみろ。きっと気に入られる」
「ちょっとガイル! 勝手に話を進めないの!」
ルルは呆れながらも微笑む。
「でも……リリィちゃん。あなたが外の世界を知りたいなら、それもいいかもしれないわ」
「……外の世界を、知りたい……」
リリィは握った杖を見つめ、静かに呟いた。
ルルは髪飾りを外し、そっと彼女の手に乗せる。
「これを渡して。“ルルから預かった”と言えば、アースリガルドではきっと歓迎されるわ」
「あ、あの……これは?」
「私の証。世界樹の民なら、誰もが知っているものよ」
「おいおい、そういうことだ!」
ガイルは笑いながら背を向ける。
「邪魔したな、リリィとやら!」
「この人、口は悪いけど……本当は優しいの。だから、怖がらないでね?」
ルルがそう言って微笑むと、森の風がやわらかく吹き抜けた。
リリィは呆然と立ち尽くし、二人の背を見送る。
「……な、なんだったんだろう……」
その呟きには、戸惑いよりも希望が混じっていた。
――こうして少女は、アースリガルドへの旅支度を整え、
未開の森をあとにする。
世界樹へ向かうその背に、風が新しい命を吹き込むように――
木々がざわめき、リリィの髪をやさしく撫でていた。




