ディアナ•フォルセティアとクリスの結び
ディアナ・フォルセティア――王国騎士第四位。
その名は美貌と実力で知れ渡り、同時に“守る”という一点において揺るがぬ意志を持つことで知られていた。
彼女の剣は攻めのためではない。奪うためでもない。
ただ、守るために研がれている。
レオナルディオが卑劣な企みを携えてアルバードへ向かった。
そして企みはアルバードにばれ、レオナルディオは死ぬ。
王国はその行いを報うべき、
四位たる彼女を人質”としてお詫びの品々と一緒にアルバードへ贈る。
世論の人気を誇るディアナを連れて行けば、アルバードは軽挙妄動に出にくい――王国上層の浅い計算である。
だが、ディアナの胸にある理想は、むしろ彼らの目論見を裏切るものだった。
「なにかをされたなら、守るために剣を振るう。だが、されていないうちは剣ではなく、手を差し出すべきだ。」
それが彼女の流儀。
火種のないところに焚き木を積む愚を、彼女は誰より嫌った。
皮肉にも、その信条はアルバードの在り方――“強さを、誰かのために使う”という姿勢と驚くほど一致していた。
初めてレイズと対面したとき、彼は十五になったばかりの少年だった。
にもかかわらず、言葉は成熟し、眼差しは長い歳月を生きた者のそれだった。
守るとはなにか。
誰を、どの順で、どの範囲まで守るのか――。
レイズは躊躇なく、しかし他者を押しつけない静けさで語る。
「命は秤にかけない。そして、かけねばならぬ局面は必ず来る。ならば、その瞬間のために、日々の“備え”を広げる必要があるんだ。」
軽く言ってみせながら、背中には実践の重さが刻まれている。
ディアナの心は、ゆっくりと、しかし確実に動き始めた。
そして…
もう一人、彼女の価値観を揺さぶった者がいた。
クリス――かつての名をウラトス・グレイオン。
王国を、家を、名を捨ててアルバードに下った“裏切り者”。
ディアナが抱いていた先入観は、邂逅の一瞬で崩れた。
彼の言葉は、ひたすらにレイズへの忠誠で満ちていた。
“兄を越えたい”という野心があったのかもしれない。だが今やそれは核心ではない。
「私はレイズ様の剣であり、盾です。」
その眼は澄み切っていた。
アルバードの民に向ける態度は、武人のそれであると同時に、家族に向けるそれでもある。
強い者の優しさ――虚飾のない本物。
ディアナは気づけば、彼の背に目を奪われていた。
やがて、再び王国とアルバードの緊張は臨界を迎える。
ディアナは奔走した。
王国軍の陣幕を渡り歩き、戦を止めるよう説得を続けた。
だが声は届かない。
凍てついた王国の騎士達は、彼女の言葉を素通りする。
抜かれた剣が、理をねじ伏せようとした瞬間―
デュランの刃が、彼女の首筋に冷たく影を落とした。
(私は結局、なにも変えられないのね――)
刃が落ちる、その刹那。
白刃が風鳴りを残して逸れ、騎士たちが火花のように弾け飛ぶ。
殺していない。
ただ、的確に要を断ち、剣を落とさせ、膝をつかせ、戦意を折る。
「下がっていなさい、ディアナ。」
湯気の立たぬ静謐な声。
振り返れば、そこにクリスがいた。
そしてすぐにディアナを抱えアルバードに戻るクリス。
以後の光景は圧巻だった。
座位持ちの騎士らに囲まれながら、クリスは終始“不殺”を貫いた。
斬るのではなく、砕かず、折らず、落とす。
剣が触れれば、相手は武器を取り落とし、立ち筋を崩し、気絶の寸前で止まる。
殺せば早い。だが彼は殺さない。
“守るために勝つ”という、最も難しい解をひたすら選び続けた。
――これほど強くなければ、できない戦い方だ。
ディアナは震えながら理解した。尊敬は、静かに恋に変わっていく。
だが願いは知っていた。
彼の心の最奥はレイズへ向かっている。
自分の想いが届かないことくらい、最初から分かっていた。
それでも――変わりたいと願う心は、もう止まらなかった。
ある日の午後。
二人はいつものように、ささやかな買い出しに出た。
舗石の継ぎ目に踵を取られ、ディアナは前のめりに倒れる。
擦りむいた膝に薄く血がにじむ。
「失礼。」
クリスが指先で軽く触れ、微かな魔力が傷を塞いだ。
たちどころに痛みは引き、痕も残らない。
「これでも、王国騎士だったんですけどね……」
照れ隠しに笑えば、クリスも口角を和らげる。
「ディアナ。あなたは、もう“騎士”ではありません。」
胸の内に、ちいさな棘が刺さった。
名を誇りにしてきた身として、その言葉は一瞬、屈辱にも聞こえた。
だが続く言葉が、すべてを溶かす。
「あなたは、私と“使命”を共にする者です。
私も王国の騎士ではない。あなたも王国の騎士ではない。
――私とあなたは、アルバードの“家族”です。」
視界が滲んだ。
その言葉の真意を、彼女は痛いほど理解した。
家も、名も、座位も置いてなお繋がれる縁。
一枚の旗より深く、一つの家紋より温かい、帰る場所。
「……クリス様。」
声が震える。震えは、もう止められなかった。
「私は――あなたが好きです。愛しています。」
唐突な告白に、クリスは固まった。
目を瞠り、瞬きを一度。
「え……?」
ディアナは拭い笑いを浮かべる。
「分かっています。
クリス様はレイズ様を支えることが最優先で、今は他に割く心の余裕なんてない。
だから、これは……ただの“感謝”だと思ってください。」
ぎこちなく、しかし真面目に、彼は頷いた。
「……そうですか。ありがたいことです。
“愛される者に理解される”のは、戦場の勝利より難しい。」
少しの沈黙。
やがて、いつもの実務の声色で彼は言う。
「では行きましょう、ディアナ。早速報告に。」
「え? な、なにを?」
「レイズ様に。
――あなたと私が“結ばれる”ことの、ご許可を頂きに。」
世界が止まる。
頬が、耳が、いっきに熱を持つ。
「ま、待って、どうしてそうなるの!?」
真剣な眼。
どんな大軍を前にしても揺れない瞳で、彼は平然と答える。
「必要です。
私は“ディアナをこの先、愛し続け、必ず幸せにする”と、レイズ様に証明しなければならない。」
「わ、私が告白したのに……どうして、クリス様が“告白する側”みたいになってるのよ……!」
「こういうものは男からするべきだ、とレイズ様が仰っていました。」
「レイズ様だって、まだ誰にも告白してないくせに……。」
石畳の路地に、二人の笑いがほぐれていく。
呼び方を正される。
「“クリス様”ではなく、クリスと。」
「……はい。クリス。」
名を呼べば、胸に灯がともる。
その灯は、旗印にも、座位にも頼らない。
――守るために、強くある。
――強さを、誰かのために使う。
ディアナ・フォルセティアの剣は、この日からほんとうに“アルバードの剣”になった。
そして、彼女の恋は、家族という名の温かさの中で、静かに、しかし確かに息づいていくのだった。
そうして本編では語られなかった。
クリスとディアナの結びは迎えられた。




