おまけ――リアノという少女
アルバード家の敷地からほど近い町。
陽が傾き、影が長く伸びるその通りを、ひとりの少女が歩いていた。
名はリアノ。
静かな眼差しと、凛とした立ち姿を持つ少女。
姉のリアナとは違い、穏やかで落ち着いた性格をしていたが――心の奥には、誰よりも強い優しさを宿していた。
その日も、彼女はいつものようにお使いをしていた。
だが、帰り道。
とある路地の影で、彼女は“ひとり震える小さな影”を見つける。
ボロ布のようなフードに身を包み、痩せた肩を抱きしめる少女。
怯えた瞳だけが、わずかに光を宿していた。
リアノは、その光景に足を止めた。
――あの頃の自分と、リアナを思い出したのだ。
頼れる人もなく、飢え、寒さに震えていた日々。
あのとき差し伸べられたアルバードの温もりが、彼女たちを救ってくれた。
だからこそ、今度は自分の番だと、迷いなく動いた。
「……これ、食べて」
買い出しの途中で買っていたパンを差し出す。
少女は驚いたように顔を上げ、唇を震わせながらそれを受け取った。
そして、泣きながら小さく囁いた。
「……あ、ありがとう……」
その瞬間、リアノは気づいた。
その耳の先、隠すように覗く形。――人間ではない。
魔族だった。
「……あなた、魔族なのね」
少女の顔が青ざめる。
「お、お願い……! 見逃して……! パパもママも、もういないの……置いていかれて……!」
涙が頬を伝う。声は震え、喉がつまるようだった。
リアノは何も言わず、そっと少女の手を取った。
フードを深くかぶせ、そのまま人目を避けるように森の奥へと連れていく。
「ここなら……町より安全です。誰も来ない場所ですから」
少女は呆然としながらも頷いた。
リアノは優しく微笑み、静かに尋ねる。
「名前、教えてくれますか?」
「わ、わたし……メルェ……イェイラ、です……」
「メルェさんですね。……しばらくここで身を隠していてください。食べ物や道具、あと少し暖かい服も持ってきます」
メルェは嗚咽をこらえながら、何度も頭を下げた。
「……ありがとう……ありがとう……」
その日から、リアノの“秘密の時間”が始まった。
彼女は毎晩、誰にも気づかれないように屋敷を抜け出し、森へと足を運んだ。
手には食料、毛布、古着。
時には水魔法で身体を清めさせ、メルェが安心して眠れるように簡単な寝具まで作った。
「お湯を出しますね。冷たくないですから、怖がらないで」
「……すごい……人間なのに、どうして……」
「私と同じですから…助けたいんです」
その言葉に、メルェは泣きながら笑った。
初めて、人間に向けた笑顔だった。
だが、そんな穏やかな時間は長くは続かなかった。
ある日。
森へ駆けていくリアノの姿を、少年レイズが偶然見つけたのだ。
「リアノ……? なんか楽しそうなことしてるな!」
好奇心に満ちた笑顔で、彼はそのあとをつけた。
やがて森の奥、木漏れ日の中で――
レイズは、リアノが魔族の少女を庇う姿を目にする。
「リアノ!!!」
その声にリアノは振り返る。顔は蒼白だった。
「れ、レイズ様……っ」
だが、レイズは怒鳴らなかった。
むしろ、まっすぐな瞳で言い放つ。
「その子を……アルバードで保護する!」
「そ、そんな……レイズ様、彼女は――」
「僕がヴィルおじいさまに言えば、大丈夫だよ!」
少年らしい無鉄砲な笑顔。
その言葉に、メルェの胸が震えた。
この少年も――人間も――自分を助けようとしてくれている。
リアノは呆然と立ち尽くし、二人の後ろ姿を見つめていた。
レイズが、迷いなくメルェの手を取り、光の射す方へと歩き出す。
それは、まるで運命が交わった瞬間のようだった。
リアノは小さく息を吐き、そして微笑んだ。
「……きっと、この出会いが……あの子の未来を変える」
その予感は、後に“レイズという存在”の運命を大きく動かすことになる――。
――そして、芽吹いた想い
森を去るとき、リアノはふと足を止めた。
夕暮れの光が木々の隙間からこぼれ、淡い橙が頬を照らす。
遠ざかっていくレイズの背中――その姿が、なぜか目に焼きついて離れなかった。
まだ声変わりもしていない少年。
だが、その背中は誰よりもまっすぐで、温かかった。
「僕が、ヴィルおじいさまに言えば大丈夫だよ!」
その言葉は無鉄砲で、どこか子供じみていた。
けれど、リアノにはその無邪気な真っ直ぐさが、何よりも眩しく見えた。
――人を信じ、恐れず、守ろうとする力。
それは、彼女がずっと失いかけていたものだった。
(どうして……胸が、こんなに熱くなるんだろう……?)
レイズの笑顔を思い出すたび、鼓動が早くなる。
自分の知らなかった感情が、心の奥から静かに芽吹いていく。
やがて夜風が頬を撫で、リアノはそっと胸に手を当てた。
「……レイズ様って、不思議な方……」
それは、まだ恋と呼ぶには幼い。
けれど確かに、少女リアノの心はその日――ひとりの少年に惹かれ始めたのだった。




