【おまけ】受け継がれる木刀
数日が過ぎた。
レイズの部屋に再び光が差し込む。
あの長い眠りのあと、彼はもう以前のように立ち、歩き、そして木刀を振っていた。
その姿は、五年の空白などまるで存在しなかったかのようだ。
踏み込み一つに無駄がなく、木刀を振るたび空気が鋭く震えた。
しかし――ただ一つ、決定的な変化があった。
彼の中から、魔力の気配が消えていたのだ。
氷も死も、もう彼の手には宿らない。
けれど、その眼光はまるで炎のように静かに燃えていた。
「……さすがでございます、レイズ様」
ルイスが感嘆を隠さず言う。
「五年もの眠りのあととは思えません。まるで……若かりし頃のままの剣です」
クリスも頷き、静かに木刀を構える。
「この日を、ずっとお待ちしておりました。レイズ様――どうか、お手合わせを」
レイズは小さく笑みを浮かべ、構えを取った。
「……いいだろう。なら、見せてもらおうか。お前たちの“今”を」
三人の木刀が、ほぼ同時に唸りを上げた。
音が重なり、風が巻く。
彼らの稽古はまるで舞のように流麗で、力強かった。
それを少し離れた場所から見つめていたのは、ルイスの息子――カイルだった。
目を輝かせ、息を止めるように見入っている。
「父上……僕も……!」
声を上げたカイルに、ルイスは柔らかく微笑みかけた。
「まだ早いですよ、カイル。まずは見て、感じることです」
「……はい」
その素直な声を聞いたレイズは、ふと遠い昔の自分を思い出した。
あの頃も、自分は“強さ”を夢見ていた。
無力で、愚かで、ただ憧れていた時代。
――そして今、自分が誰かの“憧れ”になっている。
レイズは木刀を納め、屋敷の奥へと姿を消した。
しばらくして戻ってきた彼の手には、一本の古い木刀が握られていた。
「レイズ様……それは?」
クリスが目を見張る。
「……俺が、まだお前たちの年くらいの時に使っていた木刀だ」
レイズは優しい目でそれを見つめる。
「リリアナが、俺のために拵えてくれた。宝みたいな一本だ」
ルイスとクリスは息を呑み、姿勢を正した。
リリアナの名を聞けば、誰もが頭を垂れる。
彼女はかつて、アルバードの光そのものだった。
レイズは木刀を手のひらで撫でるようにしてから、カイルの前に歩み寄った。
「カイル、これを預ける。――大切に使え」
「えっ……ぼ、僕にですか!?」
カイルの声が裏返る。驚きと喜びが入り混じる。
レイズは笑った。
「ああ。だがこれは一本しかない。お前の中で、“守るもの”ができた時だけ振れ」
「……はいっ! ありがとうございます、レイズ様!」
少年の声が弾み、胸の奥で熱がはじけた。
カイルは両手で木刀を抱きしめる。
その笑顔を見て、ルイスの瞳が柔らかく光る。
まるで、過去の自分と息子を重ねているようだった。
「レイズ様……よろしかったのですか」
クリスが静かに問う。
「構わん」
レイズは空を見上げ、淡く微笑んだ。
「もし、リリアナがここにいたら――きっと、同じことをしただろう。
あの人の優しさを、俺は忘れない。……それを次の世代に渡してやりたいだけだ」
「……さすがでございます」
ルイスが胸に手を当て、深く一礼した。
「リリアナ様も、きっと天の上で喜んでおられましょう」
その言葉に、レイズは一瞬だけ空を仰いだ。
空は穏やかに晴れ、白い雲がゆっくりと流れていく。
――ありがとう。
おれは、いまもお前の優しさで生きている。
風が吹いた。
レイズは再び木刀を構える。
音が鳴る。
一振り、二振り――その動きには、魔法ではない“想い”が宿っていた。
その背を見つめながら、カイルは小さく呟いた。
「いつか……あんなふうに、なりたい」
憧れと決意が、確かに芽生えていた。
そして、そのすぐ傍ら。
柱の影から顔をのぞかせていた少女がひとり。
レイズの娘――レイナだった。
桃色の髪を揺らしながら、無邪気な瞳で父を見つめる。
「……パパ、かっこいい」
その小さな声が風に乗り、レイズの耳に届く。
レイズはわずかに口元をゆるめ、振る木刀の軌道に温もりを宿した。
ルイスもクリスも、思わずその微笑を見て息を呑む。
まるで五年前、戦火に包まれる前のあの穏やかな時間が、ふたたび戻ってきたかのようだった。
――魔法は沈黙した。
だが、レイズの“力”は失われていない。
彼の中で燃えるのは、氷でも死でもない。
“愛”と“継承”の炎だ。
木刀が空を切り裂くたび、音が響く。
それはまるで、過去と未来を結ぶ音色のように――静かで、力強かった。




