◆ ラルヴァの真実 ― 無の神と環の異変
沈黙。
風が止まり、音が消えた。
ニトは杖を地につき、静かに語り始めた。
「……ラルヴァという魔法は、ただ相手の魔力を喰らう術じゃない。
本質は、“贄”。世界が新たな神を産み落とすための――儀式だ。」
その声は淡々としていたが、どこか深い痛みを含んでいた。
「ラルヴァが喰らった魔力は、無に還る。
そしてその“無”の底から、形なき神が目覚める。
――それが《無の神》。」
ルイスが息を呑む。
ガイルが眉をひそめ、レイズは静かに頷いた。
「……俺は、会ったことがある……っていうか……」
ニトの声がかすかに震えた。
「……なにを言ってるの……?」
「ディアは――レアリスが保護している。」
その一言に、ニトの表情が凍りついた。
瞳が見開かれ、わずかに震える。
まるで世界そのものが軋む音を聞いたかのようだった。
「……レアリスが……保護……?」
その名を口にするたび、彼の声が弱くなる。
「そんなはず……ないよ。
レアリスは“意思”を持たない。
風や海や大地と同じ、ただの“循環”。
“守る”なんて、選択をするはずがない……!」
レイズも、ガイルも、ルイスも言葉を失った。
ただ、目の前で崩れ落ちそうな精霊の横顔を見つめていた。
ニトは空を仰ぎ、低く、静かに言葉を継ぐ。
「……レアリスは、この世界の“環”そのもの。
生も死も、生成も滅びも、ただ受け入れ、そして歪めば壊す。
それが“保護”という行動を取った。
それはつまり――世界の理そのものが揺らいだということ。」
風がざわめき、土が鳴る。
その音すらも、悲鳴のように響いた。
「ディアは“無”の象徴。
あらゆる魔力を喰らい、存在そのものを虚無へと返す。
魔法を終わらせ、命の循環を断つ力。
それは“環”にとって、最悪の歪みであるはずなんだよ!」
ニトは震える声で、己の思考を押し出すように言葉を紡ぐ。
「なのに――“環”が、それを受け入れた。
まるで、無そのものを“必要”としているみたいに。
なんで……? どうして、レアリス……?」
その問いに、答えられる者はいなかった。
風だけが、どこか遠くで唸っていた。
やがて、ニトはかすれた声で呟いた。
「ラルヴァは、“無”を呼び出すための鍵。
使うたびに、ディアは強くなる。
そして、“環”――レアリスは、それを拒まない。
つまり、世界そのものが……“終わり”を受け入れ始めているのかもしれない……。」
レイズはゆっくりと拳を握った。
その中に、かすかな震えがあった。
「……俺はそれを止めるために動いてるんだ。
この世界が何を望もうと――俺は、守る。」
ニトは悲しそうに笑った。
頬に走る小さなひびのような魔力の欠片が、風に散る。
「無理だよ……。
レアリスの力を……環境の力を手に入れたディアは、もう……誰にも止められない。
僕にも……わからないんだ。
レアリスがどうして……。
レアリス……。」
その声には、懐かしさと祈りが混ざっていた。
まるで、長い年月を共に過ごした存在の名を、初めて失うように。
レイズは一歩踏み出し、静かに問う。
「ニト……おまえにとって、レアリスって……大事な存在なんじゃないのか?」
ニトは、虚空を見つめたまま、小さく笑った。
「うん。とても、大事だよ。
だって……僕とレアリスは、ずっとこの世界を守ってきたんだ。
レアリスは、僕にとって――唯一の理解者。
この世界が残した、最後の“繋がり”なんだ。」
レイズはその言葉に、強く頷いた。
「なら――ニトも来い。
俺はジュラで、まもなく目覚めるディアに会いに行く。
レアリスは……もしかしたら、何かを“意図して”ディアを保護したんだ。
意思を持たないはずの“環”が動いた。それは――何か意味があるはずだ!」
レイズの目が真っ直ぐにニトを射抜く。
「ニト。おまえは、その答えを知る必要がある。
だから――一緒に来い!」
ニトはしばらく俯いたまま、両手を見つめた。
その腕は震えており、魔力の光が微かに揺れていた。
「……僕は……もう、力を使いすぎた。
そんなに長くはもたない。
でも……レアリスに、会いたい。
もし“意思”があるなら……それをこの目で、確かめたい。
だから……行くよ。
どうせ、もうこの世界は終わる。
最期くらい、いいよね……?」
その呟きは、世界そのものに投げかけた祈りのようだった。
レイズが歯を食いしばる。
「おまえは……魔力があれば回復できるだろ!?
なんで“終わり”みたいなこと言うんだよ!!」
ニトは、かすかに微笑んだ。
その笑みはどこか子供のようで、どこか老人のようでもあった。
「ふふ……僕は見栄っ張りだから。
本当は、そんなに戦いが得意じゃないんだ。
僕はあくまで――世界のバランスを見守るだけの存在。
本当は“戦う”のはレアリスの役目。
僕はただ、それを支えるのが使命なんだ。
だから、慣れないことをたくさんして……もう、戻せない。」
ニトは少しだけ顔を上げ、遠い空を見つめた。
「でも安心して。
君たちとディアの決着くらいまでなら……持ちこたえられる。
だから――僕も行くよ。
僕なら、君たちをすぐに“あの場所”へ連れていける。」
その言葉に、レイズは胸が熱くなるのを感じた。
「ニト……おまえは、ずっとそうやって……守ってきたんだな。」
ニトは静かに頷く。
「うん。
でも……やっと休めるんだ。
最期は……レアリスのそばで、眠りたい。」
その声は、まるで風そのものが語っているようだった。
――そして彼らは、滅びと再生の交差点へと向かう。
世界の理が揺らぐ、その中心へ。




