ご都合じゃない展開
湯気が立ちこめる風呂場へ足を踏み入れた瞬間、レイズは思わず目を細めた。
石造りの浴場は広く、白い湯気が天井近くまで漂っている。壁に反射した灯りが揺らめき、どこか幻想的な雰囲気すら感じさせた。
(……なんか妙に色っぽいな)
ふと湯船へ視線を向けると、人影が見えた。
肩まで湯に浸かりながら、こちらへ手招きしているようにも見える。
レイズの心臓が跳ねた。
(まさか……これが異世界お約束イベントってやつか?)
前世で読んだ小説や漫画の記憶が脳裏を駆け巡る。
風呂。湯気。謎の人影。
ここまで条件が揃っていて何も起きないはずがない。
レイズは顔を赤くしながら、そろそろと湯船へ近づいた。
そして。
「……おじいさんじゃねぇか」
そこにいたのはヴィルだった。
期待していたわけではない。
決して期待していたわけではない。
だが何か大切なものを失った気がした。
レイズは何事もなかったかのように方向転換すると、近くに置かれていた桶を手に取り、頭から湯をかぶる。
(あー……なんか銭湯思い出すなぁ)
前世の記憶が少しだけ蘇る。
学校帰りに友人と行った銭湯。
仕事帰りに立ち寄ったスーパー銭湯。
そんな懐かしい記憶に浸っていると、
「さっさと来いと言っているだろう」
不機嫌そうな声が飛んできた。
次の瞬間。
レイズの腕が掴まれる。
「うおっ!?」
そのままずるずると湯船へ引きずり込まれた。
豪快な水音が響く。
レイズは呆然とヴィルを見る。
ヴィルは満足そうだった。
(なんなんだこのじいさん……)
当主に対する扱いではない。
絶対に違う。
だが。
同時にレイズは理解していた。
(……この人だけは絶対怒らせちゃダメだ)
生物としての本能が告げている。
この老人は危険だと。
ものすごく危険だと。
レイズは諦めたようにため息を吐く。
「……で、ヴィルさん。なんですか」
ヴィルはどこか満足そうに頷いた。
「まず当主である自覚を持て」
「はい」
「それと服は脱がせてもらうものだ」
「はい?」
思わず聞き返す。
ヴィルは真顔だった。
レイズも真顔になる。
数秒の沈黙。
(……このじいさん、ただのエロじじいでは?)
心の中だけで呟く。
もちろん口には出さない。
出した瞬間、自分の人生が終わる気がしたからだ。
しかし次の瞬間、ヴィルの表情が少しだけ柔らかくなった。
「だが」
低い声が響く。
「夕方まで鍛錬を続けたお前を、私は誇りに思う」
レイズは言葉を失った。
冗談でもない。
お世辞でもない。
本心からの言葉だった。
ヴィルほどの男が、自分を認めてくれている。
その事実が胸の奥にじんわりと広がっていく。
熱い湯のせいかもしれない。
だが、それだけではなかった。
思わず目頭が熱くなる。
(……ごめん)
レイズは心の中で呟いた。
(エロじじいなんて思っちゃってごめん)
湯船に肩まで沈めながら、しみじみと反省する。
そんなレイズをよそに、ヴィルは上機嫌に湯へ浸かっていた。
そしてレイズは改めて考える。
(いや待て)
何かがおかしい。
とても大事なことを忘れている気がする。
ヴィルを見る。
自分を見る。
ヴィルを見る。
もう一度自分を見る。
そして結論に至った。
(ヴィルって使用人だよな……?)
確か執事だ。
間違いなく執事だ。
なのに。
(なんであんな偉そうなんだ……?)
レイズは首を傾げる。
そして最後に、もっと根本的な疑問へ辿り着いた。
(……俺、当主だよな?)
湯気の向こうでヴィルが満足そうに笑っていた。
その姿を見ていると、なぜか自信がなくなってくるのだった。




