第二十五話 希望の子
気がつくと、俺はまったく知らない場所にいた。
見渡す限り真っ白な空間が広がっている。上も下も、どこまでも続く白い世界。
そして——俺は自分の体を見下ろして愕然とした。
これは前世の姿だった。
大人の体、大人の手。6歳の子供の体ではない、前世の魔術師としての姿がそこにあった。
「え……?」
思わず声が出た。声が、出た。
この世界に転生してから一度も発することのできなかった、自分の声。
「おどろいたか?」
突然、背後から声が聞こえた。
振り返ると、いつの間にか一人の中年男性が立っている。神々しいオーラを纏い、優しい笑顔を浮かべた人物だった。
「あなたは……?」
「私は魔術と真理を探求する神、マグナスだ」
男性——マグナス神が穏やかに名乗った。
「そして君は、私の希望の子だ」
「希望の子?」
俺は首をかしげた。聞いたことのない言葉だった。
「そう。長い話になるが、聞いてくれるか?」
マグナス神が手を差し出し、俺たちの周りに椅子が現れた。
「始まりは、最高神アルシェルが混迷の時代の訪れを予知したことだった」
俺は椅子に座りながら、マグナス神の言葉に耳を傾けた。
「混迷の時代——それはこの世界に大きな変革と試練が訪れる時代のことだ。アルシェルはその時代を乗り切るため、我々7柱の支神それぞれに指示を出した」
「どのような指示を?」
「希望の子を見つけ、加護を授けよ、というものだった」
マグナス神の表情が少し複雑になる。
「他の支神たちは比較的早く希望の子を決めた。しかし、私だけは違った」
「なぜですか?」
「与えられた力に頼るような者を、自分の希望の子に選びたくなかったからだ」
マグナス神が立ち上がり、ゆっくりと歩き始める。
「私は魔術と真理を司る神だ。真の探求者でなければ、私の加護を受ける資格はない」
俺は黙ってマグナス神の言葉を聞いていた。
「そこで私は希望の子の候補を何人か決めて、それぞれに試練を与えることにした」
「試練……」
「そうだ。そして前世の君を見ていた時、君の飽くなき魔術への探求心と執念に感動した」
マグナス神が俺の方を振り返る。
「君は希望の子の候補にふさわしいと思い、この世界に転生させたのだ」
俺の心臓が激しく鼓動した。俺の転生の理由が、まさかこんなところにあったとは。
「そして君に与えた試練が、声が出ないことだった」
「声が……」
「詠唱魔術が基本のこの世界で、声が出なくても前世同様に魔術を追い求め続けるか。それを見ていたのだ」
マグナス神の瞳に温かい光が宿る。
「結果はどうだった?」
俺は苦笑した。確かに、声が出ないことで絶望的な気持ちになったこともあった。
「君は私の期待を遥かに超えてみせた」
マグナス神が手を叩く。すると、空中にルーン文字が浮かび上がった。
「詠唱を必要としない新しい魔術——ルーン魔術を開発してみせた。これは私でさえ予想していなかった素晴らしい成果だ」
空中に浮かぶルーン文字が美しく光っている。
「君の創意と探求心、そして諦めない心。それらすべてを見て、私は決心した」
マグナス神が俺の前に立つ。
「私の希望の子は君だ、アルマ」
その瞬間、俺の胸の奥で何かが熱くなった。
「しかし……俺はまだ6歳の子供です。そんな大役を——」
「年齢は関係ない」
マグナス神が優しく微笑む。
「大切なのは心だ。君にはすでに、混迷の時代に立ち向かう勇気と意志がある」
俺は深く息を吸った。
「混迷の時代とは、具体的に何が起こるのですか?」
「それは……まだ君が知るべき時ではない」
マグナス神が首を振る。
「今は自分の道を歩み続けることだ。魔術を極め、真理を追求し、大切な人たちを守り抜け」
「はい……」
「そして忘れるな。君は一人ではない。私の加護が常に君と共にある」
マグナス神が手を俺の額に置く。
「君に私の加護を授けよう。ただし、支神が人間に加護を与えることは基本的にない。だからこそ、君のために特別にカスタムした、この世界で唯一無二の加護だ」
マグナス神の手から温かい光が流れ込んでくる。
「魔術神の加護、Level.1。魔力量の増加、魔力回復量の向上、そして魔力制御精度の向上。これらは微細な変化だが、君の成長と共に確実に力となるだろう」
光がより強くなっていく。
「そして何より大切な贈り物——新たなルーン文字を3つ授けよう」
俺の頭の中に、3つのルーン文字が刻まれていく。
一つ目——他のルーンと組み合わせることで、その効果を増幅させることができる『強化のルーン』
二つ目——魔術の対象や場所を正確に指定することができる『指定のルーン』
三つ目——周囲の情報を魔術的に調査することができる『探知のルーン』
三つのルーン文字が完全に定着した。
「これで君のルーン魔術の可能性は大きく広がったはずだ」
マグナス神が手を俺の額から離す。
「今は力を磨くことに集中しなさい。君の成長が、いずれ大きな希望となる」
その時、俺の体がだんだん透けてきているのに気づいた。現実世界に戻る時が来たのだ。
「マグナス様」
俺は慌てて声をかけた。
「俺に……もう一度チャンスを与えてくれて、ありがとうございます! 期待に応えられるかはわかりませんが、最善を尽くすことを誓います!」
マグナス神は何も答えなかった。
ただ、温かい微笑みを浮かべていた。
光に包まれながら、俺の意識は白い世界から離れていく。
気がつくと、俺は小聖堂の神像の前に立っていた。




