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霊業  作者: まんらび
2章
54/54

54話:吉と出るか凶と出るか

狼男を追い詰めたと思った瞬間、森の奥から現れた“無数の影”。


輝の選択が吉と出るのか、凶と出るのか。 助けたいという気持ちは正しいのか。 禁術に手を伸ばうことは救いなのか、それとも破滅なのか。


戦力差は歴然。 正面からぶつかれば押し潰される。


だからこそ、ここで輝が何を決めるのかが物語の軸になります。


救うか、討つか。 信じるか、疑うか。

大熊が霊力を解放し、目標の狼男以外をまとめて牽制する。


四方八方から飛びかかってくる牙と爪。 だが、大熊は止まらない。


大熊「これっぽっちのことぉ!」


拳を振るうたび、霊力の炎が爆ぜる。 狼男たちが弾かれ、森の地面を転がった。


その隙を突いて――


福留は一直線に、目的の狼男へ向かう。


輝はその背中にぴたりと張り付き、遅れまいと必死に走った。


白川と我乃差は木の上へ登り、枝を蹴り、跳び回りながら狼男たちを相手取っている。


我乃差「……あいつ、やっぱ強いよ」


白川「ですよね。薄々気づいてきてますよ」


福留の動きは荒い。 だが、その一撃一撃には確かな重さがあった。


戦闘センスはある。


ただ――その邪魔な贅肉が、動きを鈍らせているだけだ。


福留はまとわりついてくる狼男を力いっぱい掴み、


福留「邪魔だ!!」


投げ飛ばした。


獣の身体が宙を舞い、木々を折りながら吹き飛んでいく。


輝はその光景に目を見開いた。


……すごい


だが驚いている暇はない。


輝は福留の背を追い、必死に食らいついていく。


目的の狼男は、すぐそこだ。


福留が目的の狼男の元へたどり着いた、その瞬間だった。


胸の奥に張り詰めていた糸が、ほんの一瞬だけ緩む。


次の瞬間。


輝へ狼男が跳んだ。


輝「うわぁ!」


鋭い牙が、輝の二の腕に食い込む。


肉を裂く感覚。 骨に響く圧。


輝は歯を食いしばり、声を押し殺した。


痛みで視界が白くなり、意識が遠のきかける。


だが――


福留「輝ッ!」


その叫びが、輝を現実へ引き戻した。


白川「あぁ!まずい!」


大熊「ぬかった!!このままほっといたら輝の命までも危ねぇ!」


輝「俺は……!大丈夫ッ…!」


言葉は震えていた。


だが輝は地面に足を叩きつけるように踏ん張る。


腕に噛みついた狼男を、そのまま持ち上げた。


輝「ぐっ……!」


そして――


ドンッ!!


地面に叩きつける。


狼男が唸り、暴れる。


その隙に福留が向き直った。


福留は手を伸ばし、目的の狼男を掴もうとする。


狼男は抵抗し、爪と牙で無数の傷を刻む。


血が飛び散る。


それでも福留は引かない。


腕を掴み、胸に抱き寄せた。


狼男は狂ったように暴れ、噛みつき続ける。


福留の腕から血が流れ落ちた。


その時。


輝が走ってきた。


二の腕は血に濡れ、力なくぶらりと垂れている。


だが、そんなことを気にする様子もなく。


輝「福留ッ!」


福留が狼男の顔を無理やり輝の方へ向ける。


輝は狼男の顔を両手で掴み、ゼロ距離で叫んだ。


輝「ごめん!ちょっと苦しいが我慢してくれ!」


狼男の瞳が揺れる。


輝は続けた。


輝「福留、聞き忘れてたことがある!こいつの名前は!?」


福留「闘太とうたッ!!」


息を荒げながら叫ぶ。


福留「初めて会った時!ひとりで闘ってたから!闘太だ!」


輝「……いい名前だ」


その声は、どこか優しかった。


輝は闘太を見据え、魂ごと叩きつけるように叫ぶ。


輝「狼男、お前の名前はぁッ!!」


その瞬間。


大熊の目が見開かれる。


大熊「名前……?まさか輝、てめぇ!」


輝は答えを告げる。


輝「闘太だッ!!」


言霊が空気を裂いた。


闘太の身体が、びくりと跳ねる。


そして――


苦しみ出した。


闘太「グ、ガァァ……!」


喉を掻きむしるように唸り、霊力の波が乱れる。


福留が闘太を離し、震えた声で言う。


福留「それって……禁術の……」


白川が息を呑む。


白川「呪霊操術!?」


周囲にいた狼男たちの動きが、ぴたりと止まった。


さっきまで牙を剥き、獣の群れとして襲いかかっていたはずの存在が――まるで何かを恐れるようにたじろぐ。


森の空気が変わった。


大熊「なんだ?」


大熊の声に、白川が息を呑みながら答える。


白川「もしかしたら、その狼男……いや、闘太がボスだったのかも。それがいま苦しんでるから……」


輝「狼男は仲間意識が、強いからなぁ……」


輝はそう呟いた瞬間、膝から崩れ落ちた。


額に汗が浮かび、呼吸が荒い。


福留「輝!」


福留が駆け寄り、肩を支える。


輝「ごめん……」


声が掠れていた。


輝「みんな黙ってて……もういいよ、出てきても……」


その言葉が合図だった。


輝の服の中――胸元の奥から。


ぬるり、と影が這い出る。


まず現れたのは、手だけの霊。


そしてその横に、艶やかな妖気を纏う蜘蛛の影。


パドと女郎蜘蛛だった。


福留「こいつらって……」


福留が言葉を失う。


大熊も目を見開いた。


大熊「手しかない霊と……蜘蛛の妖怪……?」


輝「女郎蜘蛛は違うが」


輝は息を整えながら、静かに告げる。


輝「手の霊、名前はパド。俺が呪霊操術で仲間にしているんだ」


白川の顔が凍りつく。


輝は続けた。


輝「ここにはいないが、その他にもいる」


白川「嘘でしょ……」


その声は震えていた。


呪霊操術。


禁術。


それを、輝が使っている。


その事実が重くのしかかる。


輝は自嘲気味に笑う。


輝「闘太に霊力分けた反動でふらついたんだ。あと……腕の痛みとかね」


噛まれた二の腕から血が滴り落ちている。


それでも輝の目は闘太を見ていた。


闘太はまだ苦しんでいる。


だが、その瞳の奥には――先ほどまでの狂気とは違うものが揺れていた。


福留は拳を握りしめる。


福留「輝……お前……」


何を言えばいいのか分からない。


助けたい。


でも禁術だ。


守りたい。


でも危険だ。


その矛盾の中で、森の闇だけが静かに息を潜めていた。


我乃差だけが、状況を飲み込めずにいた。


木の上で枝に足をかけたまま、頭の上に「?」が浮かんでいるような顔をしている。


我乃差「え?なんかまずい状況なんですか?」


白川は小声で耳打ちした。


白川「禁術を使ってたって言ったら分かりますか?名前の通り……禁じられた術なんですよ」


我乃差「でも、それで闘太が助けられたかもしれないんですよ?」


白川「それはそうですが……」


白川の声も揺れていた。


正しいか、間違いか。 救いか、罪か。


答えが出ないまま、地上では空気がさらに張り詰めていく。


福留と大熊が、怖い顔をしたまま輝に近づき、見下ろした。


輝はその圧を受け止めるように、静かに目を閉じる。


覚悟はできている。


殴られても。 責められても。 突き放されても。


それでも――やったことは変わらない。


その瞬間だった。


福留が、泣きながら輝に抱きついた。


福留「自分のことをかえりみず……仲間の願いを聞いてくれるその姿勢!感動だぁぁぁ!」


嗚咽混じりの声が森に響く。


輝は目を見開き、固まった。


大熊は鼻を鳴らしながら腕を組む。


大熊「禁術使っただけじゃ俺は見捨てねぇよ」


そして、真っ直ぐに輝を見て言った。


大熊「大丈夫だ。ここにいる全員、学園には黙っててやる」


白川は息を呑み、我乃差も目を丸くする。


輝の胸の奥に、熱いものが込み上げた。


怖かった。


拒絶されるのが。


でも――。


仲間は、ここにいた。


闘太の遠吠えは止み、森の闇が少しだけ静かになっていた。


輝は膝をついたまま、荒い息を整えながらパドを見た。


輝「ねぇパド、闘太にこんな目に合わせたやつ分からない?残り香とかさ」


パドは呆れたように手をひらひらさせる。


パド「私、犬じゃないんだけど」


その軽口を遮るように、女郎蜘蛛がふっと顔を上げた。


女郎蜘蛛「……でも、微かに臭うわね……」


輝「どうした?」


女郎蜘蛛の目が鋭く細まる。


女郎蜘蛛「この臭い……私の友達を連れ去ったヤツと同じ臭い!」


空気が一気に冷える。


女郎蜘蛛「大きな黒い翼を持った妖怪ッ!」


白川が息を呑む。


白川「黒い……」


大熊が眉を吊り上げる。


大熊「大きな……」


福留が震える声で続ける。


福留「翼……」


全員の言葉が、同じ結論へ収束する。


「鴉天狗!」


森の闇が、その名を飲み込んだ。


輝の瞳が揺れ、そして燃える。


輝「そうじゃん……!百目鬼校長が言ってた外冠死業の……!!」


拳を握りしめる。


輝「もしかして、女郎蜘蛛が追ってるのも鴉天狗かも!」


女郎蜘蛛は静かに頷いた。


女郎蜘蛛「……かもね」


輝「進む道、繋がったな」


月明かりの下で、輝の声は静かに響いた。

闇の奥に潜む敵が、ようやく輪郭を持ち始めたようだった。


女郎蜘蛛「ほんとね」


その瞳には憎しみと、確かな決意が宿っている。


福留はまだ闘太の方を見つめていた。

抱きしめた腕には噛み傷が残り、血が滲んでいる。


福留「それで……闘太はどうなったの?」


パドがふわりと闘太のそばに寄り、顔を覗き込む。


パド「気を失ってるみたい」


闘太は地面に横たわり、荒い呼吸を繰り返していた。

暴走していた獣の気配は消え、今はただ傷ついた命がそこにあるだけだった。


白川が小さく息を吐く。


白川「……助かった、のかもしれませんね」


大熊は腕を組んだまま唸る。


大熊「禁術だろうがなんだろうが、とりあえず生きとるならええ」


輝は闘太を見下ろしながら、ぽつりと言う。


輝「……助けるって決めたからな」


その瞬間、森の風がざわりと鳴いた。


徐々に闘太の巨体が震え、筋肉の隆起が萎んでいく。

黒い毛並みも、獣じみた輪郭も、まるで霧が晴れるように薄れていった。


そして次の瞬間。


地面に残っていたのは――小さな子犬だった。


福留「え……?」


声が震える。

信じられないものを見る目だった。


輝は膝をつき、子犬の頭にそっと手を置く。


輝「妖怪化が解けたんだ。大丈夫」


闘太は弱々しく呼吸をしている。

その姿は、かつて福留が守ろうとした小さな命そのものだった。


福留の目から涙が滲む。


福留「……闘太……」


その時、周囲の茂みが揺れた。


グルルル……


他の狼男たちが、ゆっくりと近づいてくる。

だがその動きには殺意がない。

ただ、不安と心配が混じっていた。


大熊「おっと……!」


反射的に構える。


輝「大丈夫だよ、大熊」


輝は狼男たちに目を向けたまま、落ち着いた声で続ける。


輝「この子たちに、もう戦う意志はない」


狼男たちは闘太の姿を確認すると、低く鳴き声を漏らした。

まるで仲間を失うことを恐れる群れのように。


その様子に白川も力を抜く。


白川「……ほんとに、止まったんですね」


木の上から我乃差が顔を覗かせていたが、ようやく降りてくる。


我乃差「終わったんですか?」


輝は立ち上がり、深く息を吐いた。


輝「とりあえずは、ですね」


福留が子犬の闘太を胸に抱きしめる。

小さな温もりが確かにそこにあった。


輝「帰りましょう」


月明かりの森を背に、五人は静かに歩き出した。


基地の灯りが見えてきた頃。

五人の足音に混じって、背後から低い唸り声がいくつも重なる。


基地の入り口には、腕を組んだ隊員が待ち構えていた。

顔には露骨な不機嫌さが浮かんでいる。


隊員「どうだ?ちゃん、と、退治――」


言葉が途中で止まった。


帰ってきた五人の後ろ。

森の闇から、無数の狼男たちが静かに現れる。


隊員「……」


次の瞬間。


隊員「うわぁぁぁぁ!!」


情けない悲鳴を上げ、転げるように基地の中へ逃げ込んでいった。


大熊が鼻で笑い、近くにいた狼男の頭を指で突っつく。


大熊「……で、こいつらどうすんだよ」


狼男はじっと大熊を見返すだけだった。


輝は一歩前に出て、狼男たちを見渡す。


輝「もう、人を襲わない?」


狼男たちは互いに顔を見合わせ――ゆっくりと頷いた。


その光景に白川が息を呑む。


白川「……信じられない」


福留は子犬の闘太を抱えたまま、静かに言う。


福留「闘太が…止めてくれたんだ」


輝は我乃差の方を向き、真剣な目をする。


輝「我乃差さん」


我乃差「……はい?」


輝「この子たち、この基地に置いたらどうですか?」


我乃差「え?」


あまりにも突拍子のない提案に、我乃差の眉が跳ね上がる。


輝は淡々と続ける。


輝「あの馬鹿隊員の牽制になるし」


隊員が遠くで「ひぃっ」と声を漏らした。


輝「それに、この部隊の戦力になりますよ」


大熊が腕を組みながら頷く。


大熊「確かに。下手な隊員より頼りになるな」


白川「基地の守りにもなりますね…」


我乃差は狼男たちを見つめ、唾を飲み込む。


我乃差「……そ、そうなれば百人力ですが」


狼男たちは低く唸りながらも、敵意ではなく静かな忠誠のようなものを滲ませていた。


輝は小さく笑った。


輝「じゃあ決まりですね」


我乃差はまだ半信半疑のまま、恐る恐る一歩前へ出る。


我乃差「……大丈夫、なんですよね」


震える手を、ゆっくりと差し出した。


狼男は唸りもせず、その手を嗅ぎ――

次の瞬間、まるで子を扱うように優しく我乃差の身体を持ち上げた。


我乃差「うわっ!?」


肩の上にそっと乗せる。


白川「……受け入れられましたね」


狼男が低く咆哮を上げる。


するとそれに呼応するように、他の狼男たちも次々と遠吠えを響かせた。


森の夜を揺らす、巨大な合唱。


白川は目を細める。


白川「これは…狼男の仲間の印です」


我乃差「ほんとですか!?」


驚いた顔のまま、しかしほんの少し頬が緩む。


我乃差は狼男の頭を撫でた。


我乃差「……すごいな、お前たち」


大熊が突然声を荒げる。


大熊「お、おい、福留!!」


その視線の先。


福留の胸の中で、小さな影が動いていた。


闘太だった。


福留「……起きてる!!」


闘太が小さく、


闘太「くぅぅん…」


と鳴いた。


その声を聞いた瞬間だった。


狼男たちが一斉に動きを止め、次々と膝をつく。


まるで王の前に跪く騎士のように。


大熊「し、白川…これは何だ?」


白川の表情が硬くなる。


白川「……ボス交代の儀です」


我乃差「ボス交代…?」


白川は静かに説明する。


白川「狼男の群れは、絶対的な“ボス”を中心に成り立っています、ボスが変わる時、群れは必ず儀式を行う、前のボスの前で跪き――その後、新しいボスに“群れで最も強い狼の爪”を献上するんです」


福留の胸に抱かれた闘太を見つめ、白川は続けた。


白川「闘太は…もう戦いの中心に戻るつもりはない、福留さんと一緒にいたい、その意思が群れに伝わって…こういう行動に至ったんでしょう」


闘太は小さな身体のまま、福留の腕の中で目を閉じる。


狼男たちはゆっくりと頭を垂れ、森の王の退位を告げるように沈黙した。


福留は震える声で呟く。


福留「……闘太、お前…」


大熊は信じられないものを見るように言う。


大熊「妖怪の世界にも…別れってあるんだな」


この儀式が意味するのは、ただの別れではない。


群れが“新しい王”を求めるということ。


狼男たちが膝をつき、静寂が落ちる。


誰もが思っていた。


――爪は誰に渡される?


闘太はもう群れの頂点には戻らない。

ならば、新しいボスは。


福留は息を呑み、白川は目を細める。

大熊ですら言葉を失っていた。


その時だった。


群れの奥から、一際大きい狼男が進み出る。


他の個体より頭一つ抜けている。

筋肉の盛り上がりも、妖力の圧も段違い。


その狼男が、一直線に向かった先。


――我乃差。


我乃差「……え?」


巨大な狼男は我乃差の目の前で止まり、ゆっくりと片膝をついた。


そして。


鋭く光る爪を、自ら剥ぎ取り。


血も見せず、静かに差し出した。


儀式の献上。


我乃差「……え? 俺!?」


声が裏返る。


白川が呟く。


白川「まさか…」


福留も信じられない顔だ。


福留「我乃差さんが…?」


大熊は腕を組み、ふっと鼻で笑った。


大熊「我乃差隊員の人の良さが分かったんやろうな」


我乃差は慌てて手を振る。


我乃差「い、いやいやいや!無理ですよ!俺…!」


狼男は動かない。


ただ、爪を捧げ続ける。


まるで言っているようだった。


“お前なら守れる”

“お前なら導ける”


我乃差の喉が鳴る。


我乃差「……俺が、ボス?」


白川は静かに頷く。


白川「群れは強さだけで選んでいない、守る意志を持つ者正義の物を選ぶこともあるんです、古い文献では人間に忠誠を誓い遥か昔に起きた妖怪封印大戦争では狼男の大群を背に戦争に参戦した英雄も存在した話もある」


我乃差は爪を見つめる。


震える手で、ゆっくりと受け取った。


その瞬間。


狼男たちが一斉に遠吠えを上げた。


新しい王の誕生を告げる咆哮。


我乃差「……とんでもないことになりましたね」


輝が小さく笑う。


輝「いいじゃないですか。我乃差さんらしい」


闘太は福留の腕の中で、安心したように目を閉じていた。


そして群れはもう一度、我乃差の前に跪く。


――狼男たちは、“人間”を王に選んだ。


我乃差は周囲を見渡した。


基地の敷地いっぱいに広がる狼男たち。


圧倒的な戦力。

圧倒的な数。


そして圧倒的に……場所を取る。


我乃差「このままだとちょっと狭くなりますね、基地が」


その言葉に、大熊が吹き出しそうになる。


大熊「……基地が狼だらけや」


輝は落ち着いた声で言った。


輝「闘太と同様、犬に戻れるはずですよ」


福留の腕の中で闘太が小さく鳴く。


闘太が妖怪化を解かれたのなら、他の個体も可能。


大熊は眉をひそめる。


大熊「狼なのに犬なのな」


白川が肩をすくめた。


白川「妖怪ってそういうもんですよ」


我乃差は恐る恐る、狼男たちの方へ一歩進み出る。


狼男たちは新しいボスを見つめている。


期待と忠誠の眼差し。


我乃差は喉を鳴らし、ぎこちなく笑った。


我乃差「じゃ、じゃあ……戻ってくれる?」


その瞬間だった。


狼男たちの体が、ゆっくりと縮んでいく。


骨格が変わり、筋肉が細くなり、妖力の圧が霧のように抜けていく。


大熊「うわ……マジで変わった」


一匹が、柴犬ほどの大きさになった。


次は大型犬。


次は小型犬。


毛色も変わる。


黒、茶、白、灰色。


耳の形も、尻尾の長さも、まるでバラバラ。


基地の地面には、さっきまで怪物だった存在が――


色んな種類の犬になって座っていた。


福留「……すげぇ」


輝は小さく息を吐く。


輝「よかった」


我乃差は呆然としたまま、目の前の犬を見下ろす。


犬は舌を出し、尻尾を振った。


我乃差「……犬ですね」


大熊「犬やな」


輝「犬ですね」


福留は闘太を抱きしめたまま笑った。


福留「闘太、仲間も戻ったぞ」


闘太がくぅんと鳴くと、犬たちが一斉に鳴き声を上げる。


基地の空気が、さっきまでの戦場とは思えないほど柔らかくなった。


我乃差は苦笑いしながら頭を掻いた。


我乃差「……これからどうやって世話しましょうか」


輝が静かに言う。


輝「守るべき仲間が増えただけですよ」


犬たちは新しい群れとして、基地に居場所を得た。


大熊は基地の壁にもたれ、スマホを耳に当てた。


遠吠えが消えた森。

代わりに、基地の中には犬たちの小さな鳴き声が響いている。


大熊「……もしもし、天城はんか?」


天城『大熊か。状況はどうなった』


大熊は軽く息を吐く。


大熊「任務完了や。狼男は鎮静化した。被害もこれ以上は出ぇへん」


天城『……鎮静化?討伐じゃなくてか?』


大熊は少し間を置いた。


大熊「討伐はしてへん。助けたんや」


電話の向こうで沈黙が落ちる。


天城は小さく笑った。


大熊「ほな、帰るわ」


通話を切ると、大熊は振り返った。


基地の中では、福留が闘太を抱えて座り込んでいる。

白川は犬たちを観察し、輝は壁にもたれて腕の傷を押さえていた。


そこへ我乃差が。


我乃差「皆さん、本当に助かりました」


輝「こちらこそ、お世話になりました」


我乃差は少し迷ってから言った。


我乃差「……提案なんですが」


大熊「ん?」


我乃差「せめて、ご飯だけ基地で食べていってください。夜も遅いですし」


福留が顔を上げる。


福留「いいんですか?」


我乃差「当然です。命を救ってもらったんですから」


白川も頷いた。


白川「ありがたく頂きましょう。輝も血を流してますし」


輝は小さく笑った。


輝「じゃあ、少しだけ」


大熊「ほな決まりやな」


基地の食堂へ向かう途中、犬たちが後ろをついてくる。


福留「……なんか、変な感じだね」


大熊「さっきまで敵やったのにな」


輝「敵じゃなくて、迷ってただけだったんだよ」


闘太が福留の腕の中で鳴く。


その声に、犬たちが一斉に尻尾を振った。


我乃差はその光景を見て、ほんの少しだけ表情を緩めた。


我乃差「……ここも、少し賑やかになりますね」


そして彼らは、短い休息のために基地の灯りの中へ入っていった。


食事を終えたあと、基地を出て森を下っていく。


夜の冷たい空気が肌を撫で、静寂の中に足音だけが響いていた。


ふと輝が立ち止まり、振り返る。


基地の灯りの前。


そこには――


大量の犬たちを背にした我乃差が立っていた。


そして深々と頭を下げている。


福留の胸がぎゅっと締めつけられる。


福留「……我乃差隊長ッ!!」


福留は叫ぶように言うと、その場で真っ直ぐに背筋を伸ばし、


敬礼した。


その姿は、かつて逃げた少年ではなく、


確かにここで闘った隊員のものだった。


我乃差は一瞬目を見開き――


そして、ふっと笑う。


我乃差もまた、静かに敬礼を返した。


犬たちが遠吠えをあげる。


まるで別れの合図のように。


大熊が腕を組んで鼻を鳴らす。


大熊「……ええ顔するようになったやん、福留」


白川は小さく息を吐いた。


白川「救われたのは闘太だけじゃないですね」


福留は敬礼を解かず、最後にもう一度だけ叫ぶ。


福留「ありがとうございました!!」


我乃差は言葉を返さない。


ただ、敬礼のまま見送っていた。


森を降りていく背中が闇に溶けても、


基地の灯りと犬たちの影だけが、いつまでもそこに残っていた。


学園に帰り着いた頃には、すでに就寝時間を大きく過ぎていた。


本来なら、廊下も部屋も静まり返っている――はずだった。


しかし。


食堂の方角だけ、ぽつりと灯りが漏れている。


輝が不思議に思い、そっと覗き込んだ瞬間だった。


真鴉と纏がこちらに気づき、勢いよく駆け寄ってくる。


真鴉「おまッ!!また怪我してんじゃねぇか!!」


纏「噛み傷……狼男だよね?」


輝の腕に残る痛々しい跡を見て、纏の声が沈む。


そのとき。


輝の服の中から、ひょこりと小さな手が顔を出した。


パドだった。


真鴉「……え?」


次の瞬間。


後ろにいた大熊が飛び上がるほど驚く。


大熊「おっ、おい!!パドはん!!出てきたらアカンやろ!!」


白川も慌てて声を潜める。


白川「そうですよ!隠れてないと……!」


福留も目を丸くした。


福留「出てきた、普通に……」


輝は落ち着いたまま言う。


輝「大丈夫だよ」


纏が静かに頷く。


輝「纏は知ってる」


福留「え?いつの間に……」


纏は輝の肩に乗る女郎蜘蛛を優しく撫でながら、さらりと言った。


纏「輝くんと出会ってすぐだよ」


その言葉に。


真鴉だけが完全に固まった。


真鴉「…………は?」


輝は申し訳なさそうに視線を逸らす。


輝「ちなみに真鴉は知らないよ」


大熊が頭を抱えて叫ぶ。


大熊「じゃあダメじゃん!!」


白川も同意するように頷いた。


白川「全然大丈夫じゃないですよ!!」


纏は小さく苦笑する。


纏「でも、隠し続けるのも限界が来るよ」


真鴉は輝を指差しながら震える声で言った。


真鴉「お前……何隠してんだよ……!」


輝は腕を庇うように押さえながら、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。


噛み傷の痛みはまだ強い。


呼吸も浅くなる。


纏「包帯持ってくるね」


そう言って纏は小走りで食堂の奥へ消えていった。


その背中を見送りながら、大熊が声を落とす。


大熊「……真鴉に話してええんか?」


輝は迷いなく頷いた。


輝「うん。真鴉は信用してるから」


真鴉は眉をひそめ、苛立ちと困惑を混ぜた顔で腕を組む。


真鴉「いや、信用とか以前に状況が掴めないんだが……」


輝は一度息を吐く。


そして、覚悟を決めたように口を開いた。


輝「俺が使ってる術がある」


真鴉「術?」


輝「呪霊操術だ」


その言葉に、真鴉の目が大きく見開かれる。


真鴉「……は?」


輝は淡々と続けた。


輝「禁術って呼ばれてるやつ。霊を従わせて、使役する」


真鴉「禁術……お前、それ……」


輝「知ってる。バレたら終わりだ」


白川が苦い顔で頷く。


白川「学園でも最も重い禁忌ですからね」


輝の服の中から、パドがちょこんと手を振った。


パド「どうも」


真鴉「喋ったァ!?」


女郎蜘蛛も静かに机に降り、真鴉を見上げる。


輝「女郎蜘蛛も仲間だ」


真鴉は頭を抱えた。


真鴉「情報量が多すぎる……!」


福留がそっと近づき、腕の中に抱えていた小さな存在を差し出す。


福留「それで、この子も……」


眠っている闘太。


小さな子犬の姿で、静かに胸を上下させている。


真鴉は覗き込み、顔をしかめた。


真鴉「こいつは……犬?」


輝が短く答えた。


輝「狼男だよ」


真鴉「……は?」


輝「妖怪化してた。呪霊操術で鎮めたら戻った」


真鴉は信じられないという顔で闘太を見つめる。


真鴉「狼男を助けた……?退治じゃなくて?」


輝はゆっくり頷いた。


輝「助けたかったから」


真鴉の拳が震える。


怒りではない。


理解が追いつかない混乱。


真鴉「……お前、本当に危ねぇ橋渡ってんな」


輝「分かってる」


その時、包帯を抱えた纏が戻ってきた。


纏「はい、包帯。輝くん、動かないで」


纏が傷口に手を伸ばす。


食堂の灯りの下で、禁術と妖怪と秘密が静かに共有されていった。


輝は包帯を巻かれながら、静かに視線を落とした。


纏の手つきは丁寧だったが、空気は重い。


真鴉はまだ頭を抱えたまま、信じられないものを見る目で輝を見ている。


輝「……今まで俺がやってきたこと、ちゃんと話す」


大熊が腕を組み、低く唸る。


大熊「聞かせてもらうわ」


輝は少し間を置いてから、言葉を紡いだ。


真鴉「……七不思議?」


大熊「七不思議集め……か」


福留が呆れたように息を吐く。


福留「大それたことしてるな」


輝「まぁね。色んなのと戦ってきたんだよ」


白川が身を乗り出す。


白川「色んなの、とは……」


輝は淡々と言った。


輝「死神とかさ」


白川「死神!?」


真鴉「はぁ!?」


纏も手を止め、驚いた顔をする。


纏「そんなのと戦ったの……?」


女郎蜘蛛が静かに目を伏せた。


女郎蜘蛛「私と出会った時のだね」


輝「圧倒的実力差で逃げることしかできなかったけどね」


場の空気がさらに張り詰める。


パド「それと、あれもいたよね」


パドが何気なく続ける。


パド「牛鬼とか」


その瞬間だった。


女郎蜘蛛の全身がびくりと震えた。


女郎蜘蛛「牛鬼!?!?」


輝「どうした?女郎蜘蛛……」


女郎蜘蛛は唇を噛み、声を絞り出す。


女郎蜘蛛「輝……あんたに話したわよね?」


輝「友達を探してるって話?」


女郎蜘蛛は頷いた。


女郎蜘蛛「黒い大きな翼を持つ妖怪...鴉天狗が連れていった子」


真鴉が眉を寄せる。


真鴉「……その友達が?」


女郎蜘蛛の瞳が揺れる。


女郎蜘蛛「その子が、牛鬼なのよ」


その言葉が落ちた瞬間、食堂が静まり返った。


福留「……世界狭いな」


大熊「鴉天狗が牛鬼を攫って、それで妖力供給して狼男も作った……?」


白川「外冠死業……点と点が線になり始めていますね」


輝は拳を握りしめた。


真鴉は深く息を吐き、ようやく顔を上げた。


真鴉「……お前常に面倒なことに巻き込まれてるな。」


輝は苦笑する。


輝「否定できないな」


真鴉がふと思い出したように、軽い調子で言った。


真鴉「あっそういえば、お前らがいない間に黒瀬兄弟と猿渡さん帰ってきたよ。明日から授業参加だってよ」


その言葉に、輝の表情がぱっと明るくなる。


輝「帰ってきたんだ!」


大熊が腕を組みながら鼻で笑う。


大熊「賑やかになりそうやな」


真鴉が肩をすくめる。


その場に漂っていた重たい空気が、少しだけほどけていく。


輝は椅子に深くもたれ、包帯の巻かれた腕を見下ろした。


輝「……とりあえず、今日は帰ってこれた。それで十分だ」


纏が優しく笑う。


纏「うん。今日は休もう」


他愛もない話が続いた。


授業のこと、黒瀬兄弟のこと、猿渡のこと。


闘太が小さく寝息を立てているのを見て、福留がそっと撫でる。


大熊は欠伸を噛み殺し、真鴉は椅子に寄りかかったまま目を細めた。


夜は静かに更けていく。


やがて、疲労と安堵が一気に押し寄せた。


輝「……眠いな」


白川「今日は流石に、限界ですね」


真鴉「寝ろ寝ろ。明日も面倒が待ってるぞ」


纏「おやすみ、輝くん」


輝「うん。おやすみ」


全員がそれぞれの部屋へ戻っていく。


食堂の灯りが落ち、禍津学園の夜が静かに包み込んだ。


こうして、長い一日は終わった。


真鴉が身支度を整えていた。


真鴉「おっと、起こしちまったか?」


輝は目を擦りながら首を振る。


輝「いや、大丈夫だよ。ご飯食べた?」


真鴉「まだだ。一緒に行こうぜ」


輝「賛成」


二人は並んで廊下を歩き、食堂へ向かう。


まだ朝の冷えが残る空気の中、学園は静かだった。


……と思ったが。


纏と水瀬がゴミ捨てを終え戻ってきた。


纏「あ!おはよ」


水瀬「朝から元気だね」


輝が少し驚いた顔をする。


輝「みんな早いな」


真鴉が鼻で笑う。


真鴉「お前が最後な」


輝「うそでしょ……」


纏がくすっと笑った。


纏「昨日あれだけ怪我してたんだから、寝坊くらい普通だよ」


水瀬も肩をすくめる。


水瀬「え!?その傷何!?いっつも無茶するね輝さんは」


真鴉「とりあえずまぁ、起きたなら飯だ。腹減った」


四人で食堂へ向かう。


その途中、遠くから聞き慣れない声が混じった。


???「……湿気たツラしてんな」


輝が足を止める。


輝「……ん?」


真鴉も眉を上げる。


廊下の先に、見覚えのある影が立っていた。


黒瀬兄弟だ。


雷牙が開口一番、呆れたように叫んだ。


雷牙「輝てめぇ、また怪我してんじゃん」


翠馬も眉を寄せ、じっと腕の包帯を見る。


翠馬「……傷だらけ……」


輝は肩を落としてため息をつく。


輝「みんな俺、怪我キャラだと思ってんの?」


真鴉が即答する。


真鴉「思ってる」


纏も小さく頷いた。


纏「うん」


水瀬「否定できないね」


輝「即答やめて!」


その時だった。


廊下の奥から、やたら騒がしい音が響く。


ドン!ドドン!ドン!


真鴉「……なんだ?」


輝「嫌な予感しかしない」


次の瞬間。


派手に襖を開ける勢いで現れたのは猿渡だった。


しかも何故か太鼓の音を鳴らしながら、堂々と登場する。


猿渡「――あっしも輝殿は怪我のイメージしかないでござる!」


雷牙が腹を抱えて笑う。


雷牙「朝一早々それかよ!」


猿渡は胸を張る。


猿渡「登場には演出が必要でござる!」


真鴉「必要ねぇよ!」


纏が輝の腕を見て心配そうに言う。


纏「でも本当に、大丈夫なの?」


輝は少しだけ視線を逸らした。


輝「……まぁ、なんとかね」


水瀬「なんとか、で済ませるのが輝くんだよね」


猿渡は腹の底から響くような大きな笑い声を発しながら、ずんずんと食堂へ向かった。


猿渡「はっはっはっは!!朝は戦の始まりでござるな!!」


輝「朝飯を戦にするな」


食堂に着くやいなや、猿渡は迷いなく盆を二つ取った。


真鴉「猿渡…さん」


猿渡が振り返り、にこやかに言う。


猿渡「猿渡でいいでござるよ、真鴉殿」


真鴉「猿渡も二人前食べるのか?福留と大熊も食いますよ」


猿渡「左様でござるか!よく食べるのは良いことでござる!」


そう言いながら猿渡が食堂を見回す。


すると。


口いっぱいにご飯を詰め込み、頬をパンパンにしている福留の姿が目に入った。


福留「んぐっ、んんっ!」


大熊「飲み込んでから喋れ!」


そしてその横。


見た目の威圧感に反して、驚くほどお淑やかに箸を運んでいる大熊がいた。


真鴉「お前その顔で上品に食うな、違和感すげぇ」


大熊「ええやないか!」


猿渡が目を輝かせて近づく。


猿渡「おお!福留殿と大熊殿でござるか!郷里島以来でござるな!」


福留が口の中を必死に飲み込み、慌てて立ち上がる。


福留「ふ、福留満です!よろしくお願いします!」


大熊は箸を置き、軽く会釈した。


大熊「大熊 健二や。よろしくな」


猿渡は満足そうに腕を組む。


猿渡「いやぁ、学園には食の猛者が揃っているでござるな!」


真鴉「食の猛者ってなんだよ」


輝が小さく笑いながら言う。


輝「まぁ…賑やかでいいじゃん」


その言葉に、食堂の空気が少しだけ温かくなった。


湯気の立つ味噌汁の匂い、箸が器に当たる音、誰かの笑い声。


そんな何気ない空気の中で――


突然、異様に熱い空間が生まれる。


大熊が腕をまくり、机に肘をついた。


大熊「おい猿渡。腕っぷしには自信ある言うたな?」


猿渡も目を輝かせ、腕を差し出す。


猿渡「ふっ…腕相撲でござるか!望むところ!!」


福留が間に入って慌てる。


福留「ちょ、ちょっと待ってください!食堂でやるんですか!?」


大熊「仲介頼むわ福留」


猿渡「審判は福留殿で決まりでござるな!」


福留「なんで俺なんだよぉ!!」


周りの視線が集まる。


纏と水瀬は楽しそうに笑いながらご飯を食べている。


纏「あそこなにしてんの…?」


水瀬「朝から元気すぎるよね」


一方で、真鴉と輝と白川は少し離れた席で落ち着いて話していた。


真鴉「昨日の任務、結局狼男は落ち着いたんだろ?」


輝「うん。闘太も助かったし…でも面倒なのが...外冠死業が絡んでるって話だよ」


白川「鴉天狗の線が濃いです。」


真鴉「ったく…厄介事ばっかだな」


輝は少しだけ目を伏せる。


その会話をよそに――


雷牙と翠馬はとっくに食べ終えていた。


雷牙「よし、修行だ!」


翠馬「待って兄ちゃん…!」


輝「早っ」


真鴉「胃袋どうなってんだあいつら」


雷牙と翠馬は勢いよく食堂を出ていった。


そして、腕相撲の戦場。


福留が震える声で宣言する。


福留「い、いきますよ…?せーの!」


大熊と猿渡の腕がぶつかり合う。


机がミシ…と鳴った。


大熊「おぉ…やるやんけ!」


猿渡「ぬぅぅぅ!!拙者も負けぬでござる!!」


福留「食堂壊れるって!!」


朝の学園は、今日も騒がしく始まっていく。


バンッ!!


食堂の扉が勢いよく開いた。


空気が一瞬止まる。


そこに立っていたのは――


制服は泥と裂け目で汚れ、頬には擦り傷。 肩で息をしている男。


神宮寺だった。


輝が箸を止めて立ち上がる。


輝「おはよ!って……神宮寺!?ボロボロじゃん!」


神宮寺は目を逸らしながら、短く返す。


神宮寺「あぁ……ちょっとな」


その声は平静を装っているが、明らかに疲労が滲んでいた。


真鴉が小さく肩をすくめる。


真鴉「最近、朝一人で訓練してるんだってよ」


纏が心配そうに近づく。


纏「一人で…?誰にも言わずに?」


神宮寺は乱暴に椅子を引いて座る。


神宮寺「別に、大したことじゃねぇ」


白川が眉を寄せる。


白川「大したことじゃない怪我ではありませんよ、それ」


福留も口いっぱいに飯を詰めたまま声を出す。


福留「もぐっ…それ絶対大したことあるやつ…!」


大熊が腕相撲を止め、神宮寺をじっと見る。


大熊「お前、無茶して強くなろうとしてへんか?」


神宮寺は一瞬黙った。


握った拳が小さく震える。


神宮寺「……置いてかれたくねぇだけだ」


輝が静かに歩み寄り、真正面から見る。


輝「置いてかれるって、誰に?」


神宮寺は笑うように鼻を鳴らした。


神宮寺「決まってんだろ」


視線が、輝の腕の包帯にちらりと向く。


神宮寺「お前らにだよ」


食堂の空気が重くなる。


真鴉がぼそっと呟く。


真鴉「……面倒くせぇ奴」


でも、その声に悪意はなかった。


輝は少し困ったように笑って、椅子を引く。


輝「ならさ、一人でやるなよ」


神宮寺「……は?」


輝「一緒に強くなればいいじゃん。仲間なんだから」


神宮寺は返事をしない。


けれど、その目は少しだけ揺れていた。


神宮寺「お前らには分かんねぇよ」


そう吐き捨てるように言い、神宮寺は乱暴にお盆を取り、空いている席に座った。


ガツガツと飯を口に運ぶ。


まるで会話を拒絶するように。


けれど、その背中はどこか孤独だった。


輝は何も言えず、ただ立ち尽くす。


食堂の喧騒は戻ったようで戻らない。


その隙間で、真鴉と白川が小声で話す。


真鴉「ここで猿渡と雷牙兄弟除いて一番強いの、神宮寺なのにな」


白川「ですね…」


真鴉が箸を止め、少しだけ目を細める。


真鴉「強いのに、なんであんな顔してんだよ」


白川は静かに答える。


白川「強いからこそ、怖いんでしょう」


真鴉「怖い?」


白川「自分が止まった瞬間に、全部置いていかれることが」


真鴉は鼻で笑う。


真鴉「バカみてぇだな」


白川「ええ。でも…そういう人ほど無理をします」


その言葉に、輝が少しだけ反応する。


輝は神宮寺の背中を見る。


包帯もない、傷だらけの肩。


震えている手。


輝は自分の腕の痛みを握りしめるように押さえた。


食堂の中で、神宮寺だけが孤立していた。


けれどそれは、自分から孤独に座り込んでいるようにも見えた。

今回の話は、狼男事件の任務が終わった直後の、学園の日常回に戻る場面でした。


任務で命のやり取りをしたあとでも、学園の朝は容赦なくやってきて、みんなはご飯を食べて笑って、いつも通りを続けています。


でもその中で、神宮寺だけは明らかに違う空気を纏っていました。


「お前らには分かんねぇよ」


この一言には、強者として見られ続ける苦しさや、誰にも頼れない孤独が詰まっています。


輝たちも任務を重ねて少しずつ変わってきていますが、神宮寺もまた別の形で追い詰められている。


そんな予兆を感じさせる場面になりました。


次回55話ーー認めてもらう為に

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