52話:結果
試験は、戦うためにあるものではない。
だが、この学園においては――生き方そのものが試される。
筆記に向き合った時間、
逃げずに積み上げた知識、
仲間のために用意されたノート、
そして、自分の弱さを受け入れた覚悟。
戦闘では測れない価値が、確かにそこにあった。
緊張と静寂が教室を満たし、
紙の上に刻まれた答えが、やがて「結果」として突きつけられる。
誰が笑い、
誰が肩を落とし、
誰が次の一歩を踏み出すのか。
――これは、試験の点数の話ではない。
それぞれが、何を得たのか。
その答えが、今、示される。
天城が教卓に立ち、教室全体を一瞥した。
天城「――では、始め」
その一言と同時に、
教室に一斉にペンの音が走った。
カリ、カリ、と規則正しい音。
ページをめくる乾いた音。
誰かが息を呑む気配。
輝は視線を落とし、問題用紙を睨む。
指先は僅かに震えていたが、深く息を吸い、ノートで繰り返した式と用語を思い出す。
輝(大丈夫……白川がまとめてくれたところだ)
別の席では、白川が落ち着いた表情でペンを走らせている。
迷いがない。
真鴉は眉間に皺を寄せ、明らかに苦戦していた。
真鴉(……筆記はやっぱ無理だろ、これ……)
大熊はというと、
額に汗を浮かべながらも、必死に文字を埋めている。
大熊(ここ……昨日纏が言うとったとこや……思い出せ……!)
教室の後方で、天城は腕を組み、静かに様子を見ていた。
誰も口を開かない。
誰も助けを求められない。
――ただ、積み上げてきたものだけが頼りだった。
試験開始から数分。
その短い時間の中で、それぞれが自分自身と向き合っていた。
終了の合図が、静まり返った教室に響いた。
天城「――そこまで」
その声と同時に、張り詰めていた空気が一気に緩む。
天城は教卓から降り、無言で解答用紙を回収していく。
一枚一枚を丁寧に揃えながら、淡々と口を開いた。
天城「採点後、返却する。結果についてはその時に伝える」
輝は椅子にもたれ、ゆっくりと息を吐いた。
やり切ったという実感だけが、胸に残っている。
天城「続いて戦闘試験だが――」
教室の空気が、再び引き締まる。
天城「明日の一限目から開始する」
真鴉が露骨に顔を歪める。
真鴉「……間、空かねぇんだな」
天城「当然だ。今日はこのまま通常授業を行う」
そう言うと天城は、何事もなかったかのように教科書を開いた。
天城「では、次の単元に入る。今のうちに集中して聞いておけ」
放課後。
教室の一角で、輝と白川はノートを広げ、静かに答え合わせをしていた。
輝「問三、これで合ってたよね?」
白川「うん、合ってるね!」
輝「よっし!」
思わず小さく拳を握る輝。その様子を横目で見ていた真鴉が、ノートを見つめたまま声を漏らす。
真鴉「あ……俺、そこ違うわ」
一瞬の沈黙のあと、大熊が肩を竦めて即座に言い放つ。
大熊「終わったな、真鴉」
真鴉「まだ採点前だろ!?白川が合ってる確証もねぇよ!」
軽口を叩き合う二人の横で、白川はくすりと笑い、
輝はその様子を見ながら、どこか安心したように息を吐いた。
翌日。
戦闘試験の前、まず筆記試験の答案が返却された。
教室にざわめきが広がる中、白川は自分の答案を見つめ――
ほんの一瞬だけ、輝の方へ視線を向けた。
白川「……」
その静けさを破ったのは、真鴉の絶叫だった。
真鴉「50点!!! ギリ赤点回避ィィィィィ!!」
大熊は答案を見下ろし、微妙な表情で頭をかく。
大熊「60か。まぁ……うん……」
水瀬がきょろりと周囲を見回す。
水瀬「神宮寺さんは?」
神宮寺「100だ」
水瀬「流石です! 私は90でした!」
福留「俺85!」
次々と数字が飛び交う中、白川が輝に声をかける。
白川「輝くんは?」
輝は答案を両手で握りしめ、わずかに震えていた。
白川「……輝くん?」
輝「75点!!!!」
一瞬の静寂。
そして次の瞬間――
教室「おおおおお!!!!!」
歓声が一斉に上がる。
真鴉が目を見開き、大熊が思わず輝の肩を叩いた。
大熊「やるやないか輝!!」
輝は照れたように笑いながら、
その数字をもう一度だけ、確かめるように見つめていた。
――確かにそこには、75と書かれていた。
天城が手を叩き、教室の空気を引き締める。
天城「……はい、そこまで。喜ぶのは結構ですが、次があります」
ざわついていた教室が少しずつ静まっていく。
天城「では、戦闘試験について説明します」
全員が自然と前を向く。
天城「内容は単純です。模擬戦形式。二人一組で戦ってもらいます」
真鴉が身を乗り出す。
真鴉「先生、相手はどう決めるんすか?」
天城「自分たちで話し合ってください」
大熊がにやりと笑う。
大熊「ほぉ……輝!組むか!」
天城「なお、殺しは禁止。致命傷も不可です。制限付きの実戦だと思ってください」
輝はごくりと喉を鳴らし、拳を握る。
天城「評価基準は三つ。戦闘判断、応用力、そして――」
一拍置いて、天城は言った。
天城「仲間を想定した立ち回りです」
その言葉に、輝と白川は一瞬だけ視線を交わす。
真鴉「輝は俺と組むからなぁ」
纏「輝くん、どう立ち回ろうか?」
輝「……ん? なんか、勝手に決まってない?」
大熊「だよな。俺と組むのにな」
三方向から当然のように組まれる前提で話を振られ、輝は一瞬きょとんとする。
輝「いやいや、ちょっと待って。」
大熊「誰と組んでも大丈夫やろ、輝は」
輝「その信頼どこから来てるの!?」
纏が少し真剣な表情で輝を見る。
纏「輝くんは前に出なくていい。状況見て、指示出してくれれば、それで十分」
大熊「せやな。俺らが動く、輝は全体見る役や」
輝「……えぇ〜」
白川が小さく頷く。
白川「でも、それが一番“輝くんらしい”と思う」
その一言に、輝は少しだけ目を見開き、そして苦笑した。
輝「……じゃあさ」
全員が輝を見る。
輝「間とって白川と組む!てか約束したし」
ペアが決まり天城の先導で森へと入っていく
天城「さて、始めてもらう森の中の妖怪か霊、どちらかを数匹制圧しろ、もうお前らなら楽勝なはずだ、それじゃぁ、スタート!」
開始の合図と同時に視界から仲間の姿が消える。
ざわりと木々が揺れ、遠くで誰かが走る音がした。
輝は一度深く息を吸い、周囲を見渡してから立ち止まる。
輝(……落ち着け)
数秒遅れて、同じように足を止めた白川がこちらを見る。
白川「ねえ」
輝「うん。多分、考えてること一緒だね」
二人は一拍置いて、同時に口を開いた。
輝・白川「戦闘要員、いない」
沈黙。
白川が苦笑いする。
白川「やっぱりそうなるよね……」
輝「真鴉と大熊はゴリゴリ前線、水瀬と纏はバランス型、福留と神宮寺は安定感の塊……」
白川「で、僕らは知識と補助特化」
輝「完全に後方支援ペアだね」
白川は周囲を見回し、地面にしゃがみ込む。
白川「でも、だからこそ出来ることもあるよ」
輝も隣にしゃがみ、ノートを思い浮かべるように指を動かす。
輝「奇襲は無理。正面衝突も無理。なら――」
白川「相手の動きを“使う”」
輝が小さく頷く。
輝「うん。戦闘試験って、倒すだけじゃない。無力化でも、条件達成でもいいはず」
白川「さすが、そこはちゃんと聞いてる」
輝「昨日、死ぬほど復習したからね……」
白川が少しだけ真剣な顔になる。
白川「輝くん、僕が囮になる」
輝「却下」
即答だった。
白川「え」
輝「白川は囮向きじゃない。目立つとすぐ捕まる」
白川「ひどくない?」
輝「事実」
一瞬の後、二人は小さく笑う。
輝「俺が状況作る。白川は罠と誘導。直接戦わない」
白川「……勝ちに行く気だね」
輝「当たり前でしょ。ここまでやったんだ」
白川は静かに頷き、手帳を取り出す。
白川「じゃあ作戦、即席で組もうか。時間は少ないけど」
輝「うん。白川となら、詰め切れる」
その瞬間、遠くで木が折れる音が響いた。
白川「……もう始まってるね」
輝は目を細め、森の奥を見据える。
輝「大丈夫。俺たちには――」
白川「考える時間と、準備がある」
二人は同時に立ち上がり、静かに森の中へと足を進めた。
森の奥、光が届きにくい窪地で、輝と白川は足を止めた。
輝「ここだな……」
白川は周囲を一瞥し、静かに頷く。
白川「うん。霊力の流れが歪んでる。三体、この辺りを根城にしてる」
輝「妖怪二体、霊一体……真正面からやったら即終了」
白川「だから正面からはやらない」
白川は地面にしゃがみ込み、小枝で簡単な図を描き始める。
白川「まず妖怪。二体とも“感知型”だね。音と霊力反応にすごく敏感みたい」
輝「つまり……」
白川「餌を投げれば、必ず食いつく」
輝は口角を上げ、妖力を指先に集める。
輝「じゃあ、霊力じゃなくて……妖力で釣るか」
白川「うん。霊は妖力を“異物”として嫌うけど、妖怪は逆に引き寄せられる」
二人は短く目を合わせ、役割を確認する。
数分後。
森の別方向から、強い妖力反応が一瞬だけ発生した。
それに反応するように、低い唸り声が二つ、重なって響く。
白川「来る……!」
地面を揺らしながら現れたのは、
一体目――四足で走る獣型妖怪。
二体目――人型に近いが、腕が異様に長い妖怪。
輝は木の陰から一切動かず、妖力の“残滓”だけを点々と残していく。
獣型妖怪が反応し、そちらへ突進する。
白川「思った通り、知能は低い。一直線だ」
輝「じゃあ、次」
輝は足元に小さな妖術陣を展開する。
輝「――錯覚付与」
妖怪の視界に、複数の輝の影が映る。
人型妖怪が混乱し、獣型妖怪と進路がぶつかる。
二体が互いに唸り声を上げ、敵味方の区別を失う。
白川「今だね」
白川は事前に設置していた“妖力反射札”を起動させる。
妖怪同士が放った攻撃が、互いに跳ね返り、互いを直撃する。
獣型妖怪が地面に叩き伏せられ、動きが止まる。
輝「一体目、制圧」
輝は即座に封印札を投げ、妖怪を地面に縫い留める。
残る人型妖怪が怒り狂い、咆哮を上げた瞬間――
空気が冷える。
白川「……来た。霊だ」
木々の間から、人の輪郭をした霊が浮かび上がる。
顔はない。ただ、こちらを“見ている”圧だけがある。
輝「こいつ……妖怪を操ってたわけじゃないな」
白川「うん。利用してただけ。霊は基本、戦わない」
霊が低く、地を這うような声を発する。
霊「……出て、行け……」
白川は一歩、前に出る。
白川「喋れる...交渉できるタイプだ」
輝「任せた」
白川は深く息を吸い、冷静に言葉を投げる。
白川「ここは試験区域。ここに長く留まれば、君は消される」
霊の揺らぎが一瞬、乱れる。
白川「でも今なら、別の依代に移る時間がある」
輝が白川の背後で、霊力遮断陣を静かに完成させる。
霊はそれに気づき、後退しようとするが――
白川「逃げ道は、用意してある」
霊は沈黙する。
長い数秒。
やがて、霊はゆっくりと頷くように揺れた。
霊「……条件は」
白川「妖怪の主導権を手放すこと」
霊「……了承」
その瞬間、人型妖怪が崩れ落ち、動かなくなる。
輝は即座に封印。
輝「二体目、制圧」
霊は約束通り、試験区域の外へと消えていく。
森に、静寂が戻る。
白川はその場にへたり込み、深く息を吐いた。
白川「……勝った、よね?」
輝「うん。完勝」
白川「戦ってないのにね!」
輝は少し照れくさそうに笑う。
輝「頭使えば、殴らなくても勝てる」
白川はその言葉を噛み締めるように頷いた。
白川「……輝くんさ」
輝「ん?」
白川「やっぱり、頼られてる理由、分かった気がする」
輝は少しだけ目を伏せる。
輝「俺は、出来ることをやってるだけ」
白川「それが一番、難しいんだよ」
遠くで、試験終了を告げる合図が鳴った。
輝「帰ろうか」
二人は並んで森を後にした。
戦闘力ゼロのペアが、頭脳だけで制圧した戦闘試験。
それは確かに、評価されるに値する結果だった。
学校に戻ると、校庭の中央で大熊と真鴉が落ち着かない様子で立っていた。
腕を組んでは解き、周囲を見渡してはため息をつく。その動作を何度も繰り返している。
真鴉「……遅くねぇか?」
大熊「遅い。絶対遅い。戦闘要員おらんのやぞ、あの二人」
その時、校門の方から輝と白川の姿が見えた。
二人とも大きな怪我はなく、足取りも確かだ。
真鴉は一瞬目を見開き、次の瞬間には大きく息を吐いた。
真鴉「……あぁ、ほら」
大熊も同時に気づき、強張っていた表情が一気に緩む。
大熊「……信じとったで」
二人はほぼ同時に駆け出した。
真鴉「輝!白川!」
輝「うわ、なにその顔」
大熊は輝の肩を掴み、ぐっと引き寄せる。
大熊「無事で何よりや。ほんま」
真鴉「お前らだけで森放り込まれて、どうなるかと思ったぞ」
白川は少し照れたように笑う。
白川「なんとか、です」
輝は苦笑しながら頭をかく。
輝「信じてたって言う割に、めちゃくちゃ心配してた顔してるけど」
真鴉「うるせぇ」
大熊「仲間心配して何が悪いんや」
そのやり取りを、少し離れた場所から天城が腕を組んで見ていた。
天城「……全員無事か」
輝「はい」
白川「制圧も、問題なく」
天城は短く頷く。
天城「詳細は後で聞く。だが――」
一瞬だけ視線を鋭くする。
天城「よく帰ってきた」
その言葉に、大熊と真鴉は顔を見合わせ、どこか誇らしそうに笑った。
真鴉「ほら!俺、言ったろ?」
大熊「せや!こいつらならやれるって」
輝はその様子を見て、少しだけ胸の奥が温かくなるのを感じていた。
白川もまた、静かに頷いていた。
教室に戻り、それぞれが席に着いた瞬間だった。
教卓に立った天城が淡々と口を開く。
天城「――全員、合格だ」
一拍遅れて、教室にざわめきが走る。
輝「……え?」
白川は小さく息を吐き、肩の力を抜いた。
白川「よかった……」
天城「正直に言えば、見た目の派手な成長は感じませんでした」
真鴉が眉をひそめる。
真鴉「いやいや、なんかちょい失礼じゃね!?」
天城は気にも留めず、黒板に背を向けたまま言葉を重ねる。
天城「ですが――確実に成長しています。全員です」
一瞬、教室が静まる。
天城「力を振るう判断、退く判断、仲間を信じる判断。どれも以前より早く、正確になっている」
輝は自分の手のひらを見つめ、静かに噛み締める。
輝(……ちゃんと、前に進めてたんだ)
天城は視線を一人ひとりに向ける。
天城「特に今回は、力がない者が頭を使い、力がある者がそれを信じて待った。その関係性ができたこと自体が成果です」
白川がわずかに目を見開き、輝を見る。
白川「……」
輝は照れくさそうに視線を逸らした。
真鴉「……なんだよ、褒めるなら最初からそう言えよ」
大熊「せやせや」
天城「褒めた覚えはありません。事実を述べただけです」
そう言い切る天城に、教室のあちこちから小さな笑いが漏れた。
天城「次は戦闘試験“その先”を見据えます。気を抜くな」
その言葉に、全員が自然と背筋を伸ばした。
試験は終わった。
だが、彼らの歩みは、ここからが本番だった。
放課後。
輝は首の後ろに手を回し、足取りも軽く廊下を歩いていた。表情は隠しきれないほど明るい。
輝「こんな点数取ったの、人生で初めてだわ。神田にも見せてやりてぇ!」
白川「神田?」
輝「あぁ。俺の昔からの親友だよ。小さい頃から一緒でさ……最近は全然会えてないけどな」
その言葉に、大熊が腕を組みながら頷く。
大熊「長期休暇でもあればええんやけどな」
真鴉は肩をすくめ、現実的に返す。
真鴉「最近、休み貰ったばっかやろ。しばらくは無理やろな」
輝は少し残念そうに笑うが、すぐに前を向いた。
輝「まぁ、その時までにもっと胸張れるようになっとくよ」
白川はその横顔を見て、穏やかに微笑む。
白川「うん。今の輝くんなら、きっと驚かせられると思う」
大熊「せやな。あいつ会ったら腰抜かすで」
真鴉「筆記で75点は事件だもんな」
輝「やめろ!まだ慣れてないんだから!」
軽口を叩き合いながら、四人は夕暮れの校舎を進んでいく。
試験を越えた後の空気は、どこか柔らかく、確かな前進を感じさせていた。
――場面は変わる。
月明かりすら届かない暗いどこかの森。
湿った土を蹴り上げながら、迷彩柄の服を着た男が必死に駆けていた。
男「はっ……はっ……なんだよ……あれ……!」
荒い呼吸。喉が焼けるように痛む。
背後を振り返りたい衝動を必死に抑え、男は前だけを見て走り続ける。
次の瞬間、足元の木の根に躓いた。
男「くっ……!」
身体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
だが男は即座に受け身を取り、転がる勢いを殺したまま前傾姿勢で立ち上がる。
周囲を鋭く見渡すその動きには、明らかに訓練された人間のそれがあった。
森は静まり返っている。
――否。
遠くから、低く唸るような声が響いた。
狼の遠吠えに似ている。
だが、どこか違う。生理的な嫌悪感を伴う、不自然な声。
男の喉が鳴る。
男「……来てる……」
一歩、後ずさった瞬間。
声が聞こえた方向から、枝を踏み砕く音が近づいてくる。ひとつではない。
男は即座に背を向けた。
男「やばい……!」
全力で走る。
肺が悲鳴を上げ、視界の端が暗く滲む。
――その時だ。
木々の隙間、遠くに微かな灯りが見えた。
男「……っ!」
安堵が一瞬、胸を満たす。
助かる――そう思った、その刹那。
背後の闇が、動いた。
赤く、濡れたように光る“目”だけが、闇の中に浮かび上がる。
男は走りながら、恐怖に引き攣った顔で振り返り、叫んだ。
男「来るなッ――!」
その声が森に吸い込まれた瞬間、
世界は暗転した。
朝。
輝たちは教室の椅子に座り、授業開始を待っていた。
扉が開き、天城が入ってくる。
いつもより硬い表情に、自然と教室が静まる。
天城「お前ら、特別任務を持ってきた」
その一言で、空気が張り詰めた。
天城「今から行ってもらう人間を言う。呼ばれたやつは俺について来い」
全員が息を呑む。
天城「福留」
福留「はい!」
天城「大熊」
大熊「おお、俺か」
天城「白川」
白川「……え、僕ですか?」
天城「輝」
輝「……はい」
教室がざわつく。
天城「以上、四名だ」
その瞬間、真鴉と纏がほぼ同時に立ち上がった。
真鴉「待て待て! 輝が行くなら俺も行く!」
纏「そうです! 輝くんが任務で怪我するの、絶対嫌です!」
二人の視線は真っ直ぐ天城に向けられている。
天城はため息を一つつき、即座に切り捨てる。
天城「却下だ」
真鴉「なんでだよ!」
纏「戦力的にも問題ないはずです!」
天城「今回の任務は少数精鋭で動く。感情で動く場じゃない」
真鴉が歯噛みする。
真鴉「……チッ」
纏も悔しそうに拳を握るが、それ以上は言わなかった。
一方、神宮寺と水瀬は静かに肩を落とす。
神宮寺「また、呼ばれなかったか」
水瀬「仕方ないですね……」
輝は少しだけ視線を伏せてから、真鴉と纏を見る。
輝「大丈夫だよ。すぐ帰ってくる」
真鴉「……絶対だぞ」
纏「無茶しないでくださいね」
天城「話は終わりだ。行くぞ」
呼ばれた四人は立ち上がり、教室を後にする。
残された者たちは、不安と信頼が入り混じった視線で、その背中を見送っていた。
廊下に出た五人。
人気のない通路に足音だけが響く。
天城は立ち止まり、四人の顔を順に見渡してから口を開いた。
天城「お前ら、今回は雷牙も猿渡もいない」
一瞬、空気が張る。
天城「お前たちだけで行う、初めての任務だ」
輝「……怖すぎるよ」
率直な言葉に、白川が小さく息を呑み、福留が背筋を伸ばす。
大熊だけが腕を組み、静かに続きを待っていた。
天城「任務の詳細だ」
天城「ここ数日、とある自衛隊の隊員が不審な死を遂げている」
福留「自衛隊……」
天城「遺体の背中には、大きな爪で引き裂かれたような傷」
天城「首元を食いちぎられている例もある」
輝が喉を鳴らす。
天城「共通点は一つ。全員、夜間巡回中の隊員だ」
大熊「ほう……」
低い声で相槌を打つ。
天城「俺たちが導き出している答えは――」
一拍置いて、はっきり告げる。
天城「狼男だろうな」
輝「……狼男?」
思わず聞き返す輝に、天城は頷く。
天城「あぁ。昔から同じような被害が出ている」
天城「現場検証に行くと、大体が狼男だ」
白川が顎に手を当て、考え込む。
白川「倒しても……出てくる、んですか?」
天城「そこが厄介な点だ」
天城「どういう周期で湧くのかは不明」
天城「一体倒しても、時間を置いてまた現れる」
福留「繁殖型、もしくは呪いの継承……」
天城「可能性は高いな」
輝は無意識に拳を握る。
輝「じゃあ……今回も、倒して終わりじゃないかもしれないってこと?」
天城「そういうことだ」
天城「だから今回は“討伐”だけじゃない」
天城「原因の特定、行動範囲の把握、生存者がいれば保護」
天城「総合任務だ」
大熊が口角を少し上げる。
大熊「なるほどな。骨がある」
天城「言っておくが、甘く見るな」
天城「狼男は単純な妖怪じゃない」
天城「知性がある個体も多いし、人間の習性を理解して狩る」
輝「……夜巡回だけ狙ってるのも、そのせいか」
天城「そうだ」
天城は歩き出しながら、最後に釘を刺す。
天城「今回は“守る”任務だ」
天城「無茶はするな。死ぬな。必ず全員で帰ることだ」
四人は、それぞれ短く頷いた。
その背中には、不安と同時に――
初任務に挑む者だけが持つ、確かな緊張と覚悟が宿っていた。
天城は四人を見渡し、短く息を吐いた。
天城「健闘を祈る」
そう言い終えた瞬間、足元から淡い光が立ち上り、視界が歪む。
次の瞬間――
風の音と、排気の匂い。
四人は、人気の少ないバス停の前に立っていた。
山間部に近い、街灯もまばらな場所だ。
白川「何度経験しても慣れないな……」
大熊「便利やけど、心臓に悪いわ」
輝は返事をせず、制服の内ポケットに意識を向けていた。
その中で、小さな声がひそひそと響く。
パド「初めて人間の授業を受けられると思ってついてきたのに、運が悪いね」
女郎蜘蛛「ほんとよ。久しぶりに輝の自室から出られたと思ったら、これだもの」
輝は肩をすくめ、周囲に悟られないよう、唇だけを動かす。
輝「……絶対、出てくるなよ」
声にならない圧を込める。
パド「分かってるってば!」
女郎蜘蛛「しょうがないから大人しくしててあげるわよ」
輝は小さく息を吐いた。
(頼むから……本当に出てくるなよ)
白川が周囲を見回し、静かに口を開いた。
白川「……ここからバスに乗って現場まで直行できるね」
大熊「狼男が出るなら、動き出すのは日没後やからまだ時間あるな」
輝は空を見上げる。
輝「……」
胸の奥がざわつくのを感じながら、輝は一歩、前へ踏み出した。
現場に到着すると、目の前には簡易的ながらも厳重な造りの自衛隊基地があった。
輝は一歩前に出て、インターホンを押した。
短い電子音の後、内部で何かを確認するような間があった。
その背後で――
福留の顔色が、明らかに悪くなっていく。
大熊が小声で気づく。
大熊「……福留、大丈夫か?」
福留「……いや……」
言葉を濁し、視線を伏せる福留。
その様子に、白川と輝も違和感を覚えた。
ほどなくして、基地の門が開く。
中から現れたのは、階級章をつけた中年の男――この基地の隊長だ。
隊長「わざわざ来ていただき、ありがとうございます」
丁寧に一礼する。
隊長「禍津学園の方々ですね」
大熊「はい。間違いないです。」
隊長は一人ずつ顔を確認するように視線を動かした。
隊長「……」
そして――
福留の顔を見た瞬間。
隊長の表情が、凍りついた。
隊長「――福留!?」
その声は、明らかに動揺を含んでいた。
福留の肩が、びくりと跳ねる。
福留「……」
福留は、ゆっくりと顔を上げる。
福留「……お久しぶりです、隊長」
その一言で、空気が変わった。
大熊「……知り合い、なんか?」
白川「ただの知り合い、って雰囲気じゃないね……」
隊長は一歩、福留に近づき、信じられないものを見るような目で見つめる。
隊長「……ここに、いるとは……」
福留は拳を強く握りしめ、静かに答えた。
福留「……色々ありまして」
隊長「と、とりあえず中へどうぞ。夜まではまだ時間があります、休憩していただいて構いません」
隊長に促され、一行は基地の中へ足を踏み入れる。
通路を進むたび、外からは規則正しい足音、号令、装備が擦れる金属音が聞こえてきた。
実戦を想定した訓練が行われているのだろう。張り詰めた緊張感が、基地全体を覆っている。
その中で――
福留だけが、明らかに様子を異にしていた。
顔を隠すように俯いて歩く。
すれ違う隊員の視線を避けるように、壁際を選んで進んでいた。
輝は横目で福留を見る。
やがて案内されたのは、簡素な休憩所だった。
長机と椅子、給水機だけが置かれた実用一点張りの部屋。
隊長「何かあれば呼んでください」
そう言い残し、隊長は足早に部屋を出ていった。
扉が閉まると同時に、張りつめていた空気がわずかに緩む。
沈黙。
最初に口を開いたのは、大熊だった。
大熊「……なあ、福留」
福留は答えない。
大熊は頭を掻きながら、言葉を選ぶように続ける。
大熊「ここまで来て黙っとくのは、流石に無しちゃうか?」
白川も小さく頷く。
白川「僕たち、同じ任務に来てるからさ。知っておいた方がいいことなら、聞かせてほしい」
福留はしばらく黙っていた。
拳を握り、ほどいて、また握る。
やがて、観念したように小さく息を吐く。
福留「……俺、ここにいたことがある」
輝「ここに?」
福留「まぁ、色々あってさ。ここが嫌で逃げたんだけどね! もう! やめやめ! この話!」
そう言って福留は話を濁したが、その場にいる全員の表情は納得していない。
疑問だけが空気に残ったまま、しばらくは他愛のない談笑が続いていた。
その時、休憩所の扉がノックされ、隊長が中へ入ってきて敬礼する。
隊長「失礼します!」
瞬間、福留の体が反射的に動いた。
椅子を蹴るように立ち上がり、背筋を伸ばして敬礼する。
福留「あっ——」
隊長「えっ……」
沈黙。
まるで時間が止まったかのように、空気が凍りつく。
次の瞬間、大熊が耐えきれず吹き出した。
大熊「ははっ……! お前、まだ抜けてねぇじゃねえか!」
涙が滲むほど笑いながら肩を叩く大熊に、白川が苦笑して続ける。
白川「一度染み込んだ記憶は、そう簡単には抜けないからね」
福留は耳まで赤くしながら、気まずそうに頭を掻いた。
隊長「……変わってないな、福留」
福留「はぁ……まぁ、変わったのは体型くらいですね」
隊長「確かに。大分、たるんでるように見えるなぁ」
その言葉に、休憩所の空気がわずかに和らぐ。
隊長「……こほん」
隊長は軽く咳払いをし、改めて姿勢を正した。
隊長「それでは、改めまして。禍津学園の皆様、ようこそお越しくださいました」
隊長「私はこの基地で隊長を務めております、我乃差 准と申します。以後、よろしくお願いいたします」
輝たちは一斉に頭を下げる。
輝「禍津学園二年の輝です。よろしくお願いします」
大熊「同じく二年の大熊です。お世話になります」
白川「白川です。よろしくお願いします」
福留「……福留です」
我乃差は満足そうに頷いた。
我乃差「さて、夜までにはまだ時間がございます」
我乃差「夜間巡回に入る前に、周辺の立地を明るいうちに確認しておこうと考えておりましたが……いかがでしょうか」
大熊が即座に応じる。
大熊「ありがたい! 夜だと見えにくくて危ないからなぁ。明るいうちに把握できるなら、こちらとしても助かりますわ!」
我乃差「そう言っていただけると助かります」
我乃差は出口の方へ視線を向けた。
我乃差「では、準備が整い次第、周辺確認に向かいましょう。
夜は、想像以上に早く訪れますので」
基地内は想像していたよりもずっと広かった。
コンクリートで固められた敷地は無駄がなく、建物と建物の間隔、車両の導線、見張り台の位置まで、すべてが合理性で組み上げられている。
輝は無意識に背筋を伸ばしていた。
漂う空気が、学園とも街とも違う。ここは「戦う」ための場所だ。
我乃差が先頭を歩き、淡々と説明を続ける。
我乃差「こちらが主に夜間巡回で使われているルートです。外周を一周すると、ゆっくり歩いて四十分ほどですね」
福留は視線を伏せたまま、しかし足取りだけは正確だった。
その歩き方を見て、大熊が小さく息を吐く。
大熊「……身体が覚えとるな」
福留は聞こえなかったふりをした。
基地の端に近づくにつれ、森が濃くなる。
人工物と自然の境界線が曖昧になり、風の音に混じって葉擦れが強くなる。
白川が立ち止まり、地面を見つめた。
白川「……この辺り、妖力の流れが少し歪んでますね」
輝も頷く。
嫌なの感覚が、微かにざらつく。
輝「うん、……何度も“何か”が通ってる感じ」
我乃差「さすがですね。実は、被害が出た場所はだいたいこのラインに集中しています」
地面には、乾いた土の上に爪痕のような傷が残っていた。
深く、鋭い。だが規則正しい。
大熊「獣やったら、もっと無茶苦茶に荒らすやろ」
我乃差「ええ。襲われて命からがら逃げてきた隊員の報告でも、動きが“戦闘を理解している”ようだったと」
少し先に、監視塔が見える。
梯子を上り、上から周囲を見渡すと、基地全体と森の境界が一望できた。
輝は思う。
逃げ場は少ない。
だが、視界は開けている。
輝「夜になったら、ここから全体の動きが見えそうですね」
白川「囮を使うなら、ここを基点にできます」
福留が口を開いた。
福留「……俺なら、ここは避ける。見られすぎる」
全員が福留を見る。
福留「昔……いや、訓練で言われた。
本当に狩る側は、“見える場所”より、“見えてると思わせる場所”を使うって」
一瞬、空気が静まる。
我乃差は小さく頷いた。
我乃差「流石!」
福留は少しだけ、肩の力を抜いた。
探索はさらに続く。
倉庫、弾薬庫、簡易医療施設。
どこも整理され、だが人の気配が常にある。
輝は気づく。
この基地は、すでに「襲われる前提」で動いている。
輝(……それでも、抜けてくるんだな)
夕方が近づき、空が橙に染まり始める。
我乃差「この辺りで一度戻りましょう。夜に備えます」
簡易会議室に集められた4人は、机を囲む形で腰を下ろしていた。
外はすでに夕暮れに差し掛かり、窓の向こうでは森が影を濃くしている。
我乃差が基地の簡易地図を机に広げ、指で数カ所を叩いた。
我乃差「被害が確認されているのは、この周辺です。ですが――」
白川「出現地点が固定されていない」
我乃差は頷いた。
我乃差「ええ。巡回ルートも、時間帯も毎回違う。待ち伏せは現実的ではありません」
沈黙が落ちる。
真正面から叩くには、相手が不確定すぎた。
そこで、輝が手を挙げる。
輝「……なら、逆にバラけた方がいいと思います」
大熊が眉を上げる。
大熊「分断される危険もあるぞ」
輝「はい。でも、全員で固まってたら、出てこなかった場合意味がない。
それに、遭遇=即戦闘、は危険です」
白川が続ける。
白川「狼男は身体能力が高い。奇襲を受けた場合、消耗戦になります」
福留「つまり?」
輝は静かに言った。
輝「遭遇したら、まず戦わない。
発煙筒を炊いて、位置を知らせる。
戦闘は“揃ってから”です」
一瞬の沈黙の後、我乃差が深く頷いた。
我乃差「合理的ですね。無線が通じない可能性もありますし」
地図の端に、小さな円が描かれる。
輝「俺はここ――監視塔にいます」
全員が輝を見る。
輝「上からなら、基地全体と森の境目が見える。
発煙筒が上がったら、位置を把握して誘導できます」
大熊「お前、一人で大丈夫なんか?」
輝「直接戦う訳じゃないですし。
それに、監視塔なら一番安全です」
白川は少し考え、頷いた。
白川「輝くんが“目”になるなら、動きやすい」
我乃差「では編成はこうしましょう」
地図の上で指が走る。
我乃差「大熊さんと福留さんが西側、
白川さんは南側、輝さんは監視塔ですね?」
福留が真面目な顔で言った。
福留「……発煙筒を見たら、全員、無理せず合流。
単独で追うのはなしだ」
我乃差「その通りです。今回の目的は殲滅ですが、最優先は生存です」
最後に、輝がもう一度確認する。
輝「まとめます。
・配置は分散
・狼男と遭遇したら即発煙筒
・戦闘は合流後
・俺は監視塔から全体把握」
それぞれが頷き合うように散開した。
森の空気は重く、湿った土の匂いに妖気が混じる。
大熊が走り出した瞬間、肌を撫でるような微かな妖力を捉える。
同じ頃、別方向を進んでいた福留もまた、同質の気配を感じ取っていた。
ほぼ同時だった。
狼男――その獣じみた妖力。
二人は自然と足を止め、戦闘態勢に入る。
大熊「ここらへんにおるな、」
視線を巡らせ、呼吸を落とす。
福留「俺が一番乗りなのか?」
軽口のようでいて、声は鋭い。
森の奥で、枝が軋む音がした。
我乃差が木の枝を踏みながら慎重に進む。
ぱき、と乾いた音が森に吸い込まれていく。
ある程度進んだところで、背筋が凍りついた。
――見られている。
確かな視線。
獣のような、理性のない殺意がこちらを舐め回している感覚。
我乃差は息を殺し、足を止める。
その瞬間。
ふっと、何かが視界の端を横切った。
黒い毛。
鋭い輪郭。
狼男だ、と確信するには十分だった。
我乃差は即座に腰の装備へ手を伸ばし、発煙筒を地面に叩きつける。
白い煙が一気に噴き上がった。
我乃差「……っ!」
そして、その合図を見逃さない男がいた。
輝「発煙筒!!!」
叫びと同時に輝も発煙筒を焚く、散らばった人達を集める合図だ。
視界が遮られる。
だが――
これは恐怖ではなく、狩りの開始の合図だった。
煙の向こうで、低い唸り声が響いた。
我乃差は煙の中で息を整えながら、耳を澄ませる。
――まだだ。
戦闘員が来るまで、ここで時間を稼ぐ。
そう判断した。
我乃差(隠れよう…!)
煙に紛れ、木の影へ向かって身を低くする。
その瞬間だった。
ドンッ!
鈍い衝撃。
何か硬いものにぶつかった。
我乃差「……っ?」
さっきまで、そこには何も無かったはずだ。
心臓が跳ね上がる。
恐る恐る、ゆっくりと視線を上へ――。
そこにいた。
煙の奥から浮かび上がる巨体。
黒い毛並み。
裂けるほど大きく開いた口。
牙がむき出しになり、唾液が糸を引いている。
狼男が、我乃差を見下ろしていた。
狼男は笑うように喉を鳴らし、目を細める。
その視線は完全に獲物を見るものだった。
我乃差の全身が硬直する。
逃げろ、と本能が叫ぶ。
だが足が動かない。
狼男が、ゆっくりと牙を剥き出しにした。
狼男が爪を伸ばす。
ギラリと光る鉤爪が、我乃差の喉元へ振り下ろされる――その瞬間。
ガシッ!
その腕を掴み止めた影があった。
煙を裂いて飛び込んできたのは福留だった。
福留「我乃差隊長!ここは俺たちに任せ――」
言葉が終わる前に。
狼男の腕が、乱暴に振り払われる。
福留「ぐっ…!」
体が宙を舞い、背中から木に叩きつけられた。
鈍い音が森に響く。
福留は歯を食いしばりながらも立ち上がろうとするが、息が詰まる。
その時、別の足音が地面を蹴った。
大熊が駆けつける。
大熊は狼男に飛びつき、取っ組み合いになる。
腕を絡め、押し倒そうとする。
だが――力が違う。
狼男は低く唸り、筋肉を膨れ上がらせるようにして押し返した。
大熊「っ…くそっ!」
押されていく。
踏ん張っても踏ん張っても、じりじりと後退させられる。
力勝負では分が悪い。
その間に白川と輝も到着していた。
白川「我乃差さん!こっちです!」
輝「今は下がってください!」
輝が我乃差の肩を支え、白川と共に安全な場所へ誘導する。
我乃差は悔しそうに歯を噛む。
背後で響くのは獣の咆哮。
そして大熊の荒い息。
戦闘は、ここから本格的に始まろうとしていた。
大熊が歯を食いしばる。
押し返される力に、全身の骨が軋む。
このままでは潰される――そう悟った瞬間。
大熊「……チッ、しゃあない!」
次の瞬間。
ボンッ!!
霊力解放、一段階目。
大熊の身体がオレンジ色の炎に包まれる。
空気が震え、地面の落ち葉が舞い上がった。
大熊「うおおおおお!!」
力任せに押し返す。
狼男の巨体がわずかに揺らぐ。
だが――
狼男はなおも押し返してくる。
大熊「っ、まだ…押し負けるんかよ…!」
炎を纏っても、純粋な獣の膂力が上だった。
その時。
背後で木の幹にもたれていた福留が、咳き込みながら立ち上がる。
福留「……まだ動ける…!」
肩を回し、狼男の死角へ回り込む。
福留「今なら…!」
不意打ちで首を狙うつもりだった。
だが。
福留が踏み込もうとした瞬間。
動きが、ピタリと止まった。
ただ、じっと――何かを思い出すように固まっている。
輝が煙の向こうから目を細めた。
輝「……止まった?」
白川「どういう…」
福留が気づく。
狼男の頭。
毛に隠れた頭のあたりに、深い傷跡があった。
まるで刃物で裂かれたような古い傷。
福留が、息を呑みながら口を開く。
福留「……お前……」
その言葉が落ちた瞬間だった。
狼男の身体が、何かに共鳴するように震える。
次の刹那。
狼男「――グォオオオオオオ!!」
理性の揺らぎは消え去り、獣の咆哮が森を裂いた。
大熊の腕を掴んだまま、狼男の筋肉が膨れ上がる。
大熊「嘘やろ!?おい、待て!」
抵抗する間もない。
狼男は大熊を人形のように振り回し始めた。
ブンッ!!
風が唸り、木々が揺れる。
大熊の身体が空を切る。
大熊「ぐっ……!!」
そして――
後ろにいた福留の方向へ、容赦なく放り投げた。
福留「っ……!」
ドンッ!!!
大熊の巨体が福留に直撃する。
衝撃で地面が跳ね、土と落ち葉が舞い上がった。
二人はまとめて吹き飛ばされる。
ゴロゴロと転がり、木の根元に叩きつけられる。
大熊「がはっ……!」
福留「……くそっ……!」
息が詰まり、視界が揺れる。
煙の向こうで、狼男が肩を上下させながらこちらを見下ろしていた。
輝が歯を食いしばる。
輝「大熊さん…福留さん…!」
白川「まずい…!」
獣の咆哮が、再び森に響く。
狼男は止まらない。
次の殺意を孕んだ一歩を踏み出していた。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
外伝を挟んで久しぶりの本編執筆となりました、予約投稿のお陰で本編が途切れることは無かったですが私自身は久しぶりの本編でちょっと設定忘れかけてました、
そしてまたこうして輝たちの戦いを書けることを嬉しく思います。
今回の狼男戦は、ただの妖怪退治ではなく、彼らがこれから踏み込んでいく“本当の戦場”の入口として描きました。
大熊のような強者ですら吹き飛ばされる圧倒的な暴力。
その中で輝たちは何を見て、何を掴んでいくのか。
物語はここからさらに加速していきます。
そして、外伝で回道の物語を追ってくださった方も、本当にありがとうございました。
回道が遺したものが、確かにこの本編の世界へ繋がっています。
細かい補足や裏話は、また活動報告の方で少しずつ書いていこうと思います。
次回53話ーー友達




