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霊業  作者: まんらび
2章
48/55

48話:微かな灯火

抗争は新たな局面へと突入する。

力も覚悟も尽くしたはずの三人は、圧倒的な差を前に敗れ、闇の底へと落とされた。


奪われた自由、断ち切られた希望。

それでもなお、完全な闇にはなりきらない。


絶望の底で、人は何を信じ、何を灯とするのか。

かすかに揺れるその光は、消えるのか、それとも――。

牢屋の中は、湿った空気と重たい沈黙に満ちていた。


纏は両手を後ろで縛られたまま、鉄格子の外に視線を向けている。表情に焦りはなく、視線だけが静かに周囲をなぞり、看守の動線、足音の間隔、照明の位置を淡々と記憶していた。

呼吸は一定。心拍も乱れていない。

――脱出は可能か、否か。

時間を稼ぐべきか、それとも一気に出るべきか。

纏の頭は、冷え切った刃のように状況を切り分けていた。


一方、神宮寺は牢の中央に腰を下ろし、静かに目を閉じている。背筋を伸ばし、意識を外界へと拡張するように、耳と感覚だけを研ぎ澄ませていた。

遠くの水滴が落ちる音。

換気口を抜ける風の流れ。

微かに混じる人の気配と、妖力の残滓。


いつ引きずり出されてもいい。

いつ戦いが再開してもいい。

神宮寺は、そうあるべく、呼吸と妖力を完全に制御していた。


そして――真鴉。


真鴉は、牢に放り込まれた時と同じ姿勢のまま、微動だにしていなかった。

壁にもたれ、俯いたまま、腕も脚も動かない。

一見すれば、完全に気を失っているように見える。


だが、違う。


その内側で、ほんの微かに――

ボッ……

焚き火の奥で炭が弾けるような、低い燃焼音が鳴っていた。


神宮寺の眉が、わずかに動く。

誰よりも早く、その異変を察知したのは彼だった。


神宮寺「……真鴉」


小さく、しかし確かな声で名を呼ぶ。


神宮寺「……お前まさか」


返事はない。

だが、次の瞬間。


真鴉の指先が、ほんの僅かに震えた。

それは無意識の痙攣ではない。

内側から何かが、目を覚まそうとしている合図だった。


纏もその変化に気づき、ちらりと真鴉の方向を見る。

その瞳に、警戒と同時に、微かな期待が宿る。


暗い牢の中で。

誰にも気づかれぬほど小さく。


確かに――

微かな灯火が、燃え始めていた。


大熊組の事務所は、昼間だというのに薄暗かった。

電球の白い光が、やけに冷たく床を照らしている。


輝は同じ場所を何度も往復していた。

畳を踏む足音が、無意識の苛立ちをそのまま映している。


立ち止まっては腕を組み、

また数歩進んでは振り返る。

時計を見るが、針はほとんど進んでいない。


輝「……くそ」


小さく吐き捨てるように呟き、髪をかき上げる。

胸の奥がざわついて、じっとしていられなかった。


それを見かねたのか、近くにいた組員が声をかける。


組員「輝さん、落ち着きましょうよ。歩き回っても、今は何もできませんて」


輝は一瞬足を止めるが、すぐにまた動き出す。


輝「分かってる……分かってるけどさ」


言葉の続きが出てこない。

代わりに、歯を食いしばる音だけが響く。


そこへ福留が、少し困ったような表情で近づいてくる。


福留「そうだぞ、輝くん」


肩をすくめながら、諭すように続けた。


福留「輝くんが行ったとこで、今は何も変わんないよ。大熊たちを信じよう」


輝は足を止め、俯いたまま拳を握る。

指先が白くなるほど、力が入っていた。


輝「……分かってるって言ってるだろ」


声は低く、震えている。


輝「でもさ……嫌な予感がすんだよ」


顔を上げたその目は、どこか遠くを見ていた。

地下の牢。

倒れた仲間たち。

見えないはずの光景が、脳裏を離れない。


輝「俺...」


ぽつりと零れるように言う。


輝「置いていかれて、何もできないのが……一番、嫌なんだよ」


事務所に、重たい沈黙が落ちる。

誰もすぐには言葉を返せなかった。


輝は再び歩き出す。

だが今度は、先ほどよりも一歩一歩が重い。


――その胸の奥で、不安が静かに膨らんでいることを、誰も否定できなかった。


突然、空気を裂くように声が上がった。


輝「あぁぁっ!!」


事務所中の視線が、一斉に輝へ集まる。

輝は立ち止まりもせず、吐き捨てるように続けた。


輝「俺、行くわ」


たった一言。

だが、その言葉に込められた決意は、誰の目にも明らかだった。


組員「ちょ、輝さん!」 福留「待てって!今は――」 白川「輝くん、落ち着こ?」


一斉に制止の声が飛ぶ。

腕を掴もうとする者、前に立ちはだかる者。


だが輝は、それらを振り切るように一歩踏み出した。

生きるか死ぬか、その境目すら踏み越える勢いで。


輝「止めないでくれ」


低く、しかしはっきりとした声。


輝「行かないって選択肢は、最初からないんだ」


その目には迷いがなかった。

それを見て、誰もそれ以上強く引き留めることができなかった。


沈黙の中、ひとりの組員が小さくため息をつく。


組員「……しょうがないっすね」


苦笑いを浮かべながら、一歩前に出る。


組員「俺が案内してきます。場所は把握してますから」


そう言って、輝の隣に並び、そのまま出口へ向かう。

扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。


残された者たちは、しばらく無言で顔を見合わせる。


そして、最初に口を開いたのは白川だった。

どこか諦めたように、けれど柔らかく笑う。


白川「やっぱ輝くんは、行っちゃうよね」


その言葉に、水瀬も小さく肩をすくめる。


水瀬「絶対行くとは思ってたけど……早かったね」


誰も否定しない。

むしろ、その場にいた全員が、同じことを思っていた。


――あれが輝なのだ、と。


事務所には再び静けさが戻る。

しかしその静けさは、嵐の前触れのように、どこか張りつめていた。


輝は組員と共に走り、敵組のビルの真下で足を止めた。

建物の影――そこに、身を潜めて様子をうかがっている人物がいる。


組員「兄貴!」


柊「……なんや、お前か……」


そう言って振り返り、次の瞬間、目を見開いた。


柊「って、輝さん!?」


輝「ごめん。来ちゃった」


短いやり取りのあと、三人は自然とビルを見上げる。

高層階から滲むような気配が、確かにそこにあった。


敵組のビルを見上げたまま、柊は一瞬だけ言葉を失った。


柊「……来ちゃった、で済む話やないですよ、ここ」


輝は少し気まずそうに頭を掻く。


輝「ですよね。でも、待ってるだけは無理でした。」


組員の一人が焦った様子で割って入る。


組員「兄貴、ここは危険です。輝さんまで捕まったら――」


輝「捕まる気はないですよ」


即答だった。


輝の目は、ビルの奥を射抜くように見据えている。


輝「俺は、助けに来ただけです。

  それに……俺を護衛する約束、でしたよね?」


案内役の組員が苦笑する。


組員「……確かに、言いましたけどね」


柊はしばらく沈黙した後、ゆっくりと息を吐いた。


柊「若頭が知ったら、間違いなく怒鳴られますわ」


輝「あとで、いくらでも怒られます」


柊「……はぁ」


柊は観念したように肩をすくめ、ビルの裏手を指さした。


柊「裏口に、搬入口があります。

  監視は薄いですが……地下に繋がってる」


輝「地下……?」


柊「人間閉じ込めとるフロアがある言うてましたやろ。

  そこに、幹部が一人残っとる可能性が高い」


輝の表情が引き締まる。


輝「……真鴉たちがいる場所に、近いですね」


柊「せや。

  ただし――」


柊は輝を真正面から見据えた。


柊「そこから先は、完全に命のやり取りです。

  戻るなら、今です」


輝は一瞬も迷わなかった。


輝「行きます。

  俺、仲間を置いて帰るのは……もう嫌なんで」


その言葉に、柊は目を細める。


柊「……若頭が目をかける理由、分かる気がしますわ」


柊は背後の組員に合図を送る。


柊「行くで。音立てるな。

  ここからは、輝さん中心や」


組員「了解!」


輝は一歩踏み出し、地下へ続く暗がりを見つめる。


大熊は拳と蹴りで各階の組員をねじ伏せながら進んでいた。

骨の砕ける音、壁に叩きつけられる衝撃音が廊下に響き、抵抗する者は一人もいない。


最上階に辿り着き、周囲を見回す。


大熊「……おらへん」


想定していた“組長フロア”は、どこにも見当たらなかった。

その瞬間、背後で呻く気配。


大熊は倒れていた組員の髪を乱暴に掴み、床から引きずり起こす。


大熊「おい」


低く、腹の底から響く声。


大熊「フロアはどこや!」


組員「ひっ……!」


組員は震えながら視線を泳がせ、必死に口を開く。


組員「し、知らねぇっ……!」


大熊「知らんやと?」


掴む力が強まり、組員の喉から情けない声が漏れる。


組員「俺たち下っ端がァ...はぁ、はぁ、組長フロアなんか知るはずないやろ!」


大熊は一瞬、目を細め――


髪を放し、組員を床に投げ捨てる。


大熊「……上等や。探したるわ、地の果てまでなァ」


纏はゆっくりと息を整え、背中に回した両手の感覚を確かめた。


鞭を自分に“変える”。


纏(……いける。)


そう判断しかけた、その時だった。


牢屋の外。

鉄格子の前に、誰かが“座っている”。


纏は視線だけを動かす。


そこにいたのは、刀の幹部――藤荊棘だった。

背を壁に預け、膝の上に刀を横たえ、目を閉じている。呼吸は浅く、だが隙はない。


纏(……最悪)


一歩でも動けば、鞭の妖力が揺れる。

揺れた瞬間、あの男は確実に気づく。


纏(ここで出たら……全員、終わる)


奥歯を噛みしめ、変化しかけてる腕を解く。

鞭に“なる”選択は、今は取れない。


藤荊棘は目を閉じたまま、低く言った。


藤荊棘「……無駄なことは、なさらぬ方がよろしい」


纏の背筋に、冷たいものが走る。


藤荊棘「貴女の気配、先ほどから僅かに揺れておる。逃げ道を探す目……嫌いではないがな」


纏は何も答えない。

ただ、静かに視線を逸らし、再び状況を組み立て直す。


纏(まだだ……今じゃない)


牢の中で、時間だけが重く落ちていく。

外では確実に何かが動いている――そう確信しながら。


地下の空気が、わずかに歪んだ。


階段の影から、足音も気配も抑えた男が姿を現す。

その顔を見て、藤荊棘はゆっくりと目を開いた。


藤荊棘「……お主か」


崎原は軽く肩をすくめ、薄い笑みを浮かべる。


崎原「お疲れ様です。見張り役とは、随分と大事に扱われてますねぇ」


刀に置かれた藤荊棘の手が、わずかに動く。


藤荊棘「用件は何だ。雑談なら、相手はせぬ」


崎原「いえいえ、雑談ですよ。ただ……確認したいだけでして」


そう言って、崎原は牢の中へと視線を向けた。


崎原「あなた達ですかぁ。若頭の仲間は……いや、“元”若頭、でしたっけ」


纏は表情を変えない。

だが内心では、言葉の一つ一つを切り分けていた。


纏(……探り。大熊のことを、どこまで知ってる)


神宮寺は目を閉じたまま、呼吸を乱さない。

真鴉は、依然として微動だにしない。


崎原「いやぁ、不思議ですよね。あれほどの人が、学生とつるんで戻ってくるなんて」


藤荊棘「……言葉が過ぎるぞ、崎原」


崎原は両手を上げ、わざとらしく首をすくめた。


崎原「失礼。ただ、組長が“興味を持っている”とだけ、お伝えに来ました」


その一言で、空気が一段冷える。


藤荊棘「……ほう」


崎原「特に――この三人に、です」


視線が、順に纏、神宮寺、真鴉へと向けられる。


崎原「若頭が、わざわざ命を張るほどの駒。

どんな“光”を持っているのか……見極めたいそうで」


沈黙。


そして、藤荊棘が立ち上がる。

刀を持つ手に、確かな重みが戻る。


藤荊棘「……ならば、まだ殺すなということか」


崎原「はい。壊すのは――その後で、いくらでも」


その瞬間。

牢の中、真鴉の内部で――微かな“音”が、確かに大きくなった。


廊下に、足音と怒号が反響する。


輝「普通に見つかったァァァァ!!」


曲がり角を全力で駆け抜けながら、輝は振り返る。

背後には、黒服の組員たちが雪崩のように押し寄せていた。


組員「止まれェ!!」

組員「侵入者だ!!」


柊が輝の横を並走し、顔を引きつらせて怒鳴る。


柊「ほんっっと!馬鹿ですか!?あなたぁ!!」


輝「いや、だって!」

柊「だってじゃないでしょうが!!」


さらに後ろから、案内役の組員が半泣きで叫ぶ。


組員「牢獄の場所教えてって!なんで普通に組員に聞くんですか!!!」


輝「だってぇぇぇ!迷ってたら時間かかるしぃぃ!」


柊「発想が学生なんですよ!!」


組員「逃がすな!!」


柊が歯噛みしながら、素早く視線を巡らせる。


柊「このままじゃ袋叩きです!……っ、右です!非常階段!」


輝「了解!」


二人は進路を切り替え、非常階段へと飛び込む。

背後から怒号がさらに近づく。


輝「はぁ、はぁ……これ、完全に鬼ごっこじゃん……!」


柊「だから言ったでしょうが!!若頭がいたら、確実に殴られてますよ!!」


輝「後で謝る!!今は逃げ切る!!」


階段に響く足音が、さらに増えていく。


輝の胸の奥で、嫌な予感が膨れ上がっていた。


地下二階。

湿った空気の中、上階から微かに振動と騒音が伝わってくる。


それに、藤荊棘が静かに眉をひそめた。


藤荊棘「……上が騒がしいな」


刀を肩に担ぎ、一歩踵を返す。


藤荊棘「崎原、ここを頼むぞ」


崎原「はいはい……ほんま、人使い荒い人やなぁ」


藤荊棘の足音が遠ざかると同時に、牢獄フロアに張り詰めていた気配が、ふっと緩んだ。


沈黙。


そして、崎原が小さく息を吐く。


崎原「はぁ……なんで捕まるんですかねぇ、あんたら」


纏「……は?」


崎原は答えず、無言のまま一つ目の牢の前に立つ。

鍵束を取り出し、カチャリと回した。


ガシャン。


続けて、隣、そのまた隣――

次々と牢の鍵が開いていく。


神宮寺が静かに目を開き、真鴉がゆっくりと顔を上げる。


崎原「今ごろ上で、あんたらの名前が飛び交っとりますわ」


纏「……どういう意味?」


崎原「無線、ずっと鳴ってるんですわ。侵入者がどうとか、学生がどうか」


一拍置いて、口角を少しだけ上げる。


崎原「多分……お仲間さん来てますね」


纏「……っ」


真鴉が奥歯を噛みしめる。


真鴉「……あのバカ……」


纏は一歩前に出て、崎原を睨み据える。


纏「なんで助けた?」


空気が一瞬、張り詰めた。


崎原は肩をすくめ、頭をガリガリと掻く。


崎原「いやぁ……理由は単純ですわ」


ゆっくりと顔を上げ、真っ直ぐに告げる。


崎原「俺は元から、若頭にしかついて行かん主義なんで」


神宮寺「……大熊に、ということか」


崎原「そゆことです」


苦笑交じりに続ける。


崎原「まぁ若頭本人には言うてませんけど

今も多分、俺のこと完全に敵やと思ってるでしょうし」


真鴉「……それで、俺たちを逃がすと?」


崎原「逃げるも突っ込むも、そこは自由ですわ」


一歩下がり、道を空ける。


崎原「ただ一つだけ」


低く、真剣な声になる。


崎原「上は、もう地獄になりますよ」


その言葉に、三人は顔を見合わせた。


そして同時に、同じ方向――

“上”を見据える。


纏「……行くよ」


神宮寺「当然だ」


真鴉「輝を、迎えに行く」


崎原は小さく笑い、背を向けた。


崎原「ほな、健闘を祈っときますわ」


地下二階の静寂は、

嵐の前触れのように、再びざわめき始めていた。


3人は一直線に玄関ホールへ向かった。

割れたガラス、倒れた什器。その奥に――追撃に回っていない組員が三人、陣取っていた。


組員「……あ? まだ残っとったんか」


真鴉「悪いな。通らせてもらう」


次の瞬間、踏み込む。


拳と拳がぶつかり、鈍い音が弾けた。

一人目を腹で吹き飛ばし、二人目の腕を掴んで投げる。

背後から来た三人目の蹴りを受け止め、低く言い捨てた。


真鴉「三対一? 足りねぇよ」


肘打ち。

沈む。


わずか数十秒。

玄関には、倒れ伏す三人だけが残った。


真鴉は息を整え、倒れた一人の腰元から無線機を引き剥がし神宮寺と纏に渡す


真鴉「……使えるな」


チャンネルを合わせ、短く呼びかける。


真鴉「こちら真鴉。聞こえるか」


一拍置いて、返答。


神宮寺『……聞こえている』


纏『こっちも問題ないわ』


纏「助かるわ。状況共有が段違いね」


神宮寺「輝の位置は?」


真鴉「まだ不明。ただ――」


無線から、途切れ途切れに聞こえてくる怒号と足音。


真鴉「……派手にやってる。遠くはない」


三人は同時に頷いた。


纏「じゃあ、次は私たちが動く番ね」


神宮寺「あいつと合流を最優先。戦闘は必要最低限で」


真鴉「了解だ」


真鴉は走りながらつぶやく


真鴉「輝――今行く。

   だから、死ぬなよ」


それぞれの足音が、再び別方向へ散っていった。

だが目指す場所は、ただ一つだった。


二階へと続く階段を上がった瞬間、真鴉の視界に二つの影が入る。

銃を構えた組員が、廊下の中央で待ち構えていた。


組員「いましたよ……やっぱ逃げ出してたんすね、灰谷さん……」


その声に応じるように、二人の背後から気だるげな足音が近づく。

現れたのは、灰谷だった。


灰谷「はぁ……またあなたですか……」


視線を細め、ため息を吐く。


灰谷「どうやって牢から出たのかは知りませんが……何度やっても結果は変わんないんですよ」


真鴉は構えることもせず、一歩前へ出る。


真鴉「やってみねぇと、分かんねぇだろ」


その瞬間、空気が弾けた。


合図もなく、真鴉が床を蹴る。

灰谷の視界から、一瞬で距離が消えた。


灰谷「――っ」


腕で受ける。

衝撃が走り、骨が軋む感覚。


灰谷「……っ、速いですね……!」


真鴉は止まらない。

肘、拳、蹴り。

雨のように畳みかける。


灰谷は最低限の動きで受け流し、後退しながら隙を探る。

だが――見つからない。


灰谷(おかしい……前とは、動きが……)


反撃に回ろうと踏み込んだ瞬間、真鴉の拳が頬を掠めた。

皮膚が裂け、血が飛ぶ。


灰谷「……チッ」


灰谷は距離を取るため、組員に合図する。


灰谷「撃ちなさい」


組員が引き金を引く。

乾いた銃声。


しかし真鴉は、撃たれる前に動いていた。

壁を蹴り、天井近くまで跳ぶ。


銃弾が空を切る。


着地と同時に、真鴉は組員の懐へ。

首元に手刀を叩き込み、一人を沈める。


もう一人が振り向いた瞬間――

灰谷の蹴りが横から飛ぶ。


真鴉は腕で受けるが、そのまま吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。


ドンッ!


真鴉「……っ」


背中に走る痛み。

だが、立ち上がる速度は落ちない。


灰谷「……普通なら、今ので動けなくなってるはずなんですけどね……」


真鴉は口の端の血を拭い、低く笑う。


真鴉「悪いな……今は、調子がいい」


再びぶつかる二人。

拳と拳が正面から激突し、衝撃波のような音が廊下に響く。


灰谷の腹に、真鴉の膝が突き刺さる。

同時に、灰谷の拳が真鴉の脇腹にめり込む。


互いに吹き飛び、数歩よろめく。


灰谷「……っは……」


腹を押さえ、息を整える灰谷。

自分の手が、微かに震えていることに気づく。


灰谷(……違う)


視線を上げる。


灰谷(最初戦った時のあなたとは……まるで、別人だ)


真鴉は静かに構え直している。

殺気は以前よりも抑えられている――それなのに、圧が違う。


灰谷「……なるほど」


小さく、笑った。


灰谷「先程の戦いとは……訳が違う、ですか」


真鴉「気づくの、遅ぇよ」


床に落ちた血が、二人の足元で混ざる。

どちらも浅くない傷を負っている。

だが、どちらも引く気配はない。


灰谷「……いいでしょう」


灰谷は姿勢を低くする。


灰谷「あなたが“変わった”というなら……こちらも、少し本気を出します」


真鴉の目が、鋭く細まる。


真鴉「……来いよ」


廊下に、再び張り詰めた静寂が落ちる。


灰谷「霊力……解放〜ぉ」


その声と同時に、

ドォンッ――

建物全体を揺らすような衝撃とともに、突風が廊下を吹き抜けた。


真鴉「……っ!」


視界が一瞬、白む。

次の瞬間、灰谷の身体が灰色の炎に包まれていた。


燃えているはずなのに、熱はない。

代わりに、皮膚を撫でるような不快な冷気が漂う。


灰谷「一段階目……霊装……」


灰色の炎が、灰谷の体表に鎧のようにまとわりつく。

霊力が凝縮され、存在感が一気に跳ね上がった。


真鴉「はっ……はっ……」


呼吸が重い。

空気が、どこか粉っぽい。


灰谷「まだまだ行けますよ」


そう言って、灰谷は口元を歪めた。


灰谷「三段階目……」


――その瞬間。


灰谷の身体が、霧のように崩れた。


真鴉「……消えた?」


反射的に周囲を見渡す。

だが、廊下には誰もいない。


……代わりに。


灰谷「――俺の能力は」


声だけが、四方八方から響く。


灰谷「灰となり、体内に入り込み……内部から崩壊させる能力……」


その言葉を聞いた瞬間、

真鴉の背筋を悪寒が走った。


真鴉「……ッ!」


即座に鼻と口を押さえる。


真鴉(吸うな……!)


だが、遅かった。


喉の奥に、

肺の奥に、

何かが入り込んでくる感覚。


ザラ……

ジャリ……


灰の擦れる音が、体内から聞こえる。


真鴉「……っ、ぐ……!」


膝をつく。

咳き込むたび、胸の内側が削られていく。


灰谷「無駄ですよ」


声は、耳元から聞こえた。


灰谷「もう……吸い込んでますから」


真鴉は歯を食いしばり、床に拳を叩きつける。


真鴉「……ふざ、けんな……!」


呼吸が、できない。


……くそ……


膝が、床に落ちた。


灰谷が灰となって体内を巡り、

内側から削り、壊していく。


灰谷「……そろそろ、終わりですかね」


その声が、やけに遠い。


意識が、ほどけていく――

その刹那。


真鴉の脳裏に、ひとつの顔が浮かんだ。


血だらけで、

それでも前に立ち続けていた男。


真鴉(……輝)


(ここで俺が負けたら……)


(あいつを、助けられないかもしれねぇ……)


その思考が、

雷のように全身を駆け巡った。


――思い出す。


牢の中。

纏と神宮寺の気配。

そして、自分の中で軋んでいた何か。


抑え込んでいた感覚。

閉じていた“栓”。


真鴉

(……あぁ……)


(まだ、閉めたままだったな……)


真鴉は、

自分の内側に手を伸ばす。


掴む。


そして――引きちぎった。


真鴉「――――――――ッ

 うがぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


ジッ……


ぼうっ!!


鈍く、しかし確実な音とともに、

真鴉の体から霊力が噴き上がった。


獣の咆哮のような霊圧。


床が軋み、

壁に亀裂が走る。


灰谷「……な……っ!?」


次の瞬間――


真鴉の体内から、

灰谷が弾き出された。


ドバッ、と音を立てて灰が吹き出し、

廊下の中央で凝集する。


灰谷「……ぐ、ぁ……!?」


霊力に耐えきれず、

灰谷の身体が完全な実体を取り戻す。


よろめき、膝をつく灰谷。


灰谷「……体内から……出された……?」


真鴉は、ゆっくりと立ち上がった。


瞳が、

先程までとはまったく違う光を宿している。


真鴉「……悪ぃな」


低く、獣のような声。


真鴉「俺……輝のためなら、理性なんざ簡単に捨てるタイプなんだわ」


霊力が、

なおも真鴉の周囲でうねり続ける。


灰谷は悟った。


(……違う……)


(さっきまでと……完全に、別次元……)


灰谷「……まさか」


真鴉は拳を握る。


床が、砕けた。


黒色の炎を纏った真鴉の覚醒は、止まらなかった。

空間そのものが軋む。


灰谷は一歩も動けない。

いや、動こうとしても身体が言うことを聞かない。


真鴉は、右手を前に出す。


妖力が集中し、形を成していく。


金属音。

妖力が凝縮され、骨組みが組み上がる。


次の瞬間――

真鴉の手に、スナイパーライフルが現れた。


灰谷「……は?」


真鴉は構えない。

肩にも当てない。


ただ、だらりと持ったまま天井へ向けて引き金を引く。


パンッ!

パンッ!

パンッ!


三発。


弾丸は天井を撃ち抜き、砕けたコンクリート片が降り注ぐ。


灰谷は鼻で笑った。


灰谷「……どこに撃ってるんですか?

 覚醒しても、狙いは変わらないみたいですね……」


その言葉に、真鴉は静かに返す。


真鴉「なぁ……俺、ずっと思ってたんだよ」


黒炎が、ライフル全体を包む。


真鴉「スナイパーライフルってよぉ、

 確かに遠距離は最強だ」


一歩、踏み出す。


真鴉「でもな……」


視線が、灰谷を捉える。


真鴉「近距離はどうすんだ?」


その瞬間。


天井を貫いた三発の弾丸が、

重力を無視して静止した。


弾丸は、ゆっくりと回転しながら方向を変える。

まるで、呼び声に応える獣のように。


そして――


ヒュンッ!!


三発同時。


灰谷の背後から襲いかかり、

身体を貫いた。


灰谷「がはっ……!!」


血を吐き、膝をつく。


真鴉はライフルを消し、見下ろす。


真鴉「俺の能力は“撃つ”だけじゃねぇ」


黒炎が、静かに揺れる。


真鴉「打った弾ごと、支配する」


灰谷(……あぁ……さっきとは……確実に……違う……)


完全に意識が落ちる直前、

灰谷は理解した。


この男は、もう同じ土俵にいない。


真鴉は踵を返す。


真鴉「……待ってろよ、輝」


黒い炎を引きずるように、

次の階へと駆け出した。



下階から、微かな振動が伝わってきた。


大熊は歩みを止め、即座に物陰へ身を滑り込ませる。

呼吸を殺し、霊力も完全に抑え込む。


――近い。


足音が、複数。

しかも、ただの巡回ではない。


次第に怒号と荒い息が混じり、廊下の奥から人影が飛び込んできた。


先頭を走っていたのは――


大熊「……気道!?」


輝だった。

必死の形相で走る輝、その横に柊、さらに後ろに大熊組の組員が一人。


柊「だから言ったでしょ!!

 堂々と走り回るなって!!」


輝「だってぇぇ!!

 曲がり角全部敵なんですけど!!」


その直後。


「止まれぇ!!」

「逃がすな!!」


敵組員が十数人、雪崩れ込むように追ってくる。


大熊は状況を一瞬で理解した。


――考える必要はない。


次の瞬間、大熊は物陰から飛び出した。


大熊「邪魔やァァァァ!!」


霊力を纏った拳が、先頭の敵組員の顎を打ち抜く。


ドゴン!!


一撃で二人が吹き飛び、後続に叩き込まれる。


敵組員「なっ……!?」


大熊は止まらない。

肘、拳、肩――全てが凶器。


廊下が狭いことなど関係ない。

むしろ逃げ場を失った敵が、次々と床に沈んでいく。


大熊「まとめて来るからや!!

 ええ的やないか!!」


最後の一人を壁に叩きつけ、ようやく大熊は振り返った。


輝たちは呆然と立ち尽くしている。


輝「……大熊……?」


大熊「……」


一拍置いて。


大熊「何してんねん、アホォ!!」


柊「ですよね!?

 俺もそう思います!!」


輝「いやだってぇ!!

 探してたら自然と追われてて!!」


大熊は深くため息をつき、輝の頭を軽く小突く。


大熊「……まぁ、無事ならええ」


視線を上に向ける。


大熊「せやけどな、

 この上におる奴らは、今までの雑魚とはちゃう」


輝の表情が、引き締まる。


輝「……真鴉たちも?」


大熊「せや。

 そろそろ、地獄みたいな音が鳴り始める頃や」


遠くで、何かが砕ける音が響いた。


大熊は拳を握りしめる。


大熊「行くで。

 合流や」


輝は大きく頷いた。


輝「……はい」


三人は再び走り出す。

走りながら、大熊はふと視線を横に滑らせた。


柊の横顔。

前だけを見据え、歯を食いしばりながら走っている。


大熊は、ほんの一瞬だけ柊を見た。


――確認するように。

――確かめるように。


だが。


柊は、その視線に気づかない。

息を整えることに必死で、ただ前へ、前へと走っていた。


大熊は何も言わず、すぐに視線を前へ戻す。


大熊「……」


その沈黙には、言葉にしない判断と、

そして、まだ告げるつもりのない何かが含まれていた。


薄暗い廊下に、纏の足音だけが静かに響く。

壁の非常灯が不規則に明滅し、空気は重く澱んでいた。


その中央。


まるで最初からそこにいたかのように、

一人の男が廊下の真ん中であぐらをかいて座っている。


纏は足を止めた。


春日部「お! 女! 俺たち運命か!?」


軽薄な声。

場違いなほど陽気で、だが纏は一瞬で悟る。


――待ち伏せだ。


纏「……どきなさい」


春日部はにやりと笑い、顎に手を当てる。


春日部「冷てぇなぁ。せっかく二人きりやのに」 春日部「ここ通りたきゃ、俺を楽しませてくれよ」


纏「邪魔をするなら……排除します」


春日部「おっ、怖ぇ怖ぇ。でも、そういう目ぇ、嫌いじゃねぇ」


春日部はゆっくりと立ち上がる。

その瞬間、廊下の空気が変わった。


遊びではない。

纏も、春日部も――互いにそれを理解している。


関節を鳴らし、肩を回すその仕草は、まるで準備運動のようだ。


纏は鞭を静かに妖力で生成する。

床に垂れたそれは、意思を持つ生き物のようにわずかに揺れた。


春日部「いやぁ、ええ女やわ。殺す前に名前くらい聞いときたいなぁ」


纏「答える義理はありません」


言い終わるより早く、纏は鞭を振る。

鋭い音と共に、黒い軌跡が廊下を切り裂いた。


しかし――


春日部は、半歩だけ踏み込んでそれを躱した。


春日部「速い速い。ええやん、そういうの」


次の瞬間、春日部の拳が飛ぶ。

重い。空気を押し潰すような一撃。


纏は咄嗟に鞭を盾のように絡め、防ぐ。

だが衝撃は完全には殺しきれず、体が壁に叩きつけられた。


纏「……っ」


背中に鈍い痛みが走る。

だが、纏はすぐに体勢を立て直す。


春日部「ほぉ、まだ立つか」


その声色が、少し変わっていた。

楽しげに弾んでいる。


纏は違和感を覚える。

先程より――圧が強い。


纏は再び距離を取ろうとするが、春日部はそれを許さない。

踏み込みの速度が、明らかに上がっている。


春日部「逃げんでええって。ちゃんと遊ぼうや」


拳が、蹴りが、連続して襲いかかる。

纏は鞭でいなし、絡め、引き戻すが、一撃一撃が重い。


鞭が弾かれ、纏の腕にかすり傷が走る。


纏「……!」


春日部はその血を見て、口角を上げた。


春日部「はは……ええなぁ」


次の瞬間、春日部の動きがさらに鋭くなる。

纏は完全に確信した。


――傷を負わせたのに、弱らない。

――逆に、強くなっている。


纏は距離を取りながら思考を巡らせる。


(戦うほど……? 感情が高ぶるほど……?)


春日部は笑いながら、胸を叩く。


春日部「分かったか? 俺の能力」 春日部「戦えば戦うほど、痛ければ痛いほど、楽しくなればなるほど――」


その瞬間、床が砕けるほどの踏み込み。


春日部「――俺は強なる」


纏は間一髪で避けるが、衝撃波が体を打ち、転がる。


纏「くっ……!」


膝をつきながら、呼吸を整える。

確実に押されている。


だが、纏の目は死んでいない。


纏は鞭を床に這わせ、天井へと走らせる。

視界の端でそれを捉えた春日部が、楽しそうに笑う。


春日部「まだやる気か!」


纏「……あなたは、自分が高揚している間しか強くなれない」


春日部「せやけど?」


纏「なら――冷やしてあげます」


鞭が天井の配管を引き裂く。

冷却水が噴き出し、廊下に降り注いだ。


一瞬、視界が遮られる。


春日部「おっと――」


その隙を逃さず、纏は踏み込む。

鞭を足に絡め、引き倒す。


春日部が床に叩きつけられる。

だが、すぐに立ち上がる。


春日部「……はは」


笑っている。

むしろ、先程より楽しそうだ。


春日部「頭も回るやん。最高や」


纏は息を切らしながら、構えを崩さない。


纏(長引かせたら……負ける)


傷を負わせれば強くなる。

気分を高めれば、さらに強くなる。


それでも――今は、渡り合えている。


纏は覚悟を決め、鞭を強く握り直した。


纏「……なら、短期決戦です」


春日部「ええなぁ……ほんま、運命やわ」


纏は膝をつき、呼吸を整える。目の前の春日部は高揚するほど強さを増す。攻撃の度に繰り出される一撃一撃が重く、冷却水での足止めもほんの一瞬。無理に力でぶつかれば、こちらが負ける――そう判断した纏は、目を閉じ、一瞬の沈黙を作った。


春日部「……どうした?やる気なくなったか?」


纏は鞭を緩めず、ただ静かに足を動かす。春日部の視界に映るのは、揺れる鞭の影だけ。纏は知っていた。春日部は興奮すれば強くなるが、冷静に判断できなくなる。力任せに攻めさせることが勝機だ。


春日部「お?面白い女やな、もっと遊ぼうや!」


その言葉と同時に、春日部が全力で踏み込み、拳を振るう。纏は一歩後退しつつ、床を滑らせて鞭を天井の梁に絡めた。衝撃を受けて暴れた梁が照明を揺らし、光がチカチカと点滅する。春日部の目が瞬間的に迷い、一瞬だけ攻撃の軌道が甘くなる。


纏「……今だ」


鋭く踏み込み、鞭を一回転させ、春日部の足元を絡め取る。倒れた彼の腕を鞭で軽く縛り、動きを封じる。春日部はすぐに立ち上がろうとするが、暴れすぎて自らの勢いで転びかける。纏は冷静に距離を取り、鞭で攻撃を誘導し、さらに梁から落ちる光や障害物を利用して視覚を遮る。


春日部「……くっ、なんやこの女……!」


力任せの攻撃は、冷静な纏の計算の前では通用しない。攻撃のたびに消耗していく春日部の体。纏は一切無駄な力を使わず、最小限の動きで最大の効果を引き出す。最後に、鞭を翻して春日部を廊下の壁際に誘導、勢いを利用して転倒させた。


纏「……ここまでよ」


鞭を素早く巻き、春日部の首に絡め取る。動きを封じつつ、力を込めて後ろに引いた瞬間――


春日部「ぐあっ!」


そのまま勢いに任せて床に倒れ込み、立ち上がることすらままならない。鞭の圧力で完全に制御され、顔には驚きと悔しさが浮かぶだけ。


纏は息を整え、傷つきながらも冷静に立つ。鞭を緩めることなく、完全に勝利を手中に収めた。春日部の力任せの反撃も、戦略的な動きの前には無力だった。


纏「力だけじゃ、人は支配できない」


鞭の圧力で身動きできない春日部を背に、纏は短く息を吐き、戦いを終えた。フィニッシュは、圧倒的な冷静さと戦略で決まった一撃だった。


神宮寺は目を閉じたまま、薄暗い廊下を静かに歩いていた。

足音はない。呼吸も、ほとんど感じられない。


その背後――

気配すら削ぎ落とした存在が、いつの間にか立っている。


藤荊棘「……崎原は、何をしている」


低く、刃のように冷えた声。

神宮寺は立ち止まらない。振り返りもしない。


神宮寺「今は……どうでもいいだろ」


その言葉と同時に、神宮寺の妖力が膨れ上がる。

空気が歪み、淡く青白い光が集束していく。


カン――


神宮寺の手の中に、一本の刀が形を成した。


藤荊棘もまた、腰の刀に手をかける。

鞘に収まったままの刃が、喜ぶように微かに鳴いた。


神宮寺は、ようやく目を開く。


神宮寺「……あんたを倒せば俺はもう一段階上に行けるんだ」


藤荊棘「倒せればの話だがな」


二人の間に、言葉以上の緊張が走る。

廊下の空気が張りつめ、霊力と妖力が互いを拒むように軋んだ。


神宮寺は刀を正眼に構える。

呼吸は静か、思考は澄み切っている。


神宮寺「悪いが……急いでる」


藤荊棘「ならば――斬り急げ」


次の瞬間。

二人の姿が、同時に消えた。


刃と刃が激突する音が、廊下に鋭く響き渡る。


刃と刃がぶつかり合った瞬間、廊下の照明が一斉に揺れた。


藤荊棘「……っ」


一歩、藤荊棘の足が後ろへ滑る。


神宮寺は踏み込んでいた。

無駄のない動き。先ほどまでの静観とはまるで違う。


神宮寺「さっきは……少し考え事をしていただけだ」


言葉と同時に、神宮寺の刀が横薙ぎに走る。

藤荊棘は反射的に受けるが、腕に痺れが走る。


藤荊棘(重い……いや、鋭い)


妖力で作られた刀とは思えないほど、斬撃に“芯”がある。

神宮寺は一撃ごとに、確実に相手の間合いを削っていた。


藤荊棘「ほう……本気を出した、ということか」


藤荊棘が一歩踏み込み、刀を振り下ろす。

鋭く、無駄のない剣筋。達人の一撃。


しかし――


神宮寺はそれを“読む”。


神宮寺「遅い」


ガキンッ!


神宮寺の刀が、藤荊棘の刃の根元を正確に叩き落とす。

体勢が崩れた瞬間を逃さず、神宮寺は肩口へ斬り込んだ。


藤荊棘「ぐっ……!」


浅い。だが、確実に傷。

黒い着物に赤が滲む。


藤荊棘は距離を取るが、神宮寺は追う。

歩幅は一定、呼吸は乱れない。


神宮寺(見える……全部)


相手の重心、踏み込みの癖、次に来る刃の角度。

牢の中で研ぎ澄まされていた神経が、今ここで解き放たれている。


藤荊棘「……なるほど。先ほどの劣勢は演技か」


神宮寺「油断、だ。あんた達を……少し舐めてたんだ」


藤荊棘の目が、わずかに細くなる。

初めて、楽しげな色が消えた。


藤荊棘「ならば、こちらも――」


踏み込み。

一閃。

連撃。


しかし、神宮寺は下がらない。

受け、逸らし、斬り返す。


一太刀ごとに、藤荊棘が押されていく。


藤荊棘(……押されている? この私が?)


廊下の壁に背が近づく。

気づけば、逃げ場を失っているのは藤荊棘の方だった。


神宮寺「言ったはずだ。急いでいる」


藤荊棘「……面白い」


藤荊棘は笑い、構え直す。


藤荊棘「だが、まだ終わりではないぞ」


神宮寺は、静かに息を吐いた。

目を閉じていた瞼を、ゆっくりと開く。


その瞬間――。


ドンッ


床を踏み鳴らすような圧と共に、藤荊棘の霊力が解き放たれた。

空気が震え、廊下の照明が一瞬だけ明滅する。


藤荊棘の全身を、青色の炎が包み込んだ。

それは揺らめくというより、刃のように鋭く、静かに燃えている。


藤荊棘「……霊力、解放」


刀身に青白い光が走る。

その光は炎と同質でありながら、確かな“切断”の気配を孕んでいた。


神宮寺は一歩も退かない。

むしろ、わずかに口角を上げる。


神宮寺「……やっと、同じ土俵だな」


次の瞬間。


ジッ……ボゥッ


神宮寺の身体からも、霊力が溢れ出した。

妖力で形成された刀が、実体を帯び、神宮寺の全身を同じ青色の炎が包み込む。


二人の青炎が、廊下で向かい合う。温度はない。

だが、触れれば命を削る“圧”だけが、確かに存在していた。


藤荊棘「……ほう。貴様も、青か」


神宮寺「偶然だ。」


次の瞬間、藤荊棘が動いた。


キンッ!!


鋭い金属音。

藤荊棘の斬撃は速い。

無駄がなく、一直線。


神宮寺は刀で受け流すが――


ザシュッ


肩口に、浅く赤が走る。


神宮寺「……浅い!」


即座に踏み込む。

痛みはあるが、動けないほどではない。


神宮寺はそのまま距離を詰め、斬り返す。


――その瞬間。


ズンッ


肩の傷が、一気に深く抉れた。


神宮寺「……っ!?」


予想外の激痛に、神宮寺の身体が一瞬止まる。

血が噴き出す。


藤荊棘は、斬った姿勢のまま、動いていない。


藤荊棘「……」


神宮寺は歯を食いしばり、一歩後ろに下がる。


神宮寺「……今のは……?」


状況を把握しようとする。

だが、分からない。


次の瞬間、藤荊棘は再び踏み込んだ。


キィンッ!


今度は脇腹。

またもや浅い。


神宮寺「……大丈夫だ」


言い聞かせるように呟き、再び踏み込む。


――ズブッ


今度は脇腹が、内側から裂けるような感覚。

呼吸が乱れる。


神宮寺「ぐっ……!」


神宮寺は大きく後退し、距離を取る。

息が荒い。


おかしい。

斬られた瞬間より、後から痛みと損傷が増している。


もう一度、藤荊棘が斬る。

今度は太腿。


浅い。

だが――


数拍遅れて、肉が裂ける。


神宮寺「……遅れて……?」


神宮寺の脳裏に、ひとつの仮説が浮かぶ。


――時間差。


だが、確信には至らない。


藤荊棘は何も語らない。

ただ、静かに刀を構えている。


もう一度、踏み込めば。

もう一度、斬られれば。


確かめられる。


神宮寺は痛みを押し殺し、再び前に出た。


神宮寺「……来い」


藤荊棘が応えるように動く。


キンッ


斬撃。

浅い。


神宮寺は、あえて動かず、耐えた。


――ズンッ


数拍遅れ。

同じ箇所に、確かな斬撃。


確信。


神宮寺は、息を整えながら、低く呟く。


神宮寺「……なるほどな」


藤荊棘の目が、わずかに細くなる。


神宮寺「一度目は“刻む”。

 二度目が……本命か」


藤荊棘「……気づいたか」


神宮寺は刀を強く握り直す。

青炎が、より濃く揺らめいた。


神宮寺「厄介だが……分かれば話は別だ」


藤荊棘は、薄く笑う。


藤荊棘「ならば――ここからが、本当の勝負よ」


二人の青炎が、再びぶつかり合う。


神宮寺の視界が、赤く滲む。

全身に走る痛みは、もはや数え切れない。


それでも――脳裏に浮かんだのは、学園の風景だった。


廊下で、意味もなく拳を振り上げていた二人。


真鴉「気合!気合だろ!」


大熊「気合や気合!考える前に気合入れんかい!」


 くだらなくて、騒がしくて。

 だが、妙に胸に残る光景。


神宮寺は、ふっと息を吐き――笑った。


神宮寺「……気合、か」


次の瞬間。


神宮寺「気ィ合ァいィィ!!」


叫びと同時に、霊力が爆ぜる。

体中を裂く傷から血が噴き出すが、構わない。


藤荊棘は一瞬、目を細め――鼻で笑った。


藤荊棘「……ふん。無様だな」


神宮寺は後ろに下がらない。

その場で、じっと藤荊棘を見据えたまま――刀を、大きく振りかざしていた。


異様な静止。


藤荊棘「……え?」

何かがおかしいと気づく


次の瞬間、神宮寺が踏み込む。


神宮寺「肉を切らせて――骨を断つ!」


藤荊棘の能力が発動する。

神宮寺の傷は、さらに深く抉れる。


だが、怯まない。


藤荊棘が受けに入ろうとした、その一瞬――遅い。


藤荊棘「……くっ……天晴、だ」


ズバァンッ!!


渾身の一太刀が、藤荊棘を切り裂いた。


藤荊棘は、後方へと倒れ込み、二度と動かなくなる。


その光景を最後に、神宮寺の足が崩れた。


前へ――そのまま、倒れ込む。


刀が床に落ち、乾いた音を立てる。


神宮寺は、意識を手放した。

第四十八話、ここまでお読みいただきありがとうございました。


この話数では、それぞれの戦いが「力」ではなく「覚悟」へと移り変わる節目として描かれております。

真鴉の覚醒、纏の戦略勝ち、神宮寺の命を賭した踏み込み――どれも派手な勝利ではありませんが、登場人物たちが自分自身の在り方を選び取った瞬間でもあります。


特に神宮寺は、これまで冷静で一歩引いた立場に見えていた分、

「肉を切らせて骨を断つ」という言葉にすべてを込めました。

恐怖も痛みも理解したうえで、それでも前に出る。

彼が気合という言葉を借りたのは、輝や真鴉と心が確かにつながった証でもあります。


また、敵側である藤荊棘や春日部も、単なる障害ではなく、

「戦いに酔った者」「力に縋った者」として描かれています。

だからこそ、彼らが敗れるときは派手さよりも、どこか虚しさが残る形になっています。


ここから先、物語はさらに激しくなっていきますが、

第四十八話は「誰がどんな理由で戦っているのか」を読者に刻むための回でした。


次話からは、戦局が一気に動きます。

失ったものの重さと、まだ守れるものの存在が、

それぞれの選択をさらに残酷に、そして美しくしていくでしょう。

次回49話ーー不死身

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