47話:気張れや
抗争の火種は、静かに、しかし確実に燃え広がっていく。
日常に戻ったはずの彼らの足元には、
すでに次の争いの影が忍び寄っていた。
守るものが増えたからこそ、
引けない理由もまた、増えていく。
覚悟を決めた者たちは、もう立ち止まれない。
恐怖も、不安も、迷いも抱えたまま――
それでも前に出なければならない時が来た。
踏ん張れ。
気張れ。
ここから先は、退路のない戦いだ。
大熊は腕を組み、低く唸るように言った。
大熊「問題は、どうやって“上”を倒すかや。組長は、そう簡単に表に出てくるもんやない」
一瞬の沈黙。その中で、輝が一歩前に出る。
輝「潜入捜査はどうでしょう」
柊が思わず聞き返す。
柊「……潜入?」
輝は落ち着いた口調で続けた。
輝「はい。大熊組の皆さんは、もう顔が割れているかもしれません。でも、俺たちは――顔どころか、存在自体がまだ認知されていないはずです」
柊は困惑した表情のまま、首を横に振る。
柊「いえ……皆さんが強いのは分かっていますが、それはさすがに――」
その言葉を遮るように、大熊が低く名を呼んだ。
大熊「柊」
柊の背筋が跳ねる。
柊「は、はい!」
大熊は不敵に笑い、前を見据えた。
大熊「俺たちに任せてみぃ。そんくらい――やったるわ」
大熊は輝を一瞥し、きっぱりと言い切った。
大熊「気道は留守番や」
その言葉に、輝は目を見開く。
輝「なんで!?」
大熊は感情を乗せることなく、淡々と続けた。
大熊「弱いからや。いくらちょい強うなった言うても、足手まといや」
真鴉が一歩前に出て、言い返そうと口を開く。
しかしその瞬間、纏がすっと腕を伸ばし、真鴉を制した。
言葉はなかったが、その仕草は「落ち着け」とはっきり伝えていた。
真鴉は歯を食いしばり、悔しそうに拳を握りしめた。
大熊は腕を組み、輝の方を見ずに言った。
大熊「俺らが潜入しとる間、こいつらの護衛が欲しいんや」
輝は一瞬、言葉を失う。
自分が“守られる側”に回される現実に、唇を噛みしめた。
輝「……分かったよ」
渋々ながらも、輝は頷いた。
その様子を確認すると、大熊は踵を返す。
大熊「行くで」
神宮寺、真鴉、纏が一斉に動く。
無言のまま並び立ち、空気が張り詰める。
真鴉は一度だけ振り返り、輝を見る。
言葉はなかったが、その視線には「必ず戻る」という意志が宿っていた。
纏も軽く手を振り、静かに背を向ける。
そして大熊を先頭に、
神宮寺、真鴉、纏の四人は、敵陣へと足を踏み出した。
残された輝は、その背中を見送りながら、
拳を強く握りしめていた。
大熊たちの背中が見えなくなった直後、
輝の周りを自然と三人が囲む。
福留はしゃがみ、視線を合わせるようにして声をかけた。
福留「輝くん、落ち着こ?」
輝は即座に答える。
輝「落ち着いてる……落ち着いてるよ……」
だが、その声は微かに震えていた。
呼吸は浅く、握り締めた拳には力が入りすぎて白くなっている。
白川は苦笑いしながら、軽く肩を叩く。
白川「いやいや、その顔でそれ言うんは無理あるって」
水瀬は少し困ったように眉を下げ、柔らかく続けた。
水瀬「無理せんでええよ。今は任された役目、ちゃんと果たそ?」
輝は一瞬、何か言い返そうとして言葉を飲み込む。
視線を落とし、深く息を吸った。
輝「……分かってる。分かってるけどさ」
声を絞り出すように、ぽつりと続ける。
輝「俺だけ、置いていかれたみたいで……」
福留は首を振り、きっぱりと言った。
福留「違うよ。信頼されてるから残されたんだよ」
白川も頷き、珍しく真面目な表情になる。
白川「そうそう。護衛って、大事な仕事だから」
水瀬は小さく笑い、輝の前に一歩出た。
水瀬「だから今は、私たちで輝を守る番やね」
輝はゆっくりと顔を上げる。
三人の視線が、まっすぐ自分を見ていた。
輝「……ありがと」
短く、けれど確かにそう言った。
そしてもう一度、拳を握り直す。
今度はさっきより、ほんの少しだけ力を抜いて。
柊の案内で辿り着いた先にあったのは、場違いなほど立派なビルだった。
ガラス張りの外観、手入れの行き届いた植栽、夜でも煌々と灯る照明。
真鴉「……金持ってんな、ここ」
大熊「せやな。だから厄介なんや」
正面入口の脇には、スーツ姿の下っ端が
警備員のように立っているが、目つきは完全に堅気ではない。
大熊が小さく合図する
次の瞬間――
神宮寺が背後から一人の口を塞ぎ、首元に肘を入れる。
同時に真鴉がもう一人の腹部を正確に打ち抜き、体を支えながら倒した。
床に倒れる音すら立てない。
柊「……流石です」
大熊「静かにせぇ」
大熊は即座に指示を出す。
大熊「服剥ぐで。エントランス抜けるには必要や」
真鴉と纏が手際よくスーツとIDカードを外す。
上質な生地、重みのある革靴。
纏「……ほんと、羽振りいいわね」
真鴉「腹立つくらいな」
神宮寺は無言でネクタイを締め直し、鏡代わりのガラスに視線を走らせた。
柊は深く息を吸い、ビルを見上げる。
柊「中はオフィス仕様や。監視カメラも多い。気ぃ抜いたら終わりやで私はここまでで、健闘を祈ります!」
大熊「望むところや」
自動ドアが静かに開く。
奪ったスーツに身を包んだ大熊たちは、
まるで“関係者”であるかのように、堂々と中へ足を踏み入れた。
中に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
広々としたエントランス、磨かれた床、壁際に並ぶ観葉植物。
その中に、スーツ姿の男たちが何人も点在している。
電話をしている者、書類を運んでいる者、ソファに腰掛けている者。
一見すれば普通のオフィスだが、全員の視線が一瞬だけ鋭く動いた。
――見られている。
大熊たちが入ってきたのを確かに視界に捉え、
しかし次の瞬間、何事もなかったかのように視線を逸らす。
真鴉(……探られてるな)
神宮寺は無言で一歩前に出て、自然に歩調を合わせる。
纏はヒールの音を抑え、視線を落としたまま。
大熊が小声で言う。
大熊「こういうとこは“見て見ぬふり”がルールや。下手に目ぇ合わすと逆に怪しまれる」
真鴉「なるほどな」
大熊は腕時計に視線を落とし、あくまで“用事で来た人間”の顔を作る。
周囲の男たちも、それ以上は干渉してこない。
だが、完全に無関心というわけではない。
背中に突き刺さる、じっとりとした気配。
真鴉(全員、喧嘩慣れしてやがる……)
エレベーターホールに向かう途中、
一人の男が壁にもたれながら、わざとらしく欠伸をした。
その目だけが、一瞬、大熊を捉える。
すぐに逸らされる視線。
だが、確実に“数えられた”。
大熊「……」
大熊は何も言わず、歩みを止めない。
このビルは、
金と暴力と、沈黙で成り立っている。
――そして今、
その中心へと、静かに足を踏み入れた。
エレベーターの前に立ち、扉が静かに開く。
大熊たちが乗り込もうとした、その瞬間だった。
背後にいた一人の男が、低い声で呼び止める。
組員「……どちらへ?」
空気が一段、重くなる。
大熊は振り返らず、軽く顎を上げたまま答えた。
大熊「最上階でええか?」
その一言で、完全に止まった。
組員「最上階……?」
一拍置き、男は口元だけで笑う。
組員「何階ですか?」
静寂。
組員「組員なら、分かりますよね?」
その瞬間だった。
周囲に散っていた男たちが、
一斉に――視線を向ける。
空気が張り詰め、
さっきまで“無関心”を装っていた視線が、露骨な警戒に変わる。
真鴉(……踏んだな)
神宮寺がわずかに重心を落とす。
纏は一歩、半身を引いた。
エレベーターの扉は、
閉まることなく、開いたまま。
大熊は、ゆっくりと振り返った。
大熊「……」
大熊は一瞬だけ黙り込み、そして――小さく舌打ちした。
大熊「……ちっ、めんどいな」
その声音には、焦りではなく苛立ちが混じっていた。
それが逆に、場の空気を狂わせる。
大熊はゆっくり振り返り、男を見下ろすように視線を落とす。
大熊「最上階“何階ですか”やて?」
組員「……は?」
大熊は懐からスマホを取り出し、画面を軽く見てから鼻で笑う。
大熊「はぁ……ほんま、会長も人使い荒いわぁ“上”から直で呼ばれてる言うてんのに、いちいち下で足止め食らわされて」
そのまま、男の肩を軽く叩く。
力は入れていない。
だが、距離感が完全に“身内”のそれだった。
大熊「悪いな、あんたは知らんでええ話や、最上階“組長フロア”や。これで満足か?」
男の顔色が、わずかに変わる。
組員「……っ」
会長フロア。
その単語に、周囲の組員たちの視線が揺れた。
真鴉は内心で舌を巻く。
(……肩書きじゃなく、場所で殴ってきた)
神宮寺は何も言わず、
“言われ慣れている側”の無関心な顔を作る。
纏は一歩前に出て、淡々と付け加えた。
纏「時間、押してるんで、あなたの名前だけ教えて下がってください」
完全に“上から来た人間”の口調。
数秒の沈黙。
やがて、男は視線を逸らし、慌てて頭を下げた。
組員「……し、失礼しました」
周囲の組員たちも、空気を察して一斉に目を逸らす。
エレベーターの扉が、
チンという音とともに閉まり始める。
中に入った瞬間、真鴉が小声で吐き出す。
真鴉「……心臓に悪ぃ」
大熊は腕を組み、平然とした顔のまま言った。
大熊「潜入で一番大事なんはな“堂々と嘘つくこと”や」
エレベーターが上昇を始める。
少し進んでから
エレベーターがガタンと嫌な音を立てて停止した。
真鴉「……止まったな」
扉がゆっくりと開く。
そこには――廊下一面を埋め尽くす数十人の組員が、無言で立っていた。
空気が重い。
逃げ場はない。
その列の奥から、革靴の音を響かせて一人の男が歩み出る。
細身で、整った顔立ち。
だが、目だけが笑っていない。
???「監視カメラで見てましたけどねぇ、だめじゃないですか。不法侵入は」
にたり、と歪んだ笑み。
崎原「――若頭ァ」
大熊の眉がわずかに動く。
大熊「……崎原」
その名を聞いた瞬間、
真鴉は悟った。
(こいつ……“裏切りもんの元大熊組幹部”や)
崎原は両手を軽く広げ、芝居がかった口調で続ける。
崎原「いやぁ久しぶりですねぇ!どこに行ってたんですか?俺たちを捨てて逃げたかと思えば、今度は堂々と戻ってきて」
一歩、また一歩と距離を詰める。
崎原「……何考えて、ここに来たんですか?」
周囲の組員たちが、
じり、と一斉に前に出る。
神宮寺が低く息を吐く。
纏は鞭に指を掛け、いつでも動ける体勢を取る。
大熊は――
一切動じず、腕を組んだまま答えた。
大熊「逃げた覚えはない、ただ、戻る気がなかっただけや」
崎原の笑みが、わずかに歪む。
大熊「それとやなこのシマは、元々俺らのもんや」
崎原「……はは」
乾いた笑い。
崎原「まだ“若頭気分”ですか?もうあなたの席は、とっくに空いてないんですよ?」
大熊は一歩、前へ出る。
その瞬間、周囲の組員が一斉に構える。
大熊「席が空いてるかどうかは、座る奴が決めるんやない」
一瞬、沈黙。
その沈黙を――
崎原が、舌打ちで破った。
崎原「……いいでしょう」
腕を振り上げる。
崎原「やれ」
その合図と同時に、
数十人の組員が一斉に動き出した。
その時
大熊が一歩、踏み出した瞬間――
空気が変わった。
霊力が、抑えもせず解放される。
圧が、肌を殴るように広がり、
周囲の組員たちが一斉に息を詰まらせた。
膝が震え、後ずさる者。
歯を食いしばりながらも、視線を逸らす者。
誰一人として、前に出られない。
崎原「な……なんですか、その力……」
声が、明らかに裏返っていた。
崎原「まるで……俺たちの組長みたいな……まさか……あんたも……?」
問いは、最後まで続かなかった。
大熊は答えない。
振り返りもしない。
ただ、ゆっくりと、
一歩、また一歩と前へ進む。
床が、ミシ……と軋む。
真鴉は、その背中を見て息を呑んだ。
(……キレてんな、大熊)
大熊は歩きながら、低く言い放つ。
大熊「俺がエレベーターから降りたら」
一歩。
大熊「最上階に行け」
もう一歩。
大熊「ここは――」
霊力がさらに膨れ上がり、
組員の何人かが耐えきれず、膝をついた。
大熊「俺が降りるべき場所みたいやわ」
その言葉が落ちた瞬間、
誰も、何も言えなかった。
崎原は唾を飲み、後退る。
額には、はっきりと冷や汗。
崎原(……本物や……この人……戻ってきた“若頭”や……)
エレベーターの中、
真鴉・神宮寺・纏は、言葉もなく立っていた。
扉が閉まる、その直前――
大熊は、初めてちらりとだけ後ろを見る。
大熊「……先に行け」
短い一言。
だが、それは命令であり、信頼だった。
扉が閉まる。
エレベーターが上昇を始める中、
残された廊下で――
大熊は、たった一人、
数十人を前に、霊力を纏い立っていた。
まるで、
抗争の始まりを告げる獣のように。
大熊は、ふっと肩の力を抜くように息を吐き、
解放していた霊力をすっと体内へ収めた。
圧が消えたことで、組員たちは一瞬だけ安堵した――
その一瞬が、致命的だった。
大熊「さぁこいや」
低く、しかしよく通る声。
大熊「救急車呼んどけよ」
一歩、踏み出す。
大熊「――人数分なァァ!」
次の瞬間、
床が爆ぜた。
踏み込みと同時に繰り出された正拳が、最前列の組員の腹部に突き刺さる。
鈍い衝撃音と共に、男の体がくの字に折れ、そのまま後方へ吹き飛ばされた。
巻き込まれるように、後ろの二人が壁に叩きつけられる。
組員「ぐあっ!?」
組員「な、何だこいつ……!」
大熊は止まらない。
腕を大きく振り抜き、横薙ぎの一撃。
ドンッ!
拳圧だけで、三人がまとめて吹き飛び、
一人は天井に頭を打ちつけ、崩れ落ちた。
大熊「遅いわ」
近づいてきた男の襟首を掴み、そのまま地面に叩き伏せる。
床に走るヒビ。
男は一度痙攣し、そのまま動かなくなった。
背後から金属音。
鉄パイプを振り上げた組員が迫る。
大熊は振り向きざまに裏拳。
鉄パイプごと、男の腕が弾かれ、
次の瞬間、膝蹴りが鳩尾に突き刺さった。
組員「がはっ……!」
男はその場に崩れ、泡を吹く。
数で押そうと、組員たちが一斉に距離を詰める。
だが――
大熊は、真正面から突っ込んだ。
拳、肘、肩、膝。
一撃一撃が重く、速く、容赦がない。
殴られた者は壁へ、
蹴られた者は床へ、
投げられた者は仲間へぶつかる。
廊下は、あっという間に呻き声と倒れ伏す身体で埋まっていった。
崎原は、後退りながらその光景を見ていた。
崎原(……喧嘩、やない……これは……制圧や……)
最後の一人が逃げようと背を向けた瞬間、
大熊の拳が背中に叩き込まれる。
男は前のめりに倒れ、完全に沈黙。
静寂。
立っているのは――
大熊、一人だけ。
大熊は拳についた血を軽く払うように振り、
倒れた組員たちを見下ろした。
大熊「言うたやろ」
淡々と、しかし冷酷に。
大熊「救急車、人数分やってぇ」
抗争は、
もう後戻りできない段階へと踏み込んでいた。
崎原は、先ほどまでの怯えた表情を嘘のように消し、
すべてを予想していたかのような顔に戻った。
ゆっくりと大熊の前へ歩み寄る。
周囲には、倒れ伏した組員たち。
呻き声すら遠のき、階には二人だけの空間が生まれる。
崎原は、大熊の耳元へ顔を寄せ、
大熊にしか聞こえない声量で囁いた。
崎原「――――」
大熊「……は?」
思わず、素っ頓狂な声が漏れる。
崎原は、にやりと口角を上げ、
もう一度、今度はより深く、耳元に口を寄せた。
崎原「――――――」
その言葉を言い終えると、
崎原は何事もなかったかのように身を離し、
踵を返す。
そして、真鴉たちが消えた方向――
非常階段へと歩き出した。
その背中を、大熊は追わなかった。
追えなかった。
拳が、小刻みに震え始める。
次第に、それは腕へ、肩へ、
やがて全身へと広がっていく。
大熊「……ぐっ……」
奥歯を強く噛み締める。
ギリ、と不快な音が頭の内側に響く。
胸の奥から、
抑え込んでいた何かが這い上がってくる。
怒りか。
焦燥か。
それとも――後悔か。
感情が判別できないまま、
喉が勝手に開いた。
大熊は、獣のような咆哮を上げる。
大熊「くそがァァァァァ!!」
次の瞬間、
拳が壁へ叩き込まれた。
ドンッ!!
コンクリートが砕け、
衝撃がビル全体を揺らす。
照明が大きく揺れ、
天井から粉塵が降り注ぐ。
壁にめり込んだ拳を、
大熊はしばらく引き抜かなかった。
肩で荒く息をしながら、
ただ、歯を食いしばる。
――事態は、
もう想定の範囲を超えている。
大熊は、ゆっくりと拳を引き抜き、
震える手を強く握り締めた。
最上階――。
先ほどの衝撃が、微かに床を震わせた。
それを感じ取った男は、
執務机の前で足を止め、不敵な笑みを浮かべる。
組長「……来よったか」
低く、愉しげに呟く。
組長「大熊ァ……」
そのまま壁際に掛けられたカレンダーへと歩み寄り、
おもむろにペンを取り出す。
今日の日付の枠へ、
大きく、乱暴な文字で書き殴った。
――「大熊の命日」
書き終えた瞬間、
腹の底から込み上げるような笑い声が、部屋に響く。
組長「ははははははッ!!」
ひとしきり笑い終えると、
男はゆっくりと呼吸を整え、
今度は大きな窓の前へ立った。
眼下に広がる街を見下ろしながら、
どこか甘ったるい声で呟く。
組長「会いたかったでぇ……」
口角が、自然と吊り上がる。
組長「ムラムラしとる時に好きな女に会うより、
よっぽどワクワクしとるわぁ……」
窓に映るその顔は、
獲物の到着を確信した捕食者の笑みだった。
エレベーターが静かに停止し、
鈍い音を立てて扉が開く。
真鴉・神宮寺・纏は、同時に一歩踏み出した。
真鴉(気配が濃い……来るぞ)
神宮寺は肩を回し、
纏は鞭の柄に指を掛け、即座に展開できるよう身構える。
――しかし。
そこに広がっていたのは、
戦場になるはずの気配ではなかった。
照明は点いている。
床も壁も無駄に豪奢で、
確かに「幹部フロア」としては申し分ない。
だが――
真鴉「……誰も、いない?」
足音も、息遣いも、
殺気すら感じられない。
神宮寺「妙だな。
ここが最上階、って話じゃなかったのか?」
纏はゆっくりと周囲を見渡し、
天井、壁、廊下の奥まで目を走らせる。
纏「……違います。
ここ、“組長フロア”じゃない」
真鴉「は?」
纏は床を軽く踏み、
壁際へ歩み寄る。
纏「この階、確かに最上階“扱い”にはなっています。
けれど――」
彼女は、エレベーターの表示パネルへ視線を向けた。
表示は、最上階到達を示している。
纏「……構造がおかしい」
神宮寺「おかしい?」
纏「ええ。
本来なら、このビルの設計上、
“もう一段上”が存在するはずです」
真鴉「でも、階数表示はここで終わってる」
纏「だからこそ、です」
纏は低く息を吸い、断言する。
纏「このビル、最上階が隠されています」
一瞬、沈黙。
真鴉「……じゃあ、組長は」
神宮寺「この階の“上”にいる、ってことか」
だが、上へ向かう階段も、
エレベーターも存在しない。
目に見える限り、
ここが“終点”であるかのように作られている。
真鴉「……くそ、完全に罠だな」
奥の回廊の照明が、ひとつ、またひとつと落ちていく。
薄暗くなった空間の向こうから、足音が三つ、重なって響いた。
先頭を歩くのは、気だるそうに肩を落とした男。
ポケットに手を突っ込み、欠伸混じりに視線だけをこちらへ投げてくる。
その隣には、背筋を張った熱血系の男。
拳を鳴らし、今にも飛び出してきそうな闘気を隠そうともしていない。
そして最後尾。
和装に身を包み、腰には抜き身でもおかしくないほど馴染んだ刀。
無駄な動きは一切なく、ただ静かに、しかし確実に距離を詰めてくる。
三人が完全に視界へ収まった瞬間――
真鴉、神宮寺、纏の全員が同時に悟った。
(――幹部)
それも、ただの幹部ではない。
真鴉
喉が、わずかに鳴る。
真鴉はこれまで数え切れないほどの強敵と対峙してきた。
だが、目の前の三人は“格”が違う。
一人一人が、
今の自分たちより、明確に上。
神宮寺(冗談きついな……三人まとめて、か)
普段なら皮肉の一つも飛ばす神宮寺の声が、
僅かに低い。
纏は、何も言わない。
だが鞭を握る指先が、きゅっと締まったのを真鴉は見逃さなかった。
気だるそうな男が、面倒そうに口を開く。
幹部(気だる)
「はぁ……やっぱ侵入者か。
エレベーター止まった時点で分かってたけどさ」
熱血系の男が一歩前へ出る。
幹部(熱血)
「おいおい、ガキばっかじゃねぇか!
崎原が警戒してた割に、拍子抜けだな!」
刀の男は、視線だけで三人をなぞり、
最後に神宮寺で目を止める。
幹部(刀)
「……刀の、使い手か?
面白い」
その一言で、
空気が一段階、冷えた。
真鴉は一歩前に出る。
真鴉「悪いけど、道を開けてもらう」
幹部(気だる)は肩をすくめ、鼻で笑う。
幹部(気だる)
「無理無理。
ここから先は、組長のお気に入りなんで」
神宮寺が低く息を吐く。
神宮寺「つまり、俺たちを止める気満々ってわけだ」
幹部(熱血)
「当たり前だろ!
ここまで来た度胸は褒めてやるけどな!」
刀の男が、
鞘に指を掛ける。
幹部(刀)
「――生きて帰れると思うなよ」
その瞬間、
三人の気配が、一斉に膨れ上がった。
真鴉(……全員、本気)
逃げ場はない。
引く選択肢もない。
纏が、静かに言う。
纏「……やるしか、ありませんね」
神宮寺が笑う。
神宮寺「上等だ。
ここ越えなきゃ、意味ねぇしな」
刀の幹部が、床を蹴った。
一歩。
ただそれだけで距離が詰まり、次の瞬間には刃が閃いていた。
神宮寺が即座に反応する。
神宮寺は掌を前に突き出し、妖力を一気に収束させた。
空気が歪み、凝縮された妖力が形を成す。
――刃。
神宮寺の手に、妖力で編まれた刀が顕現する。
甲高い金属音が最上階に響き渡った。
刀と刀が、真正面からぶつかる。
その瞬間。
二人の霊力が、抑えきれず一瞬だけ解放された。
衝突点を中心に、見えない衝撃波が走り、
床の埃が舞い、照明が激しく揺れる。
纏が目を見開く。
纏「……っ!」
真鴉も歯を食いしばる。
真鴉(この圧……!)
刀の幹部は、押し合う刃越しに口角を上げた。
幹部(刀)
「ほう……」
一歩も引かず、低く言い放つ。
幹部(刀)
「お主、人の身で霊力の域にまで達しておるのか」
神宮寺は視線を逸らさず、妖力をさらに込める。
神宮寺「さぁね。
あんたに評価される筋合いはない」
幹部(刀)は、心底楽しそうに笑った。
幹部(刀)
「よい、よい……実に良い」
刃を押し返しながら、言葉を続ける。
幹部(刀)
「弱者を斬るは退屈でな。
だが――」
霊力が、さらに濃くなる。
幹部(刀)
「斬り合える相手がいるとなれば、話は別だ」
次の瞬間、
二人は同時に後方へ跳び退いた。
床に走る深い亀裂。
真鴉は、確信する。
(――こいつ、やばい)
ただ強いだけではない。
経験と殺気、そのすべてが研ぎ澄まされている。
そして同時に悟った。
この階での戦いは、
誰一人、無傷では終わらない。
気だるそうな男が、肩を掻きながら一歩前に出た。
幹部(気だる)
「……女は俺が――」
言い終わる前に、横から割り込むように声が炸裂する。
幹部(熱血)
「俺がやる!!」
空気が震え、鼓膜が痛むほどの大声だった。
真鴉は思わず眉をひそめる。
真鴉
気だるそうな男は、露骨に顔をしかめ、耳を押さえる。
幹部(気だる)
「……うるせぇなぁ、ほんとにぃ」
ため息混じりにそう呟くと、
興味を失ったように熱血系から視線を外し、真鴉の方へと歩き出した。
足取りは緩慢。
だが、その一歩一歩に、じわりと圧が乗る。
真鴉の視界が、わずかに歪んだ。
真鴉(……っ、気配が重い)
気だるそうな幹部は、真鴉の数歩手前で立ち止まる。
幹部(気だる)
「君さぁ……」
眠たげな目で真鴉を見下ろし、口角をわずかに上げる。
幹部
「さっきから一番、面倒そうな目してんだよね」
纏が一歩踏み出しかける。
纏「真鴉――」
それを制するように、真鴉は静かに前へ出た。
真鴉「俺ですか。
それはどうも」
軽口とは裏腹に、真鴉の全身には緊張が走っている。
気だるそうな幹部は、欠伸を噛み殺すように口元を押さえた。
幹部(気だる)
「安心して。
派手にはやらないよ」
そして、ぼそりと付け加える。
幹部(気だる)
「……多分ね」
その瞬間、
真鴉は確信した。
――こいつ、油断してるフリをしているだけだ。
熱血系の幹部が、苛立ちを隠さず叫ぶ。
幹部(熱血)
「おい!俺の番だって言ってるだろうが!」
気だるそうな幹部は振り返りもせず、手をひらひらと振った。
幹部(気だる)
「はいはい
すぐ終わらせるから、黙って見てて」
その言葉が終わるより早く、
真鴉の背筋に、冷たい殺気が走った。
――次の瞬間、来る。
真鴉は、深く息を吸い、構えた。
戦いは、もう避けられなかった。
熱血系の男が、胸いっぱいに空気を吸い込み――
ビル全体を揺らす勢いで吠えた。
幹部(熱血)
「灰谷ぃぃぃ!!藤荊棘ァァァ!!
気張ってけヨォォ!!」
反響が遅れて戻り、耳鳴りのように残る。
気だるそうな男――灰谷琢(はいだに たく)は、露骨に顔を歪めた。
灰谷「……だから声がデカいっての。
ほんと勘弁してほしいわ」
鬱陶しそうに首を傾け、軽く肩を回す。
一方、刀を携えた和風の男――藤荊棘咲は、
一言も発さず、薄く笑みを浮かべただけだった。
その笑みは、愉悦でも余裕でもない。
ただ、斬ることを楽しむ者のそれだった。
藤荊棘「……」
熱血系幹部は満足そうに頷くと、今度は纏へと向き直り、
自らの胸を親指で叩きつける。
春日部
「女ぁ!!
お前はこの俺ェェ!!春日部が相手やァァァ!!」
纏は一瞬、目を細め――
次の瞬間、嘲るように口角を上げた。
纏
「……あら、声だけは一丁前ね」
鞭の柄を握る手に、ぎゅっと力がこもる。
纏
「弱い犬ほどよく吠えるって言葉知ってる?」
その一言で、春日部金田の額に青筋が浮かび上がった。
春日部
「ぬかせェェェ!!」
灰谷はため息をつきながら、真鴉を見据える。
灰谷
「……じゃ、俺たちは俺たちでやろっか」
真鴉は静かに一歩前へ出た。
真鴉
「ええ。
静かに終わらせましょう」
藤荊棘は、目を瞑りながらつぶやく
藤荊棘
「それでは……始めようか」
三方向から、圧倒的な殺気が解き放たれる。
春日部は、床を踏み砕く勢いで一歩踏み出した。
筋肉が隆起し、全身から発せられる霊力が荒々しく吹き荒れる。
春日部
「最初っから全開やァァァ!!」
拳が振り抜かれる。
空気が爆ぜ、衝撃波が先に纏を襲った。
纏は即座に鞭を振るい、地面に打ち付ける。
反動で体を跳ね上げ、拳を紙一重でかわす。
纏
「単細胞ね……!」
鞭がしなる。
春日部の腕、肩、脇腹へと連続して叩き込まれる。
皮膚が裂け、血が飛ぶ。
だが、春日部は笑った。
春日部
「効いてねぇよォ!!」
次の瞬間、纏の腹部に膝蹴り。
内臓が揺さぶられ、息が詰まる。
纏
「っ……!」
距離を取ろうとした瞬間、春日部の手が鞭を掴む。
力任せではない、異様な“粘り”のある力。
春日部
「逃がさへんでェ!!」
引き寄せられ、頭突き。
視界が白く弾ける。
纏は歯を食いしばり、至近距離で鞭を首に巻き付け締め上げる。
纏
「……黙りなさい」
だが、次の瞬間。
春日部の霊力が一気に膨張した。
春日部
「気合が足りんのやァァ!!」
霊力の衝撃で鞭が弾かれ、纏の体が吹き飛ぶ。
壁に叩きつけられ、床に崩れ落ちる。
立ち上がろうとするが、脚が言うことをきかない。
春日部はゆっくりと近づき、見下ろした。
春日部
「悪くなかったで、女」
灰谷は、まるで散歩でもするような足取りで近づいてきた。
灰谷
「そんなに構えなくていいよ。
どうせ……結果は同じ」
真鴉は拳を握り、低く構える。
真鴉
「舐められるのは嫌いでして」
踏み込む。
一撃、二撃、三撃。
妖力を乗せた拳が、灰谷の顔面を捉え――ない。
灰谷の姿が揺らいだ。
灰谷
「遅い遅い」
背後。
肋骨に蹴りが叩き込まれ、真鴉は転がる。
真鴉
「っ……!」
立ち上がるより早く、次は腹。
内側に潜り込むような拳。
灰谷
「力はある。でも雑」
真鴉は歯を食いしばり、妖力でスナイパーライフルを出す
灰谷は後退するも、顔色ひとつ変えない。
灰谷
「へぇ……それ」
次の瞬間、灰谷の霊力が“質”を変えた。
粘つくような圧が、真鴉の体を縛る。
真鴉
(……重い!?)
視界が歪む。
呼吸が乱れる。
灰谷
「精神、脆いね」
拳が顎を打ち抜く。
真鴉の体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
立とうとするが、手が震える。
灰谷はしゃがみ込み、耳元で囁いた。
灰谷
「君さ……
迷いが多すぎるわ」
最後の蹴りが、後頭部に落ちた。
金属音が重なる。
刀と刀が火花を散らす。
神宮寺は歯を食いしばり、踏みとどまった。
神宮寺
「……重いな」
藤荊棘
「それでも受けるか。
美しい」
一閃。
神宮寺の肩が裂ける。
神宮寺は即座に距離を取り、妖力で刀を再構築する。
神宮寺
「俺は……まだ!」
突進。
連撃。
技量では互角――否、わずかに神宮寺が劣る。
藤荊棘の剣は“殺し”に最適化されていた。
藤荊棘
「迷いがある」
次の瞬間、神宮寺の刀が弾かれる。
腹部に深い一撃。
神宮寺
「がっ……!」
膝をつく。
藤荊棘は静かに構えを解いた。
藤荊棘
「霊力に達してなお、
命を賭けきれていない」
最後の一太刀が、神宮寺の視界を奪った。
幹部たちは倒れ伏した三人を、それぞれ無言で担ぎ上げた。
抵抗する力は残っていない。意識はあるが、身体が言うことを聞かない。
エレベーターを降りていく
一階、地下一階、さらにその下――。
地下二階。
空気が変わった。
湿り気を帯びた冷気と、鉄と血と消毒薬が混じったような匂いが鼻を刺す。
重たい鉄扉が軋む音を立てて開く。
そこは、人間を“保管”するためのフロアだった。
左右に並ぶ檻。
コンクリートの床。
天井には裸電球が等間隔に吊るされ、ちらつく光が影を歪める。
檻の中には、年齢も性別もまちまちの人間たち。
虚ろな目で壁を見つめる者、うずくまって震える者、既に声を失った者。
真鴉は歯を噛み締め、かすれた声を漏らす。
真鴉
「……ふざけんなよ……」
灰谷はその声に、ほんの少しだけ興味を示したように視線を向ける。
灰谷
「ここはね、
“壊れるまで”置いておく場所」
纏は檻の中の人間たちを見て、無意識に拳を握ろうとするが、力が入らない。
纏
「……最低……」
春日部が豪快に笑い、檻の扉を蹴り開ける。
春日部
「安心せぇや、今すぐ殺したりせぇへん!」
神宮寺は床に投げ捨てられ、荒い息を吐きながら天井を睨んだ。
神宮寺
「……こんな場所……」
藤荊棘が淡々と言う。
藤荊棘
「ここに来た者は、
“自分が何者だったか”を忘れる」
一人ずつ、檻に放り込まれる。
鉄格子が閉まる音が、やけに大きく響いた。
ガチャン。
その音と同時に、真鴉は理解した。
――自分たちは、完全に捕まった。
だが同時に、胸の奥で小さく、確かな怒りが灯る。
(……ここから、
這い上がってやる)
地下二階。
人間を閉じ込めるフロアで、三人は再び立ち上がる理由を、否応なく突きつけられていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
抗争編はいよいよ核心へと踏み込み、物語は一気に重苦しい局面へ入りました。
今回、真鴉・纏・神宮寺の三人は、それぞれの力と覚悟を持って挑みましたが、現実は容赦なく叩きつけられます。
「強いこと」と「勝てること」は同義ではない――その残酷さを、地下二階という場所に集約させました。
人間を閉じ込めるフロアは、単なる牢獄ではなく、
心を削り、尊厳を奪い、希望を摩耗させるための場所です。
彼らがここで何を見るのか、何を選ぶのかが、この抗争編の行方を大きく左右します。
一方で、別の場所では確実に事態が動いています。
怒りを抱えたまま一人残った存在、そして最上階で待つ“敵”。
次回、物語はそれぞれの立場と思惑が交錯し、さらに加速していきます。
彼らが再び立ち上がる瞬間を、どうか見届けていただければ幸いです。
次回48話ーー微かな灯火




