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霊業  作者: まんらび
2章
45/46

45話:信じる人

校外での任務は、教室とは違う顔を見せる。

静かな緊張、逃げ場のない選択、そして仲間の距離感。


信じるとは、言葉にするほど簡単じゃない。

それでも背中を預ける瞬間は、確かに訪れる。


夜の帳が下りる頃、

それぞれの“信じ方”が、試されようとしていた。

真鴉は白目を剥き、両手で頭を抱え込みながら絶叫していた。

 まるで頭の内側を無理やり抉られているかのように、全身が震える。


真鴉「出てくるなァ! 俺の記憶をォォ!! 見せんじゃねぇぇぇ!!」


 叫びと同時に、真鴉の手に妖力が集束する。

 瞬く間に形を成したスナイパーライフルが、闇の中で不気味な存在感を放った。


 ——バァンッ!!


 屋敷の静寂を切り裂く銃声が轟く。

 異様な反動と共に、床にひびが走り、埃が舞い上がった。


 その音に、離れた場所にいた輝がはっと顔を上げる。


輝「……今の、銃声?」


 一瞬の躊躇もなく、輝は走り出した。

 嫌な予感が、胸の奥で強く脈打っている。


輝「真鴉……!」


 曲がりくねった廊下を駆け抜け、辿り着いた先で、輝の目に飛び込んできたのは——

 頭を抱え、狂ったように呼吸を荒げる真鴉の姿だった。


 床に伏すその背中は、普段の軽薄さなど微塵も感じさせず、

 ただ過去に引きずり込まれ、必死にもがく少年そのものだった。


輝が真鴉の腕を掴んだ、その瞬間だった。


脳の奥を針で抉られたような鋭い痛みが走る。

視界が一瞬、白く弾けた。


——遊園地。

——歪む視界。

——血。

——泣き叫ぶ声。

——冷たい床に転がる小さな背中。


輝「っ……!」


輝は思わず膝をつく。

断片的で、つながらない。重すぎる記憶が、無理矢理流れ込んでくる。


輝(……これ、真鴉の……)


胃の奥がひっくり返り、吐き気が込み上げる。

喉までせり上がってきたそれを、必死に飲み込んだ。


輝「……真鴉……!」


震える声で名を呼ぶ。

今目の前にいるのは、いつもの軽薄な笑みを浮かべる相棒じゃない。

過去に引きずり込まれ、傷口を抉られ続けている“誰か”だ。


輝「大丈夫だ……落ち着け……!」


そう言いかけた瞬間——


乾いた銃声が屋敷に響いた。


輝「——っ!」


衝撃が肩を貫く。

鈍い痛みが遅れてやってきて、輝の体が大きくよろけた。


肩口から温かいものが溢れ出し、服を濡らしていく。


輝「ぐ……っ……!」


歯を食いしばりながら顔を上げると、

白目を剥いたままの真鴉が、スナイパーライフルをこちらに向けていた。


その指は引き金にかかったまま、わずかに震えている。


輝は痛みに耐えながら、ゆっくりと一歩前に出た。


輝「……俺はここにいる」


震える声でも、視線だけは逸らさない。


輝「お前一人に……背負わせねぇって言っただろ……」


数発、弾丸が身体を貫いた。衝撃に膝が折れ、意識が遠のきかける。

 一度は止まりかけた足が、それでも前へと踏み出される。


輝「……真鴉……!」


 名前を呼ぶ。喉が裂けるほどに。

 その瞬間、背筋にぞわりとした視線を感じた。


 ――見られている。


 闇の奥、どこからともなく声が落ちてくる。


???「おぉ? 君は過去に行ってないのか?」


 姿の見えない“何か”が、愉しげに言葉を続ける。


???「ほかの三人はもう行ってるよ? 早く君も行かないとさ」


 その声は甘く、底知れず、不快なほどに近かった。


輝は血の味を噛み締めながら、歯ぎしりして視線を上げた。

闇の中、視線だけがこちらを舐めるように見下ろしている。


輝「……過去、だと?

  真鴉をこんな目に遭わせてるのは……お前か?」


低く、怒りを押し殺した声。

肩の痛みも、身体に残る衝撃も、今はどうでもよかった。


???「そうだよ?」


くすり、と愉快そうな笑い声が空気を震わせる。


???「人間の“過去”ってさ、本当に素晴らしいんだ。

   弱さも、後悔も、絶望も……全部が詰まってる」


輝は一歩踏み出す。

床に落ちた薬莢を踏み、金属音が虚しく響く。


輝「ふざけるな……」


???「忘れようとしてる記憶ほど、美味しいものはないんだよ?」


姿は見えない。

だが、確かに“そこ”にいる。


???「だから親切にさ、思い出させてあげてるんだ。

   蓋をしたトラウマを、傷口をこじ開けるみたいにね」


輝の脳裏に、さっき触れた真鴉の記憶の断片がよぎる。

血、雨、泣き叫ぶ声――吐き気が込み上げる。


輝「……それを“素晴らしい”だなんて言うなら」


拳を握り、震える腕に力を込める。


輝「お前は最低だ」


闇の向こうで、楽しそうな気配が膨らんだ。


???「ははっ!

   いいね、その顔。守りたい人のために怒る目……最高だ」


輝は真鴉の方を見る。

白目を剥き、苦しみに喘ぐ親友の姿。


輝「……過去に行かなくても分かる」


ゆっくりと前を向き、闇を睨み据える。


輝「真鴉の過去は、お前が踏み荒らしていいもんじゃない」


???「うーん、君の過去すごいね。父と母、両方とも死んでるんだぁ」


嘲るような声が、耳元ではなく“頭の内側”に直接響く。


???「ん? おっと……僕の知り合いと会ってるじゃないか。からす――」


その言葉が最後まで紡がれることはなかった。


輝「他人の過去に……やすやすと足踏み入れてんじゃねぇぇぇ!!」


怒号が空気を震わせ、屋敷全体が軋む。

輝の視界が赤く染まり、喉の奥から獣のような息が漏れた。


???「ん?」


気の抜けた返事とは裏腹に、相手は確かに輝を見据えている。


胸の奥で、何かが決壊した。

これまで抑え込んできた感情、理性、計算――すべてが吹き飛び、純粋な怒りだけが残る。


輝「ぶち殺すぞ……ゴミが」


低く、しかし確実に殺意を孕んだ声だった。


???「殺す? 君が?」


クスクスと、心底楽しそうな笑い声。


???「君がとんでもなく弱いの、僕知ってんだよねぇ」


その瞬間、輝の拳がぎしりと音を立てて握り締められた。

恐怖でも動揺でもない――ただ、許せないという感情だけが、彼を前へと突き動かしていた。


横合いから、低く嗤う声が落ちてくる。


???「ほら、よそ見してると死ぬよ?」


 反射的に視線を走らせた先――

 真鴉が、虚ろな白目のまま輝へ銃口を向けていた。


輝「……真鴉」


 引き金が引かれる。


パンッ――!


 乾いた銃声。

 横腹に衝撃が走り、輝の身体が壁に叩きつけられる。


輝「ぐっ……!」


 息が詰まり、視界が一瞬歪む。

 だが、その刹那――


真鴉「……逃げろ」


 確かに聞こえた。

 幻でも、敵の声でもない。


輝「……っ!?」


 輝は歯を食いしばり、拳を強く握る。

 痛みを引きずりながら、それでも一歩、また一歩と真鴉へ近づいていく。


 銃口が、さらに正確に輝を捉える。


 輝は迷わず、その銃口の前に立った。


 そして、自分の額に押し当てる。


輝「……撃てよ、真鴉」


 静かで、揺れない声。


輝「戻ってきてるなら、撃て」


 引き金にかかった指が、わずかに震える。


 白目の奥で、何かが――

 確かに、抗っていた。


銃口が震え、指先から力が抜けていく。

真鴉の手にあったスナイパーライフルは、霧が風に溶けるように形を失い、空中で静かに消散した。


金属音はない。ただ、重力に抗えなくなった身体が床に崩れる音だけが残る。

真鴉は膝をつき、そのまま前のめりに倒れ伏した。呼吸は荒く、背中が小刻みに上下している。


しばらく、言葉が出なかった。

床に額をつけたまま、掠れた声が零れる。


真鴉「……なんで、そこまでして助けてくれるんだ?」


問いは弱々しく、まるで自分自身に向けたもののようだった。

撃てたはずだ。

拒めたはずだ。

それでも、そうしなかった理由が、自分には分からなかった。


輝は一歩近づき、倒れた真鴉の横にしゃがみ込む。

血と埃の匂いが混じる中、痛みに歪んだ身体を押さえながらも、その視線は真っ直ぐだった。


少しだけ息を整え、短く答える。


輝「……苦しんでるから」


それだけだった。

正義でも使命でもない。

過去を知ったからでも、同情でもない。


ただ、目の前で壊れそうになっている仲間がいる。

それだけで、十分だった。


真鴉の指が、わずかに床を掴む。

爪が立ち、震えが止まらない。


真鴉「……馬鹿だな、お前」


震え混じりの声で、そう呟く。

だが、その声音には、先ほどまでの狂気も殺意もなかった。


輝は小さく肩をすくめる。


輝「今さらだろ」


二人の間に、短い沈黙が落ちる。

その沈黙は重いはずなのに、不思議と息苦しくはなかった。


――信じる、という行為は、

言葉よりも先に、身体が動いてしまうものなのかもしれなかった。


輝は一歩踏み出そうとして、喉の奥からこみ上げたものを抑えきれなかった。


ごぼっ、と湿った音とともに血を吐き、そのまま膝が折れる。

床に倒れ伏す衝撃が、やけに遠く感じられた。


真鴉「輝ッ!!」


叫び、起き上がろうとする。

だが指先に力が入らない。脚も、胴も、言うことを聞かない。

まるで身体そのものが縫い止められているかのようだった。


真鴉「くそっ……動けよ……!」


そのときだった。


――ずるり。


天井の闇が歪み、何かが落ちてくる。

軽やかに、まるで重力など存在しないかのように。


???「あらら、戻ったの?」


拍手の音が響く。

乾いていて、場違いなほど楽しげな音。


???「すごいねぇ。初めて見たよ」


にこにこと笑いながら、両手を叩くその存在は、

人の形をしていながら、どこか決定的に“人ではない”。


???「あの地獄みたいな過去から、自力で抜け出すなんてさ」


視線が、倒れた輝へ向けられる。


???「こいつは他人を過去から引っ張りだせるのか厄介だな」


真鴉は歯を食いしばる。

怒りも恐怖も、後悔も、すべてが胸の奥で渦を巻いていた。


真鴉(……こいつが、全部……)


拍手が止む。


???「いやぁ、面白い。ほんとに面白いよ君たち」


その笑顔のまま、低く囁く。


???「――だからこそ、殺しとかないと後に響く、」


空気が、軋んだ。

再び“何か”が始まろうとしているのを、真鴉は本能で悟る。


倒れたまま動かない輝を、必死に見つめながら。


真鴉(頼む……やめてくれ……)


最後の一撃が輝に降りかかる。

衝撃で身体が宙に浮き、鈍い音とともに床へ叩きつけられた。


真鴉は声にならない呻きを漏らし、喉を引き裂くように叫ぶ。


真鴉「ああぁぁぁ!!」


???「最期は呆気ないねぇ」


その瞬間――

背後から鋭くしなる鞭が伸び、空気を裂いて妖怪の身体を弾き飛ばした。


???「……あれ?」


間の抜けた声が漏れる。


???「過去から戻ってきてる。なんで?」


そこに立っていたのは、

真鴉と同じく、過去に囚われていたはずの――纏だった。


???「君は纏ちゃんだよね? 話は聞いてるよ。外冠死業の裏切り者ってさ」


纏「それはどうも」


軽く肩をすくめる。その態度とは裏腹に、空気がわずかに張りつめる。


???「提案なんだけどね。君の腕を買っての提案だよ? 俺と組まない? 正直言ってさ、俺戦闘はからっきしで。君が来てくれたら、すごく助かるんだけど」


纏「ふふっ……」


思わず、笑いが込み上げた。


纏「いい提案ねぇ」


その言葉に、真鴉の胸が沈む。


真鴉(あぁ……こいつ、やっぱり敵なんだな)


落胆が広がった、その瞬間。


纏「馬鹿かよ」


???「は?」


纏「誰がテメェの仲間になんかなるかよ」


一歩、前に出る。


纏「死んどけ」


言い切りの声が、屋敷に冷たく響いた。


纏が輝に声をかけようとして、ふと視線を向けた瞬間だった。

その胸が、かすかに上下しているだけだと気づく。


血に濡れた床に倒れ、呼吸は浅く、今にも途切れそうだった。


纏は一瞬、時間が止まったように固まる。

次の瞬間、頭の中が凄まじい速度で回転し始めた。

状況、敵、距離、真鴉の状態、輝の傷――考えるべきことは山ほどあるはずなのに。


口から出てきたのは、それだけだった。


纏「……てめぇ」


低く、震えのない声。


纏「ぶち殺すぞ」


理屈も計算もない。

ただ、抑え込んでいた感情が、殺意という形で一気に噴き出しただけだった。


纏は苛立っていた。

胸の奥で渦巻く感情が、どうしても抑えきれない。


自分が過去にやってきたことだ。

それでも――。


???「そういえば君、どうやって過去から抜け出したの?」


その問いかけに、纏は一瞬だけ目を伏せた。


――数分前。


世界は歪み、音が遠のき、纏は“そこ”に立っていた。


纏は頭を抱えていた。

見覚えのある光景。

見覚えのある匂い。

見覚えのある視線。


どこに行っても同じだった。

学校でも、路地でも、逃げ場はなかった。


背中を押され、転ばされ、笑われる。

立ち上がろうとすれば、また捕まる。

殴られ、蹴られ、引きずられ、何度も何度も痛めつけられる。


息が詰まり、視界が滲む。


纏「……あ」


ふと、冷静な声が頭の中で響いた。


纏「あ、これ……私の過去だ」


叫びでもなく、悲鳴でもなく、ただの確認。

事実を事実として受け止めた瞬間だった。


逃げても無駄だ。

抵抗しても無駄だ。

誰も助けてはくれない。


纏は殴られ、蹴られ、床に転がされながらも、どこか冷めた思考で考えていた。


纏「……次はなんだっけ」


顔に飛んでくる罵声も、痛みも、もう何度も繰り返したものだ。

どうでもいい記憶は、細部まで覚えていない。


纏「どうでもいい記憶は……覚えてないや」


そう口にした瞬間だった。


視界の端に、見覚えのある影が飛び込んでくる。

次の瞬間、いじめっ子たちの体が宙を舞い、床に叩きつけられた。


輝が、そこにいた。


纏「……は?」


輝は無言で拳を振るい、次々と相手を叩き伏せていく。

まるで当たり前のように、纏の前に立ちはだかり、盾になる。


纏「なんで私の過去に、輝くんがいるのよ!」


叫んだ瞬間、世界が歪んだ。

音が引き伸ばされ、景色が滲み、視界が暗転する。


――少し、時間が飛ぶ。


次に映ったのは、中学校の教室だった。

席に座る纏を、教師は完全に無視している。

手を挙げても見向きもされず、存在しないかのように扱われる日々。


人生に、疲れ切っていた。


その時だった。


教室の扉が乱暴に開く。


輝「ちょっと待ってください」


教師の前に立ち、明らかに怒りを滲ませた声で食ってかかる。


輝「無視していい理由がどこにあるんですか。生徒でしょう」


教師は狼狽し、言い訳にもならない言葉を並べ立てる。

教室の空気が、ざわつく。


それを、纏は呆然と見ていた。


纏「……なにこれ」


喉がひくりと鳴る。


纏「私の過去じゃない?」


確かに見覚えがある。

確かに自分の過去だ。


なのに。


纏「……いや、確かに過去なのに」


視線を、再び輝に向ける。


纏「私の過去なのに……なんで、輝くんが出てくるの……」


答えは、どこにもなかった。


視界がぐにゃりと歪み、景色が巻き戻る。

そこは――外冠死業に入る直前の記憶だった。


纏「……ここに入れば、いじめられてるだけの私を変えられる?」


不安と期待がないまぜになった声。


アーノルド「うーん、それは自分次第だけどぉ? 悩んでるなら私が聞いてあげるわよぉ」


甘く、優しい言葉。

その瞬間の自分は、それを“救い”だと信じていた。


纏「ここが……私の救済の場所なんだ!」


その言葉を遮るように、はっきりとした声が響いた。


輝「違う!」


纏はハッとして振り向く。


纏「……え?」


そこに立っていたのは、いるはずのない人物だった。


纏「なんで……なんでいるの?

どうして私の過去に入ってこれるの?」


理解できない光景に、思考が追いつかない。


輝「ハゲジジイ!」


突然の怒号に、場の空気が凍る。


アーノルド「私がハゲ!?」


輝「あぁハゲだよ。

テメェのせいで纏が苦しんでんだよ!」


一歩前に出て、吐き捨てるように続ける。


輝「最初は甘い言葉かけてさ、最後は駒として使う?

ふざけてんじゃねえよ」


アーノルドを睨みつけ、そのまま纏の方へ振り返る。


輝「纏は俺たちが預かる。

てめぇらは――一生関わってくんな!」


その瞬間、世界が砕けるように崩れ落ちた。


気づけば、纏は現実に戻っていた。

息が荒く、胸が激しく上下する。


纏「……今のは……」


自分の胸に手を当て、呆然と呟く。


纏「まさか……輝くんのこと、信じすぎて……

深層心理にまで、輝くんっていう存在が現れたってことなの……?」


答えはない。

だが、その存在が“救い”だったことだけは、はっきりと分かっていた。


――銃声が、夜の屋敷に乾いた線を引いた。


纏は弾かれたように顔を上げる。


纏「……っ!」


考えるより先に、体が動いた。

床を蹴り、歪む景色を突き抜ける。廊下の闇、軋む床板、壁に染みついた怨念――すべてを置き去りにして、音のした方へ駆ける。


また一発、銃声。


纏「待って……!」


胸の奥が嫌な音を立てる。

嫌な予感が、確信に変わっていく。


曲がり角を越えた瞬間、光景が視界に飛び込んだ。


倒れ伏す輝。

血に染まる床。


纏「……っ、間に合って……!」


息を整える暇もなく、異様な気配が空間を満たす。

過去を弄ぶ“それ”が、愉快そうにその場を見下ろしていた。


???「はは……なるほどね。だから君は戻れたわけだ」


纏は一歩、前に出る。

視線は逸らさない。恐怖も、怒りも、全部飲み込んで。


鞭がバチッと地面を叩きつけられた。

乾いた音が屋敷中に響き渡り、まるで誰かに合図を送るかのようだった。


その瞬間――

真鴉の指先に、わずかな感覚が戻る。


真鴉は歯を食いしばり、床を引きずるようにして輝のもとへ這い寄った。

血に染まった身体を抱き寄せ、必死に呼びかける。


真鴉「まだ……まだ生きてる! 纏さん!!」


纏は一瞬だけ輝に視線を落とし、すぐに前を見据えた。

声は低く、だが迷いはなかった。


纏「分かってる……ここは任せて。

輝くんは……絶対に死なせないから」


そのやり取りを見て、妖怪は狂ったように笑い始める。

自分の首を爪で掻きむしり、皮膚を裂きながら叫んだ。


???「熱いね、あつい、あついあつい……!

気持ち悪いねぇぇぇ!!」


掻きむしる音と、歪んだ笑い声が重なる。


???「なんでそんな過去を嫌う!!」


怒号が屋敷に反響し、空気が震えた。

だがその叫びとは対照的に、纏の瞳は冷え切っていた。


鞭が唸る。


空気を裂く音と同時に、纏の身体が一気に前へ出た。

足音はない。ただ、影が跳ぶ。


鞭が弧を描き、妖怪の頬をかすめる。

皮一枚、だが赤い線が走り、血が滲んだ。


???「ひゃはっ……速いねぇ!」


笑いながらも、身体は確実に後退している。

纏は詰める。間合いを与えない。


鞭が地面を叩く。

バチン、と乾いた破裂音。

床が抉れ、破片が跳ねる。


???「過去を!思い出せば!人は壊れる!それが美しいんだろォ!?」


纏「――美しい?」


一瞬、纏の目が細まった。

次の瞬間、踏み込み。


鞭が首元を狙って伸びる。

妖怪は咄嗟に跳び退くが、完全には避けきれない。


布が裂け、肩口が露わになる。


???「チッ……!」


初めて、明確な舌打ち。

その隙を、纏は逃さない。


鞭を手首に巻き付け、身体を回転させる。

遠心力で加速した一撃が、横薙ぎに放たれる。


???「ぐっ……!」


腹部に直撃。

吹き飛びはしないが、確実に体勢が崩れた。


纏「過去はね」


間合いゼロ。

鞭を引き戻し、肘打ち。


纏「乗り越えるもんであって――」


拳が顎を捉える。


纏「弄ぶもんじゃないのよ」


???が床を転がる。

すぐに立ち上がるが、呼吸が乱れている。


???「っは、はは……いいねぇ……君……!」


纏は構えを解かない。

一歩、また一歩と詰める。


背後では、真鴉が必死に輝を庇っている。

その姿を、纏は一瞬だけ視界に入れた。


鞭が再び鳴る。

速度はさらに上がる。


妖怪は応戦するが、完全に受け身だ。

一撃一撃が、確実に追い込んでいく。


鞭が唸る。

空気を裂く音と同時に、纏の身体が前へ滑り込む。


妖怪が腕を振り上げるよりも早く、鞭がその手首に絡みつき、強引に引き倒した。

床を削りながら妖怪が引きずられる。


???「チッ……!」


踏み込み、踵が床を叩く。

距離を詰めた瞬間、鞭を解除し拳を叩き込む――が、妖怪はギリギリで受け止めた。


衝撃で空気が弾ける。


???「はは……!いいねぇ、その殺意!」


妖怪の背後から黒い靄が噴き上がる。

空間が歪み、無数の“記憶の欠片”が刃のように浮かび上がった。


???「もっと見せてあげるよ!君自身の“後悔”を!」


纏が舌打ちする。


纏「……鬱陶しい」


鞭を地面に叩きつけ、反動で跳ぶ。

空中で回転しながら、飛んでくる記憶の刃を寸分違わず弾き落とす。


互角――いや、わずかに纏が押している。


だが。


???「そろそろ……本気、出そうか」


妖怪の身体に走る赤黒い紋様。

靄が凝縮され、腕が異様に膨れ上がる。


一瞬の隙。


纏の脇腹を、強化された一撃が掠めた。


纏「っ……!」


壁に叩きつけられ、床を転がる。

立ち上がろうとするが、妖力の圧が重くのしかかる。


???「どうしたの?さっきまでの余裕は?」


その時だった。


「――やれやれ」


低く、よく通る声。


空気を切り裂く音と同時に、妖怪の背後に衝撃が走る。

見えない何かに殴り飛ばされ、妖怪が吹き飛んだ。


猿渡「ヒーローは遅れてやってくるもんでごわす」


猿渡が一歩前に出る。

視線はまず、倒れている輝へ。


猿渡「……」


傷を一瞥し、即座に状況を理解する。


猿渡「纏殿、簡潔に」


纏「過去を見せて精神を削るタイプ。輝くんが庇って致命傷...一刻を争う」


猿渡のこめかみに血管が浮き上がる。


猿渡「……そうか」


羽織を脱ぎ、真鴉へ放る。


猿渡「真鴉殿。輝殿に被せてやれ」


真鴉「は、はい!」


震える手で羽織を掴み、輝の身体に被せる。


猿渡は真鴉に一瞬だけ目を向けた。


猿渡「……頑張ったな」


次に、輝を見る。


猿渡「根性あんじゃねぇか」


ふっと、笑った。


そして妖怪へ向き直る。


猿渡「さて……」


足を踏み出す。


猿渡「こいつは珍しい奴がお見えになってますな」


纏「知ってるんですか?」


猿渡「あぁ。名前はどき

纏殿たちが食らった“過去を見せる”って術で、人間が苦しむ姿を見るのが大好物な妖怪でごわす」


鬨「褒められてる?」


猿渡「褒めちゃいねぇ。

こいつがいたから、廃人が出てたってわけでごわすか」


猿渡が刀の柄に手をかける。


猿渡「悪趣味も、ここまで来ると――」


低く、鋭い声で言い切った。


猿渡「――苛立ちしかのこんねぇな」


真鴉が叫ぶ。


真鴉「輝の息が薄くなってきてる!」


抱きかかえた腕の中で、輝の胸の上下が弱々しくなる。

真鴉の声は震え、珍しく目尻に涙が滲んでいた。


猿渡「……早いな」


猿渡は一瞬だけ輝に視線を落とし、すぐ前を向く。


猿渡「2分で終わらせましょう!」


纏が一歩前に出る。

鞭を握る手に力が籠もり、地面を蹴った。


纏「上等。時間制限付きね」


鬨が歪んだ笑みを浮かべる。


鬨「過去を否定する奴らが……何を――」


言葉の途中、鞭が唸りを上げて飛ぶ。

空気を裂く音と同時に、鬨の首元を狙った一撃。


鬨は後ろに跳び、寸前でかわす。


鬨「速いねぇ!」


猿渡「余所見してる暇はありませぬぞ!」


猿渡が踏み込み、掌底を地面に叩きつける。

衝撃波が走り、屋敷の床板が砕け散る。


鬨は跳躍し回避するが、着地の瞬間を逃さない。


纏「逃がさない!」


鞭が蛇のようにしなり、鬨の脚に絡みつく。

強く引き、体勢を崩した瞬間――


猿渡の拳が唸る。


猿渡「鬨、覚悟!」


重い一撃が胴に突き刺さり、鬨の体が吹き飛ぶ。

壁に叩きつけられ、ヒビが走る。


鬨「ぐっ……!」


纏は追撃を止めない。

距離を詰め、鞭を何重にも振るう。


纏「過去を弄ぶのが楽しい?――最低」


鞭が鬨の身体を打ち据え、悲鳴が上がる。


鬨「や、やめろ……!」


猿渡が一歩踏み出し、低く告げる。


猿渡「人の心を玩具にする輩に、情けは無用でごわす」


猿渡と纏、同時に動く。


纏の鞭が鬨の動きを完全に封じ、

猿渡の渾身の一撃が正面から叩き込まれた。


轟音。


鬨の体が崩れ、黒い靄となって霧散する。


――沈黙。


猿渡「……討伐完了」


纏はすぐ振り返り、真鴉と輝の元へ駆け寄る。


纏「輝くん!」


真鴉「頼む……頼むから……!」


猿渡も膝をつき、輝の状態を確認する。


猿渡「……急いで病院連れて行かないと」


真鴉の肩が小さく震えた。


猿渡「よく耐えたな」


猿渡は真鴉の頭に、軽く手を置く。


猿渡「そして……輝殿」


意識のない輝を見て、猿渡は小さく笑う。


猿渡「根性、ありすぎでごわすよ」


深夜四時。

病院の廊下は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。


集中治療室の前、赤いランプだけが淡々と点灯している。

真鴉はベンチに座ることもできず、立ったまま拳を握り締めていた。

指先が白くなるほど力を込めても、胸の奥のざわつきは一向に収まらない。


やがて、治療室の扉が開き、白衣の医師が姿を現した。


医師「……ひとまず、応急処置は終わりました」


真鴉「っ……!」


医師「ですが、かなり特殊な傷です。弾痕のようで、そうではない。正直に教えてください、どうやってこの傷を――」


真鴉は言葉に詰まった。

喉がひくりと鳴り、視線が宙を彷徨う。


真鴉「そ、それは……その……」


妖力、妖怪、任務。

どれもここでは“説明不能”な言葉ばかりだった。


その時、背後から低く落ち着いた声が割り込む。


猿渡「妖力の弾による傷でごわす」


真鴉と纏が同時に振り返る。


猿渡「弾そのものは既に消失。最大の殴打痕は、鬨との戦闘中に受けたものでごわす」


纏「……説明しても、信じてもらえないんじゃ……」


医師は一瞬だけ目を伏せ、そして静かに頷いた。


医師「了解しました。こちらも把握しています。最大限の治療にあたります」


真鴉「……え?」


思わず声が漏れる。


猿渡はにやりと笑った。


猿渡「ここの病院は、妖力使いと霊能力者御用達でごわすよ」


その言葉に、張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。


真鴉はその場にへたり込み、両手で顔を覆う。


真鴉「……生きてる……」


纏は壁にもたれかかり、静かに息を吐いた。


纏「……死なせないって言ったでしょ。約束は守る主義なの」


猿渡は集中治療室の扉を一瞥し、真鴉の肩をぽんと叩いた。


猿渡「よく頑張ったでごわす。あとは、輝殿の根性を信じるだけ」


ランプはまだ赤いままだ。

それでも、先ほどまでとは違う。


“戻ってくる”

誰も口にしないその言葉が、三人の胸の奥で、確かな重みを持って灯っていた。

今回の任務は、敵を倒す話というよりも、

「過去」とどう向き合うかを突きつけられる回でした。


真鴉は、忘れようとしても決して消えない喪失と罪悪感を。

纏は、信じることでしか前に進めなかった過去を。

そして輝は、誰かの痛みを自分のもののように背負い、

その結果として命を削るほどの覚悟を見せました。


鬨という妖怪は、ただの強敵ではありません。

彼は「思い出さなくてもいいはずの記憶」を無理やり暴き、

人が必死に積み上げてきた現在を壊そうとする存在でした。

だからこそ、今回の戦いは肉体よりも心が削られる戦いです。


それでも――

真鴉は逃げなかった。

纏は裏切らなかった。

輝は信じることをやめなかった。


そして遅れてやってきた猿渡が示したのは、

「お前たちはもう、一人で戦う段階じゃない」という現実でした。


信じることは弱さじゃない。

誰かの過去を否定しないことは、甘さでもない。

それを証明するための一戦が、ここでようやく終わります。


次は――

傷ついたままの彼らが、

何を選び、誰を守るのか。


次回46話ーー同じ道をいく

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