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霊業  作者: まんらび
2章
44/46

44話:任務

特別授業――

そう聞けば、少し気が抜けて、少しだけ胸が躍る。

見慣れない場所、夜の屋敷、肝試しめいた調査。

軽い気持ちで踏み込んだ先に、何が待っているのかなど、誰も深く考えはしない。


だがこの任務は、

敵を倒すためのものではない。

逃げてきた記憶、目を背け続けた感情、

心の奥に沈めてきた“過去”そのものが牙を剥く。


これは、

強さを試す話ではなく、

自分自身と向き合う話。

薄暗い部屋の中央。

一人の鴉天狗が静かに座し、瞑想を続けていた。

極限まで研ぎ澄まされた聴覚が、分厚い壁の向こう側の会話を拾い上げる。


漸義「おいおーい、アーノルド」


アーノルド「んもぉー、なぁに? 私は青龍の封印解除で忙しいーの!」


漸義「その件なんだがァな……お前の部隊、全滅だってよ」


アーノルド「んえ!? 嘘でしょ!? 私の男の子抱き隊が!?」


漸義「そのカスみたいな名前、やめろ」


アーノルド「誰が……誰が私の子たちを……!」


漸義「禍津学園だってよ」


その瞬間。

鴉天狗が、すっと立ち上がった。


重々しい足取りで扉へと向かい、静かに開く。

扉の向こうに立つ漸義の前へ、無言のまま姿を現す。


部屋の空気が、わずかに軋んだ。


鴉天狗「……禍津学園?」


低く、感情の読めない声。


漸義「ど、どうした?」


漸義が怪訝そうに尋ねる。


鴉天狗「いや……なんでもない」


それだけ言い残し、鴉天狗は踵を返した。

去っていく背中を、漸義とアーノルドが無言で見つめる。


――その背中で、確かな殺気が渦巻いていることに、二人は気づいていなかった。


鴉天狗(百目鬼 白哉……)


鴉天狗の瞳が、暗く細められる。


鴉天狗(あの時、俺が逃がしたガキが……組織の“脅威”になったか)


静かに、だが確かな憎悪が胸に灯る。


鴉天狗(場所を特定して。

――この手で、必ず殺してやる)


闇の奥へと、鴉天狗の気配が溶けていった。


早朝。

薄い朝靄の中、寮の廊下は慌ただしい足音で満ちていた。


生徒たちは次々と制服に身を包み、教室へ向かう準備を整えている。

その流れの中で、ひときわ浮いている二人がいた。


真鴉と輝――なぜか二人だけ、私服のままだ。


大熊「なにしてんだ? 遅れるぞ?」


廊下の先で振り返った大熊が声をかけると、真鴉は肩をすくめ、意味ありげに口角を上げた。


真鴉「いやぁ〜」


ニヤニヤとしたその表情に、大熊は眉をひそめる。


輝「真鴉、俺らはお前らと違うんでw」


大熊「んん?」


意味が分からず首をかしげる大熊。

その背後から、少し遅れて足音が近づいてくる。


纏が現れ、自然な動きで輝の後ろに立った。


輝は一瞬だけ振り返り、彼女の存在を確かめると、小さく頷く。


輝「じゃあ行こうか、教室」


そう言って歩き出す輝と真鴉。

制服の列から外れた私服の背中を、周囲の生徒たちは不思議そうに見送っていた。


――その二人が、これから“通常授業ではない何か”へ向かうことを、まだ誰も知らなかった


教室で各自が席についていると、扉が開き天城が入ってきた。

ざわついていた空気が、一瞬で静まる。


天城「輝、真鴉、纏。この三人は任務に向かう」


教室がどよめく。


真鴉「いや〜、困っちゃうなぁ〜」


福留「なんか……調子乗ってる...」


天城「さっき言った三人は、この後すぐ引率と合流し、現場へ向かえ」


そう言って天城は手元の資料を一枚めくる。


天城「今回の任務だが――とある屋敷に肝試しに行った人間が、次々と廃人状態になり、その後自害に至る事件の調査だ」


教室の空気が一段と重くなる。


真鴉「てか、こういう任務の依頼者って誰なんだ?」


天城「毎回違う。前回の郷里島は、旅館の女将からの依頼だったな」


福留&大熊「女将さん!?」


天城「ああ。女将はこっち側の人間だ。とっくに引退しているがな」


驚きと緊張が入り混じる中、輝・真鴉・纏の三人は顔を見合わせる。

新たな任務が、静かに動き出そうとしていた。


天城が教卓の前から一歩下がり、三人を順に見渡した。


天城「……輝、真鴉、纏。以上だ。検討を祈る」


一瞬、教室が静まり返る。


輝「……はい」


真鴉「了解っす、先生」


纏「……分かりました」


三人が教室を出ようとした、その背に天城が付け加える。


天城「無理はするな。命を賭ける任務じゃない――“調査”だ。忘れるな」


真鴉「はいはい、分かってますって」


廊下に出ると、朝の空気がひやりと肌を撫でた。


輝「……ちょっと緊張するな」


纏「初めての正式任務だものね」


真鴉「まぁまぁ、猿渡さんが引率なら安心だろ?」


その視線の先。


校舎の外壁にもたれかかるように、腕を組んだ男が立っていた。


猿渡「おぉ、来た来た。お三方」


真鴉「待ってましたよ、猿渡さん」


猿渡は口の端を吊り上げ、いつもの芝居がかった調子で言う。


猿渡「此度の任務、某が引率役でござる。肝試し屋敷――なかなか香ばしい案件でござんすなぁ」


輝「……笑い事じゃないですよ、それ」


猿渡「ははっ、怖がってるうちは正常ってことよ」


そう言って背を向け、歩き出す。


猿渡「ほれ、さっさと行きやしょう。日が高いうちに現場を見ておきたい」


真鴉「よっしゃ、行くか」


纏「……」


輝「大丈夫だよ、纏。一緒に行こう」


纏は小さく頷き、三人は猿渡の後を追って歩き出した。


屋敷に到着したものの、昼間ということもあり異変は見当たらなかった。

不気味な気配も、霊的反応もなし。

成果ゼロのまま、四人は重い足取りで近くのビジネスホテルへ向かい、チェックインを済ませる。


部屋に入るなり、猿渡が腕を組んで唸る。


猿渡「二度目の調査は夜の三時……今は……えーっと……」


額に指を当て、しばし沈黙。


猿渡「……今、十二時でごさんすから……」


さらに考え込み、


猿渡「……何時間後だ?」


真鴉がため息混じりに口を挟む。


真鴉「今は昼の十二時。夜の三時までは十五時間後だな」


猿渡「おぉ!流石でごさるな!」


輝「猿渡さん、計算弱すぎません?」


猿渡「うるさいでごわす!某は勘で生きてるタイプでごさる!」


纏は窓の外を静かに見つめながら、小さく呟く。


纏「……十五時間、か」


不穏な夜が来るまで、まだ時間はある。

だが、その静けさこそが、嵐の前触れのようにも感じられた。


真鴉は大きく伸びをし、欠伸を噛み殺しながら首を鳴らした。


真鴉「ふぁ〜……。なぁ猿渡さん、輝、あと……纏さん、でいいのか?」


纏は一瞬だけ驚いたように目を瞬かせ、小さく頷く。


纏「……うん、それで」


真鴉「じゃあさ、飯でも食いに行きません? 流石に腹減ってきた」


輝「確かに。ホテル飯って感じもしないし」


猿渡は腹を押さえて大袈裟にうなずいた。


猿渡「賛成でごさんす! 某、こう見えて腹が鳴ると仕事できねぇでごわす!」


軽口を叩き合いながら、四人はホテルの自動ドアを抜けて外へ出る。

昼下がりの街は平和そのもので、先ほどまでの“廃人が出る屋敷”という言葉が嘘のようだった。


輝は歩きながら、ふと屋敷のあった方向へ視線を向ける。


輝(……昼は何も起きない。夜だけ、か)


纏も同じ方向を見ていた。

その横顔はどこか硬く、覚悟を決めているようにも見える。


真鴉「ま、腹ごしらえしとかないと三時とか絶対もたないしな」


猿渡「でごさんすなぁ。夜は長いでごわす」


―――ビジネスホテル近くのラーメン屋。


深夜営業の店内は、脂と出汁の匂いが混じり合い、どこか落ち着かないのに妙に安心する空気が流れていた。

カウンター席に並んで、四人は無言で丼と向き合っている。


真鴉は割り箸を割り、湯気の立つラーメンを覗き込んだ。


真鴉「……こういう時に食うラーメンって、なんでこんなに美味そうなんだろな」


輝「分かる。何か起こる前とか変に腹減るよね」


輝はレンゲでスープを一口すすり、思わず目を細めた。


輝「あ、これ当たりだ」


猿渡「ほほぉ〜、某はこういう俗っぽい食い物も嫌いじゃぁござんせん」 そう言いながら、猿渡は豪快に麺をすすり、むせた。


猿渡「ぶほっ!……熱っぅ!!」


小さく笑いが漏れる。

その一方で、纏は静かに箸を持ち、黙々と麺を口に運んでいた。


輝「……纏さん、口に合う?」


少し間を置いて、纏は小さく頷く。


纏「……うん。こういうの、久しぶり」 一瞬だけ、表情が緩んだ。


真鴉「そっか。じゃあ来て正解だな」


再び店内に、麺をすする音だけが響く。


猿渡「食ったら少し休むでごさんすよ。夜三時が本番よォ!……」


時間もまだ余っているため、四人は一度ホテル前で足を止めた。


輝は伸びをしながら、隣の真鴉を見る。


輝「真鴉、どっか行く?」


真鴉「んー……特に考えてねぇな。そこら辺ブラブラして、あとは部屋で仮眠が妥当じゃないか?」


輝「賛成!」


軽い調子で即決する二人に、猿渡が肩をすくめる。


猿渡「あっしは廃墟周りの偵察に行くでごわす。夜の調査前に下見はしときてぇからな」


輝「了解。……纏さんはどうする?ついてくる?」


その問いに、纏は一瞬だけ視線を落とし、迷うように指先を握ったあと、小さく――本当に小さく頷いた。


真鴉「じゃ決まりだな」


三人は並んで歩き出す。

昼の街は妙に穏やかで、これから起きる“夜”の気配など微塵も感じさせなかった。


しかし、纏だけはふと振り返る。


遠くに見える屋敷の方角。

昼間だというのに、そこだけが妙に影を落としているように見えた。


纏(……気のせい、よね)


自分に言い聞かせるように小さく息を吐き、彼女は輝たちの後を追った。


時間を潰すため、三人は駅前をぶらぶらと歩いた。

古びた商店街、錆びた看板、昼間なのにどこか薄暗い路地。


真鴉は自販機で缶コーヒーを買い、輝は意味もなくガチャガチャを回し、

纏は二人の少し後ろを、静かについてくる。


特別な会話はなかった。

だが、沈黙が重いわけでもない。


やがてホテルへ戻り、それぞれ短い仮眠を取る。


そして――夜。


時計の針が、午前二時半を指した頃。

アラームより先に、胸の奥がざわついて目が覚める。


真鴉「……来るな」


輝「うん、同感」


纏は既に起きていて、窓の外を見つめていた。


纏「……空気が、昼と全然違う」


廃屋敷のある方角から、

じっとりとした“何か”が、這うように流れてくる。


その時、ドアをノックする音。


コン、コン。


猿渡「時間でごわすよ。

……遊びは終わり、仕事の時間でごさんす」


真鴉「こっからが仕事、ってわけだな」


輝は深く息を吸い、吐く。


纏は一瞬だけ俯き――そして、覚悟を決めた目で顔を上げた。


纏「……行こう」


四人は夜の街へ踏み出す。


屋敷の門は、半ば倒れるように開いたままだった。

錆びた蝶番が風に揺れるたび、ぎぃ……と、喉の奥を引っ掻くような音を立てる。


屋敷の門を越えた瞬間、空気が変わった。


昼間に見た時とは違う。

夜の闇に沈んだ屋敷は、まるで呼吸している生き物みたいだった。


軋む音。

風が吹くたび、どこかで木が擦れる


猿渡「怨念が溜まる場所ってぇのは、だいたい“人が軽い気持ちで踏み込む”んでごさんす」


輝は黙ったまま、足元を見ていた。

床板に残る無数の擦り跡。

誰かが、何度も同じ場所を行き来した痕だ。


纏は少し後ろを歩いている。

屋敷に入ってから、ずっと言葉が少なかった。


猿渡「よし。分散調査でごわす。異変があったら即合流」


真鴉

「了解。じゃ、俺は二階行く」


猿渡

「輝殿は?」


「……俺は、一階見ます。纏さん、一緒でいい?」


こくりと頷いた。


床には古い靴跡。

新しいものも、古いものも混じっている。


輝「……人、結構来てるね」


猿渡「それで、帰ってこなくなる……でごわす」


しばし沈黙。


真鴉「……じゃあ、行きますかぁ」


輝「だね」


猿渡「無理は禁物でごわすよ」


真鴉は階段を使って2階へ

輝と纏は左手の廊下を進むことになった。


真鴉は鼻歌交じりに歩いていたが、途中で足を止めた。


真鴉「……あ?」


床に、引きずられたような跡。

そして、乾いた――赤黒い染み。


真鴉「……廃人になり、自害か」


壁に手をつくと、ゾッとするほど冷たい。

まるで、生き物の皮膚のようだった。


真鴉「……笑えねぇな」


奥の和室に入ると、中央にぽつんと置かれた座布団。

その上に、紙切れ。


真鴉「メモ……?」


拾い上げる。


『みている

 きいている

 ここにいる』


真鴉「……はいはい、テンプレテンプレ……」


そう強がりながらも、指先がわずかに震える。


その時。


背後で、畳が――ミシ、と鳴った。


真鴉「……」


振り向く。


誰もいない。


真鴉「……猿渡さん?輝?」


返事はない。


代わりに、天井から――ポタ、ポタ、と音がする。


真鴉が見上げた瞬間、

視界の端で、“何か”が這うように消えた。


真鴉「……はは」


乾いた笑いが漏れる。


真鴉「……これは、長居する場所じゃねぇな」


一階・奥の廊下


輝と纏の二人が進んだ廊下は、やけに長く感じた。


壁に掛けられた古い写真。

顔が黒く塗り潰されているもの、割れているもの、何も写っていない額縁。


輝「……嫌な感じ」


纏「……こういう場所、慣れてると思ってた」


え?慣れてないよぉ」


纏「ふふっ意外と怖がり?」


その瞬間。


―――ぴちゃり


床に、水が落ちた音。


輝「……水?」


見上げた天井は、乾いている。

だが、確かに音は“上”からした。


次の瞬間、

空気が歪んだ。


視界の端が黒く滲み、

耳鳴りのような低い声が、直接頭に響く。


???『―――思い出せ』


輝は反射的に一歩下がった。


その瞬間、

目の前に“何か”が現れかける。


だが――


輝「……っ!」


見ない。


直感的にそう判断し、目を閉じたまま身を捻る。


何かが、

ぎりぎり頬をかすめて通過した。


床に落ちる音。

黒い影が、形を成しきれずに消える。


輝「……今の、ヤバいやつだ」


だが。


輝が目を開けた瞬間、

隣にいるはずの纏が、いなかった。


輝「……纏さん?」


別室・纏


纏は、気づいたら別の部屋に立っていた。


さっきまでの廊下はどこにもない。

代わりにあるのは――


血の匂い。

湿った空気。

床に散らばる、見覚えのある“光景”。


纏「……嘘……」


そこは、過去だった。


自分が、

黒いローブを纏っていた頃の場所。


泣き叫ぶ人間。

縛られた“供物”。

命乞いの声。


???『逃げた』『殺した』『助けなかった』


纏「やめて……」


足が、動かない。


目の前に“自分”がいる。

無表情で、人を突き落とす自分。


???『お前は悪だ』


???『今さら後悔しても遅い』


胸が締め付けられる。

呼吸が浅くなる。


纏「……私は……」


膝が、床についた。


その瞬間、

影が纏の背後に“はっきりと”立ち上がる。


???『―――だから、死ね』


一階・廊下(輝)


輝は、嫌な予感しかしなかった。


輝「……くそ」


空気が重い。

明らかに、纏の方にだけ強い妖気が集中している。


自分の胸が、少しだけざわつく。


でも、輝はそれを無理やり押し込めた。


輝「……助けないと」


そして、走り出す。


―――纏の方へ。


真鴉は一人、部屋を探索していた。


真鴉「静かだな」


その瞬間。


視界が、唐突に暗転する。


真鴉「——っ!?」


頭に、直接叩き込まれるような感覚。


過去の声。

過去の光景。

過去の“選択”。


真鴉「あぁっ……!」


こめかみを押さえ、膝をつく。


真鴉「あぁっ!胸糞悪ぃことしやがってぇぇえ!!」


荒い息が、喉を裂くように漏れる。

視界が白く、そして黒く染まっていく。


——シャットアウト。


音も、光も、感覚も、途切れていく。


真鴉「……っ、く……」


歯を食いしばり、床に拳を叩きつける。


真鴉「……過去なんざ、今さら引っ張り出すんじゃねぇ……!」


震える呼吸の中で、

それでも意識は、辛うじて繋ぎ止めていた。


―――真鴉の視界が、ぐにゃりと歪んだ。


頭を抱えた瞬間、床の軋む音も、屋敷の湿った空気も、すべてが遠のいていく。

代わりに、やけに鮮明な「音」だけが耳に流れ込んできた。


 


―――カラン、カラン。


 


楽しげなベルの音。

甘ったるいポップコーンの匂い。

色とりどりのネオン。


真鴉(10)

「遊園地まだぁ〜?」


少し前を歩く母が振り返って、困ったように笑う。


真鴉・母

「まだよ、もうすぐだから」


隣で地図を広げている父が首を傾げる。


真鴉・父

「おっかしいなぁ……ここら辺だと思うんだけど」


幼い真鴉は、妹の手を引きながら文句を言う。


真鴉(10)

「えー、絶対迷ってるでしょー」


妹がくすくす笑う。

他愛のない、どこにでもある休日。


―――その瞬間。


キキィィィィィッ!!


耳を裂くようなブレーキ音。

視界いっぱいに迫る、赤い車体。


真鴉

「―――え?」


ドンッ!!!


世界がひっくり返る。

衝撃で宙を舞い、地面に叩きつけられる感覚。


悲鳴。

ガラスの割れる音。

金属が歪む鈍い音。


そして―――


静寂


次に目に入ったのは、動かない父と母だった。

血に染まったアスファルト。

呼びかけても、返事はない。


真鴉(10)

「……え、ねぇ……?」


喉が引き攣り、声が出ない。

妹が泣き叫ぶ声だけが、やけに遠くで響いている。


真鴉(10)

「やだ……やだ……起きてよ……」


父の手に触れた瞬間、冷たさが伝わる。


真鴉(10)

「……ぁ……」


理解してしまった。

してはいけない理解を。


―――その瞬間、景色が真っ黒に塗り潰された。


真鴉「―――あぁっ!!」


屋敷の廊下で、真鴉が膝をつく。

息が荒く、肩が大きく上下する。


真鴉

「あぁっ……くそ……ッ……!」


再び視界が暗転した。


そこは、薄暗い居間だった。

古い畳は擦り切れ、壁には黄ばんだ染みが浮いている。

空気は重く、息をするだけで胸の奥が痛んだ。


――十一歳の、真鴉。


真鴉(11)「……ごめんなさい……」


俯いたまま、か細い声が床に落ちる。

その前に立つのは、酒臭い息を吐く引き取り先の男だった。


引き取り先の人

「はぁ? 謝りゃあ済むと思ってんのか?」


男は舌打ちし、乱暴に頭を掻く。


引き取り先の人

「全く……あいつら、いらんことしやがって……」

「こんなガキ二人よこされてよぉ、どうしろってんだよ」


視線の端に、怯えた妹の姿が映る。

真鴉は、反射的にその前に立った。


引き取り先の人

「飯? 知るか。金かかるんだよ、お前らみたいな出来損ない」


食卓には何もない。

腹は鳴るが、鳴らすことすら許されない空気。


日々は続いた。

罵声、罵声、罵声。

殴られ、蹴られ、存在を否定される毎日。


――それでも、耐えた。

妹が生きていくためなら、どれだけでも。


時は流れ、真鴉は十七になっていた。


その日も、いつも通りだったはずだった。


引き取り先の人

「おい、ガキ……」


男の視線が、妹に向く。

いやらしく歪む口元。


引き取り先の人

「似てきたなぁ……血は争えねぇってか?」


真鴉の中で、何かが切れた。


真鴉

「……触るな」


低く、押し殺した声。


引き取り先の人

「あ? なんだその目は――」


次の瞬間。

拳が、音を立てて顔面に叩き込まれた。


床に倒れる男。

驚きと恐怖が混じった声。


引き取り先の人

「な、なにしやが――」


言葉は最後まで出なかった。


殴る。

殴る。

殴る。


止まらない。

止める理由が、もうどこにもなかった。


血の匂いが部屋を満たす頃、

男は二度と動かなくなっていた。


真鴉は、荒い息をつきながら立ち尽くす。

手は震え、拳は赤く染まっている。


背後で、妹が泣いていた。


真鴉

「……大丈夫だ」


震える声で、それでも言った。


真鴉

「もう……傷つけさせないから...」


真鴉は、自分が“喧嘩強い”という事実に気づいた。


殴れば勝てる。

勝てば金になる。

それだけを頼りに、生き延びていた。


路地裏で、人気のない繁華街で、理由なんてどうでもいい小競り合いを繰り返し、そのたびに小銭や札を奪う。

拳は痛んだが、腹は満たせた。

それで十分だった。


夜。

借りた、というより“転がり込んでいる”だけの小さな部屋の扉を開ける。


妹「兄ちゃん!」


声と同時に、小さな影が駆け寄ってくる。

妹だった。


妹「ねえねえ、本! 新しい本ほしい!」


無邪気な声。

その声だけが、真鴉を現実につなぎ止めていた。


真鴉は頭をかきながら、少し気まずそうに視線を逸らす。


真鴉「……どれがいいか分かんなかったからさ」


鞄から取り出したのは、一冊の絵本。

色あせた表紙だが、物語はちゃんと残っている。


真鴉「これで、いいか?」


妹は一瞬きょとんとしたあと、ぱっと目を輝かせた。


妹「わあ……!」


両手で絵本を抱きしめ、勢いよく真鴉に飛びつく。


妹「ありがと!!」


その温もりに、真鴉は一瞬だけ目を伏せた。


――守るものがある。

それだけが、あの地獄の中で、彼を“人間”に繋ぎ止めていた。


包丁の一定のリズムだけが、狭いキッチンに響いていた。

古いアパート。湿った空気。油の匂い。


真鴉はコンロの前に立ち、慣れた手つきで鍋をかき混ぜている。

背後では、畳の上に正座した妹が、さっき渡されたばかりの絵本を膝に置き、夢中になってページをめくっていた。


ページが擦れる、かすかな音。


真鴉は一瞬だけ振り返る。


真鴉「……その本、面白いか?」


妹はビクッと肩を揺らし、それから慌てて笑顔を作った。


妹「う、うん! すっごく面白いよ!」


その声は少しだけ高く、どこか不自然だった。


真鴉は気に留めず、再び鍋に向き直る。

その拍子に、ふと視界の端に入ったものがあった。


――本棚。


壁際に置かれた、古い木製の棚。

そこに、今妹が読んでいるものとまったく同じ表紙の絵本が、背表紙をこちらに向けて差し込まれていた。


真鴉の手が、一瞬だけ止まる。


真鴉「……」


妹は気づいていないふりをして、ページをめくる音を少し大きくする。

指先が、絵本の角をぎゅっと掴んでいた。


真鴉は何も言わない。

ただ、静かに鍋の火を弱める。


妹は本棚の方を見ない。

見てしまえば、ばれてしまう気がしたから。


――同じ本が二冊ある理由を。


妹(心の声)

(言ったら……がっかりするかな)

(お金、無理してくれたんだもん……)


ページの上に、小さな影が落ちる。

涙が落ちないよう、必死に瞬きをこらえながら、妹は無理やり笑顔を貼りつける。


妹「ね、ねぇ……お兄ちゃん」


真鴉「ん?」


妹「ごはん、まだ?」


真鴉は一瞬だけ間を置き、いつも通りの口調で答えた。


真鴉「あぁ。もうすぐだ」


その声は優しく、穏やかで――

だからこそ、胸の奥が締めつけられる。


妹は本を胸に抱きしめ、俯いた。


――それからだ。


喧嘩ばかりしていた自分では、妹の前に胸を張って立てない。

そう気づいた瞬間、真鴉は拳を使う生き方を捨てた。


朝から晩まで、バイト、バイト、またバイト。

深夜に帰ってくる日もあったし、身体が鉛みたいに重い日もあった。


それでも――


玄関を開けた瞬間、

「おかえり!」

そう言って駆け寄ってくる妹がいる。


それだけで、全部報われた。


疲れ切った身体でソファに沈みながら、真鴉は小さく笑う。

今日も生きて帰ってこれた。

それだけで十分だと、本気で思えた。


少しずつ、少しずつ。

給料の封筒を握りしめ、必要な生活費を差し引いて、残りを貯金箱に入れる。


目的は二つ。


一つは、自分のため。

昔から好きだった、スナイパーライフルのレプリカ。

遠くから、静かに、確実に守る――そんな在り方に、無意識に惹かれていた。


もう一つは、妹のため。

新しい本。

絵本でも、小説でも、図鑑でもいい。

妹が「これ読みたい!」って目を輝かせる、それだけでいい。


給料日。

レプリカを手に入れた日。

本屋の袋を抱えて帰った日。


妹はいつも同じ反応をした。


目を輝かせて、

少し照れくさそうに、

でも全力で抱きついてくる。


妹「ありがとう!」


その一言が、

真鴉の過去の全部を、少しずつ塗り替えていった。


いつも通りの帰り道、家の前に差しかかった瞬間だった。

そこには、ありえない光景が広がっていた。


人だかり。

赤色灯。

警察車両。


真鴉「……え?」


喉から掠れた声が漏れる。

心臓が嫌な音を立て、呼吸が一気に浅くなる。

理由は分からないのに、胸の奥を冷たい何かが掴んで離さなかった。


その時――


「……真鴉くん……」


大家がこちらに気づき、涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま駆け寄ってくる。

何かを言うより先に、強く抱きしめられた。


けれど、何も感じない。

温度も、重さも、言葉も。


今はただ――

妹が。

妹が、どうしているのか、それだけだった。


耳鳴りの中、震える声が聞こえる。


大家さん「妹ちゃんがぁ……!!」


その一言で、世界が軋んだ。


大家さん「……死んだ!!」


真鴉の中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。


「……は?」


意味を理解する前に、体が動いていた。

大家の腕を振りほどき、無我夢中で走る。


視界が歪む。

足元がおぼつかない。

ドアを開け――


部屋へ。


部屋の奥――

踏み込んだ瞬間、鉄の匂いが鼻を突いた。


床に広がる赤の中心で、妹が倒れていた。

小さな身体は血に濡れ、微動だにしない。


真鴉は声にならない息を漏らし、足を縺れさせながら駆け寄る。

震える腕で妹を抱き上げた。


真鴉「……お、起きろよ……なぁ……」


揺さぶっても、返事はない。

力の抜けた首がぐらりと傾くだけだった。


真鴉「起きてくれって……冗談だろ……?」


喉が引きつり、声が裏返る。

視界が滲み、涙が頬を伝って落ちた。


真鴉「なんで……なんでだよ……」


抱き締める腕に力がこもる。


真鴉「なんで俺から……全部奪っていくんだよ……!」


感情が一気に噴き出し、叫びに変わる。


真鴉「俺が何したってんだよ!!」


答える者はいない。

冷え始めた妹の体温だけが、残酷な現実を突きつけていた。

真鴉は、その場で立ち尽くした。


床に転がる一本のタバコ。

血に濡れ、踏みつけられたそれを、震える指で拾い上げる。


真鴉「……これ……」


胸の奥が、じわりと焼けるように熱くなる。


それは見覚えのある銘柄だった。

少し前――路地裏で叩き伏せた不良の中に、これを吸っていた男がいた。

執念深く、目つきが異様に粘ついていた男。

殴られながらも、最後まで睨み返してきた、あの目。


真鴉「……あぁ……」


耳鳴りがする。

大家の泣き声も、警察の声も、遠くで水に沈んだみたいに聞こえなくなる。


真鴉は、ゆっくりと妹を床に寝かせ、立ち上がった。


表情はもう、泣いていなかった。

怒りですらない。

ただ――決定的な「無音」。


真鴉「……行ってくる」


誰に向けた言葉でもない。


ドアを開け、外へ出る。

夜の空気が、異様なほど冷たかった。


頭の中には、行き先がはっきりと浮かんでいる。

あの男が溜まっていた場所。

あの臭い。

あの笑い方。


真鴉は、耳を塞ぐようにフードを深く被り、歩き出した。


――この先で何が起きるか。

――自分がどうなるか。


そんなことは、もうどうでもよかった。


路地裏を回るたび、たむろしている不良を片っ端から叩き伏せた。

「この銘柄のタバコ、吸ってる男知らないか」

そう問い詰め続け、ようやく辿り着いた先で――真鴉は異様な光景を目にする。


あの男がいた。

そして、その隣には、人間とは思えない異形の存在が佇んでいた。


真鴉「は?」


男「あぁーw キタキタァーーー!待ってたよォ、真鴉くんだっけぇ?」


真鴉「……なんだよ、そいつ」


男「あぁ?これ? この前さぁ、あんたにボコられて伸びてたんだけどさぁ。起きて横見たらこいついてさぁ、お前殺したいって話したら意気投合したってわぁけ!」


男は、愉快そうに笑いながら言葉を重ねた。

嘲るように、楽しむように、真鴉の神経を逆撫でする言葉ばかりを選んで。


次の瞬間だった。


異形が、一歩踏み出す。

拳が振るわれ、鈍い衝撃が真鴉の頬を打ち抜いた。


真鴉はよろめきながらも踏みとどまり、歯を食いしばって睨み返す。

そのまま拳を振り上げ、殴り返そうとした。


——だが。


拳は当たらない。

当たったとしても、手応えがない。


異形は表情すら変えず、再び拳を振るう。

腹部、肩、顔——容赦なく、何度も。


真鴉は必死に抵抗し、歯を食いしばって殴り返すが、

人間の範疇を超えた存在に、そんな攻撃が通じるはずもなかった。


拳は弾かれ、体は打ち据えられ、

次第に立っていることすら困難になっていく。


それでも真鴉は倒れなかった。

憎しみと喪失だけを支えに、歪んだ視界で異形を睨み続けていた。


殴られながら、真鴉は考えていた。


真鴉(あぁ……俺が今、ライフル持ってたら……)

真鴉(スナイパーライフルで、頭ぶち抜けたら……)


その瞬間――


ズッ……と、体の奥で何かが蠢いた。


異形だけが、その異変に気づく。

反射的に一歩、後ろへ下がる。


異形「……妖力?」


だが、遅い。


殴り倒され、地面に仰向けに倒れた真鴉。

その手の中に、形のない“何か”が集束していく。


闇のような妖力が凝縮され、

銃身、照準、引き金――

見慣れた“形”を成していく。


真鴉の目が、きらりと光った。

狂気と覚悟が同居した、煌々とした視線。


真鴉「……ふっとべやぁ」


次の瞬間。

妖力で生成されたスナイパーライフルが完成する。


至近距離。

引き金が引かれ――


乾いた轟音と共に、銃口が異形の頭部を貫いた。


異形の頭部が、文字通り弾け飛んだ。

至近距離で放たれた一撃は、衝撃音すら置き去りにして、肉と骨と黒い血を空間に撒き散らす。


べちゃり、と壁や地面に張り付くそれらが、やけにゆっくりと落ちていく。


真鴉の視界には、その光景が――

不思議なほど、美しく映っていた。


真鴉「……あぁ」


黒い血が街灯の光を反射し、雨のように舞う。

さっきまで自分を殴っていた“化け物”は、もう形すら保っていない。


心臓の鼓動が、やけに落ち着いていた。


真鴉「やっと……静かになったな」


スナイパーライフルを構えたまま、真鴉はゆっくりと息を吐く。

その指先に、震えはない。


後ろで、煽っていた男が腰を抜かし、尻もちをついていた。


男「ひ……ひぃ……」


真鴉は振り返る。

血と煤に塗れた顔で、にぃ、と笑った。


スナイパーライフルは霧が散るように、音もなく消えた。

残ったのは、荒い呼吸と、拳に伝わる鈍い痛みだけだった。


真鴉はゆっくりと男の方へ歩き出す。


男「ひ、ひっ……や、やめ——」


言葉は最後まで届かなかった。

真鴉の拳が、無言のまま男の顔面に叩き込まれる。


ドンッ。


男が地面に転がる。

それでも真鴉は止まらない。


無表情のまま、もう一度。

さらにもう一度。


真鴉は男の髪を掴み、無理やり顔を上げさせる。


男「ま、待って……頼む……!」


答えはない。

拳が振り下ろされる。


殴る。

殴る。

殴る。


骨の鳴る音と、くぐもった悲鳴。

命乞いの言葉が形を成す前に、再び拳が落ちる。


真鴉の目は冷え切っていた。

怒りでも憎しみでもない、ただ静かな決意だけがそこにあった。


首がだらりと折れ、男の体から力が抜けた。

抵抗も、呼吸も、もうない。


真鴉は拳を下ろしたまま、しばらく動けなかった。

指先から滴る血が、アスファルトに黒く広がる。


――ざわっ。


背後で気配が揺れた。


通行人「……っ!? な、なに……」


はっとして顔を上げる。

見知らぬ人間が、恐怖で引きつった顔でこちらを見ていた。


誰かが叫ぶ。


通行人「ひ、人が……! 通報しろ!!」


その言葉が耳に入った瞬間、真鴉の体は勝手に動いていた。


真鴉は踵を返し、路地裏を駆け出す。

肺が焼けるほど息を吸い、吐き、ただ前へ前へと走る。


背後でサイレンが鳴り始めるのが、遠くに聞こえた。


――捕まるわけにはいかない。

――もう、何も失いたくない。


そう思えば思うほど、胸の奥は空っぽだった。


夜の街を抜け、人気のない路地へ、さらに闇の中へ。

足音だけが響き、やがてそれすらも闇に溶けていく。


真鴉は、逃げた。

過去からも、罪からも、そして――

自分自身からも。


雨脚は次第に強くなり、路地に残った血の跡を無慈悲に洗い流していく。

赤黒かったそれは、やがて濁った水に溶け、最初から何もなかったかのように消えていった。


真鴉はその場に立ち尽くしたまま、ゆっくりと空を見上げる。

重たい雲が低く垂れ込め、夜の街を覆っていた。


ぽつり、と。

頬を伝うものがあった。


雨だ。

……そう思おうとした。


だが、次から次へと溢れてくるそれは、どうしても止まらなかった。


妹がいた頃、

泣くのはいつも我慢してきた。


兄だから。

自分が支えなきゃいけないから。

長男だから。


そう言い聞かせて、歯を食いしばって、生きてきた。


けれど――


胸の奥で、何かが「ぷつり」と音を立てて切れた。


真鴉はその場に膝をつき、両手で顔を覆う。

喉の奥から、押し殺してきた感情が一気に溢れ出した。


声にならない嗚咽。

肩が震え、呼吸が乱れる。


雨音に紛れて、

誰にも聞かれないように。


真鴉は、ただ泣いた。

子どものように、みっともなく、情けなく。


奪われたものの重さを、

失ったものの大きさを、

その全てを、ようやく思い知るように。


何もかも失った真鴉は、行き場をなくした。

家も、金も、守るべき日常も――全部、あの日で終わった。


夜の歩道橋。

川を見下ろしながら、何度も手すりに足をかけた。


――もう、いいだろ。


そう思うたび、胸の奥に浮かぶのは妹の声だった。


妹(幻)「お兄ちゃん、まだだよ」


真鴉「……うるせぇ」


ナイフを握っても、首を吊ろうとしても、

眠れない路地裏で膝を抱えても、

その声だけは、どうしても消えなかった。


妹(幻)「一人にしないで」


真鴉「……俺は、もう……」


何度も、何度も、

“終わらせる理由”はあったのに、

“生きる理由”が、しつこく残った。


やがて真鴉は、街の隅で生きるようになった。

食べ残しを漁り、雨を避け、殴られても文句を言わず、

ただ、息をしているだけの毎日。


そんなある日――

路地裏で耳にした噂。


「……禍津学園って知ってるか?」

「なんかよ、化け物みてぇな力持ったガキが集められる学校らしいぞ」

「嘘くせぇけどな」


真鴉は、その言葉に足を止めた。


真鴉「……力?」


殴り合いの記憶。

あの日、手の中に生まれた“ライフル”。

自分の中に確かにある、説明のつかない何か。


真鴉「……強くなれたら」


拳を、ぎゅっと握る。


真鴉「強くなれたら……もう、奪われねぇのか?」


妹を守れなかった自分。

何も出来なかった自分。

全部、力が足りなかったからだと――そう思いたかった。


その夜。

ボロボロの段ボールの寝床に戻ると、

そこに一通の封筒が置かれていた。


黒い封。

見覚えのない紋章。


真鴉「……は?」


封を開く。


――《禍津学園 入学許可通知》


震える指で、紙を握りしめる。


真鴉「……ふざけんなよ」


笑っているのか、泣いているのか、自分でも分からなかった。


真鴉「……行ってやるよ」


空を見上げる。


真鴉「強くなってやる……全部、守れるくらいにな」


その日、真鴉は初めて、

“生きるために前に進む”という選択をした。


――そして、その先で出会うことになる。

自分と同じように、不器用で、優しい馬鹿を。

今回は真鴉が抱えてきた「逃げられない過去」が牙を剥く回になりました。


敵が見せるのはただの幻覚じゃなく、

本人が一番見たくなくて、それでも心の奥に沈めてきた記憶。

真鴉にとってそれは“守れなかったもの”と“選んでしまった道”でした。


ここで描いたのは、

強さの原点が「正義」や「才能」じゃなく、

喪失・後悔・怒りみたいな、どうしようもない感情だということです。

真鴉の妖力覚醒も、決して格好いいものだけじゃなく、

血と痛みと孤独の延長線上にあるものでした。


そしてこれはまだ“過去編の終わり”ではなく、

現在の真鴉がどう立ち向かうか、その問いを突きつけるための回でもあります。

このトラウマを見せられたあと、

彼は仲間の前で、輝の前で、どう在るのか。


次は過去に飲み込まれるか、

それとも背負ったまま前に進むのか。

次回45話ーー信じる人

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