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霊業  作者: まんらび
2章
43/46

43話:正義か悪

守るために振るった力。

救うために差し伸べた手。


それは本当に「正義」だったのか。

そして、討たれる側に「悪」と断じられる理由はあったのか。


混沌の中で交錯する想いは、

やがて避けられない問いを突きつける。


――正しさとは誰が決めるのか。

――そして、選んだ行動の責任は誰が背負うのか。


島に残る余波の中、

それぞれの「正義」と「悪」が、静かに牙を剥き始める。

結局、その場は天城の判断で収まった。

纏は、菅田と三田と共に拘束されたまま学園へ連行されることになった。

輝の進言は「考慮はするが、結論は出さない」という形で保留。

誰も納得していないが、誰も反論も出来ない、そんな曖昧な幕引きだった。


重苦しい沈黙の中、島を離れる準備が進む。


輝は責められこそしなかったが、

視線と空気がそれを代弁していた。


――甘い。

――感情で動いた。

――正義を履き違えている。


誰も口にしないからこそ、余計に刺さる。


その夜。


輝は一人、旅館の温泉に浸かっていた。


ちゃぷん、と肩まで沈み、

ぶくぶく、と息を吐いて湯の中に泡を立てる。


輝(……どうすれば、分かってもらえるんだろ)


天井を見上げても答えはない。

正義と悪。敵と味方。守るべきもの。


全部、頭では分かっているつもりだった。

でも、あの時――崖で手を掴んだ瞬間、考えるより先に体が動いた。


輝(間違ってたのかな)


湯の中で拳を握る。

少しだけ、震えた。


でも……


あの時、手を離していたら。

「敵だから」と見捨てていたら。


それこそ、自分が信じてきたものを、

全部裏切る気がしてならなかった。


ぶくぶく、ともう一度息を吐く。


正義ってなんだろう。

悪ってなんだろう。


答えは出ないまま、

温泉の湯気だけが、静かに立ち上っていた。


――湯から上がった後も、空気は重く沈んでいた。


廊下の一角では、捕縛された外冠死業の二人――

菅田と三田が、声を荒げていた。


菅田「おい纏! なんで黙ってんだよ! あんたの判断ミスでこうなったんだろうが!」


三田「チッ……ほんと最悪だ。こんな女連れてこなけりゃ、こんなことには……」


二人の視線と怒声を一身に浴びながら、

纏は何も言わず、ただ俯いたまま拳を握りしめていた。


天城「……静かにしろ」


低く、しかし有無を言わせぬ声。

その一言で場の空気が一瞬張り詰める。


だが菅田は、苛立ちを抑えきれず吐き捨てる。


菅田「はっ、説教かよ。俺たちは“悪”なんだろ? 今さら正論ぶつけて何になるってんだ」


三田「そうだそうだ。どうせ処刑だろ? だったら最後くらい好きに喋らせろや!」


三田は歯ぎしりしながら、憎々しげに天城を睨む。


天城は眉一つ動かさず、淡々と言った。


天城「好きに喋るのと、無意味に吠えるのは違う。

 ――ここは裁きの場じゃない。まだな」


その言葉に、わずかに纏の肩が揺れる。


纏はゆっくりと顔を上げ、二人を一度だけ見て、

そしてまた視線を落とした。


纏(……私は、何を守りたかったんだろう)


その沈黙が、かえって重く、

この場にいる全員の胸にのしかかっていた。


輝と纏の視線が、ふと交わった。


俯いていた纏が、ほんの一瞬だけ顔を上げる。

言葉はなかった。ただ、かすかに――「ありがとう」と伝えるような、弱くて静かな微笑み。


その表情を見た瞬間、輝の胸の奥がきしんだ。


輝(……俺が今、この人を助けられなくて、何が人助けだ)


頭では分かっている。

敵で、罪を犯していて、許される立場じゃないことも。

それでも、心の奥の何かが、必死に否定していた。


――このままでいいのか、と。


拳を握りしめた、そのとき。


服の内側が、もぞりと動く。


パド「輝……」


小さく、けれど確かな声。

輝ははっとして、誰にも気づかれないように視線を落とす。


輝「……パド?」


パド「今の顔、見てられなかったよ」


輝は唇を噛みしめる。


輝「……俺、間違ってるのかな」


パド「間違いかどうかを決めるのは簡単だよ。でもね」


一拍置いて、パドは続けた。


パド「“考え続ける”ってこと自体は、間違いじゃない」


輝は何も言えず、ただ黙ってその言葉を受け止めた。


遠くでは、菅田の苛立った声と、三田の舌打ちがまだ響いている。

重苦しい空気は消えない。

誰かがすぐに答えをくれるわけでもない。


それでも――


輝の中で、何かが静かに、確かに動き始めていた。


全員が寝静まった深夜。

旅館の廊下には、遠くで軋む木の音と、規則的な波の音だけが残っていた。


いつも通り、真鴉が苦しそうな寝言を漏らしている。


真鴉「クソッ!辞めてくれよ!」


その声で目を覚ました輝は、布団の中で一度だけ天井を見つめ――静かに身を起こした。


輝(……やっぱ、気になる)


足音を殺して向かった先はエントランス。

月明かりがガラス越しに差し込み、薄青く床を照らしている。


そこに――


柱にもたれ、膝座っている影があった。


輝「……纏さん?」


ゆっくり顔を上げる纏。

その表情は驚きよりも、どこか覚悟を決めたように落ち着いていた。


纏「……まだ起きてたの?」


輝「いや……俺も、眠れなくて」


一瞬の沈黙。

その間に、輝の服の中で小さく気配が動く。


パド「……相変わらず、無茶するよね輝」


女郎蜘蛛「ほんっと。崖から飛び降りる人間、初めて見たわ」


輝は苦笑する。


輝「その節は……どうも」


纏は、そのやり取りを見ても、もう驚かない。

むしろ、少しだけ肩の力を抜いて、息を吐いた。


纏「……やっぱり、あの時見たのは夢じゃなかったんだ」


輝「……うん」


纏「妖怪と、霊と、人間が一緒にいて……

 崖から落ちた敵に迷いなく手を伸ばす人がいるってことも」


ゆっくり立ち上がり、輝の前に立つ。


纏「ありがとう。

 あの時……本気で、助けてくれたでしょ」


輝は視線を逸らし、拳を握る。


輝「……でも、結局俺は、みんなに何も説明できなくて。

 助けたのに、正しいって言い切れなくて」


パドが小さくため息をつく。


パド「正義って、便利な言葉だよね」


女郎蜘蛛「でもさ、それに縛られて何も出来なくなるなら、本末転倒じゃない?」


纏は少し考え、静かに口を開く。


纏「……私ね、自分が悪だってことは分かってる。

 やったきたことも、逃げてきたことも」


輝の目を見る。


纏「それでも、あの時あんたが手を伸ばしたのは、

 同情じゃなくて、助けたかっただけでしょ?」


輝の胸が、ぎゅっと締め付けられる。


輝「……うん」


纏は、ほんの少しだけ微笑んだ。


纏「それでいいと思う。

 少なくとも……私は、それに救われた」


エントランスは夜の静けさに包まれていた。

非常灯だけが淡く床を照らし、外の波音が微かに響く。


その中央で――

纏は一人、ソファーに腰掛けていた。


俯いたまま、指先が小刻みに震えている。


纏「……私の処分……」


輝が隣に座る


纏「……予想は、してる……」


言葉が喉で引っかかる。


纏「……死刑……なのかなって……」


ぎゅっと自分の腕を掴む。

爪が食い込み、白くなる。


纏「今まで……何人も殺してきたのに……」


声が掠れる。


纏「いざ……私がその立場になると……」


ぽたり、と。

床に大粒の涙が落ちた。


纏「……怖くて……」


肩が震え始める。


纏「身勝手すぎる私が……嫌い……!」


歯を食いしばり、嗚咽を噛み殺そうとするが、止まらない。


纏「自分勝手で……逃げてばっかりで……!」


涙が次々と零れ落ちる。


纏「そんな私が……憎い……!」


声はもう叫びに近かった。


輝も、つられるように涙がこぼれる。

頬を伝う感覚に、自分自身が一番驚く。


輝「……なんでだよ……」


声に出した瞬間、喉が詰まった。

理由なんて分かっているはずなのに、言葉にすると壊れてしまいそうで、続きが出てこない。


夜更けのエントランス。

灯りは落とされ、外から差し込む月明かりだけが床を淡く照らしている。

その静寂の中に、二人分の、かすれた泣き声だけが残った。


嗚咽を殺そうとする纏。

唇を噛みしめ、必死に涙を堪えようとする輝。


――その少し離れた場所。


柱の影に、天城がいた。

腕を組み、壁にもたれかかり、表情を変えずに二人のやり取りを聞いている。

介入するでもなく、立ち去るでもなく。

ただ、静かに、最後まで。


やがて時間が流れ、夜が白み始める頃――

輝は部屋に戻り、疲労と感情に押し潰されるように眠りに落ちた。


早朝。


真鴉「……おい、輝」


肩を軽く揺さぶられ、輝はうっすらと目を開ける。


輝「……ん……?」


真鴉「起きろ。先生が呼んでる」


昨夜の涙、纏の震える声、そして自分が何を選ぼうとしているのか――

全部を抱えたまま、朝は容赦なくやってくる。


輝は静かに息を吸い、布団から身を起こした。


エントランス。

薄暗い照明の下で、天城は纏の前に腰を落としていた。

淡々と、逃げ道を許さない視線。


纏は俯いたまま、手首の拘束をきつく握りしめている。


その時――

足音。


輝がエントランスに姿を現す。


天城は横目でそれに気づき、小さく溜息をついた。


天城「……来たか」


輝はビクッと肩を揺らし、その場で立ち止まる。


周囲には、いつの間にか全員が集まっていた。

重苦しい沈黙を破るように、鎖の音が鳴る。


菅田「チッ……まだ終わんねぇのかよこの茶番」


三田「さっさと処分しろよ!人殺しだぞそいつは!」


吠える二人に、空気がさらに冷え込む。


纏は歯を食いしばり、何も言わずに下を向いたまま。

その肩が、小さく震えている。


天城はゆっくり立ち上がり、低い声で言った。


天城「静かにしろ」


その一言で、菅田と三田は言葉を詰まらせる。


天城は視線を輝へと向ける。


天城「……お前も聞いておけ」


輝「……はい」


輝は一歩前に出る。

纏と目が合う。


纏は、昨夜と同じ目をしていた。

怯えと、諦めと、それでも消えきらない何か。


天城「纏」


名前を呼ばれ、纏の肩が跳ねる。


天城「お前が関わった儀式、その結果、犠牲になった人間の数は?」


纏「……数えきれない」


菅田「ほら見ろよ!」


天城は菅田を一瞥し、言葉を遮る。


天城「続けろ」


纏は震える声で、絞り出すように言った。


纏「私は……罪から逃げてた。

  怖かった……止める勇気もなかった」


拳を強く握りしめる。


纏「でも……昨日、その子に手を掴まれた時……

  初めて、逃げたいって思わなかった……」


場が、静まり返る。


輝の胸が、ぎゅっと締め付けられる。


天城は少しだけ目を伏せ、再び輝を見る。


天城「……それでもだ」


天城「罪は消えない。

   情で裁きが変わることもない」


輝は歯を食いしばり、一歩踏み出す。


輝「……分かってます」


全員の視線が輝に集まる。


輝「でも……それでも、

   この人が“もう一度人として向き合おうとしてる”って事実まで、

   否定しないでほしい……!」


空気が張り詰める。


天城は、しばらく黙って輝を見つめ――

やがて、低く息を吐いた。


天城「……続きは、学園で判断する」


その言葉に、纏の目が見開かれる。


天城「逃がしはしない。

   だが、今ここで結論は出さない」


三田「なっ――!」


天城「黙れ」


一瞬で封じられる。


輝は、胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じた。

それでも、問題は何一つ解決していない。


迎えの船が来るのは明日の朝...

弔いと陣の応急処置で、島は一日中、重たい空気に包まれていた。

線香の匂い、土を踏み固める音、誰もが必要なことだけをこなしている。


輝は、作業の合間を縫って声をかけていった。


輝「……真鴉」


振り向いた真鴉は、一瞬だけ輝を見る。

いつもの鋭さはなく、疲れ切った目だった。


真鴉「……悪い。今ちょっと、手が離せない」


冷たくはない。

けれど、それ以上踏み込めない線を、はっきり引かれた。


輝は次に、水瀬の方へ歩いた。


輝「水瀬さん……」


水瀬「……ごめんなさい」


輝が何か言う前に、静かに首を振られる。


水瀬「今は……少し、考えたいんです」


視線は逸らされていない。

それが逆に、距離を感じさせた。


神宮寺は、壊れた陣の外縁で一人、黙々と符を貼り直していた。


輝「神宮寺……」


神宮寺「……後でな」


短い言葉。

責める響きはないが、今は話す気がないことだけは伝わってくる。


大熊と福留の方へ向かうと、二人は島の人と一緒に黙祷をしていた。


輝「……大熊さん、福留さん」


大熊「……すまん、輝」


低い声で、それだけ言われる。


福留「今は……今は、な」


二人とも、輝を見ないようにしているわけじゃない。

ただ、今は“そばに立てない”だけだった。


輝はその場に立ち尽くす。


誰も自分に怒っていない。

誰も自分を嫌っていない。

それなのに、世界から半歩だけ外されたような感覚。


胸の奥が、じわじわと冷えていく。



輝(……どうすれば、分かってもらえるんだろ)


輝(俺が間違ってるのか……それとも……)


答えは出ない。

島の風が、慰霊の煙をゆっくりと流していくだけだった。


夜が更け、湯気の立ちこめる温泉には、ぽつんと輝の姿だけがあった。

昼間から続いた視線の回避、言葉にならない距離感が、まだ胸に重く残っている。


肩まで湯に沈み、ぶくぶくと息を吐く。


その時、

ちゃぷん、と水音がした。


河童が一体、湯に入ってくる。


河童「カッパぁ。君は天城様のお仲間か?」


輝「あぁ……まあね」


河童「かっぽぉーーん!」


河童はそう言うと、頭の皿をぺしんと叩き、突然くるくると踊り始めた。

湯がはね、妙に間の抜けた音が浴場に響く。


輝は一瞬ぽかんとし、

次の瞬間、思わず吹き出した。


輝「……っ、ははっ……!」


自分でも驚くほど、自然な笑いだった。


輝「ありがと……。顔、そんなに暗かった?」


河童は湯にぷかりと浮かびながら、即答する。


河童「はい!引くほど!」


輝「ひどいな!」


そう言いながら、また小さく笑う。

胸の奥に溜まっていた重たいものが、少しだけ溶けていくのを感じた。


河童は輝を横目で見て、のんびりと言う。


河童「悩むのは悪くないカッパ。でもな、悩める奴はだいたい優しい」


輝「……優しさ、足りてるのかな」


河童「足りてるから悩むんだろ」


その言葉に、輝は何も返せなかった。

ただ、湯の中で静かに頷く。


湯気の向こう、夜はまだ長い。

けれどその夜は、ほんの少しだけ、輝にとって息がしやすいものになっていた。


早朝。

薄く霧のかかった港に、全員が荷物を抱えて集まっていた。


船に乗り込む直前、天城は外冠死業の三人――菅田、三田、そして纏――を一つの部屋に閉じ込める。

扉の前に腰を下ろし、腕を組んだまま、一言も発さずにじっと見つめていた。


やがて出航の合図が鳴り、船はゆっくりと島を離れる。


甲板に立った輝は、振り返って島を見る。


港には島の人々が集まり、誰ともなく手を振っていた。

その向こう、海面がざわりと揺れ――


河童たちが顔を出し、水鉄砲のように勢いよく水を空へ噴き上げる。


ピューッ、と高く舞い上がる水しぶき。

それは、感謝の合図のようにも、別れの挨拶のようにも見えた。


輝は小さく息を吸い、胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じる。


船はそのまま進み、島は次第に遠ざかっていった。


――そして。


本島へ到着。

一行はそのまま禍津学園へ帰還する。


島で起きた出来事を胸に残したまま、それぞれが次の現実へと戻っていった。


外冠死業の三人は、学園の簡易牢獄へとそれぞれ別々に収監された。

分厚い扉が閉まり、重い錠の音が静かに響く。


一方――。


部屋に戻った輝は、荷解きもすることなく、そのまま布団に倒れ込んだ。

全身の力が抜け、天井を見上げたまま動けない。


キャリーケースの中から、そっと気配が動く。


パドと女郎蜘蛛が姿を現し、輝の顔を覗き込んだ。


二人とも何も言わない。

ただ、心配そうに見つめている。


輝は何か言おうとして、結局言葉にならなかった。

まぶたが重くなり、そのまま意識が沈んでいく。


――気がつけば、夜になっていた。


輝が晩御飯を食べに食堂に足を踏み入れた瞬間、ざわついていた声がふっと途切れた。

笑っていた者も、箸を動かしていた者も、どこか気まずそうに視線を逸らす。


輝はその空気を一瞬で察し、何も言わずに配膳台へ向かった。


水瀬は一瞬こちらを見て、何か言いかけてから口を閉じる。

真鴉も視線だけ向けたが、すぐに皿に目を落とした。


輝は無言で料理を受け取り、端の席に座る。


「…………」


箸を持つが、なかなか手が進まない。

食堂には再び話し声が戻るが、どこかよそよそしい。


白川

「……明日からの授業、どうなるんでしょうね」


大熊

「通常通りだろ。事件は一応、収束したわけだし」


福留

「でも……気道くん……」


福留が言葉を濁し、ちらりと輝を見る。

それに気づいた大熊が軽く咳払いをする。


大熊

「……今はやめとけ」


神宮寺は黙って飯を食べていたが、箸を止め、ぽつりと呟く。


神宮寺

「……正義って、なんなんだろうな」


その一言で、また空気が重くなる。


輝はぎゅっと箸を握りしめる。


……そうだよな


胸の奥が、じわじわと痛む。

誰も怒鳴らない。誰も責めない。

それが余計に、輝には堪えた。


輝は立ち上がり、まだ半分以上残った皿を持つ。


「……ごちそうさま」


真鴉が顔を上げる。


真鴉

「おい、輝——」


だが、続く言葉は出てこなかった。


輝は何も言わず、食堂を出ていく。

扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。


その背中を見送りながら、誰も追いかけなかった。


水瀬

「……優しすぎるのも、罪なんですかね」


誰も答えなかった。


真鴉は、食堂から出ていく輝の背中を、最後まで見送っていた。

ざわついていた周囲の音が、やけに遠く感じる。


真鴉(……俺は、どうする)


味方でいるのか。

それとも――距離を取るのか。


少しの沈黙のあと、真鴉は立ち上がった。


真鴉「……決めた」


白川「え? な、なにを?」


真鴉は白川の方を見ず、短く言い切る。


真鴉「あの纏って女に、話を聞きに行く」


白川「は!? なんでだよ!」


だが真鴉は足を止めなかった。

白川の声を背に、寮を飛び出す。


夜の学園を一直線に駆け、校長室の扉を開け放った。


真鴉「校長!」


部屋の中には、百目鬼校長と――天城がいた。


百目鬼「どうしたのかな、真鴉くん?」


真鴉は一切の迷いなく言い放つ。


真鴉「纏って女に会わせろ」


百目鬼は一瞬、目を見開いた。

だがすぐに視線を天城へ向ける。


天城は小さく息を吐き、頷いた。


天城「……案内してやる。」


百目鬼「私も同行しよう」


三人は連れ立って校長室を出る。

静まり返った学園の奥――簡易牢獄へと足を向けた。


重い扉の前で、真鴉は一度だけ拳を握りしめる。


真鴉(輝が守ろうとした理由……俺は、それを聞く)


そして扉が、ゆっくりと開いた。


――牢獄。


石壁に囲まれた静かな空間で、鎖の音だけが微かに響いていた。

その前に、真鴉が立つ。


真鴉「……輝のこと、分かるな?」


纏「うん。私の味方をしてくれた子でしょ」


真鴉「あぁ。あいつが、なんでお前にそこまで肩入れするのか……理由を教えてもらおうか」


その言葉に、背後で様子を見ていた百目鬼と天城も、無言のまま耳を澄ませる。


纏は一度、視線を落とし――ゆっくりと口を開いた。


纏「……私、崖から落ちたの」


真鴉がわずかに目を見開く。


纏「その時ね……敵だったのに、あの子は私を助けた。

自分も落ちるかもしれないのに、迷いもなく手を伸ばしてくれたの」


纏の声は震えていたが、言葉ははっきりしていた。


纏「落ちる瞬間の私の顔……あの子には、人生を諦めた人の顔に見えたんだと思う。

だから、自分の危険なんて考えずに手を取った」


真鴉「……そんなことが」


纏「そのあと、色々話したわ。

私がこれまでやってきたこと……全部」


一瞬、沈黙。

天城が視線を伏せたまま、短く息を吐く。


天城「……」


纏「あの子はね、それを聞いて情が湧いちゃったの。

……いいの、気にしないで」


纏はゆっくりと顔を上げ、まっすぐ前を見る。


纏「どんな罰でも受け入れる。

向こうで何年でも……何百年でも……何億年かかっても、償う覚悟はあるわ」


その言葉に、誰もすぐには返せなかった。


重く、しかし確かに――

この場にいる全員の胸に、纏の覚悟だけが、静かに残っていた。


牢獄を後にし、冷たい廊下を歩く三人の足音だけが響いていた。

真鴉は俯いたまま、拳を強く握りしめている。


真鴉「……俺は……何も分かってなかった……」


誰に向けた言葉でもなく、ただ吐き出すように。


真鴉「事情も知らねぇで……心の中じゃ輝を責めて……否定して……」


歯を食いしばり、声が震える。


真鴉「俺が入学した時だって……あいつは、俺のこと信じてくれたんだ……

 “大丈夫だ、お前は間違ってねぇ”って……」


拳が壁に当たり、鈍い音が鳴る。


真鴉「覚えてたはずなのに……

 なのに俺は、あいつを信じられなかった……」


小さく、かすれた声で。


真鴉「……そんな俺は……今世紀最大の馬鹿野郎だ……」


沈黙。

その中で、百目鬼が一歩前に出る。


百目鬼「……人はな、真鴉くん」


穏やかだが、逃げ場のない声。


百目鬼「正しさと恐怖を、よく取り違える。

 特に“守りたいもの”が絡むと、なおさらだ」


真鴉は顔を上げられない。


百目鬼「今日はもう帰って、寝なさい」


ゆっくりと歩き出しながら。


百目鬼「話は明日だ。

 朝の授業の時間に、全員の前で話そう」


天城は一言も挟まず、ただ真鴉を一瞥する。


その視線は責めるものでも、庇うものでもなく――

“考えろ”とだけ告げているようだった。


真鴉は小さく頷き、背中を丸めたまま廊下を進んでいく。


――朝、教室。


全員が揃っているにもかかわらず、教室の空気は重く張りつめていた。

誰も大きな声を出さず、視線だけが静かに泳いでいる。


真鴉は席に着き、ちらりと輝を見る。

昨夜決めた通り、何も言わず、ただ“信じる”と決めて。


――ガラッ。


扉が開き、百目鬼校長と天城が入ってくる。

自然と背筋が伸び、教室が静まり返った。


百目鬼

「では、今回の件について処分を伝えます」


百目鬼

「外冠死業の手下、菅田藤次郎と三田伊丹は――

 霊能力者および妖力使いを収容可能な監獄へ移送されます。

 その後の処分は、向こうの判断に委ねられることになりました」


その言葉に、教室の何人かが小さく息を吐く。

しかし――


輝と真鴉は、ある“名前”が出ていないことに気づいていた。


(……纏は?)


天城が一歩前に出て、ため息をつく。


天城

「……はぁ。入ってこい」


再び、扉が開く。


そこに立っていたのは――

拘束もなく、俯きがちに立つ、纏だった。


「……!?」


教室がざわつく。

信じられない、という視線が一斉に向けられる。


百目鬼

「纏さんについては――

 情状酌量の余地あり、と判断しました」


百目鬼

「よって、即時の処刑・収監は行いません」


天城

「代わりに――この禍津学園での監視対象となる」


天城は淡々と、しかしはっきりと言い切る。


天城

「簡単に言えばだ。

 お前たちと同じ“クラスメイト”として生活しながら、

 再び悪事に手を染めないか、全員で監視するってことだ」


静寂。


その言葉の意味が、ゆっくりと教室に染み込んでいく。


輝は、息を呑んだまま纏を見つめる。

纏は一瞬だけ顔を上げ、輝と目が合うと――

ほんのわずか、困ったように微笑んだ。


真鴉はその様子を見て、静かに拳を握る。


正義と悪。

罰と救い。

その境界線は、誰かが決めるほど単純じゃない。


――こうして、

“敵”だった女は、

禍津学園の生徒として、教室に立つことになった。


教室に静寂が落ちる中、天城が一歩前に出た。


天城「今回の事件を鑑みて、百目鬼校長と話し合ったことがある」


生徒たち「?」


天城は一度全員を見渡し、淡々と言い切った。


天城「――全員、二年への昇格を認める」


一瞬の沈黙の後。


全員「はぁぁぁ!?」


白川「ど、どういうことですか天城先生!」


大熊「嬉しいっちゃ嬉しいけどよ!俺ら全然活躍してねぇし、ポイント制とかあるんやないんですか!?」


百目鬼が一歩前に出て、静かに説明する。


百目鬼「纏さんの監視は、一年生には荷が重いと判断しました」


教室がざわつく。


百目鬼「強制的に二年へ昇格させることで、雷牙さんや猿渡さんといった実力者と常に行動できるようになります。

その体制であれば、万が一の場合でも纏さんを制圧できる――そう判断したのです」


天城「簡単に言えばだ。

お前らはもう“一年のまま守られる側”じゃいられないってことだ」


重みのある言葉が、教室に落ちた。


輝は呆然としながらも、教壇の横に立つ纏を見た。

その背中は、昨日よりも少しだけ、現実を受け入れたように見えた。


一日の授業が終わり、夕方のチャイムが校舎に響く。

生徒たちはそれぞれ寮へと帰っていく中――


天城「輝、真鴉」


背後から呼び止められ、二人は足を止めた。

振り返ると、そこには天城が立っている。


輝「天城先生?」


真鴉「どうしたんだ?」


天城は周囲を一瞥し、人がいないのを確認してから口を開く。


天城「二年に上がるにあたってな。通常授業に加えて、特別な課程がある」


輝「特別授業?」


天城「あぁ。特別授業――またの名を“任務”だ」


その言葉に、真鴉の目が見開かれる。


真鴉「三年が行ってたりするやつだな!」


天城「そうだ。本来は上級生向けだが……今回は例外だ」


天城は一拍置き、二人をまっすぐ見据える。


天城「その任務を、お前たち二人に与えたい」


輝「……俺たちに?」


天城「あぁ。それと――」


わずかに視線を横に流し、続ける。


天城「纏と、猿渡も同行させる」


一瞬、空気が止まった。


輝「……え?」


真鴉「纏も……?」


天城「監視対象である以上、実地での行動を見せてもらう必要がある。

それに猿渡がいれば、最悪の事態は防げる」


二人は顔を見合わせる。

不安と、覚悟と、そして――逃げ場のない現実。


天城「準備は追って伝える。今日は戻って休め」


そう言い残し、天城は踵を返した。


廊下に残された輝と真鴉。

静かな校舎に、二人の呼吸音だけが残っていた。


天城は視線を輝に向けたまま、淡々と指示を出す。


天城「おい、気道」


輝「は、はい」


天城「纏を寮まで連れて行ってやれ。部屋は水瀬と同室だ」


輝「え……?」


天城「事情は水瀬に説明しておけ。監視対象だが、扱いは“生徒”だ。余計なことはするなよ」


輝は一瞬言葉を失うが、すぐに小さく頷く。


輝「……分かりました」


その横で、纏は驚いたように目を見開いていた。


纏「……私が、寮に?」


天城「他にどこに置くつもりだ。檻に入れておくほど信用してないわけでもない」


纏は視線を落とし、しばらく黙ってから、かすかに口を開く。


纏「……ありがとう、とは言わない。言う資格もないから」


輝「……それでいいよ」


輝はそう言って、踵を返す。


輝「行こ。水瀬、びっくりするだろうけど……ちゃんと説明するから」


纏は少し戸惑いながらも、その背中についていく。


その様子を見送っていた真鴉が、天城に小声で問いかける。


真鴉「……先生、本当にこれで良かったんすか」


天城「正しいかどうかは、これから分かる」


少し間を置いて、天城は低く付け加えた。


天城「だが少なくとも――気道は、自分の“正義”から逃げなかった。それだけは評価する」


真鴉は黙り込み、廊下の先へ消えていく二人の背中を見つめ続けていた。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

今回の話は、戦闘よりも心の揺れや選択の重さに焦点を当てた回になりました。


輝が選んだ「助ける」という行動は、正義か悪か、正解か間違いか――

その答えはまだ物語の中でも完全には出ていません。

ただ一つ確かなのは、その選択が周囲を動かし、関係を変え、物語を次の段階へ押し出したということです。


纏という存在は、

「罪を犯した者は救われていいのか」

「感情は判断を鈍らせるのか」

というテーマを突きつける役割を持っています。

だからこそ、彼女が“処刑”ではなく“監視”という形で物語に残ったこと自体が、一つの大きな転換点です。


そして全員の二年昇格。

これはご褒美ではなく、責任の始まり。

守る力、止める力、選び続ける覚悟――

それらを本格的に問われるステージに上がった、という意味でもあります。


次から始まる特別授業(任務)は、

単なる強さではなく、

「どう在るか」を試される展開になっていきます。


ここからさらに関係性も、価値観も、戦い方も変わっていきます。

引き続き、輝たちの選択を見届けてもらえたら嬉しいです。


次回44話ーー任務

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