36話:強者への道
校庭に吹く夜の風は、どこか張り詰めていた。
昨日の死闘、点数の発表、そして改めて目にした“霊力”という未知の力。
それらの余韻がまだ身体に残ったまま、誰もが自分の中の何かを探していた。
静まり返った校庭に並び立つ一年生たち。
天城の言葉を合図に、それぞれが自分の力の在りかへと手を伸ばす。
――心の奥に眠る炎を解き放て。
誰もがまだ弱く、未完成で、恐れを抱いている。
だが同時に、誰もが前を向いていた。
これは、生き残るための戦いであり、
強者へと変わるための第一歩。
【登場人物】
主人公:気道 輝
真鴉 隼
神宮寺 泰斗
水瀬 詩織
大熊 健二
白川 理人
福留 満
天城 朔夜
百目鬼 白哉
気道 慶作
篠原 知子
百目鬼 爾郎
五十嵐 三郎
校庭に風が吹く
大熊はその場に膝をついた。 肩で荒く呼吸を繰り返し、額から汗が滴る。
天城は静かに歩み寄り、優しく声をかける。
天城「お疲れ様です。……見せてくださっただけで十分ですよ。あとは、皆さん次第です」
大熊は悔しさを滲ませながら拳を地面に押し付ける。
大熊「……ちくしょう……まだまだやな、俺……」
福留が思わず駆け寄る。
福留「いやいや十分すげぇよ!霊力解放できるとか、マジでビビったから!」
白川は震える手でメモを取る。
白川「……霊力密度、圧力、……全て想定外……」
水瀬は感嘆したように息を漏らす。
水瀬「すご……本当に燃えてるみたいだった……」
神宮寺は静かに目を閉じ、自分の内側と戦っていた。
真鴉は腕を組んだまま、大熊を睨むように見つめる。
真鴉「……化け物かよ」
輝はただ圧に飲まれて立ち尽くすしかなかった。
――そのとき。
天城の視線がふっと校舎の方へ向いた。 誰にも気づかれない、ほんの一瞬。
2階の窓の影。
そこに“誰か”がいた。
だがその影は、大熊の炎にも、神宮寺にも、目を向けない。
ただ、ひたすら 輝だけを じっと見つめていた。
輝はそれに気づかない。 けれど皮膚の裏がざわりと粟立つような、奇妙な感覚だけが残る。
天城は知っている――しかしその表情は読めない。
紫の瞳が、わずかに細まる。
天城「……」
風が吹く。
影はゆっくりと後ろへ下がり、気配ごと消えた。
校庭では未だ、息を整える大熊と、それを見つめるクラスメイトたち。
そして、何も知らず拳を握る輝。
その手は、わずかに震えていた。
神宮寺は静かに目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
手が震えている。額には玉のような汗が流れ落ち、制服の袖を濡らしていた。
真鴉「……おっと?」
真鴉が興味深げに眉を上げ、わずかに身を乗り出す。
輝も拳を握りしめ、胸の前でぎゅっと強く握り込んだ。
輝「神宮寺……いける……!」
風が強く吹いたように、神宮寺の服が一瞬ふわりと揺れた。
次の瞬間――。
ボゥッ!!!
淡く青い炎が神宮寺の全身を包んだ。
暖色系とは対照的な、凍てつくような冷色の炎。
周囲から自然に歓声が上がる。
大熊「おおおっ!?やりよった!」
福留「色……すげえな……!」
白川は震える手でメモを取り続け、真鴉はニヤリと口角を上げた。
真鴉「へぇ……やるじゃねぇか」
しかし――その炎は長くは続かなかった。
神宮寺「……っく……!」
顔を歪めた次の瞬間、炎はパッと霧のように消え、神宮寺は膝から崩れ落ちる。
天城はすぐに横へ歩み寄り、静かな声で告げた。
天城「充分です。2度目でここまで制御できるのは素晴らしい」
神宮寺は苦しげに息を吐きながら、地面に手をついたまま呆然と前を見つめる。
神宮寺「……くそ、まだ……やれたのに……」
天城は首を横に振り、優しくも鋭い目で神宮寺の肩に触れた。
天城「焦る必要はありません。霊力は、焦りで壊れる力ではなく――積み重ねで育つ力です」
その言葉に、一同は自然と静かになった。
燃え尽きた神宮寺の胸の奥では、まだ熱がくすぶるように残っていた。
その後、全員が何度も霊力の解放に挑戦したが、成功した者は誰一人としていなかった。
1限目が終わる頃には全員が肩で息をし、足取りも重く、完全に疲労困憊だった。
教室へ戻ると、椅子に座るなり机に突っ伏す者や、背もたれに体を預けて天井をぼんやり見上げる者が続出する。
輝も席に着いた瞬間、机に顔を埋め、そのまま眠ってしまった。
――しばらくして。
ガラリ、と教室の扉が開く。
天城「……それでは、2限目を始めます」
しかし、その声に反応する者は少なかった。
ほとんどの生徒はぼんやりとした目を向けるだけで、まともに話を聞ける状態ではない。
天城は苦笑しつつ話を続けるが、教室の空気は完全に“上の空”だった。
放課後
4限目まで終わり、全員が疲労困憊の身体を引きずりながら帰路につこうとしていた。
輝はふらふらとしながら真鴉の肩を借り、半分寝ているような足取りで歩く。
真鴉「おいおい、落ちんなよ……こりゃマジで限界だな」
水瀬が苦笑しながら後ろからついてくる。
水瀬「今日は本当にキツかったね……」
大熊も肩で息をし、福留は腹をさすりながら「昼寝したい……」と呟き、白川はノートを見ながらふらついている。
そんな中――。
帰る道の先、誰かが静かに立っていた。
真鴉「ん?……誰だ?」
その人物に意識を向けた次の瞬間――
視界が揺れた。
気づいたときには、そいつが輝の目の前に立っていた。
まるで瞬間移動したかのように、距離がゼロになっていた。
真鴉「は……!? テメ――」
戦闘態勢に入ろうとした瞬間。
――ズンッ。
凄まじい“威圧”が爆発する。
霊力の第二段階、圧倒的な重圧。
その場にいた全員が膝を折りそうになり、筋肉が強制的に止まる。
神宮寺や大熊でさえ指一本動かせない。
水瀬「く……っ……動け……ない……」
大熊「っ……なんやこの重さ……!」
白川「圧……この威圧…… 天城先生以上に次元が違いすぎる……!」
輝だけが、異常なほどに目を覚まし、その人物を見上げた――。
ゆっくりと顔を覗き込んできたその男を見た瞬間、
全員の脳裏に名前が刻まれる。
百目鬼 白哉――
この学園の校長だ
百目鬼は、威圧をふっと消し柔らかく笑う。
百目鬼「頑張っていますね、皆さん」
そして輝へ向けて、ほんの一瞬だけ意味深な目を向ける。
百目鬼「これからも、よろしくお願いしますよ」
背を向け、音もなく去っていった。
輝(心の声)「あの威圧...やっぱりさっきも...」
霊圧が消えた瞬間、全員が同時に息を吐き、膝をつく者もいた。
真鴉「……なんだよ、アイツ……身体が……動かなかった……」
神宮寺「威圧だけであのレベル……本当にとんでもない人だな……」
輝はただ静かに立ち尽くし、
校長が最後に向けた眼差しの意味を考えていた――。
寮の明かりがすべて閉まり、校庭には静かな夜風だけが流れていた。
校舎の2階、校長室。
窓際に立つ百目鬼 白哉は、背中に手を組んだまま、寮の灯りをじっと見つめていた。
その瞳には、まっすぐ輝を追うような強い光が宿っている。
コン、コン
扉が規律正しいリズムで叩かれた。
百目鬼「……入っても大丈夫ですよ」
静かに開いた扉から姿を見せたのは天城だった。
天城「失礼します、百目鬼校長」
百目鬼は視線を窓から離さず、天城の顔を見ようともしない。
天城はゆっくり近づき、ためらいながらも口を開く。
天城「……ひとつ、お伺いしたいことがあります」
百目鬼「...どうぞ」
天城「――なぜ、あなたはそこまで気道 輝に執着するのですか?」
百目鬼の背が、わずかに硬直した。
天城「彼をこの学園へ導いたのも、あなたでしょう。
才能を見抜いたのか、それとも……別の理由があるのですか?」
沈黙。
遠くで、夜鳴き鳥の声だけが響いている。
長い沈黙のあと、百目鬼は、静かに目を閉じた。
百目鬼「……理由ですか」
わずかに笑ったような息を漏らし、百目鬼は天城へと向き直る。
百目鬼「天城...少し長くなるぞ」
天城「……?」
百目鬼「初めに一つだけ言えるのは――」
百目鬼の瞳が深い闇のように沈む。
百目鬼「あの少年が目覚める時、世界はひっくり返る」
天城は目を見開く。
その言葉には、確信と恐怖が混ざっていた。
百目鬼「それが希望で終わるのか、絶望で終わるのか……私にもまだ分からん」
百目鬼は再び窓の外へ視線を向ける。
百目鬼「だから見守るだけです。あの日の続きを」
天城「……“あの日”?」
その言葉を合図にするかのように、百目鬼の過去が静かに幕を開ける。
ちゅん、ちゅん……
雀の声が澄んだ空気を震わせる早朝。
まだ朝霧が地面を薄く包む校門へ、ひとりの少年が歩いていた。
制服の襟はきちんと整えられ、姿勢はまっすぐ。
その瞳は透き通るように静かで、どこか大人びている。
加江田 白哉――
後の学園長となる男の、学生時代の姿である。
その背後から、明るい笑い声が響いた。
???「おーい、白哉!おはよぉ!」
大きな声とともに、勢いよく肩に腕を回してきたのは背の高い男。
好戦的な笑みを浮かべ、髪を無造作にかき上げる。
もう一人は、くるりと前へ回り込み、校門へ向かう男と向かい合うように歩き始める。
少し茶化すような笑みを浮かべて、言葉を投げかけた。
???「なぁ白哉、昨日の柔道の話だけどよ。お前、やっぱ強すぎんだろ。教師連中の目ひん剥いてたぞ」
加江田は笑うでも怒るでもなく、ただ穏やかな声で答える。
加江田「……教師が弱すぎるんだよ」
その直後だった。
前を歩く男が、道路の段差につまずきかける。
加江田「危ないぞ、慶作」
声と同時に加江田の手が伸び、後の輝の父である慶作の腕をしっかりと掴む。
身体が前に倒れる前に支えられ、慶作は照れくさそうに頭を掻いた。
慶作「ははっ、悪い悪い!助かったぜ、白哉!」
???「そういえば加江田!俺が前貸した金返せよ!」
加江田「ごめんごめん!今返す!恩は倍にして返さないとな!」
朝日に照らされ、三人はゆっくりと校門をくぐる。
教室に入ると、すでにいつもの顔ぶれが揃っていた。 ざわつく朝の空気の中、扉が開いた瞬間に視線が集まる。
加江田「……すまない。遅れた」
続いて慶作が、勢いよく胸を張って叫ぶ。
慶作「聞いてくれよ!白哉が盛大に転んじまってさ!」
その後ろから、さっき肩を組んで歩いていた男が即座に突っ込む。
???「転んだのはお前だろ、バカ!」
教室の空気が一気に明るくなる。 笑い声が起こり、朝の柔らかな光が机の上に落ちていく。
その中で、窓際に座っていた少女が、くすっと笑いながら言った。
???「ほんと気をつけなよ、慶作。そんなの続けてたら、そのうち命落とすよ?」
慶作はばつの悪そうに頭を掻き、すぐに明るい声を返す。
慶作「悪い悪い!今度から気をつけるって、な?知子!」
知子―― 後に輝の母となる少女は、呆れたように肩をすくめながらも、どこか優しい眼差しで慶作を見ていた。
知子「まったく……ほんと、頼むから長生きしてよね」
その言葉に、教室は再び笑いに包まれていく。
やがて全員が席につき、担任が点呼を始める。
教師「気道 慶作」
慶作「はい!」
教師「加江田 白哉」
加江田「……はい」
教師「篠原 知子」
知子「はーい」
教師が最後の名を呼ぶ。
教師「百目鬼 爾郎」
百目鬼「おう!」
黒板にチョークの音が響き、授業が始まった。
──放課後。
使用されていない旧教室に、加江田、慶作、知子、そして百目鬼の四人が集まっていた。
誰にも聞かせたくない話をするように、静かに扉が閉じられる――。
慶作が机に手を置き、少し興奮気味に口を開く。
慶作「隣町で起こってる神隠しの件だけどさ……やっぱり妖怪の仕業だ!」
その瞬間、ギィ──と教室の扉が開いた。
入ってきたのは担任の 五十嵐 だった。腕を組み、ため息をつく。
五十嵐「いや、霊だろ……。状況を見る限りはな」
慶作「なんでだよ、五十嵐先生! 絶対、妖怪だって!」
加江田「どっちでもいい。まずは行方不明の人を見つけるのが最優先だ」
腕を組んでいた知子が、面倒くさそうに眉を寄せる。
知子「てかさ、それ私たちがやる必要ある? 警察に任せときなよ」
慶作「いやだよ! 人の役に立てるって……どれだけ嬉しいか、わかんねぇだろ!」
振り返り、百目鬼へと視線を向ける。
慶作「な、百目鬼!」
一瞬、百目鬼の表情が強ばる。
うつむき、短く答えた。
百目鬼「……あぁ」
次の瞬間、慶作と加江田が同時に立ち上がり、拳を突き上げる。
慶作「よし、現場調査だ!!」
加江田「行くぞ」
二人は肩を組んだまま駆け出し、教室の扉を勢いよく開けて走り去る。
知子と百目鬼、五十嵐は同時に深いため息をつき、仕方なく後を追う。
校舎の外、五十嵐のワゴン車の前に辿り着いた慶作と加江田は、早く乗せろと言わんばかりに足踏みしながら待ち構えていた。
その後ろから歩いてきた五十嵐が鍵を開け、呆れた声で言う。
五十嵐「落ち着け。怪我するぞ」
車は動き出し、隣町で起こった神隠しの現場へ向かう。
到着すると、警察が現場周辺を忙しなく歩き回っていた。 その後ろで、五人は身を低くし、物陰に隠れながら静かに移動する。
知子「こっちの方が怪しいよ……」
慶作「雰囲気出るからいいんだよ!」
百目鬼「ここか……」
加江田「ああ。間違いないな」
慶作は周囲を見回し、両手を広げて叫ぶ。
慶作「なんもねぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
知子「そりゃなんか証拠ありゃ警察が持ってくでしょ」
五十嵐「帰るか?」
慶作「帰んねぇよ、まだ探すぞ!」
そう言い放ち、慶作と加江田は虫眼鏡を手に地面を覗き込みながら歩き始める。
その背中を追いながら――
ただ百目鬼だけが、何か得体の知れないものを静かに感じ取っていた。
夕焼けが沈み、空の赤はゆっくりと群青へ溶けていく。
周囲は徐々に影を濃くし、神隠しの噂で満ちた隣町は、不気味な静けさを纏っていた。
知子が大きく息を吐き、腰に手を当てる。
知子「もう帰ろ!今日はここまででいいでしょ、明日にしよ!」
五十嵐も腕時計を見て、苦い表情で頷いた。
五十嵐「そうだな……暗くなってきた。撤収だ、危ない」
慶作と加江田は不満げに顔を見合わせたが、しぶしぶ同意する。
慶作「ちぇっ……わかったよ。帰るか」
加江田「続きは明日だな」
その瞬間だった。
――ぎゃあああああああああっ!!
遠くから鋭い悲鳴が響き渡る。
耳を切り裂くようなその声に、全員の身体が固まった。
「……っ!!」
誰よりも早く動いたのは慶作だった。
振り返るよりも早く、声のしたほうへと全力で駆け出す。
五十嵐「おい待て!慶作!!戻れ!!」
必死に叫び止める五十嵐の声も、走り去る背中には届かない。
五十嵐は苛立つように舌打ちすると、短く言い切った。
五十嵐「……全員行くぞ。置いていけるか」
知子「しょうがないわね!」
加江田はすでに走り出しており、百目鬼も無言でその背中を追う。
全員の足音が、闇へと続く道に響き渡った――。
住宅街を駆け抜ける一同。 家々の窓から不安げな顔がのぞき、スマホ片手に通報する住人もいる。
誰よりも早く悲鳴の場所へ辿り着いた慶作は、道路に落ちている鞄と、片方だけの靴を見つけた。 駆け寄り、膝をつき、握った拳をアスファルトに叩きつける。
慶作「クソッ!!」
遅れて全員が追いつく。
五十嵐「触るな!警察が来るまで待機だ!」
その声を背に、百目鬼だけが静かに走り出した。
五十嵐「おい!百目鬼!どこ行く!」
百目鬼は振り返らず、短く叫ぶ。
百目鬼「大丈夫だ!必ず戻ってくる!そこで待っててくれ!」
そう言い残し、闇の中へと姿を消した。
五十嵐が、落ち着きなくあっちへ行ったりこっちへ行ったり歩き回っていた。
五十嵐
「う、うあぁぁあ!追いかけるべきだろうか……!だが、こいつら置いていくわけにもいかないし……あぁぁぁぁ!」
狼狽した声が空気を震わせる。
初めて“本物”の事件現場を目の当たりにした知子と加江田は、足に力が入らず、まるで地面に縫い付けられたように動けなくなっていた。顔は青ざめ、震えが止まらない。
その時――
遠くから甲高いサイレンの音が近づき、赤と青の光が住宅街の壁に反射した。
警察車両が急停止し、数名の警察官が走り寄ってくる。
五十嵐
「助かった……!こちらです、事情を説明します!」
震えながらも、五十嵐は必死に状況を説明する。
警察官が慶作たちを保護し、周囲をテープで囲い始める。
五十嵐
「慶作、知子、加江田……ここは警察に任せる。俺は百目鬼を追うからお前らは絶対に動くなよ」
言い残すと、五十嵐は顔を強く歪めた。
五十嵐
「百目鬼……頼む、無茶するなよ」
そう呟き、夜の闇へ走り出した。
百目鬼が消えた方向へ。
住宅街の静寂を切り裂くように、彼の足音だけが響いていった。
走っていく五十嵐の背中を、慶作は食い入るように見つめていた。
その瞬間、全身に血が逆流するような感覚と共に足が勝手に動く。
慶作「待ってられるかよ!」
慶作は警官たちの間をすり抜け、一気に走り出した。
警官「おい君!止まりなさい!!」
警官の声が響くが、慶作は振り向きもしない。
警官たちの視線が慶作に向いた隙をついて、知子と加江田も慶作を追って駆けだした。
警官「ちょっと!君たちも!!」
警官たちも慌てて後を追う。
慶作は走りながら周囲を必死に見渡す。
すると、暗闇の向こう、山の麓―― 街灯の光に薄く照らされ、森へ向かって歩く百目鬼の背中が見えた。
五十嵐「百目鬼!!」
五十嵐の声が夜に響く。
だが百目鬼は振り返らない。
まるで何かに引き寄せられるように、一直線に森へと姿を消した。
慶作「いたぁ!!」
慶作たちも息を切らしながら森へ突入し、その後ろで警察も追いついてくる。
山の頂上。
百目鬼は立ち尽くしていた。
五十嵐「百目鬼!!!」
その声で、百目鬼はようやく振り返る。
百目鬼「先生!?なんで来たんですか!」
焦りと動揺に震えた声。
五十嵐「そりゃ……お前を――」
言い終える前。
五十嵐の背後へ、風が鋭く切り裂くように吹きつけた。
ドン――!
大きな影が落ちる。
羽ばたきとともに、黒い翼を広げた“何か”が地面に降り立つ。
それは人間の形をしていた。
だが、明らかに人ではない。
この世が忌み嫌い、恐れ続けてきた存在――
忌みなる者。
妖怪――。
黒い大きな翼が、しなるように空気を裂いて五十嵐へと迫る。
その凶悪な影が振り下ろされる瞬間、五十嵐は反射的に目を強く閉じた。
(――来る!)
だが、いつまで経っても痛みは訪れない。
恐る恐る薄く瞼を開くと、眼前に立ちはだかった“それ”の巨大な背中が視界を覆い尽くした。
五十嵐の目には、常識では理解できない存在が映る。
闇よりも濃い漆黒の体躯。
頭部にはねじれた二本の角。
顔の中央には、底なしの穴のように深い一つの眼。
腕から胴、脚、そして背に至るまで、びっしりと無数の“目”が蠢き、ぎょろりと五十嵐を睨み返す。
まるで地獄から這い出た怪物。
五十嵐「あ、ぁ、ぁぁぁぁッ……!?」
喉が引き裂けそうな悲鳴が漏れた。
足は震え、全身から血の気が引いていく。
その異形は、確かに人の形を模している――だが人ではない。
黒い妖怪が、低く震える声で言葉を発した。
???「……先生。ごめん……逃げて」
その声に、五十嵐の全身が凍りつく。
聞き間違えるはずがない。何度も教室で聞いてきた、あの少年の声だ。
五十嵐「……嘘、だろ……?」
黒い巨体がゆっくりと振り向く。
闇の中で、無数の目がぎょろりと動き、五十嵐を見据えた。
巨大な角を持つ頭部に、一つだけの大きな眼。
黒い翼が不気味に羽ばたき、風が地面の砂を巻き上げる。
腕や胴体にびっしりと並ぶ無数の眼球が、一斉に瞬きをした。
五十嵐は理解してしまう。
――あれは怪物なんかじゃない。
――百目鬼 爾郎だ。
今まで一緒に笑い、一緒に授業を受け、肩を組んでいたあの少年。
その正体が、目の前に立つ “忌みなる者”――妖怪だった。
人間の世界に紛れ、普通の生徒として生きていたという事実。
そして妖怪が、本当に存在していた現実。
そのどちらも、五十嵐の中で世界をひっくり返すほどの衝撃だった。
五十嵐はじりじりと後ずさった。
目の前の“それ”を直視しきれず、喉の奥がひきつる。
巨大な黒い影――無数の目が脈打つ腕、額から伸びる二本の角。
何より、たった一つだけぎょろりと光る大きな目が、五十嵐の全身を射抜いていた。
その異形は、五十嵐の怯えた様子に気づいたのか、ほんの少し俯く。
だが、その横に降り立った黒い翼の妖怪が口を開いた。
黒翼の妖怪「なぜ人間を助けるのですか? 妖怪の風上にも置けませんねぇ」
嘲笑うような声。
その言葉に、百目鬼の肩がぴくりと震えた。怒りが爆発しそうに膨らむ――しかし、必死に押し殺す。
百目鬼「……なんでだろうなァァァァ!!」
叫びと同時に、百目鬼は黒翼の妖怪の身体を掴むと、地面を抉る勢いで投げ飛ばした。
衝撃音が山頂を揺らし、土煙が舞い上がる。
五十嵐はただ立ち尽くすしかなかった。
恐怖と混乱と、教え子の知らなかった一面――その全てが胸を締めつけていた。
夕焼けと共に幕を開けた隣町の神隠し調査は、一瞬で現実離れした恐怖と真実へと変貌した。
初めて目の当たりにした“本物の現場”。
いつも通りの掛け合いのまま飛び込んだはずの彼らを待っていたのは、想像を超えた“闇”だった。
五十嵐の叫び、知子と加江田の震え、必死に走った慶作。
そして――
人間として共に笑っていた百目鬼 爾郎が、まさか“妖怪”だったという衝撃。
教師に怯えられ、仲間に真実を告げる前に、
ただ“守る”という本能だけで翼の妖怪へ立ち向かった百目鬼。
彼の叫びは怒りか、悲しみか、願いか。
その意味を知るのは、きっとまだ先のことだろう。
逃げ続けた真実と、向き合わされる覚悟。
運命は、もう動き始めていた。
次回37話ーー百目鬼




