29話:揺らぐ信念
冷たい夜気が森を包む。
試験の延長とも言える“実践授業”が始まり、生徒たちはそれぞれの信念と力を手に森へ踏み込んだ。
だが、その中でただ一人――神宮寺 泰斗は違っていた。
彼にとって戦いとは、鍛錬でも成長でもなく“生きる証明”そのもの。
誰よりも強く、誰よりも早く。
そう在ることが彼の誇りであり、呪いでもあった。
そんな彼の心が、今、少しずつ揺らぎ始める。
戦場の森で、何かを斬りながら。
【登場人物】
神宮寺 泰斗
森を颯爽と駆け抜ける一つの影――
月明かりに照らされ、その姿が浮かび上がる。
腰に刀を携え、鋭い眼光で前方を見据える男。
神宮寺だ。
風を切る音と共に、彼は迷いなく走る。
進行方向から現れる妖怪たちを、止まることなく次々と斬り伏せていく。
振り抜くたびに光の残滓が尾を引き、月下の森に一瞬の閃光が走る。
その動きに無駄はなく、まるで戦場での舞のように精密だった。
神宮寺「……雑魚ばかりだ。これが“実践”か?」
吐き捨てるように呟きながらも、彼の歩みは止まらない。
切り捨てた妖怪の灰が風に散るたび、眼差しはさらに鋭さを増していく。
だが、次の瞬間――。
ふと、背筋をかすめるような“視線”を感じた。
神宮寺は音もなく足を止め、呼吸を潜める。
風の流れが変わり、木々のざわめきの中に違和感が混じる。
スッ――
目線だけを横へ動かす。
その先、闇の中で何かが自分と同じ速度で“ついてきている”のを確かに感じた。
神宮寺「……速いな」
低く呟き、神宮寺の目が鋭く細められる。
ただの生徒ではない。動きが速すぎる。
木々の間を縫うその気配は、まるで風そのもののようだった。
神宮寺(――スピード系か。動きに迷いがない……)
一瞬、刀の柄に手を添える。
肌を撫でるように漂う妖力の流れ。
それを確かに感じ取り、神宮寺は心の中で静かに結論を下す。
神宮寺(間違いない……あれは人間じゃない。妖怪だ)
一歩踏み出した瞬間——気づく。
正面だけじゃない、四方八方に気配。
木陰や草むら、枝の上……複数体が息を潜め、確かにこちらを狙っている。
木々の間から、ぬらりと這い出る影。
歪んだ笑い声が森にこだまする。
「……ゲヘ、ゲヘヘ……」
一体は肌がただれ、裂けた口から長い舌を垂らして笑っていた。
別の一体は四つん這いで地を這い、涎を滴らせながら神宮寺を見上げている。
さらに奥では、無数の目玉が蠢く影が木の幹に張り付き、ぞろりと首を傾げた。
湿った土と血の匂い。
人の形をしているものもいれば、既に原形をとどめぬ異形もいる。
どれもが、この森の“異常”を象徴していた。
神宮寺「……多種多様だな」
がっと腰を低くし、顔を伏せた瞬間――神宮寺の足元に赤い紋が走り、直径五メートルほどの円陣が浮かび上がる。
符が淡く光り、風が渦を巻く。
神宮寺「……まとめて来い。切ってやる」
森の空気が、一瞬にして変わった。
神宮寺の周囲を取り囲む妖たちは、奇声を上げながらじりじりと距離を詰めてくる。
涎を垂らし、笑う者。影に潜み、狙う者。
どれもが血の臭いを放ちながら、獲物を嬲るように揺れていた。
神宮寺「……獣風情が、俺を囲むとはな。」
静かに刀の柄へ手をかける。
その仕草ひとつで、空気が一層張り詰めた。
神宮寺「星々よ、聞け――」
低く、しかし確かな声が夜に響く。
地面に描かれた陣が、紅く脈打ち始めた。
神宮寺「此の刃、塵のごとき業を断ち、天の理を正すために振るわれる。」
「幾千の闇、幾億の祈り、我、剣に託し、咎を裂く者なり。」
妖たちは一斉に飛びかかった。
だが神宮寺の視線は微動だにしない。
神宮寺「ひとひらの光は涙、ひとふりの刃は祈り――」
カチャリ。
鞘から抜けた刀が、淡い紅光を放った。
神宮寺「此処に咲け、夜天の華。散りゆく運命すら、我が剣にて断罪せん――!」
神宮寺「断罪・星雨連華ッ!!」
――瞬間。
夜空が割れた。
星々が流れ落ちるように、無数の光刃が空間を覆う。
妖たちが逃げる間もなく、その身体が次々と光に呑まれ、
音もなく崩れ落ちていく。
静寂。
風が止み、紅い光だけが森を染めた。
神宮寺は刀をくるりと翻し、鞘に納める。
カチャ――。
光が収まり、森の静寂が戻る。
焦げた草と、妖の残滓が風に舞う中――神宮寺はゆっくり息を吐いた。
神宮寺「……終わりか」
そう呟いた瞬間。
ズ……ッ。
足元の土が震えた。
空気が、変わる。
森の奥から――まるで圧力の塊のような妖気が這い寄ってきた。
神宮寺の眉がぴくりと動く。
神宮寺「……まだいたか」
木々の影が揺れ、低い唸り声が響く。
次の瞬間、黒煙のような妖気が吹き荒れ、その中から“それ”は姿を現した。
他の妖とは比べものにならない。
異様に長い腕、裂けた口から滴る血のような液体。
何より、その目――まるで理性を持つような、深紅の光が宿っていた。
神宮寺「……格が違うな」
刀の柄に手をかけた瞬間、
“それ”は一閃の光を裂くように――消えた。
神宮寺「――っ!?」
風が鳴る。
間合いを詰められたことに気づいたときには、すでに遅かった。
その鋭い爪が、神宮寺の頬を掠める。
血が飛ぶ。
神宮寺は即座に後退し、木の根を蹴って距離を取った。
神宮寺「チッ……速い。俺の間合いを抜けるか」
冷静さを保ちながらも、その声には明らかな苛立ちが滲む。
視線は鋭く、刀を構え直す。
神宮寺「いいだろう……貴様だけは、斬る価値がある」
妖は再び、低く喉を鳴らした。
互いの間に漂うのは、ただ“殺意”のみ。
――夜の森に、緊張が走った。
妖の喉が、ぐつぐつと煮えたぎるように鳴った。
「……グゥ、ゴポッ、ゴボォ……ッ」
異様な音に、神宮寺の眉がわずかに動く。
神宮寺「……何を――」
言いかけたその瞬間、妖の口が大きく裂け、
粘り気のある液体が地面に叩きつけられた。
――ずるり。
血と肉の匂いが混ざり、辺りの空気が一気に腐る。
神宮寺の視線が、その中身に吸い寄せられる。
そこには――
制服の袖、折れた眼鏡。
神宮寺「……」
地面に転がっていたのは、名すら覚えてないクラスメイトの亡骸
顔は判別できるほどに残っている。
だが、胸には大きな穴が開き、もう息はない。
神宮寺の拳が、震えた。
神宮寺「……てめぇ、まさか、喰ったのか」
妖は答えない。
ただ、口端を吊り上げ、歪んだ笑みを浮かべた。
その歯の隙間から、まだ“人の肉片”が覗いている。
――その瞬間。
神宮寺の周囲の空気が、一変した。
怒りが妖力に転じ、風が荒れ狂う。
髪が揺れ、瞳が静かに紅く染まる。
神宮寺「……天城は、なにしてんだ。」
低く、感情を押し殺した声。
目の奥に宿る光が、怒りと憎しみに染まっていく。
ゆっくりと刀を構え直し、妖へと歩を進める。
神宮寺「職務を、全うしろよ……」
吐き捨てるように言い放ち、視線を妖へと固定する。
妖は愉悦に満ちた笑いを漏らし、滴る血を舌で舐め取った。
その姿を見据え、神宮寺は静かに言葉を続ける。
神宮寺「人を喰らった妖は、人里へ降りる。
……そんなものを生かして帰すわけにはいかない。」
刀身がわずかに震え、空気が鋭く張り詰めた。
神宮寺の瞳にはもはや迷いはなかった。
神宮寺「ここで――必ず、殺す。」
神宮寺の信念は、誰よりも“正しさ”に縛られている。
それは彼が強さを追い求めた理由であり、同時に呪いのようなものでもある。
妖を斬ることに迷いはない――
彼が見た「亡骸」は、ただの犠牲者ではない。
それは、“揺らぐ信念”の象徴であり、神宮寺という人間の弱さを描くための幕開けだ。
次回30話ーー小さな子




