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――ギシ……
板張りの廊下が微かに軋む。
「(ッ!?)」
戸を挟んだ居間の中から、息を飲むような音が聞こえた。
思いがけず盗み聞き状態になってしまい、室内に走る緊張も相まって、愛子の方も頭が真っ白になり狼狽えてしまう。だけど漏れ聞こえた会話も、別に悪巧みとか悪口とかではなかったのだし、慌てる必要はないと、口元を押さえていた手をゆっくりと下ろした。
(そう、偶々声が聞こえたってだけなんだから、あたしだって悪くないわ……よね…)
言い訳する様に『自分が悪いんじゃない』と心の内で繰り返してから、惚けた声を掛けて誤魔化す。
「お母さん、帰ってるの?」
戸越しに伝わる居間の緊張が緩んだ気がする。
「(愛子ちゃん? 帰って来たのね)」
そこまで聞いて、愛子は合点がいった。
確か出かける時に靴を探していたのだが、見つけたミュールがあった場所に、つい何時もの癖で自分の靴を仕舞い込んでしまった事を思い出す。そのせいで愛子の靴が玄関に見当たらない状態になっていたのだ。
靴が見当たらないのだから、愛子は出かけていて、居ないと思っていたのだろう。
恐らく両親も。
声を掛けたものの、一向に戸を開けない愛子に焦れたのか、伯母である伸子が中から戸を開けてくれた。
「「お帰り」」
「外は暑かったでしょう? 風はマシなんだけどムシムシしてるからねぇ。
あら、可愛いワンピースね。やっぱり女の子がいると華やいで良いわねぇ」
両親も伸子も笑顔で迎え入れてくれる。
愛子も着替えないまま転寝をしたせいでワンピースのままだったが、両親と伯母もまだ喪服のままだった。
「何処まで行ってたの?」
隣に座ろうと中腰になった愛子に、母親が訊ねてきた。
「えっと…お帰りなさい。
あたしは暇になっちゃって、ふらふらと散歩してただけ」
「はは、まぁテレビもあっち程チャンネル数がないからな」
父親の言う『あっち』というのは、普段の居住地域の事を指しているのだろう。
「あ~……ぅん、まさかあんなに少ないなんて思わなかった」
「ごめんねぇ、田舎だから退屈だわよね」
伯母の言葉に愛子は首を横に振った。
「ううん、そんな……えっと、そ、そうだ!
同じくらいの年の子に会ったの! 凄い綺麗な男の子だったんだけど、あの子って何処の子?」
名前を聞きそびれていたので、丁度良いとばかりに伸子に聞いてみる。
「愛子ちゃんと同じくらいの…?
ん~…ごめんねぇ、わかんないわ。
でもこの村の中で会ったんなら、村人の親戚か何かだと思うけど」
「そっか、残念」
伯母も心当たりがないらしく、結局身元不明のままだが、また神社に行けば会えるに違いないと、愛子は気持ちを切り替えた。
「それにしても、お母さん達着替えないの?
皺になっちゃうよ?」
「あ、あぁ、そうだったわね。着替えてくるわ」
指摘されて、ハッとした様に母親は立ち上がる。
ついでとばかりに父親も着替えさせようと引っ張って、居間から出て行った。
それを一緒に見送っていた伸子が、『自分も着替えてくる』と居間を出ようとしたところで、愛子を振り返った。
「そうそう、お婆ちゃんのお骨は仏間に帰ってきてるから、良かったら会ってやって頂戴。
昨夜は遅かったし、今朝は今朝で湖神様に挨拶に行ってたから、全然会えてないでしょう?」
「あ、そう…だね。
仏間って……?」
「あぁ、廊下に出て直ぐの部屋だよ」
「わかった。ちゃんと挨拶してくるよ」
「ありがとうねぇ」
そう言って着替えに出て行った伸子も見送ってから、愛子は居間を出て、言われた部屋へ向かう。
糸畑の家は広いので、ただでさえ静かなのだが、今はタイミング悪く愛子一家を除けば、伸子しか家人が居ない状態なのだ。
旦那さんは葬儀に来てくれたという親戚を、車で街の方へ送るのに出かけているらしいし、娘さんは遠方に嫁いでいて、こっちに戻れるのはもう少し先になりそうとの事。息子さんも社会人に成りたてで、あまり休めそうにないらしい。
目的地と言うか、帰省先がこんな山深い田舎では、それも致し方ないだろう。
そんな訳でただでさえ静かな糸畑家だが、仏間には更に凝縮された静寂が居座っていた。
障子戸を開け、室内にぶらさがる古式ゆかしい吊り下げ照明をつける。
途端にずらりと掲げられた白黒写真から、視線が突き刺さる様な感覚に襲われてしまい、正直言うと愛子は早々に逃げ出したくなった。
それでもなんとか、愛子はお骨の前に正座をする。
だが、そこからどうして良いかわからない。
『死』が身近でなくなった弊害で、ありがちな事だ。
(手を合わせるのが先? それともお線香?)
わからないが、態々聞きに行くのも面倒くさい。
要は気持ちの問題だと、自分ルールで手を合わせた。
合わせた手を下ろし、目線の高さにある老女の写真を見つめる。
刻まれた皺は深く、だけどその表情は穏やかで、ずらりと並んでいる祖先達の写真の様な居心地の悪さは感じない。
カラー写真なのだが、何処かセピアに色づいたような柔らかさがある様にも見えて、白黒写真達から突き刺さる鋭さを、丁度良い塩梅に削ぎ落としているのだろう。
(だけど……。
……ん…やっぱり何も思い出せない。懐かしい様な気もするけど……。
あたし、お婆ちゃんに会った事あるんだよね?)
返事がないのは重々承知で、それでも心の内でつい問いかけてしまった。
思い出そうと必死になると頭痛に襲われたりしていたので、両親は揃ってもう思い出さなくて良いと言ってくれる。
日常生活に支障がある訳じゃないので、その言葉にずっと甘えてしまっていたが、いざこうして遺影を前にすると、優し気な笑顔や声を思い出せないのが、ちょっぴり悲しくなってしまう。
そんな、言いようのない諸々が綯い交ぜとなって、愛子は小さく溜息を零した。
すると視界に収まっている遺影の笑顔が……ブレた。
(っ!!??)
まるでノイズの様に視界までブレて、あまりの事に声も出せずに固まっていると、空気がゆっくりと冷えていく。
そして遺影が二重写しのようになったかと思ったら、老女の顔から笑顔が抜け落ちた。
(ヒッ!!)
目の錯覚だと思いたい。
こんな恐怖体験が自分に降りかかるはずはない。
そんな愛子の動揺等知った事かといわんばかりに、老女の表情は今もゆっくりと変わり続けていた。
ゆっくり……ゆっくり…………。
本当にゆっくりで、一時期流行った『ア〇体験』や『エ〇レカ体験』で流された映像を見せられているような感覚だ。
そしてやっと変化は止まったのか、老女の視線と交差する。
交差した老女の表情は、酷く悲し気に歪んでいた。
不思議と恐怖は溶け消えていて、愛子はじっと目の前の摩訶不思議な光景の中に浮かぶ、祖母の顔を見つめ続ける。
悲し気な老女は、一度だけ首を横に振った。
そして…ただただ静かに、すぅっと消え去って行く。
「あ!」
愛子は思わず前のめりになり、縋るように手を伸ばす。
室内の冷えた空気だけが、さっきの出来事は現実だったと言っているように思えた。
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