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麻砂子が愛子の腕を掴み、何とか追いついた所で、愛子は『あの子とは何なのか』と言う疑問と共に怒り狂って暴れたが、やがて突然意識を失ったようにその場に頽れた。
頭を打ったりしないよう、麻砂子は慌てて抱き止めて抱え込む。
その後ろから勝則と伸子も駆け寄ってきた。
愛子の為に必死にその存在の痕跡も消して来たのに、当の愛子の口からとうとう妹に行きつく問い、言葉が飛び出してしまい、その場の全員が途方に暮れる。
会話を聞かれてしまった事は仕方とするにしても、そこから何をどうすれば良いのか、誰も正解等持ち合わせていない。
「はぁ、どうしたもんかねぇ…」
伸子が溜息と共に、力ない言葉を吐き出した。
「わからない……もう、どうしてやるのが一番良いのか…」
「無理に思い出させないようにって……でも……あぁ、私は酷い母親だわ……」
麻砂子も勝則も、愛子の妹の事を忘れた事はない。
だが生きている愛子と、行方不明の妹を天秤にかけたのは事実だ。
結果、天秤は愛子に傾き、だからこそ妹が存在した残滓は伸子に預けられる事になった。
その選択に後悔がなかった訳ではない。しかし、他に出来る事は思いつかなかった。
だが時間とは残酷なものだ。
確かに愛子以外の誰もが妹の記憶を持っていて、ちゃんと覚えているはずなのに、徐々に薄らいで思い出に変わり始めていた事を、改めて突きつけられる。
当時の、心を掻き毟る様な苦悩は穏やかになり、失踪宣告が可能になる7年を、何処かで待っていた気がする。
小学生が何の痕跡も残さず行方不明になったとて、その後生きていると信じられる人間は、そう多くはないだろう。だから法律的にもそういった制度があるのだ。
理性ではそう考えても感情では、自分が酷く冷たい人間に堕ちてしまったようで、とても重く、そして苦しかった。
「兎に角愛子ちゃんをそのままにしとけないよ。
麻砂子さんだってずっと抱きかかえてる訳にも行かないしね。
ちょっと待ってておくれ、布団を出してくるよ」
そう言って伸子がその場を離れようとした時……。
「あたしは悪くないッ!!
あの子が…全部、何もかも奪って行くあの子が悪いのよッ!!」
「ぁ、愛子っ!?」
ピクリとも動かなかった愛子が、血走った目をカッと見開き、四肢を振り回して暴れ始めた。
抱き止めていた麻砂子も弾き飛ばされる程、その暴れっぷりは激しい。
「ぇ……ぁ、愛子…? 愛子!?」
想像の範囲外の様子に誰もが呆然と、暴れる愛子を見つめていた。
「知らないったらっ!!
あたしから全部全部盗んでいくあの子が悪いの!
あの子だけが悪いのよ!!!」
血走った眼はあらぬ方向を睨み付けるばかりで、その恐慌状態は悪化する一方に見える。
「煩いっ!!
あの子が悪いだけって言ってんでしょ!!
あたしは被害者なの!!
あたしの方が落ちたんだから!!」
『まさか』と顔を見合わせる。
もしかして、愛子に記憶が戻ったのだろうか?
だがこの状況はどう言う事だろう……愛子はまるで見えない誰かと話をしているようにしか見えない。
「あたしはあの子の手を引っ張っただけ!!
そしたらあの子が水に落ちただけ!!!」
空気が凍り付く。
今…娘は、愛子は何と言った?
「はは……ざまぁみろ……。
あたしからお父さんもお母さんも奪うあいつが悪いんだ…。
い…妹の癖に……
あたしから、全部……全部ッ!!」
麻砂子も勝則も、勿論伸子も、愛子の言葉の衝撃が大きすぎて、指先さえ動かせそうにない。
愛子の足首に絡む、黒い水草の影が徐々に伸びているように見えているのに、それに気づいたのに、誰一人愛子に手を伸ばせない。
狂ったように、居なくなった妹を罵り続ける愛子は、最早人間の皮を被った何かにしか見えなくなっていた。
「そう…あたしは極悪人をやっつけただけよ…。
何が悪いって言うのよッ!?」
【悪いのは、お前………そして、僕だ…】
「はぁ?
何寝ぼけた事言ってんのよッ!!
あたしは悪くないって何度言えばわかるの!?
それに、アンタなんて知らないっ、知らないんだからっ!!」
【当然だろう?
僕の事が見えていたのは彼女だけだった。
社から神職が居なくなり、僕を認識できる人間は一人も居なくなっていた】
淡々と囁くような小さな声なのに、その透き通った声は、否応なしに鼓膜を震わせる。
【気づけば水底に僕は一人だった。
だが村人達は僕を神へと押し上げて……優しくしてくれた。
だからずっと僕は守ってきた。
水が干上がらないように、汚されないように……。
嬉しくて、愛おしくて……だけど誰も僕を認識してくれなくなってしまった。
そんな時だった…彼女は社でぼんやりとしていた僕に話しかけてきた。
もう消えゆくだけだった僕の光になった。】
愛子は闇の中で、そこだけは光が差しているかのようにはっきりと見える少年に恐れを抱く。
思わず後すざってしまう程に…。
【お前が彼女を水に引き込んだ時、僕は水底で微睡んでいて気付くのが遅れた…。
気付いて居たら、直ぐに気付いてさえいたなら……彼女が絶望して虚ろになりかける前に救えたのに。
ゆっくりと落ちてきた彼女は、身体より先に、心が手遅れだった】
水底で暮らせし人外……目の前の少年は湖に住まう何かなのだと…いや、村人達が大事にしている湖の水神なのだと、愛子はやっと気づいた。
「……ぁ……ぁぁ…」
【水面へ…人間達の世界へ戻す事も出来た……身体だけなら。
だが、そのまま帰せば、虚ろになった彼女の内部に別のモノが入り込んでしまう。
人の身でありながら人以外を見る事の出来る彼女は、身体だけであっても、そう言ったモノにとっては貴重だ。
彼女の身体を使って、好き放題にした事だろう…だから帰せなかった。
僕は彼女の命の輝きが好きだった。
好きで、大切で……愛おしい……僕の最愛……。
だから、戻せないならせめて僕の傍に居て欲しいと………なのに】
何時の間に…と思う暇もなく、愛子の身体は何処からともなく生え伸びてきた水草に絡めとられる。
違う……どこか別の場所から生え伸びているのではない。
愛子の身体から、肌を突き破って生え伸びているのだ。
「ヒィィ!!!」
【なのに……お前は……お前達は……
彼女を忘れ、置き去りにし、その身体までも消し去ろうとした。
だから……】
とうとう顔にまで伸びてきた水草の葉先が、愛子の頬を甚振る様に掠める。
何度も何度も……。
堪え切れない怖気に、背筋が震え、喉が凍り付く。
【お前に思い出して貰う事にした。
ありがとう。
お前から近づいてくれて、僕は心の底から嬉しかったよ。
おかげで、僕は彼女を取り戻せる。
さぁ、捧げてくれ。その×◎#※△▼□……■%………】
愛子は、その顔までも水草に埋もれた。
最後まで悲痛の涙に濡れた瞳を、縋る様に見開いたまま………。
そして小さな純白の花弁が綻びる。
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