13
ザンンッ!!
水面が割れ、飛沫が舞い、波紋が広がる。
引き千切られた飛沫の一つ一つが、水面を叩いて波紋を生み出す。
生まれた波紋は互いに干渉し、消えゆく刹那の絵を描いた。
「ッ……ンク!!」
声が出ない。
衣服を身に着けたまま水中に落ちたせいで、身動きもままならない。
姿勢を保ち、呼吸を確保する事に精一杯で、叩いて罵った妹がまだ桟橋の上に居るはずなのに、彼女に助けを求める余裕もない。
―――本能的溺水反応―――
海水浴客でごった返し、耳目は十分あったはずなのに、溺れ死んだと言う話は聞いた事がないだろうか?
愛子は今まさにその状態であった。
口からゴボリと、断末魔になり損ねた泡沫が抜け出て行く。
放心したようにそれを見つめ、意識が水底に沈みそうになった時、愛子の衣服を引っ張る手があった。
【お姉ちゃん!!】
途端に意識が鮮明になり、苦し紛れに必死で水面に顔を出す。
喘ぐように酸素を取り込もうとすると、飛沫と一緒に水の塊が口の中に入ってきた。
酷い事をしたのに、酷い事を言ったのに……妹はその小さな身体を必死に伸ばして、愛子の衣服を摘まんだまま、何とか手繰り寄せようとする。
愛子の方も妹から齎された救いの手に必死に縋り、桟橋の足場に組まれた丸太に何とか手をかける事が出来た。
愛子は首だけ水面から出し、足場にしがみついた状態で、妹の顔を無心に見つめる。
気管に入り込んだ水を、身体が排出しようと咳が出るが、それも少しするとマシになった。
自分が叩いた妹の頬は真っ赤に腫れ上がっていたが、彼女は姉・愛子が溺れずに済んだ事を、心の底から喜んでいる様だ。
痛みに因るものではない涙で頬を濡らし、愛子が撒き散らした水飛沫で汚れたまま地面にへたり込む妹を、愛子は黙って見続ける。
【お姉ちゃん…良かった……
ぁ……どうしよ…私じゃお姉ちゃんを引き上げられないかも…】
当面の危機が去ったと思えば、他の事に思考が向くのは当然の事で、妹は姉を水中からどうやって引き上げようかと悩み始めた。
平均より身長の高い愛子は、妹に比べてかなり体格がいい。
詰まる所、妹が愛子を引き上げる事は不可能と言う事だ。
しかし湖に近づく事を禁止されているのに、それを破ってしまった事も、妹の思考を鈍らせてしまう要因の一つだっただろう。
だが、このままでは愛子の体力もいつか尽きてしまう事くらい、小学生の妹にもわかっていた。
妹は姉がちゃんと丸太にしがみついている事を確認する。
【お姉ちゃん、待ってて
お父さんかお母さん呼んでくる。
……村の人には怒られるかな……ん、でも怒られても良い。
直ぐ呼んでくるね】
妹は掴んだままだった愛子の衣服から、強張る手を何とか引き剥がして立ち上がろうとする。
その手を愛子は無意識に掴んだ。
何があっても離すまいと、必死に力を込めていたのだろう…小さな手は冷たく、そして酷く強張っていた。
【お姉ちゃん…?】
じっと虚ろに見上げてくる愛子に、妹は困ったように唇を突き出した。
【怒られるの……嫌?
ん……でも、私ひとりじゃこれ以上は無理そうなの。
だから……】
水中から桟橋の上の妹を、無言のまま見上げる。
その間も掴んだ手は離さない。
【お姉ちゃん、ほんと直ぐ呼んでくるから。
このままじゃ危ないから】
見上げたまま、愛子は自分の中に再び黒くどろりとした何かが、ゆっくりと滲み出るのを感じていた。
(虫唾が走るくらいいい子ね…。
ホント……良い子過ぎて、反吐が出るってこう言う事なんだ。
あたしの代わりに、アンタが落ちれば良かったのに……)
滲んだ感情は一気に膨れ上がる。
妹は誤解していた。
愛子には自分で水から上がる余力が残っていないと、そう思い込んでいた。
いや、小学生で、しかも嫌われていると感じながらも慕う姉が、そんな嘘を吐くなんて思いもよらないのだから仕方ない。
都会のもやしっ子とは言え、組まれた足場はそれなりに頑丈だったし、それを伝って湖岸の方へ行けば、足をかける土手だってある。
自分で上がれないと言う事はなかったのだ。
(そうよ。
この子が居なかったら……この子さえ居なかったら、あたしが全部貰えるのにっ!!
憎い憎い憎い……………。
あぁ、そうだ……そう、この手を引っ張るだけでいいんだ…)
愛子は掴んだ妹の手を、思い切りグイと引っ張る。
驚愕の表情は一瞬で、体勢を崩し、妹の身体はあっけなく湖に投げ出された。
水面を妹の身体が、手が叩く。
波紋が複雑に文様を描く。
愛子は入れ代わる様に、自力で岸辺に近づき、何とかとっかかりをみつけて這い上がった。
【お姉ち……ッ】
水を含んで重くなった衣服は、妹を拘束するように絡み付き、命の抗いは一瞬にも思えるほど短かい。
水面に突き出された妹の手が痙攣した。
その様子を、愛子は何の感慨もなく見つめる。
妹が死を目前にしているのに、心は凪いだままだった。
最後に馬びあがった少し大きめの泡を残して、水面も凪いだ。
愛子の意識が、遠い時間と記憶の彼方から、現在に戻る。
(…………あぁ、あたしには妹がいた…。
あたしの代わりに死んだ。
違う……あたしが見殺した。
ううん、そうじゃない……明確な殺意を持って殺した…。
………どうして……どうして忘れていられたんだろう………)
『やっとか……』
愛子は、呆然と声の方を見上げる。
白皙の、人外の美貌がそこにはあった。
見上げたまま、ゆっくりと愛子は視線を泳がせる。
「………し…」
少年の片眉が怪訝に跳ね上がった。
「……あ、あたし……あたしは……」
認知
―――そう、愛子は間違いなく妹を殺した。
嫌悪
―――自分は殺人を犯した。自分が信じられない。
何より穢れてしまった。
後悔
―――どうして、何故そんな事をしてしまったのか。
弁解
―――でも、あたしだって苦しかったの。
逃避
―――そうよ、仕方なかったの。
免罪……そして他責
―――だから、あの子の方が悪いの。
「あたしは悪くないッ!!
あの子が…全部、何もかも奪って行くあの子が悪いのよッ!!」
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