第8話 王様、成敗する
気がつけば、陽が真上に昇っていた。
迷子を家まで送ったり、荷物を運んだり、商店の番を代わったり。
ついには食い逃げ犯まで取り押さえて──
完全に寄り道だらけの午前だった。
ゲランにバレたら、説教どころじゃ済まないかもしれない。
「先ほどは助かりました、少年」
声をかけてきたのは、灰色の着物を着たロマンスグレーの男性だった。
先ほどの飲食店の店員だ。
「さっきの……あの、食い逃げの件ですか?」
「ええ。最近ずっと悩まされていたんです……」
彼はうつむきながら、目元を押さえる。
「実は、私は最下層の者でして……ここにも奴隷として連れてこられたんです。
あなたのような優しい方に会えるなんて……」
「いえ、当然のことをしただけです。でも……奴隷、なんですか?」
その一言が引き金だった。
彼はぽつりぽつりと話し出す。
奴隷販売の実態──組織の中心にいるのは、以前俺たちを襲った「黒装束の十人組」で、拠点はこの町の裏路地だという。
「ありがとうございました!」
俺は礼を言って駆け出した。胸の奥が、言いようのない熱で脈打っていた。
*
辿り着いたのは、薄暗く狭い小路。
外からは見えない死角に、信じられない光景が広がっていた。
痩せこけた身体。
虚ろな瞳。
錆びた鎖。
あちこちから、痛みと絶望の気配が滲み出ている。
「……許さない」
胸の奥が煮えくり返る。
そのとき、奥の陰に動く影。
黒装束の男たち──十人。間違いない。以前のあいつらだ。
「うっ……前の王様じゃねえか!」
奴らは、目を見開いて逃げ出した。
「逃がすか!」
怒りに突き動かされるように、俺は走る。
風を切って、路地を抜け──行き止まりに追い込んだ。
「ま、魔法を使う気か……?」
「違う。ここで火を出したら迷惑だろ」
そう言って、俺はゆっくりと腰の剣に手をかけた。
柄に触れた瞬間、空気がぴんと張り詰める。
抜き放つ。
シュルッ──
銀の刃が光を受け、わずかに煌めいた。
その光に、男たちの表情が一瞬で強ばる。
「ま、待て……剣を持ってるだと……!? けど、相手はひとりだぞ!」
「囲め!押しつぶせ!」
太刀を構えた男たちが、声を上げて包囲する。
だが、俺は動いた。
先に飛びかかってきた男の喉元を、横薙ぎの一太刀で払う──寸止め。斬撃の風圧で武器を吹き飛ばす。
「ぐっ……!」
間髪入れず、二人目の剣を受け止め、そのまま体をひねって背中に肘打ちを叩き込む。
男は呻き声を上げて崩れた。
「こいつ……動きが見えない……!」
刃が重なり合うたびに、火花が散る。
カキン、カキンッ!
剣が剣を叩き、軌道が交錯する。
ひとつ、またひとつ──相手の重心を崩し、足を刈り、肩を打ち、武器を弾く。
一瞬の隙を突き、俺は回し蹴りで三人目の顎を跳ね上げる。
体勢を崩した男が倒れる音が、地面に響く。
「くそっ、こいつ、本当に王なのか!?」
「お前ら何やってんだ、かかれ!」
怒声とともに、残った数人が一斉に突っ込んできた。
だが──
俺は剣を半身に構え、一歩踏み込む。
刀身が弧を描き、音もなく空気を裂く。
ザシュッ──!
二人の足元を払うように斬り下ろす。地面すれすれで止めたその刃に、彼らは顔面蒼白になった。
「ひ、ひいぃっ……!!」
最後のひとりが残った。
震える手で剣を構えているが、もう目は怯えきっている。
「まだやるか?」
俺が静かに問うと、男は剣を取り落とし、膝をついた。
気がつけば、九人が地に伏していた。
呻き声と荒い息遣いだけが、場を満たしている。
俺は剣を納め、息を整えた。
「……って、二人逃げやがった!」
目を凝らす。──いた。
一人が、買い物客の波に紛れ込んでいる。
俺がそっと近づいた瞬間、男は女性の背後に回り、首元に太刀を突きつけた。
「動くな!この女を斬るぞ!」
その声に、女性が悲鳴を上げる。
「きゃあっ!」
……あのショートカットの女の子──ミナトだった。
「……バカ言うなよ。見逃すわけないだろ」
俺は足元の小石を拾い、男の眉間めがけて、力いっぱい投げつけた。
ゴンッ!
男はうめき声を上げて崩れ落ちた。
太刀も落ち、彼女は無事だった。
「ありがとうございます……!」
彼女は泣きそうな顔で俺に駆け寄ってくる。
「ケガは?」
「平気です……怖かったけど」
「よかった」
思わず彼女の頭に手を置いた。
その瞬間、彼女の顔がぱっと赤くなる。
「あっ、ごめん。無神経だったな」
「……いえ、ちょっとびっくりしただけです」
彼女の頬は、照れと安堵でゆるんでいた。
俺の胸にも、ふわっとした何かが灯る。
*
帰宅後、俺はゲランに一部始終を伝えた。
「……では、奴隷たちを解放しましょう」
彼は静かに頷くと、「お疲れでしょうから、私が行きます」と言い残し、姿を消した。
*
「今日はようやったな」
姫が、ぽんぽんと俺の背を叩く。
「なんだそのスタンプ評価みたいな褒め方」
「ふふっ。……でもな、わらわ、ちっとも役に立ってないのじゃ」
小さな声で呟く姫に、俺はきっぱり言った。
「そんなことない。お前がそばにいるだけで元気出るんだ」
「ほんとうか?」
「ああ」
「お主……いい奴じゃな!」
その言葉に、少しだけ胸がざわついた。
俺は「いい奴」なのか?
感謝される自分に酔っているだけじゃないのか?
でも──
あの小路で見たもの。
あの瞬間に湧き上がった怒り。
あれは、称賛とは無縁の、純粋な感情だった。
俺は、姫の視線を背中に感じながら、静かに思った。
あれだけは、偽善じゃない。
俺の意思だ。
──確かな、怒りだった。