第25話 王様、ゲランと語る
反乱が鎮まり、民衆のざわめきが王宮から遠のいた夜。
庭の桜が夜風に揺れていた。
俺は、石畳の回廊をひとり歩いていた。
足音のない天国の夜は、まるで時間が止まっているようだった。
「……こんなところにいらしたのですね、王様」
その声は、背後から静かに届いた。
振り返らなくても分かる。
ゲラン・ハヴベル・ドゥー。かつての儒官。俺の側近。
そして――前世で、正しさを貫いた果てに殺された男。
「歩いてないと、気が詰まるんだ。
人を赦せと言いながら、自分が一番、迷ってる気がしてさ」
「……わかります」
ゲランは、俺の隣に立った。
同じように空を見上げる。花の香りに混じって、彼の吐息が聞こえた。
「あなたは、『赦し』を天国の中心に据えようとしていますね」
「ああ。善行の数だけじゃ、人は救われない。
意志とか、後悔とか――見えないものの中に、真実があると思うから」
「……それは、私にとっては恐ろしい提案です」
俺は静かにうなずいた。
「前に言ってたな。
『正しさだけが、人を導く』って」
「はい。それが父から教わった唯一の信仰でした。不正は、斬る。怠惰は、追放する。清廉であることにこそ価値があると」
「けど、君は殺された。正しさを貫いた結果として」
ゲランは、ふと遠くを見る。
「国は、静かに私を排除しました。
私の理想が、民の暮らしに冷たく触れすぎたのでしょう」
「なのに、君は今も正しさを信じてた。俺にはそれが、すごいと思う」
「……信じていたかったんです。
でなければ、自分の死が、無駄になってしまうから」
しばらく、ふたりで黙っていた。
夜風が木の葉を撫で、どこかで梟が鳴いた。
「なぁ、ゲラン。俺たちは、善って言葉をずっと使ってきたけど、その正体、なんだと思う?」
ゲランは、少しのあいだ目を伏せた。
「……私はずっと、罪のない者を守るために、悪を罰することが『善』だと思っていました」
「俺は、悪を罰するより、悪だった誰かがもう一度、人になろうとする瞬間の方が、善に近いと思う」
ゲランは、ゆっくりと目を開いた。
「それは、苦しい道です。
赦すには、時間も、傷も必要になる。
それでもなお、王様はそれを選ぶのですか」
「うん。苦しいのは、正しい証拠だと思ってる」
ふっと、ゲランが笑った。
短く、けれど確かに、笑った。
「やはり、あなたは私の知らない『王』ですね。
ですが――私が仕えた中で、最も人間らしい王でもある」
「人間らしい、ね……」
「それは、最大の賛辞です。
あなたが人である限り、制度も、天国も、人のためにあるのだと、私は信じられます」
ゲランが初めて、俺の肩にそっと手を置いた。
「……王様。私は、あなたの改革に賛同します」
その手のひらは、熱かった。