第24話 王様、姫に助けられる
それは、穏やかな朝だった。
新制度の運用が始まり、下位の区にもわずかながら花が飾られるようになり、
民の表情にも静かな希望が芽生えつつある――はずだった。
だが、それは下からの不満ではなく、上からの崩壊だった。
「身分の価値が、たった一人の判断で見直される? 冗談じゃない!」
「下等の者に、我々と同じ机を囲ませるつもりか!」
「王が個人の情で制度を変えるなど、信じていられるか!」
声を上げたのは、元上位の有力者たち。
改革により「再審査制度」が導入され、自らの身分に揺らぎが生じたことに憤っていた。
表面上は穏やかだった天国に、じわじわと怒りが染み込んでいたのだ。
そして──それは、ある朝、爆発した。
「王を引きずり下ろせ!」
「偽りの善に導かれた王に未来はない!」
王宮の前に、百人を超える者たちが詰めかけていた。
誰もが、上級の装束をまとい、顔には怒りを貼り付けている。
その後ろには、道具や武器のようなものを手にした者もいた。
「……王様、奥へ」
ゲランがすっと前に出て、俺の前に立つ。
「これは明確な反逆です。武力鎮圧も視野に入れるべきかと」
「待って。……まだ、話せるかもしれない」
「話して通じる相手ならば、そもそもこんな騒ぎにはなっていません」
ゲランの声は冷静だったが、その奥に怒りが潜んでいた。
俺は一歩、階段を下りた。けれど、そこから先、足がすくんだ。
目の前に広がるのは、鋭い視線、揺れる怒声、そして殺気。
言葉が、喉の奥に貼りついて動かない。
体は震えていないはずなのに、声だけが出ない。
俺は王だ。けど、ただの人間だ。
何かを信じてきたつもりだったけど、こうして剣の前に立てば、真っ白になる。
(俺は弱い)
そう思った。
制度を語るのは得意でも、敵意の前に立つ覚悟なんて、俺にはなかった。
俺は王になっただけで、「なりきれて」いなかったのかもしれない。
誰かを守るだなんて、大それたことを言って、肝心なときに、声ひとつ出せない。
自分の無力さが、心の底から滲み上がってきた。
「わらわに、任せよ」
そのとき、静かに声が上がった。
俺とゲランが振り向くと、そこにはかつての「姫」の顔をした彼女がいた。
金の冠をいただき、深紅の外套に身を包んだ姫は、
まるで前世の玉座に立っていたときのような足取りで階段を降りる。
玉座の前に立ち、怒声が飛び交う広場に、ひとり進み出た。
「……静まれ」
その声は、剣よりも鋭く、鐘よりも響いた。
「わらわは、ルクレシア・セレスト・アルカディア。
かの国において、最も多くの血を流し、最も多くの矛盾を背負った者である」
一瞬、民の口が閉じた。
「わらわを『過ちの象徴』と呼ぶ者もいる。だがそのわらわが、いまこそ言おう」
「制度とは、過ちを犯さぬためにあるのではない。
過ちから、立ち直るためにこそ、あるべきなのじゃ!」
沈黙が、ゆっくりと波紋を描いた。
「王様は、わらわに教えてくれたのじゃ。
赦しとは、頭を下げさせるための道具ではなく、
誰かが生き直すための土壌なのだと」
「それを否定するというならば──」
姫は、マントを翻した。
「わらわを討て。
王様ではなく、この『罪深き姫』を撃て。
王様の手を、これ以上汚すでない!」
その言葉は、熱をもって広場に落ちた。
武器を構えていた者たちが、一人、また一人と手を下ろす。
息を飲んだような静寂。
そして、ざわりと風が吹いた。
誰かが、ひとり、膝をついた。
「……失礼をいたしました、姫殿下」
続いて、二人目。三人目。
広場は、やがて地面にひれ伏す人々で埋め尽くされた。
その後ろで、姫は一度だけ、強く目を閉じた。
その表情には、かつての圧政者ではない、
人を赦し、人に赦される者としての痛みと誇りがあった。