表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/28

第2話 王様、旅に出る

しばらく、声が出なかった。


俺は玉座に深く腰を沈めたまま、ただ前を見つめていた。

視界いっぱいに広がるのは、静まり返った玉座の間。

深く頭を垂れた大勢の人々。

そして、その背に落ちる影が、床に静かにうごめいていた。


時間が止まったようだった。

息をするのもはばかられるほどの静寂。

張りつめた空気のなか、唯一、俺の心臓だけがうるさく鳴っていた。



その中のひとりが、ゆっくりと顔を上げた。

ひたり、ひたりと歩み寄ってくる足音が、玉座の空洞に響く。


青年だった。


長く艶やかな黒髪をひとつに束ね、

深紅の着物に白の刺繍をあしらっている。

姿勢は正しく、まなざしには一点の曇りもない。


どこか、武家のような凛とした佇まいだった。


「王様。私は側近のゲラン・ハヴベル・ドゥーと申します。

これより、今後のご説明をいたします。失礼があれば、どうぞご遠慮なく処罰を」


俺は目をぱちぱちと瞬かせた。


「は、はあ……」


処罰って……

そんな簡単に言ってくれるけど、俺にそれができる器だとでも思ってるのか。


口の中に言葉を引っかけながら、

何とか冷静を装おうとして、俺はひとつ、問いを投げた。


「質問してもいいですか」


「どうぞ」


微動だにせず、ゲランは静かにうなずいた。


「さっきの……その、神って人。なんであんな説明だけで、あっさり消えたんですか」


せめてもう少し、話してくれてもよかったじゃないか。

こっちは状況をぜんぜん呑み込めていないというのに。


ゲランは咳払いをひとつし、淡々と告げる。


「神は、あなた様の想像よりも遥かに多忙です。

生者の善悪を逐一記録し、死者を正確に導く責任を負っております。

間違いは、許されません」


「……死者を導く?」


「天国は、地球の上空には存在しません。

死んだ魂はワームホールを通り、宇宙の別座標にある地球と酷似した惑星へと転送されます。

そこに、この国があります」


──SFみたいな話だ。

けれど宗教に縁のなかった俺には、逆にすんなり腹に落ちた。


「本題に戻りましょう。

神はあなた様に、一度だけ生き返る機会を与えました。

この機会は、百年に一人あるかないか。

王に選ばれし者だけの特権です」


「……じゃあ、まだ希望はあるってこと?」


ゲランは少し目を伏せてから、静かに頷いた。


「その通りです。これまで半数の王が地上への帰還を果たしました。

残りの者たちは──ここに残ることを選ばれました」


「……残る?」


「はい。この国では、肉体は死を迎えることがありません。

年も取らず、王としての能力も手にしたまま、永遠に生き続けることができます」


永遠。

それは、どこか魅力的で、同時にどこまでも孤独な響きを帯びていた。


「じゃあ、俺の前の王は……?」


「ご安心ください。王を退いた後も、この王宮で暮らすことができます」


なるほど──そうか。

なんて贅沢な話なんだろう。


でも……いや、待てよ。

この理屈でいけば、王たちはどんどん積み重なっていく。

もしかしてこの国、老人だらけなんじゃ……?


まだ恋もしていない俺が、ここで永遠に生きる? いや、戻らなきゃだろ。


「で、俺は何をすれば?」


「成長は神が見極めます。明確な条件はありません。

まずは日々の公務をこなしながら、己を磨かれることをお勧めいたします」


その瞬間、まるで俺の思考を読んだように、分厚い一冊の本が宙に現れた。


ゆっくりと空中をくるりと回転しながら、俺の前に浮かんでいる。


魔法か? と、思いつつも自然に手が伸びる。

指先が触れた瞬間、本はそっと俺の掌に収まった。


表紙は金属のような質感で、冷たいのに温かい。

そして、ページを開いたそのとき──


「……!」


びっしりと並ぶ、美しい行書体の文字。

小さな紛争から、深刻な訴訟まで、あらゆる案件がそこには記されていた。


──そして、その中の一行に、俺の目が留まった。


「……奴隷販売?」


その言葉を呟いたとたん、喉がひゅっと詰まった。

文字が、火のように胸に焼きついた。


「なぜ……天国で、こんなことが……」


怒りとも戸惑いともつかない感情が込み上げる。


けれど、ゲランの表情は変わらなかった。


「位は、生前の善行によって与えられます。

けれど、一度与えられた差に絶望し、道を誤る者もいる。

天国とはいえ、全員が善人とは限りません」


なんだそれ──それが「天国」ってやつなのか。


「だったら、制度ごと変えればいい。

ここで善行を積みなおせば、上の位に上がれるようにすればいい。

俺が、変える」


言い放ったその瞬間、ゲランの目が鋭く細まった。


初めて、感情の刃のようなものがこちらに向けられた気がした。


「甘い。それでは『天国』の意味がありません。

これは、生前の行いと向き合う場。

己の位を受け入れられず、何を学べるというのです」


「でも……受け入れろって、そんなの簡単じゃない。

立場に納得できない人間だっている。

あんたは高い位にいるから、そう言えるんじゃないのか?」


ゲランは、はっきりと目を見開いた。


たぶん──こんな風に噛みついてくる王は、いなかったんだろう。


「決めた。俺はここに行く。奴隷販売。

この目で見て、俺の手で正す」


しばしの沈黙のあと、ゲランは小さくため息をついた。


「……承知しました。お供いたします」


俺は、ゆっくりと立ち上がった。

この国の「王」として。

そして、ひとりの人間として。


──最初の一歩を踏み出した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ