表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/28

第19話 王様、ゲランの過去と向き合う

「下から文句が来てるぞ。王様の耳に届くように、ってさ」


朝、報告を読んでいた俺は、思わず息を吐いた。


第九下位区。

再審査制度によって「上位から降格してきた者たち」が、新たに住み始めた場所だ。


そのせいで、もともとそこに暮らしていた住民たちとの間で、あちこちに亀裂が生まれていた。


「あいつらは高慢だ」「自分を下位の人間とは思っていない──」

「こっちは何百年もここで生きてきた」「今さら平等面されるのは迷惑」


一見、平等の再配置に見えても、

「下がった者」と「ずっと下にいた者」がうまく馴染むわけがない。


善行の数だけで測られてきたこの世界で、

「善をやり直す機会」そのものに不信が生まれている。


「現場を見る必要がありますね」


ゲランが言った。


「制度の理念が、現実と乖離しているかどうか。それを確かめずに、紙の上だけで判断しては意味がありません」


「……それだけじゃないんだろ?」


俺が問いかけると、ゲランはわずかに視線を落とした。


「第九下位区に、前世で私の命を奪った男がいます。名前は──ロシュ・ザンガン。裏社会の長の一人でした」



ゲランの前世──

清廉な改革を進めた儒教政治の文官。

だがその改革が、闇の商いを潰し、反発を生み、

最後には見せしめとして“暗殺”されたという。


その刃を握っていたのがロシュだった。



「行こう、一緒に」


俺はそう言った。


「制度のほころびを見に行くついでに、

あんたがその男と向き合うことにも、意味があると思う」


「……はい」


ゲランは一瞬だけ目を閉じ、短く頷いた。



第九下位区は、どこか空気の重い場所だった。


建物は灰色がかっていて、街の広場には使われなくなった井戸がぽつんと残っていた。

歩く人の数は多くない。すれ違うたび、ちらりと視線を向けられる。


「……見られてますね」


「王って気づいてるわけじゃないよな?」


「服装は周囲に合わせましたが、雰囲気で分かる人もいるでしょうね。

それに──」


「?」


「彼らは、今、誰にでも『疑い』の目を向けているのです」


確かに、すれ違った中年の男が、俺たちを睨みながらつぶやいた。


「また偉そうな奴が来たぜ。今さら善人ぶって……」


その隣で、別の男が返す。


「お前だってもともとは上だったろ。下に落ちたからって被害者ぶるなよ」


ピリついている。思った以上に。


「階層のシャッフルが、いちばん摩擦を生むのはここかもな……」


「ずっと下だった者と、降格してきた者では、

『善の重み』の感じ方がまるで違うのです」


ゲランが、廃れた案内板の前で立ち止まる。


「──この先です。彼がいるのは」



廃工場の一角を改装した、半地下のような空間。

ろくに明かりもなく、天井からはひび割れた鉄骨がのぞいていた。


そこに、いた。


ロシュ・ザンガン。


白髪を後ろに束ね、薄い外套を羽織っていた。

鋭い眼だけが、今も鋭利な刃のようだった。


「……来やがったか、文官様」


ゲランは静かに一礼した。


「前世の借りを返しに来たわけではありません。ただ、あなたに問いたいことがある」


「……問え」


ロシュは低く笑った。


「正義の味方が、俺みてぇな外道に、何を問うってんだ」



「なぜ、私は殺されたのですか」


「は?」


「私が知りたいのは、あなたの怒りの理由です。民を救おうとした私の改革が、なぜ『あなたの殺意』を生んだのか」



しばらく、ロシュは黙った。

そして、かすれた声で言った。


「……俺たちを、『人間』として見なかったからだよ」


ゲランは目を伏せる。


「てめえの改革は、美しかったよ。

でもな、それは紙の上での話だ。

俺たちみてぇな裏稼業の者からすれば、てめえは法の刃だった」



「確かに……私は、声を聞かなかった」


「正しさってのは、片方の側だけ見て進めば、

もう片方を潰す凶器になる。

てめえはそれをやった。だから、俺は刃を向けた」



俺は黙って、二人の会話を見ていた。


正しさは、万能じゃない。

それを持つ者の手によって、毒にもなる。



ゲランが、ゆっくりと頭を下げた。


「私は、あなたを赦しません。

でも、あなたの言葉は──理解しました。

それが、王政のもとで共に生きるということだと、今なら分かります」


ロシュは少しだけ目を細めた。


「……なら、それでいい」



工場を出るころには、空が傾き始めていた。

夕陽が鉄の瓦礫を、赤く染めている。


「ゲラン」


「はい」


「……あんた、少し変わったな」


「王様の影響です」


その言葉に、俺はちょっとだけ笑ってしまった。



そして、ふと振り返った俺の目に──


ぼろぼろの掲示板に貼られた、子どもの絵が映った。

たすけてくれたおじさんの顔。

白い服、優しい目、にこっと笑った絵。


「……あの絵、誰だ?」


「分かりませんが……この区にも、『善』は残っているようです」


俺はそのまま、小さな紙を剥がさずに残した。


今度こそ、善は評価されなくても生き残る。

そんな世界を、俺たちはつくろうとしている。



王宮の窓を開けると、春の光が差し込んでいた。

街路樹の葉が風に揺れて、どこか遠くから鐘の音が聞こえる。


けれど──心はまるで晴れなかった。


第九下位区の視察を終えてから数日、

俺の胸の奥に重く残っていたものがある。


「正しさ」は、人を救うはずのものだった。

でも、時に人を壊す。ゲランがそうだったように、ロシュもまた、そうだった。


じゃあ、俺の善は──?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ