表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/18

第16話 王様、火の王政を始める

夜明け前、まだ空に薄明が滲むころ──

王宮の外れ、審査局の裏門にて、ゲランはひとり立っていた。


背筋はいつも通りに真っ直ぐ。

だが、その横顔には、滅多に見せぬ翳りが差していた。


きっかけは些細なことだった。

再審査制度に関する内部調査で、旧記録の確認が必要になった。


そして、そこに記されていた名──


《サイ・カジヤ》


下位第九位。暴力行為、恐喝、贈賄、脅迫未遂。

数多の罪状とともに、最後の一行にこう書かれていた。


「前世:シンセリア国、文官殺害に関与」


その名を見た瞬間、ゲランは口元を強く結び、何も告げず出ていった。


俺がそのあとを追ったとき、

彼は、審査局の独房前で、じっと中を見つめていた。


薄暗い空間に、ひとりの男がいた。

骨ばった手足、鋭く濁った眼。

見るからに、ならず者──けれどその姿は、ゲランの記憶の奥に、深く刻まれていた。


「……おまえが、『サイ』か」


ゲランの声は低く、凍っていた。


「おう。てめえの顔、覚えてるぜ。相変わらず澄ました面してやがる」


「なぜ、俺を殺した」


「知るかよ。言われたからやっただけだ。上の奴らが、あんたのきれいごとが邪魔だってさ」


サイは悪びれもせず笑う。

「ま、あのときの顔は最高だったぜ。『善を尽くした者がこんな死に方をするのか』って目してた」


ゲランの拳が震える。

普段の理性も、秩序も、彼の指先から滑り落ちそうだった。


俺は横に立ち、そっと言った。


「……おまえが許さなくても、俺はおまえを裁かない。けど、怒っていい」


ゲランは何も言わなかった。


けれどその目の奥に、燃えるような赤い光が宿っていた。


「この天国で、また力ある者のために罪を重ねるなら……そのときは、俺が裁く。王として、ではない。──人としてだ」


牢の奥で、サイは薄笑いを浮かべながら沈黙した。


去り際、ゲランは一度だけ振り返った。


「……俺の正しさは、誰にも理解されなかった。それでも、俺は、道を曲げない」


その言葉は、風のように背中へ抜けていった。


その夜、ゲランは珍しく、ワインを口にした。


「……王様、私にはまだ怒りがあります。許せない人間が、この国にも、この空にも、いる」


グラスの影が、机に滲んだ。


「それでも、あなたの言葉に、心が止まらなかったことを……感謝しています」


その声は、はじめて人間らしい温度を持っていた。


「……読み上げます」


重く張りつめた空気のなか、玉座の間に文書を持つ侍従の声が響いた。


『再審査制度を、上位・中位・下位すべてに適用する。

善行の評価基準は、行為の量から質へと移行し、

その者の動機と影響を含めた再評価を行うこととする』


法文の読み上げが終わると同時に、王宮の静けさに波紋が広がった。


まず口火を切ったのは、中位の評議員たちだった。


「これは、制度の根幹を揺るがす暴挙です!」

「善行を積んできた者の価値を否定するおつもりですか!」


続いて、上位区の貴族たちが怒りに満ちた顔で進み出る。


「このような改変は、『劣った者』が平等を叫ぶための詭弁だ!」

「王が情に流された結果、制度を腐らせるなど、前代未聞!」


だが俺は、彼らの怒声を真正面から見据えていた。


「善を独占しているつもりか?

ならば問おう。善とは、誰のためにある?」



その日──

俺の施政は、ついに「火」を灯した。


制度を焼き、古い「善」の形を一度壊す覚悟を持って。


王令が布告されてから、街はざわつき始めた。


広場の掲示板には再審査の予告通知が貼り出され、

善行点で上位にあった者が、一時的に評価を保留されるケースも出てきた。


「不公平だ!」

「王は気まぐれで人を裁いている!」


一部では、俺に対する風刺画まで描かれる始末だった。

王冠の代わりに薪をかぶり、燃え盛る火を背負った「炎の暴君」。


でも、それでいいと思った。


火は、何かを焦がす。

でも、同時に、新しい芽を育てる土も、あたためてくれる。



その夜。

俺はひとり、王宮の外にある審査場跡に立っていた。


風に吹かれて、砂埃が舞う。

かつて、罪が一方的に宣告されていた場所。


今はまだ、そこに対話も、赦しも、根を張っていない。


けれど──


俺は、その焦げた土を見下ろし、ひとことだけ呟いた。


「ここから変える。偽善じゃなく、本物を生きるために」



その言葉に応えるように、足音が近づいた。


振り返ると、ミナトが立っていた。

手には小さな花苗の鉢。


「……火があるところに、芽は育ちやすいんですよ。焦げた土って、養分が多いから」


そう言って、彼女は膝をつき、花をそっと埋めた。


俺は、何も言えなかった。

ただその横で、土を手伝った。


火の王政は始まった。

俺たちのやり方で──ゆっくり、けれど確実に。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ