第1話 王様になった日
君は「偽善」について、考えたことがあるか?
──俺はある。
うちの親父は、筋金入りの偏屈で。
悪いことをしたら殴られるのは百歩譲って分かる。けど──良いことをしても、同じように拳骨が飛んできた。
「善行は、褒められるためにするもんじゃない」
「見返りを求めた時点で、それは『偽善』だ」
そういう教育方針だったらしい。ありがた迷惑もいいとこだ。
で、結果どうなったかっていうと──
俺は、人にバレないように「善いこと」をやる高校生になった。
落ちたハンカチを拾っても、届けたって言わない。
クラスの誰かが困ってたら、陰でプリントを机に置いておく。
掃除も、体育祭の準備も、誰も見てないとこで、黙って片づける。
そしたら──だ。
「アイツ、マジでいい奴だよな」
「なんか……影で支えてる感じ? 推せるわ~」
……え、何この現象。隠してるのにバレてんの?バズってんの?
で、俺は気づいた。
俺の善行のすべては、
「隠れてやってる自分、イケてる」って思ってる、ただの自己満足だった。
結局、「偽善」だって、ちゃんと自覚してたんだ。
でも──それで、誰かの気持ちが軽くなったり、笑顔になったりするなら。
それってもう、「偽」じゃなくてもよくね?
俺は今も、こっそり善行を積み重ねてる。
他人のため、だけど──少しだけ、自分のためにも。
それが「偽善」でも「本物」でも、正直どっちでもいい。
だって俺は、
俺の善を、信じていたいから。
そして──その日が訪れた。
部活帰りの夜。
雨のあとでアスファルトが光っていた。
信号が青に変わり、俺は歩き出した。
前を行くのは、制服姿の女子高生。
次の瞬間、風のような轟音が、視界の端を切り裂いた。
──トラックだ。
「危ないッ!」
気づいた瞬間には、身体が動いていた。
彼女を突き飛ばしたあと、世界がひっくり返る。
衝撃。
痛み。
鼓膜の奥で鈍い音が何度も反響した。
視界が白く染まる。
音が遠のく。
そして、意識が──途切れた。
*
「王様!!」
ドラの音がけたたましく響いた。
薄く目を開けると、目の前には金と銀のきらびやかな宮殿。
俺は、玉座に座っていた。
着ているものは、濃紺の着物に金糸の刺繍。
目の前では、大勢の人々がひれ伏している。
「……なにこれ」
隣に立っていたのは、現実離れした美貌の女性だった。
白銀の髪に葡萄色の瞳、羽衣のような薄布を纏い、ただそこに立っているだけで神話の一頁のようだった。
「ここはどこ……ですか」
美しき女は、静かに微笑んだ。
「天国だ」
はじめは冗談かと思った。だが、次第に、あのトラックの衝突が現実だったのだと理解する。
死んだ。俺は、たしかに。
「あなたは……誰ですか」
「私は神のひとり。名はマーシャジャ・ビジュー・ジン。マーシャと呼ぶがよい」
彼女はさらりと言った。
「お前は今、死にかけている。だが、生前の善行が非常に多かった。歳の割には、異様なほどに、な」
そう言って差し出されたのは、一冊の分厚い紙束だった。
ペラペラとめくると、俺がこれまでしてきた些細な善行が、克明に記されていた。
「善行の数によって、この天国では『地位』が決まる。お前は、王となった。知力、武力、権力を備える者として」
──王様って、まじかよ。
天国ってマジで「国」だったの?
それに、あまりの情報量に理解が追いついてないのだが。
そういえば。
「……地獄って、ないんですか?」
問いかけると、マーシャは鼻で笑った。
「人間が作った幻想にすぎぬ。罪を恐れて身を律するのは結構だが、真の成長は恐怖からは生まれぬ。さて──」
彼女の目がこちらに戻る。
「王となった者には、一度だけ、生き返るチャンスが与えられる。だがそれは、この世界で『真に成長した者』だけ。すべてはお前次第だ」
「え、それって具体的にどう──」
言い終える前に、マーシャの姿はスモークのように溶けて消えた。
王となった俺に与えられたのは、贅沢でも永遠の安息でもなく、試練だった。
どう生きるか。
どう、戦うか。
何を信じて、何を選ぶか。
忙しくて、理不尽で、それでも──たまらなく人間くさい王の毎日が、幕を開けた。