4 つむじ風のような人
それから彼女はいっぱいになった胸でふたたび眠気を感じてしまい、しあわせに満ちたうたた寝のなかで彼女は透子さんといっしょにワーゲンバスに乗って旅をする夢を見た。青くきらめく水平線をバックに沿岸の道路を駆け抜ける新緑色のワーゲンバス、ラジオから流れる夏を感じさせる歌、風になびく髪、歌に乗ってやってくる凛とした声、鼻筋のよい横顔、果てしなく続く道路を見つめるまっすぐな瞳──「ちょっと夏名起きなさい」
「あ……お母さん」
眠気まなこをこすりながら見えたのは母親の顔だった。お風呂に呼ばれたらしかった。
「いま何時だと思ってるの。呼んでも降りてこないしノックして返事もないから心配したよ」
「ごめん、なんかやっぱ体調悪いと思う」
適当なごまかしも母親に対してはなぜか効果的だった。
「お風呂やめとく?」
「サッと入る。汗で気持ち悪いし」
「ガス代もったいないからはやく入っちゃって」
そう言って母親は部屋から出ていった。いきなり現れてはつかのま人の心を乱して去っていくつむじ風のような人だな、となんとなく思ったことは胸の内に秘めながら、寝落ちたままのスマホを見ると、寝ているあいだに間違って触ってしまったのか、透子さんの返信コメントにグッドボタンが押されていた。押すつもりはなかったが、取り消してしまうとそれはそれでいらぬ誤解を与えてしまいそうだったし、押してしまったこと自体は怪我の功名のように思えた。
彼女は風呂上がりに今日のことを書きとめた。スマホのメモアプリで日付をタイトルにし、今日あった出来事と感じたこと、透子さんの言葉を思い出してなるべく数多く記録する。どうしてそんなことを始めたのか彼女にはわからなかった。ただ、透子さんとの出来事はいつまでも思い出せるようにしておきたいという気持ちだけがはっきりしていた。
ごく自然に湧きあがった衝動はともすれば恋といえるかもしれないが、彼女はその十八年間の人生で心から人を好きになる経験をしたことがなかった。友だちにはやし立てられてなんとなくで付き合ってきた男子はそれなりにいたし、二人きりでのカラオケや遊園地や動物園のようなお決まりのデートに従ったこともある。
だからといって恋を知っているとは限らない。キスも何度かしたけれど、胸はときめかず、焦がれもしなかった。
だから、透子さんへの気持ちがやがて経験したことのない恋以上の感情になっていくことも、彼女はまだ知らなかった。