4、5年前の話。
私の作品に「回帰」という短編集があります。
ふと読んでみようと思いました。
小説をちゃんと書き始めようと思って、投稿しては消してを繰り返していた初期の頃、初めて消さずに残した作品です。
今見れば誤字脱字が多くて、太宰治に傾倒し、信奉さえしていた頃の恥ずかしい作品です。
18歳という若さが織りなしたその文章は半ば封印されるべき程恥ずかしいものではありますが、
それでも残しているのは、やっぱりそれが私の一部だからです。
今だから言いますが、「朝霧篠雨」というペンネームはこの作品から取っています。
それ以前は、時雨理人というペンネームでした。
時雨…それは降ったり止んだりの空の波の中で、雨こそ天気の基本であって、
晴れはその間にある太陽の侵攻…
理人はまあそのままでしょう。理知ある人という意味でした。理非人と書いたり、果ては真理人なんて名乗っていたこともありました。
なんにせよ、その頃リヒトというのはかっこつけ過ぎていて嫌だと思っていました。
いっそ名前にすべきではない単語を名前にしようと思いました。
死のう、という希死念慮を私はずっと抱えて生きていこうと決めたのもこの時です。
そして、朝に立ち込める霧ほど、将来や現実などの様々な問題をより不透明なものにするものはない。
…それから、ある人と交わしたちょっとした約束というか、宣言というか、まあそういう類の話をしたことがありました。
それは「朝と雨が入ったペンネームにする」というものでした。
そうして今の私が出来上がりました。
多分、これからもこのペンネームだと思います。
それから、今連載している「ヒーロー・イン・ネオ・トーキョー」、「二月は駄文を書きたくなる」、そしてこの「私たちの夜にささやかな光を」は、最初の一つを除けば、ずっと連載を続ける予定です。
「二月…」の方は、私のニュートラルでナチュラルな言葉を。
「私たち…」の方は、私の中の内面の、より深いところにある言葉を、それぞれ書く予定です。
そういう意味では、この連載は「回帰」の延長線上にあるとも言えます。
私は、どんな私であっても、私を否定したくない。
そんな思いから、これを書きました。