36 ラスボス
「この度は、息子が申し訳なかったね」
急な来客は、ロンダリング侯爵だった。
彼は、ガイウスが年を取った感じの上品な中年男性の容姿をしている。一見柔和そうな穏やかな笑み。でも、そのトパーズ色の瞳の底には、暗い闇があるように感じる。それに、彼の声は、背筋をゾクッとさせた。
「なんの謝罪でしょう?」
結婚も裁判もなかった。口にしてはいけない。
だから、私は知らぬふりをする。
「ああ、そうだね。それでも、謝らせてもらおう。すまなかった。まさか、私が領地にいる間に、息子がそんなことをしているとは。全く知らなかったのでね」
「……」
ロンダリング侯爵家は、メリッサの父親について、「何も知らなかった」で通したらしい。辺境から来た気の毒な妊婦が生んだ子に、メイドの職を与えてやっただけだと。裁判のことも、息子が勝手にしたことで、自分は一切関知していないと言い切った。
本当にそうなのかな?
「ガイウスは、君のことを本当に愛しているとばかり……。まさか浮気するとは……」
口をつぐむ私に、一方的に話し続ける侯爵。
彼の声に、背中が寒くなる。
「それでだね、今日は、そちらにとても良い話を持ってきたのだよ」
そう言って、彼は鞄から紙を取り出した。
「養子縁組の書類だ」
え?
「母親の存在は、なかったことになったが、赤子は存在する。南の辺境伯の血族眼を持った男子だ。だから、そちらで育てたいだろうと思って」
! ディートの養子縁組書?
「失礼ですが、そう言ったことは、お嬢様ではなく、辺境伯へお願いします」
黙って固まっている私の後ろから、ルカが口を挟んだ。
侯爵は、その無礼を気にすることなく、話し続ける。
「もちろん、カイザール伯に相談してもらっても構わない。だが、こういうことは、早い方が良いからね」
侯爵は、にこにこと話し続ける。
「まあ、辺境伯の家系は、ほぼ絶えているから、一人でも血族眼がいた方が心強いだろう。おそらく、この子は、魔力も多いだろうし」
どうして、ディートを簡単に渡すの? ガイウスは、実の子を見捨てるの? 何のために?
「代わりに、何を要求するんですか?」
私の率直な質問に、侯爵は一瞬驚いた顔をしてから、ガイウスとよく似た顔で微笑んだ。
「そうだね。かわいい孫を養子に出すんだ。寂しくなるね。そこで、どうだろう? そのかわりに、ドラゴンをもらえないかな?」
ドラゴン! やっぱり、目当てはそれね。
「ドラゴンは貴重な存在だが、辺境の血族眼持ちの赤子にはかなわないだろう? 良い話だと思わないかね」
「思いません」
私は、きっぱりと断る。
侯爵の声は、夢の中のゲームを思い出させる。
ヒントを得るために見た広告。
真っ黒な画面で響いた男の声。
それは、ロンダリング侯爵の声と同じだった。
恨みがましい声で、結界を破壊する魔道具を作ると言っていた。彼は反結界主義者のリーダーだ。彼が欲しがっているドラゴンの魔力は、けた違いに大きい。今は、まだ子供の赤ちゃんも、成長すれば強力な炎を吐くことができるようになるだろう。それは、結界をも破壊することができる力を持つかもしれない。
彼の目当ては、きっとそれだ。
絶対に、渡せない。
それに、ドラゴンは、今や私にとって家族の一員だ。
いつも寝てばかりだけど、呼べば返事をするし、なでると嬉しそうに頭を擦り付けて来る。かけがえのない存在だ。
ディートには申し訳ないけれど、引き換えにはできない。
子供よりもペットを選ぶのか、と非難されるかもしれないけれど。
私には、小説のキャラクターのディートよりも、自分で卵から孵したドラゴンの方が大切だから。
それに、ディートが血縁だとしても、ガイウスとメリッサの子供を育てるなんてこと、絶対無理だ。
私は、善人じゃないから。
「おや、それは薄情だな。君は従姉妹の息子を見捨てるのかい?」
ロンダリング侯爵の口にする、謂れのない非難に反論する。
「ディートには、血のつながった父親がいますよ?」
ガイウスが、ディートをきちんと育てるかどうか、不安だけれど。
「それに、侯爵様はディートの血がつながった祖父でしょう? 孫の面倒は、ご自分で見られたらどうですか」
「案外冷たいんだね。でも、君の父親は、どう思うだろう? 血族眼を持った男の子を、育てたいと思うのじゃないかな?」
「それは……」
父のことを持ち出されたら不安になる。辺境伯家の血族眼を持ったディートは、父にとっては、大切な存在?
言葉に詰まった私に、侯爵は意地の悪そうな微笑みを向ける。
「血族眼を受け継がなかった娘よりも、将来有望な赤眼の男の子を跡継ぎにしたいんじゃないかな? そう思わないかね」
「全く思わないな!」
突然、大声が響き、扉がバンっと乱暴に開けられる。
「!」
「お父様!」
いきなり部屋に入って来たのは、父だった。
魔物討伐が終わってすぐに、領地から駆け付けてくれたんだ。
約束を守ってくれた。
父は、魔物の血でべったりと汚れた鎧を着ている。赤い髪には、赤黒い固まりが、こびりついている。
着替えをする間も惜しんで、私に会いに来てくれた!
でも、その姿は、ものすごく、汚い……。
「娘に近づかないでもらおうか」
どすどす歩いて、私をかばうように前に立ち、ロンダリング侯爵をにらみつける。父が歩いた後には、赤黒い汚れが、べったりとカーペットに落ちている。そして、ぷーんと強烈な、肉が腐ったような匂いが漂ってくる。
父が、ものすごく臭い。
「おや、もうスタンピードは終わりましたか?」
魔物も逃げ出しそうなほどの父の眼力で睨まれたのに、公爵は、平然と返答した。さすがラスボスだ。
でも、その後、あわてて口元を覆う。漂って来た匂いには、さすがに我慢できなかったようだ。
「終わった。魔物は全て倒したぞ。ところで、目の前にいる人間に化けた魔物も、討伐するべきかな?」
珍しく父は、かっこいいセリフを言った。鼻が曲がるほど臭いけど。
「なんのことかな? 私は親切心から提案をしてあげたんだがね」
「娘のドラゴンは渡さない。アカは家族の一員だ」
父は、きっぱりかっこよく侯爵の申し出を断ってくれた。吐きそうなほど臭いけど。
「だが、血族眼だぞ? 貴公の他には、彼しかいない。娘が生む子が、血族眼持ちの男の子だとは限らないのだ。見たところ、その娘は東の血を濃く受け継いでいるようだしな。南の辺境の領主として、取るべき道は決まっているだろう?」
「関係ない。ドラゴンは渡さない。もう帰ってくれ」
「いいのかな? そんな態度で? ドラゴンを渡さなければ、今後、うちの橋を使わせないと言っても?」
「何と言われようが、断る。ドラゴンは家族だ。家族は渡さない。絶対に」
父は、力強く断言した。
こうなると、父に意見を変えさせることは不可能だ。それを知ってか、ロンダリング侯爵は、あきらめたようにため息をついて立ち上がる。
「ふっ、南の辺境の民は不幸だな。あの兄の次は、この弟か」
私の方をちらりと見て、彼は、
「気が変わったら、連絡してくれ。いつでもドラゴンと引き換えにディートを渡そう」
と言って帰って行った。
自分の血のつながった孫を、ドラゴンと引き換えにしようとする侯爵に、言いようのない怒りを感じた。
でも、それと同時に、ディートが不幸になるかもしれないのに、それでもドラゴンを選んだ自分にも、罪悪感を感じた。
私は、優しい人じゃない。それに、強くもない。
だから仕方ないのだと自分に言い訳をするしかなかった。




