29 隠されていたのは
夕食が終わった頃に、ルカが客人を連れて戻って来た。
「お嬢様、相手側の弁護士が来たそうですが、何もされていませんか?」
応接間に入ると、ルカは心配そうに駆け寄って来た。
「うん。すっごくひどいことを言われた。それより、お客様は?」
ルカが連れて来たのは、銀髪に青い瞳をした老人だった。大きな道具箱を持っている。
老人は、部屋の中をじろじろ眺めて、
「けしからん。美術品が何もないではないか」
と怒っている。
ガイウスが買い込んでいた調度品は、金ぴかで悪趣味だったから、全部売り払ったんだよね。今、うちの応接間には、必要最低限の家具しかない。ミニマリストをめざそう。
「こちらは、学園の芸術講師のレオポルド先生です」
ルカの紹介に、私は礼法どおりの挨拶する。レオポルド先生は、私の頭の先から足の先までを、じろじろと見てから叫んだ。
「見たことあるぞ! おぬしは、マリア・ゼーゼファンにそっくりだ!」
「母を知っているのですか?」
それは、東の辺境伯の娘だった時の母の名だ。
「ああ、わしの受け持ったクラスにいた。そうか、ここはカイザールの猿の家だったな。みごとに猿の遺伝子を打ち負かしたのか、マリアは。あっぱれだな。わはははは」
猿って、父のこと? この人は、父と母の先生だったの?
「レオポルド先生、見てほしい肖像画はこちらにあります」
ルカは、レオポルド先生の手をひいて、食堂に案内する。
食堂で、書類をめくりながらお茶を飲んでいたベンジャミンさんが、こっちを見た瞬間、むせた。
「! ごほ、ごほっ……、レオポルド様! なぜ、あなた様がここに?!」
学園の先生って、有名人なの? 偉い人なのかな?
ベンジャミンさんは、あわてて椅子から降りて、床に膝をついて礼をした。
「挨拶は良い。さっさと絵を見せろ」
「お話したのは、この肖像画です」
恐縮しているベンジャミンさんを無視して、ルカは肖像画を示した。
「ふん。凡人の作だな。構図がありきたりだ。じつにつまらん絵だ。それに、なんだこれは? 黒塗りするにしても、もっとやりようがあるだろうに。なんじゃこの壺は。ふざけておるのか! 美意識のかけらもない。絵画に対する冒とくだ!」
レオルポルド先生は、杖でドンドンと床を叩いて怒りだした。
「お怒りは分かりますが、できるだけ急いで修復していただきたいのです」
「ふん、この気持ちの悪い黒い汚れを除けばよいのじゃな」
「よろしくお願いします」
ルカが頭を下げると、レオポルド先生は道具箱から筆とビンを取り出した。
「その肖像画に手を加えるのは……やめられた方が……いや、その……、それは、ちょっと……」
あたふたしながら声をかけるベンジャミンさんを、ルカの冷たい視線が止める。ベンジャミンさんは、がっくりと肩を落とした。
私たちが見守る中で、肖像画に塗られた黒い絵の具が取り除かれていく。レオポルド先生は、ビンに入った液体をかけて、慎重に筆を動かす。
その作業を見ながら、ルカの隣に立って、こっそり聞いてみた。
「レオポルド先生って、有名人なの?」
「学園の講師ですからね。美術と錬金術、建築学と魔生物学を受け持っています。私も学生時代に教えていただきました」
「すごいね。そんなにいっぱい教えられるんだ」
「ええ、お嬢様も学園に入ったら、そこで会えますよ」
「うん。錬金術をやってみたい!」
異世界転生したら、やっぱり錬金術だよね。転生チートで無双する小説をよく読んでたよ。面白いよね。賢者の石とか、エリクサーとか作りたい!
「聴講生は、魔法と魔物に関する授業しか受けられませんよ」
「え? そうなの?」
私たちがおしゃべりしている間に、肖像画の黒い汚れは、どんどん取り除かれていく。
最後の仕上げに、レオポルド先生は、魔法の杖を取り出して、呪文を唱えた。
「ふう、終わったぞ。しかし、汚れを取り除いても、大した絵じゃないな。つまらん。駄作じゃ」
「お忙しいのに、ありがとうございます。助かりました」
「なあに。そなたの頼みなら、いつでも構わぬよ」
ルカが礼を言うと、レオポルド先生は鷹揚にうなずいた。
お茶に招待したけれど、予定が詰まっているからと断られた。
帰り際に、レオポルド先生は、父母の肖像画を眺めてから、私を振り返った。
「アリシア殿といったな。マリアは残念だったな。あんなことがなければ、今頃は、東の辺境伯になっておっただろうに……」
母が東の辺境伯爵に?
「アーサーが婿入りすると言っておったのに……。本当に、愚か者じゃな。家族に縁を切られてまで、南になんぞ嫁入りしおって……」
どういうこと?
そう言えば、私は母の家族には会ったことがない。母は絶縁されてたの?
「秘密を隠すのなら、次は、もっとまともな絵師に頼むことだな。弟子を紹介してやっても良いぞ」
と言い残して帰って行った。
後に残った私達3人は、無言で修復された肖像画を眺めた。
祖父母と赤ちゃんの絵の違和感は、取り除かれていた。
祖母は、黒い布の塊ではなく、赤い髪の赤ちゃんを抱いている。
どうしてこれを隠していたの?
祖母が抱いているのは、赤ちゃん時代の父……?
その赤ちゃんの髪の毛は、柔らかそうにくるくると巻いている。大きな赤い目、小さい鼻と口、あごも細い。
こんなかわいい赤ちゃんが、成長したら四角い顔のゴリラになるの?
もう一枚の絵に視線を移す。
大きな黒い壺の絵はなくなっている。
その代わりに現れたのは、一人の男の子だった。
父より少し年上の、赤い巻き毛の少年。
大きな赤い目。細い鼻すじ、とがったあご。
似ている。
隣の絵の中で、祖母が抱いている赤ちゃんが、成長したらこんな感じになるかもしれない。
「ああ。だから、だめだって。私は止めたのに……」
ベンジャミンさんがテーブルに突っ伏して、頭を抱えながらつぶやいた。
「この少年は誰ですか?」
「……」
巻き毛の少年を指さすルカの問いかけに、ベンジャミンさんは、黙って首をふる。
「閣下の御父上によく似ていますね。しかし、貴族名簿では、辺境伯家の子息は閣下しかいないはず。閣下は、一人息子だと……」
ベンジャミンさんは、口をぎゅっと結んだまま黙っている。
「ねえ、ルカ。王国秘密騎士団って知ってる? 23年前に何か事件ってあった?」
夢で見たゲームのヒントを聞いてみた。その意味は分からないけれど、きっとそれが正解の気がして。
「なぜそれを! 誰があなたに教えたんです! 罰則があるのに!」
ベンジャミンさんの顔色が青くなる。
だから、王国秘密騎士団が何をしたのよ? 23年前の事件って何なのよ!?




