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28 示談なんてありえない

「これでも、譲歩したんですよ。メリッサさんは、自分が正妻になりたいって言うけど、さすがに辺境伯の隠し子とはいえ、平民の娘ではねぇ。第二夫人ってことで、なんとか説得しました。ああ、でも、子供は自分が育てたいそうです。それは了承してあげてください。やっぱり、実の母親が育てた方がね……」


「ふざけるのもいい加減にしなさい。婿に来たのに、第二夫人を持つとは、非常識きわまりない!」


「あら、でも、メリッサさんも辺境伯の娘ですし、それに、いち早く跡継ぎを生んだんですもの。そこは、アリシア様の異母姉として、それなりの処遇が必要でしょう?」


「話にならない! お帰りいただこう!」


 ベンジャミンさんは、大声をだして、ドアを指さした。

 彼が怒鳴り出すほど、本当にありえない示談書だ。

 それに、


「ね、ちょっと待って。この書類には、ドラゴンをロンダリング侯爵に譲渡するって書いてあるけど……」


 何もかもがひどすぎる示談書だけど、一番下に小さく書かれていた文章に目を止めた。


「ああ、それね。慰謝料を請求する代わりに、ドラゴンをロンダリング侯爵で引き取りたいと言われたのよ。だって、今回の裁判で、ロンダリング侯爵家の評判にも傷がついたでしょう? いわれのない誹謗中傷で、婿に出したガイウス様に損害を与えたわ。慰謝料と裁判費用を請求する代わりに、ドラゴン一匹で手を打ってあげるって。どう? とても良い話だと思わない?」


 絶対、思わない。


「それに、婚姻中に飼育したペットは、夫婦の共有財産でしょう? ドラゴンはもともと、半分はガイウス様の物ってことだから、ね」


 なんでよ!?


「ドラゴンを生んだのは私よ! 赤ちゃんは絶対に渡さないわ!」


 大声で叫ぶ。こんな書類に、サインなんかしないんだから!


「いやだわ。あなたは生んでなんかないでしょう? ねえ。それに、ロンダリング侯爵家で飼われた方が、ドラゴンも幸せだと思うわ。失礼だけど、そちらの財務状況を調べたの。領地からの収入は、ごくわずかね。その少ない収入の大半は、魔物討伐に雇った傭兵への支払いにまわされているのでしょう? ペットを飼育する余裕なんて、ないんじゃないかしら? その点、ロンダリング侯爵家には裕福な領地がありますもの。広い飼育小屋に専門の飼育係、それに高級な餌も用意できるわよ」


「そんなもの、赤ちゃんには必要ないわよ。赤ちゃんには、私が必要なの!」


「アリシア様の言うとおりですな。もう、帰っていただこう。交渉は決裂だ」


 ベンジャミンさんが、私から書類を取り上げて、ビリビリと音を立てて破り捨てた。


「あら、とっても良い条件だったのに。残念ね」


 ハンナがお茶を運んできたけれど、必要ないと告げる。

 チチナ弁護士は、鞄を持って立ち上がった。


「じゃあ、裁判で会いましょう。今日の申し出を断ったこと、後悔しないといいんだけど。あなたは負けて、多額の慰謝料を払う反目になるわよ」


「勝つのは私よ」


「うふ。そんなこと言っていられるかしら? ねえ、昨夜、メリッサさんが、無事に赤ちゃんを生んだのよ。ガイウス様も大喜びよ」


「それはおめでとうございます。婚姻無効の夫と浮気相手の子など、アリシア様には何の関係もありませんがね」


 ベンジャミンさんは、きっぱりそう言って、開けっ放しになっているドアの方へ体を向けた。


「そうかしら?」


 チチナ弁護士は、ドアの方に歩きながら振り返って、不敵に笑った。


「生まれたのは、とっても鮮やかな、赤い髪をした男の子よ。それにね、真っ赤な目をしてるの。おじいちゃん譲りかしら? ふふふっ」


「赤い目……血族眼! まさか……、閣下に限って……」


 ベンジャミンさんの額から垂れた汗が、床にぽとりと落ちる。


「ねえ、あなたたち。離婚裁判は、今回が初めてでしょう? 先輩として教えてあげる。裁判員はね、正しい方に票を入れたりなんかしないの。彼らはね、ただ、自分たちが楽しむために、娯楽のために、裁判員席を購入しているのよ。だからね、より面白くしてくれた方に投票するの。他人の不幸は蜜の味ってね。ふふっ」


 チチナ弁護士は笑いながら、帰って行った。

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