12 キャンベル婦人2
「はあ、なるほど、この乳母がいたから、アリシア様はこんな風に……」
ベンジャミンさんは、キャンベル婦人の言葉に、クッキーをかじるのも忘れて、つぶやいた。
「んー、ごほん。では婦人、裁判でその、婦人の教育方針について説明を頼みます」
「教育方針? わたくしはただ、聖女教の教えの通りに、お嬢様を清く正しくお育てしただけですのよ。ああ、ずっとお嬢様と一緒にいたかったのに、閣下が無理やり結婚を決めてしまうから、こんな裁判だなんて辱めを……。跡継ぎが必要なのだとしても、婿など必要ないと、何度も説明しましたのよ。お嬢様こそが、聖女の生みの親になると。清らかなお嬢様は、卵を生むのだと何度も言ったのに……」
いやいや、だからっ。たしかにあんな奴と結婚させた父は、ダメダメだけど。私に卵は生めないってば。もうっ、私は、いちおう哺乳類なんだからね。
「うむ、なるほど。キャンベル婦人。では、その聖女教について、裁判で教えてもらえますか? あと、アリシア様が洗脳され……いやいや、教えを素直に受け止めていたことを、説明していただければ……。これで勝てるかも。ああ、うまくいきそうだ。それで、いや、でも、それだけでは……」
ベンジャミンさんは、私の方を見て、何かが歯に挟まっているような顔をした。それから、言いにくそうに、何度かためらった後、口を開いた。
「アリシア様。裁判で、アリシア様の以前の状態を証言しても構わんでしょうか?」
「以前の状態?」
「その……ドラゴンが治療するまで、アリシア様は、その、頭が少し……」
「ああ、頭が天使のアリーちゃんだったってこと?」
つまり、頭が悪いって思われてたことを明らかにするんだね。でも、ドラゴンが治療したんじゃなくて、眠ってた私の意識が覚醒しただけなんだけどね。
「そうです。その、まあ、そういう状態だったことを、世間に公表しても構わないと?」
「別に、いいんじゃない? だめなの?」
天使のアリーちゃんは、誰にも会わせずに領地の館でひっそり育てられてたんだよね。やっぱり、世間体が悪かったからかな。でも、裁判で婚姻無効を勝ち取るためには、隠しておくのは無理だよね。
「ベンジャミンさんは、出生管理法のことを危惧しているんですよ。お嬢様」
私の後ろから、ルカが小声で教えてくれる。
「出生管理法?」
「平民の人口を管理する法律です。わが国は、年々領土が狭くなり、食糧難が続いてますからね。平民の出生数を調整しているのです」
あ、それ、受験勉強用のテキストで読んだよ。でも、私は平民じゃなくて貴族だし。
「愚かな法律ですわ。でも、もっと愚かなことは、平民の法律を、貴族にも当てはめようとする者がいることですのよ。聖女様の結界を守る魔力を持つ貴族には、不要な者などおりませんわ。まして、わたくしのお嬢様が、生きる価値がないなんて、たわけたことを」
キャンベル婦人が、不愉快そうに顔をゆがませて言った。
「え? それって、どういうこと?」
「閣下が、アリシア様を隠して育てられたのは、その、アリシア様の頭が……その……心配したからでして……。口さがない者達は、そのような状態の者は、生きる価値がないなどと主張したりしますから、その……」
ベンジャミンさんが、クッキーがのどに詰まったような声で、言いにくそうに説明してくれる。
もしかして、人口を抑制するために、役に立たない子供は生むなってことなのかな? 障害があったりする子供は、生んじゃダメとか?
え? じゃあ、もしかして、私って。
「なんてことを! お嬢様こそが、この国の救世主となる聖女を生む方ですのに! おろかな国民め!」
いや、だから。待って。私は聖女は生まないんだってば。
それは、男爵家のメイドの役目。
って、それよりも……。こわっ。私、もしかして、処分されてたかもしれないの? 知能に問題ありと思われて?
やだ、ちょっと、この国こわいよ。異世界、厳しい。いや、まあ、日本でも、戦前は、貧乏な家とかで、口減らしのために生まれたばかりの赤ちゃんを土に埋めてたって話を聞いたことはあるけど。それに、昔は、障害がある子が生まれたら、産婆さんがこっそり首をひねったとかも……。
「いやまあ、その、貴族にとっては、その、かつてのアリシア様の状態は、まあ、醜聞になりますので……。ですが、裁判に勝つためには、やはり、それを隠すのは難しいかと……」
ベンジャミンさんが、言いにくそうに説明したのは、こんなことだった。
つまり、裁判で明らかにしたいのは、私が子供の頃から、聖女教信者の乳母に育てられて、「赤ちゃんは卵から生まれる」と洗脳されてたってこと。それを年頃になっても信じていたのは、私の脳に障害があったから。
この二点を元乳母に証言させて、白い結婚の証明にしたいんだって。
でも、貴族の家に障害児がいることは、家門の醜聞になるそうだ。貴族は、血筋を重んじるからね。ほとんどの貴族の家では、障害児はいなかったことにされ、こっそり処分されているらしい。 ひどいね。
だから、それを公表してもいいのかって聞かれた。
「言ってもいいよ」
私の言葉を、ベンジャミンさんは驚いたように確認する。
「構わないのですか? 辺境伯家の醜聞になりますし、今後の結婚にも差し支えるかもしれないですよ」
「いいよ。別に悪いことしてるわけでもないし。誰にも迷惑かけてないよね。それで責められるって、わけわかんないよ」
「そのとおりですわ。お嬢様! お嬢様は生きているだけですばらしいのです!」
「えっと、まあ、そういうので、差別するのは違うと思うから」
「ですが、今後の結婚が……」
「いいよ。それで偏見を持つ人とは、結婚しないから。全然平気」
だって、リハルト様は、アリーちゃんのことを変な目で見なかったし、すごく優しかったから。そんなことで差別する人じゃない。私は、リハルト様としか結婚しないんだから。何も問題ないよね。
その後、ベンジャミンさんの弁護計画にそって、元乳母の証言の練習が行われた。
はっきり言って、ものすごく疲れた。
夕暮れになって、ようやく婦人を家に帰らせた時には、もう、みんなくたくただった。
「お嬢様、どうかお願いします。私をまた乳母として雇ってください」
って泣いて、なかなか帰ってくれなかったから。
私はもう、乳母が必要な年齢じゃないんだってば。
「お嬢様は、お強いですね」
ようやく婦人を追い出して部屋に戻る時、後ろを歩くルカに声をかけられた。振り向くと、青い瞳が私をじっと見ていた。
「強い? 私が? 強いのはルカの方じゃない?」
私は、お父様と剣の試合なんてできないよ。っていうか、剣さえ持ちあげられない。重すぎる。だから、あの父に認められたルカには、絶対勝てないよ。
「強いですよ。自分の障害を公表するなんて。周りの偏見の目が恐ろしくありませんか?」
障害かぁ。うーん。私のは、異世界転生のエラーだと思うんだよね。でも、まあ、それで差別されたり、変な目で見られるのは、本当は嫌だけど。
「でも、それが私だから。隠しても仕方なくない?」
「そうですか?」
ルカは青い瞳を細めて、私の目をじっと見つめている。
視線が強くて、ちょっとドキドキする。綺麗な青。吸い込まれそう。
「だって、そういうのに偏見がある人とは、付き合わなかったらいいだけだし。本当の自分を偽って生きるのは、しんどいから」
まあ、こんなこと言えるのは、今の私が恵まれてるからかもしれない。私は、本当に障害がある訳じゃなかったし、今では前世の記憶もプラスされてるから、有利な状態だ。それに、お父様は、他の貴族のように、私を処分したりしなかった。ちゃんと愛情をかけてくれた。リハルト様も、それから方向性は違うけど、キャンベル婦人も、私のことを受け入れてくれていた。私が本当の障碍者じゃなかったから、所詮はきれいごとなのかもしれないけど。
「でもね、生まれて来た子供を殺すのは、絶対に間違ってると思うの。だって、赤ちゃんは、何も悪くないんだよ」
それだけは確か。赤ちゃんを殺すなんて、考えられないよ。出生管理法かなんか知らないけど、何の罪もない赤ちゃんを殺すのは、絶対にダメだよ。この世界では、子供の命が軽すぎる。
「そうですね。貴族でも、魔力が少ない等、些細な理由で、自分の子供を殺す者もいますから」
「それよ! リハルト様も、赤ちゃんの時から王妃様に命を狙われてたの! 髪の色が黒いからって、ただそれだけの理由で、何の罪もない赤ちゃんを殺そうとするなんて、絶対間違ってるよね」
「リハルト様、ですか?」
「うん、そう」
あ、これって小説の設定だから、他の人には知られてないんだっけ? まあ、いいか。
「リハルト様はね、平民の母親と同じ黒髪に生まれたの。それでね、王族にふさわしくない色だからって、王妃様に殺されそうになったんだよ。ひどいよね。リハルト様に優しくしてくれた召使いもね、巻き添えで危険な目に合ったの。だから、リハルト様は、周りの人を巻き込まないためにも、一人で行動するようになったんだって。周囲に人を寄せ付けないのは、そんな理由があるからだよ」
リハルト様を思い出して、ルカに熱く語る。リハルト様は、魔法学園でいつも孤立してたって言ってた。それは、周囲を巻き込まないための手段だったんだよ。
「でもね、うちの領地に来た時だけは、リハルト様は自然体でいられたのよ。ほら、うちって、めちゃくちゃ田舎だから、王妃様の目が届かないでしょう? だから、アリーちゃんと遊ぶ時だけは、大声で笑ったり、一緒に木登りしたり、それから、クミンの実にかぶりついて、顔中べとべとにして、その後、アリーちゃんの顔を優しく拭いてくれたりして……」
ああ、アリーちゃんといる時のリハルト様は、本当に楽しそうだったな。いつも笑っていて、優しくて、大好きだった。
「お嬢様は、本当にリハルト様のことがお好きなのですね」
「……そうよ」
ルカの質問に、ちょっとだけ間を置いて答える。アリーちゃんは本当に、リハルト様が好きだったんだよ。純粋にリハルト様を慕ってた。リハルト様も、きっとアリーちゃんを……。うん、いや。それは、どうなのかな? 同じ思いだったらいいんだけどね。
「リハルト様は、そんな風にお嬢様に想われていて、幸せですね」
「そう、かな?」
「ええ、きっと、そうですよ」
ルカは、リハルト様と同じ青い瞳をキラキラ輝かせて強くうなずいた。