1 赤ちゃんが生まれたら殺されるようです1
ピキッ
おなかで音がした。
「あ! うごいた。アリーの赤ちゃん!」
嬉しい!
ベッドの上で、ぴょんぴょん跳ぶ。
赤ちゃん! 生まれる! もうすぐ!
「やめなさい!」
ぎゅって、腕をにぎられた。
ベッドに座せられる。
痛い! 爪が当たってるよ。
アリーの爪は噛んじゃうから、短いのに。
メイドの爪は、長くて真っ赤。
アリーの手が、壊れちゃう!
「いたいっ! いたいのいや、いやだ~」
大声で泣いたら、放してくれた。
「もうっ、落ちたら困るじゃない! 辺境伯が来たら、妊婦姿を見せろって言われてるのに」
「パパがくるの? やったぁ。お土産にクミンの実、いっぱい持って来てくれるかな?」
真っ赤で、びちょびちょの甘いクミンの実は、大好き。毎日食べたい。でも、このお家じゃ食べられないの。ちょうだいって言っても、誰も言うことを聞いてくれない。
でも、パパは、絶対持ってきてくれる。アリーのお願いは、何でも叶えてくれるんだから。
「辺境伯に、妊娠中だと伝えることができたら、ごほうびであげますよ」
「分かった! アリーとガイの赤ちゃん、おなかに入れてるって、パパに言うね」
はやく出ておいで。アリーの赤ちゃん。一緒にクミンの実を食べようよ。顔をびちょびちょにして、口いっぱいに詰め込むとおいしいんだよ。
ドレスの下から手をつっこんで、赤ちゃんを触る。
いつもはすっごく冷たくて、おなかが痛くなっちゃうんだけど、今日はほんのりあったかい。もうすぐ生まれてくるんだね。もう、ひびが入ってるかも。
取り出そうとしたら、腕をつかまれた。
「何してるんですか! 出しちゃだめでしょ! ドレスをまくったら、下着が見えるじゃない。はしたない!」
「ええーっ。じゃあ、パパに赤ちゃん見せるのって、どうやったらいいの?」
「今の姿を見せるだけでいいんです。お腹が膨らんでいるのが分かりますから。ああ、絶対に触らせてはだめですよ。赤ちゃんが壊れるかもしれません」
「うぅー。やだぁー。こわれちゃだめぇ」
我慢しなきゃ。いつもおなかにくっつけてるから、重たくって、歩きにくいし、走れないの。
でも、がんばって赤ちゃんを育てるの。そうしたら、パパも喜んでくれるかな?
※※※※※
赤ちゃんのためだって言われても、一日中部屋にいるのは、つまんない。
こっそり部屋を抜け出して、ガイに会いに行こうっと。
怒られるかな?
ううん。今日はパパが来るから、平気だよね。
ガイは、アリーのお婿さんなの。
パパがいるとね、ガイはアリーのことを、「愛してる」って言って、優しくしてくれるの。「大切な妻」なんだって。
でもね、パパと別のおうちにお引越ししてからは、ガイはぜんぜん遊んでくれなくなったの。いつも「忙しい」って会ってくれないし、「部屋から出るな」って怒ってばっかり。
それにね、乳母もいなくなっちゃった。どこに行ったのかな? 乳母がいないと、アリーは何をしていいのか分かんないよ。
新しいメイドは、誰もお人形遊びをしてくれないし、絵本も読んでくれない。みんないじわるで、怒ってばっかり。
一番いじわるなのはね、赤い髪のメイドよ。アリーのことを「バカ」っていうんだよ。それは言っちゃいけない悪い言葉だって、パパが言ってたもん。ダメなメイドだよね。ずっと会ってないけど、いなくなったのかな? いなくなってたらいいな。いじわるな人って、だいっきらい。
「ほんとに、バカよね」
「!」
こっそりガイの部屋に入ったら、いじわるなメイドの声が聞こえてきた。びっくりして、衝立の後ろに隠れる。
「卵から子供が生まれるって、信じてるんでしょう?」
「ああ、宝物庫にあったドラゴンの卵を渡したら、喜んでドレスの中で温めてるよ」
「うふふ、本物のバカね。でも、辺境伯は、膨らんだお腹を見ただけで、娘が妊娠してるって騙されるかしら?」
「戦うしか能がない男だからな。僕が、本当に娘を愛して妻に望んだと思っているくらいだ。爵位が手に入るんじゃなかったら、あんな頭のおかしい女と結婚なんてしないよ」
「そうね。貴族でいるための結婚よね」
「ああ、兄の下でみじめに働くよりは、欠陥者と結婚する方が、ましだからね」
「辺境伯も、お気の毒だわ。一人娘があれじゃあね」
「僕たちの子が生まれたら、あいつの子供だってことにして、この家を乗っ取ってやろう。メリッサは、乳母になって、子供を育てたらいいよ」
「うふっ。悪い男ね。でも、あいつ、頭はおかしいけど、顔はかわいいじゃない。ちょっと悔しいわ。……ねえ、いっそ、産後に病気になったことにして、始末しましょうよ」
「おまえこそ悪い女だ。まあ、それもいいか。そうしたら、おまえがこの家の女主人だ」
「うふふ。嬉しい。約束よ」
赤い髪のメイドが、ガイにキスしてる!
口と口のキスは、結婚してからするんだよ!
アリーも、結婚式の一度しか、ガイとしてないのに。
二人の話は難しくって、よくわかんない。でも、赤い髪のメイドの、お腹が大きい! 卵をお腹にいれてるんだ!
どうして?
結婚してから、赤ちゃんができるんじゃないの?
結婚してないのに、口にキスして、卵を温めてるの?
どうしてアリーのお婿さんとキスするの?
どうして? どうして? わかんない!
そっと部屋から出た。
「ううっ。ぐすん。リハルトぉ……」
リハルトに会いたいよぉ。
このおうちに、リハルトがいたらいいのに。
アリーにいつも優しくしてくれたのに。
結婚するのなら、リハルトがよかったのに。
ガイはお婿さんだけど、アリーのこと好きじゃないんだ。
だって、アリーとは一度しかキスしてない。でも、赤い髪のメイドには何回もしてた。
どうして? 結婚したのはアリーでしょう?
でも……だけど!
アリーだって、本当は、ガイじゃなくて、リハルトがいいって思ってるんだよ! リハルトの方が、もっともっと大好きなんだから!
リハルトの方が、いっぱい遊んでくれる。
リハルトは、魔法でキラキラを見せてくれる。
アリーが泣いてたら、「大丈夫」って言って、頭をなでてくれる。
それに、アリーのことを、バカにしない。
メイドがバカって言ったら、叱ってくれるんだから!
「ううっ。うぇーん」
リハルトを思い出したら、悲しくなってきた。
会いたいよぉ。リハルト、どこにいるの?!
ピキッ
廊下に座り込んだら、また卵が割れる音がした。
「あ、赤ちゃん…」
おなかを押さえて、自分の部屋に戻る。
そうっと両手で、ドレスの中から卵を取り出す。
真っ白な卵に、大きなヒビが入っている。
「あつい!」
卵が急に熱くなって、金色に光りだした。
まぶしくて、ぎゅっと目をつむったその瞬間。
頭の中に、いくつもの映像がパラパラ降り注いできた。
ドラゴンは生まれる前に、浄化と癒しの光を出す。
無事に生まれてくるために、周りの環境をよくするためだって言われている。
絵本に書いてあった言い伝えは、真実だったんだ。
まぶしい金色の光が、私の頭の中のもやを消していく。
そして、私はすべてを思い出した。
私の名前はアリシア・カイザール。物語が始まる前に、夫に殺されてしまう辺境伯の一人娘だ。
カイザール家に婿として入ったガイウスは、メイドとの間に出来た息子を跡継ぎにするために、アリシアを殺して家を乗っ取る。
そうやって、跡継ぎになった不義の息子ディートは、ヒロインをめぐってヒーローの王子と恋のライバルになる。いわゆる当て馬キャラだった。最終的には、自分の生まれの真実を知って、身を引くんだけど。
大好きだった小説。
小説の世界に転生したと分かったのは、生まれてすぐだった。そして、絶望した。
だって、0歳児はしゃべれないし、歩けない。自分で食事もできないし、トイレにも行けない。
お世話されないと、何にもできない。
中身は元日本人の23歳なのに……。って、あれ? 私、なんで死んだんだっけ?
まあいいや。とにかく、転生して、すぐに母親は死ぬし、父親は、魔物退治でいつも不在。
ずっと側にいて、変な歌を歌ったり、宗教の話ばかりする乳母には、もう、うんざり。
体は0歳だけど、頭は23歳なんだよ。
何の拷問ですか?
で、まあ、ついつい神様に祈ってしまったんだよね。
物語が面白くなるくらいまで、とばしてくれないかなぁ、と。
それを聞き届けてくれたのかどうか。
ついさっきまで、私、眠ってました。
って、もちろんアリシアは生きてるんだけど、脳がだいぶん眠ってる状態で。
結果、いつまでも子供のような、天使のアリーちゃんの誕生! いや、原作のアリシアって、そうだったの?
いま、ドラゴンの卵の光のおかげで、頭がすごくクリアになった。ようやく目覚めた!
でもね、眠ってた間のことも、ぼんやりとだけど、全部覚えてるよ。
父がだまされて、ガイウスと結婚させたことも。
赤髪のいじわるメイドのメリッサにされた嫌がらせも。
ドラゴンの卵を服の中に入れられて、父に妊婦姿を見せろって言われたこともね。
うちの宝物庫に永く眠っていたドラゴンの卵は、私の魔力を浴び続けたせいで、もうすぐ孵るのだ。
私、魔力がめちゃくちゃある。なんせ、かつて東の魔女と呼ばれた母を持ち、南の凶戦士と呼ばれる辺境伯を父に持つのだから。もう、有り余るほど。
というわけで、殺されそうになったおとしまえ、つけさせてもらいましょうか。