9.只今脳内沸騰中
――助手は、最近「弟子にして欲しい」と言ってきたヤツなんです。
あまりの出来事に、腰を抜かしてしまったダンス教師。
――いつもの助手が手を怪我してしまって。それで楽器も弾けるので、臨時の助手として採用しただけで、私は何も知らなかったんです!
自分がどういう状況に置かれているのか、少しずつ理解出来てきた教師が、饒舌に自分の弁護をする。
助手がどういう思惑で近づいてきたのか。知らなかったではすまされない。なんたって相手は、殿下のお命を狙ったのだから。迂闊にそんな不審なヤツを連れてきた教師にも咎めがある。そう考えるのが普通だ。
「大丈夫だよ。僕もこうして無事なわけだし。きみも大変だったね」
そんな教師の手を取り、立たせてあげる殿下。
お優しいです。
教師の方も、殿下のその態度にホッとしたのか、何度も頭を下げ、そそくさと部屋から出ていった。
代わりに部屋にやってきたのは、部屋の扉の前に立っていた歩哨二人。ライナルから指示を受け、それぞれに走り出していった。
「――ご挨拶、か」
ポツリと呟かれた殿下の言葉。
「お怪我は?」
「大丈夫だよ。リーゼファのおかげでね」
いえ、それが私本来の務めですから。
うっかりダンスの練習でポヤンとなって忘れそうだっけど、私の本分はあくまで護衛。殿下と踊ることではなく、殿下をお守りするのが私の務め。
「リーゼファのほうこそ大丈夫? 手、ケガしてない?」
言うなり私の右手を手に取る殿下。
「――ゴメンね。痛いよね」
手のひら、小指の付け根あたりにあった傷を見つけられてしまった。短刀をはたいたときについた傷だろう。一文字に血が滲んでいた。その傷を軽く眉根をよせて見つめる殿下。
手についた傷より、その沈痛なお顔を見ているほうが胸、痛みます。
「平気です、これぐら――っ!」
最後まで言えなかった。
だって。
シュルンとほどかれた殿下のクラヴァット。それが私の怪我した手に巻かれていく。
「――――――!」
それだけじゃない。
「典医のところに行くよ」
私の身体を横抱きにかかえた殿下。
いや、なに、このプレイ。
典医のところに行くにしても、こんな「お姫さま抱っこ」じゃなくても! 私、普通に歩けますからっ!
怪我の痛みよりなにより、殿下のその一連の行動に頭が大混乱。
怪我をしたのは、私が未熟で、油断してたからで。本来なら、もっと前に刺客に気づかなきゃいけなかったわけで。殿下に手当てをしていただいたり、こうやって運んでもらうなんてことは、怖れ多すぎなわけでっ!
罰当たりすぎる~~~~っ!
廊下ですれ違う女官や従僕が驚いて目を真ん丸にしてるけど、運ばれてる私の驚きはそれ以上。
あわわ。およよ。へよよ。どわわ。
脳内を小さな私が、ワーワー騒いで右へ左へ走り回ってるかんじ。
心臓は過重労働すぎて破裂寸前。
ダメだ。
このままじゃ、恥ずかしさとうれしさと興奮とトキメキと、あらゆる感情で頭が爆発する。
違うこと、考えよう。違うこと、違うこと、違うこと……。
そうだ。さっきの刺客のことを考えよう。
アイツ、「今日のはちょっとしたご挨拶」なんてぬかしてた。つまり、「次」があるってことを示唆してるんだよね。
(刺客――)
殿下がその立場もあって、狙われてることは知っている。
私が護衛に選ばれたのだって、前任者(男)が護衛の途中に怪我を負ったからだし。前任者に代わって殿下をお守りするのが仕事だったわけだし。
(でも、誰が――)
護衛に着けとは命じられたけど、誰が刺客を放っているのか、敵については詳しく知らされてない。
基本、護衛とか兵士なんてものは、そんなものだ。命じられたことを命じられたままに遂行する。「○○だから××しろ」なんてものはなく、「××しろ」だけが伝えられる。
「どうして?」と問いかけても、「それが任務だ」としか返ってこない。
「なぜ?」を知ってしまうと、いざという時に余計なことを考えてしまい、一瞬、動きが鈍ることがある。その「一瞬」が運命の分かれ道、生死を分けることもある。だから、何も考えないで済むように、与えられた任務にのみ集中するように、「○○だから」は省略される。
「(ウチのカワイイ姫を笑わせるために)広場で一晩中ハダカ踊りをしろ」って命令なら、( )のなかの「だから」は知らないほうが幸せな気がする。
まあそんな命令なら、( )を知ってようが知らなかろうが、どっちであっても受けたくないけど。
(あの男――)
調子よくウィンクを残して去っていったあの刺客。
「ご挨拶」なんてふざけたことを言って笑ってたけど、その目の奥には、ハッキリとした殺意があった。
あれは、にこやかに笑いながら、息するように自然に人を殺せるヤツの目だ。対象に警戒されないまま近づき、握手を交わす代わりに、刃で刺し貫く。
本物の刺客。本物の殺人者。
殺気に溢れてない分、気配に気づきにくく、対応が遅れやすくなる厄介な相手。
おそらく、というか確実にまたアイツはやってくる。顔を見られているから隠して……、いや。顔を知られても今後の仕事に支障ない。そうアイツは判断して姿を見せたのだから、おそらく堂々と顔を晒して現れるだろう。それだけ、自分の刺客としての能力に自信があるのだ。
顔を知られていようが知られていまいが。警戒されていようがいるまいが。
必殺必中。
必ず、ヤツは殿下を殺しにやってくる。
「リーゼファ?」
私を抱き上げる殿下の声。
こんなお優しい殿下を、誰にどんな思惑があろうとも、絶対殺させやしない。
クラヴァットの巻かれた手を、ギュッと力強く握りしめる。
* * * *
「大丈夫ですじゃ。これぐらいなら、縫うほどのこともありません」
ご典医の言葉に、殿下の肩からわずかに力が抜けた。
ご典医もビックリのお姫さま抱っこで、突撃診察依頼だったし。それだけ、私の怪我を心配してくださっていたんだろう。
ホント、殿下ってお優しい方だわ。
「……ただ、しばらく剣を持ったりするのは、あまりよろしくないかと……」
ああ、そっか。
怪我をしたのは右手の小指近く。スパッとサクッと切ってる。下手に剣なんかを持って力を入れたら、またパクッて傷口が開く可能性がある。
「構いません。左手でも持てます」
そりゃあ右手に比べたら劣るかもしれないけど。それでも左手でも充分戦えるだけの技量は持ち合わせてる。
(戦場で、「利き手を怪我したから剣、持てません」なんて言えないもんね)
そんなこと言って戦うの放棄したら、「あっそ、じゃあ死ね」ってグサリだよ。利き手でなくても剣をふるい、戦わなくては騎士として生きていけない。
「さすがは……、いやはや、殿下の護衛に選ばれるだけのことはありますな。勇ましい、心強いことで……」
ご典医が、ハハハッと微妙な笑顔を作ってみせた。
うん、まあ、わかるよ。
普通のご令嬢なら、縫うほどではなくてもこんな怪我したら、「ああ……」とか微かに呻いて倒れるよね。「左手があるから大丈夫」なんて絶対言わないよね。うん。
「しかし、右手が使えないとは……不便だな」
殿下が顎に手を当て、思案された。
あれ? 左手では、護衛は無理とか思われてる?
そりゃあ、右手を使える時と比べりゃ、劣るっちゃあ劣るけど。
「でしたら、誰か他の者を護衛にあたらせましょうか?」
部下の誰かを臨時で配してもいい。一人でご不安なら二人でも三人でも。
一瞬、脳裏に部下たちのイヤそ~な顔が思い浮かんだけど、そこは無視。
「いや、そうじゃなくて……」
スイッと殿下が、包帯の巻かれた私の右手を持ち上げる。
「ダンスの練習、できなくなったかなって。せっかくのチャンスだったのにってね」
――チュッ。
(包帯越しだけど)手の甲に落とされたキス。上目使いに見つめてくる殿下のイタズラっぽい視線。
ボンッ!
脳内で、なにかが爆ぜる音がした(気がする)。
表面上は何も変わってないけどさ。