8.ダンスのリズムは三拍子
「へえ。ナタリーがそんなことを」
「はい」
「じゃあ、期待してていいと思うよ。彼女の腕に間違いはないから」
「紹介してくださり、ありがとうございます」
執務を終えた午後。
殿下がくつろぐ居室で、先日の礼を述べる。
自分でドレスを用意するとなったら、きっと無理だっただろうし。祖母が亡くなっていることが悔やまれる。祖母がいたら、ドレスぐらいは用意してくれたかもしれないのに。
「かまわないよ。こちらから無理言ってお願いしてることだからね」
「いえ」
こういう時、どう返事したらいいんだろう。
お礼を言うのが精一杯の私は、口をつぐむほかない。
「さて、と。ライナル、れいの先生はもう来てるかな?」
「はい、お呼びしても?」
「ああ、頼むよ」
控えていたライナルが一礼して扉を開ける。
れいの先生?
って何?
「ダンスの先生だよ。一曲だけだけど、キミに一緒に踊ってもらわなきゃいけないからね。本番にむけて、ともに練習しよう」
うえええええっ!
ダッ、ダンスッ!
そっ、それも、ででで殿下とっ!?
一緒にだなんて、そんなの本番一回こっきりで充分ですってば!
心臓に悪すぎる~! 只今、血圧急上昇。心臓フル回転中。
「僕が相手じゃ不満?」
「いえ」
めめめ滅相もない。
怖れ多すぎてぶっ倒れそうなだけです。(ピシッと背を伸ばして立ってるけど)
ダンスの練習相手なんて、よくてライナルが務めるもんだと思ってた。それか、ダンスの先生が相手とか。まさか、本番さながらに殿下にお相手いただけるとは、思ってもみなかった。
ライナルがダンスの先生らしき中年の男性と、もう一人の助手っぽい若い男を連れて戻ってきた。
先生はちょっとオカマっぽい内股で、助手のほうはヴァイオリンケースを手にしている。音楽に合わせて踊り、先生がその姿をチェック、指導していくのだろう。部屋に入るなり、助手がケースからヴァイオリンを出して調弦を始めた。
「お手柔らかに頼むよ」
殿下の居室は広い。
ダンスの練習ぐらい余裕で出来ちゃうだけの空間はあるけど……。
(ひいいぃっ……! 密着! 密着率、スゴすぎっ!)
人生最大の異性密着率! 体術の稽古でくっつくことはあるけど、こんな風に「男女」を意識した密着は初めて! それも、殿下と!
腰に回された殿下の腕。私の片手は殿下の手のなか。
腰を抱かれてるから、その……、お腹から胸のあたりが密着しそうで……あわわわっ! 背を反らし、紙一重でどうにか接触を免れる。
殿下が軽く目くばせをすると、ヴァイオリンを構えた助手がすべらかに音を奏でる。
優雅なワルツ。三拍子。
「一、二、三、一、二、三……」
パンパンと手を叩いて拍子を取る先生。
そのリズムに合わせて、殿下の動きに合わせて、前へ後ろへ右へ左へ身体を揺らす。
殿下が前に出れば、私は後ろに下がる。逆もまた同じ。相手が踏み込めば、こちらは身を引く。このあたりの動きは、剣術にちょっと似ている。
「そう。イイ感じですよ、はい、はいっ」
先生が拍子の合間にほめてくれる。
けど。
(うわっ、うわわわわわっ……)
私はそれどころじゃない。
殿下の一歩。
それに呼応して身体を動かすけど、少し遅れれば、密着しかけた身体が殿下とぶつかり……。
(ひいっ……、お、お腹がっ、胸がぁっ!)
実際はちょっとかすかに触れるかどうか程度なんだけど、それでも私にしてみたら一大事。殿下じゃなくても、異性に腰を抱かれたこともなければ、ここまで密着したこともないので、脳内軽くパニック。
お腹を必死にへこませ、背筋を伸ばして、なんとかぶつかるのを避けるけど、お腹を引っ込めたことで、今度は顔を上げなくっちゃいけなくなって……。
(ぎゃああああっ、近い、近い、近い~~~~っ!)
殿下のお顔、至近距離。
毛穴まで見えそうなほどの最接近。
って、殿下、お肌キレイだな~。顎のラインとか、鼻筋とかも整っていらっしゃるし。
そして、その髪!
この国では珍しい銀色。少しだけクセがあるのか、襟足のあたりとか、首筋にそってちょっとだけクルンと弧を描いてる。私みたいなゴワッ、モフッ、モリッてかんじじゃない分、すごく柔らかそう。額にかかった前髪も、殿下が動くたびに軽く揺れて……。
わわっ、目が合っちゃった――――っ!
(キレイ……)
深い深い青色の瞳。
殿下は顔立ち、髪色、身なりすべてが素晴らしいんだけど、なかでもこの瞳が一番印象的で魅力的。サファイアのような、深い海のような色の瞳。じっと眺めてるとそのまま吸い込まれそうな感覚……。魅入られてしまいそう……。
「はい! 素晴らしいですよ!」
パンッとひときわ大きく手が叩かれる。気づけば、ヴァイオリンを奏でる助手の手がとまり、音楽が消えていた。
あ。
しまった。踊ってる最中だったわ。
というか、なんかすごく危なかった。
「特にダンスに関して問題はなさそうですね」
そ、そうですか。それはよかったです。
どうせ顔に出てないだろうから気づかれてないだろうけど、内心はバクバク。ダンスの講評なんてどうでもいいわ。
「これなら舞踏会でも大丈夫かと思われますよ」
「そうか。やはりリーゼファは素晴らしいね」
いえ。素晴らしいのは殿下のほうです。私みたいな初心者でも難なくリードできちゃうんですから。後半、私、殿下に見とれすぎてダンスのことなんてすっかり忘れてたぐらいだし。それでも問題なく踊れてたってことは、殿下のリードがあったからこそですよ。
あんなポヤンとした状態で、殿下の足を踏むとかミスしなくてホントよかった。
「ただ……、一つだけ言わせていただきますと……その……」
ダンス教師が言いよどむ。
「お嬢さま、もう少しだけ笑ってくださいませんか? 騎士さまであるとお伺いしてはおりますが、その……今は任務中ではないと思いますので……」
う。
そこを指摘されると辛い。
「笑う」って、どうやったらいいの?
ダンスのステップよりも難しすぎる課題だわ。
「かまわないよ。リーゼファは笑わなくても充分にかわいいし。下手にほほ笑んで見せたら、他の男が黙ってないだろうからね」
いや、ぜんっぜんそんなことないです。(力説)
私がほほ笑んだところで、メロメロになる男性なんぞ一人もおりません。逆に裸足で逃げ出す人々で溢れかえると思います。恐ろしすぎて。
「きみの相手を務めるなんて役得、他の男には手渡せないからね。リーゼファはこのままでかまわないよ」
いやいやいや。役得なのはこっちのほうです。殿下の相手を務めさせていただけるなんて。仕事だ、見せかけだ、ただの護衛だって言っても、キィーッ! ってなった令嬢たちから、呪いの人形不幸の手紙が大量に送られてきて、家のなかが埋もれそうな立場なんですから。
「……愛されておいでですねえ」
いやいやいやいや。
絶対間違ってるよ、先生。苦し紛れのコメントだろうけど。微妙に顔、引きつってるし。
先生の後ろ、助手の男がこちらに背を向け膝を着く。一曲引き終えたから次に備えて、ヴァイオリンの手入れをしているのだろう。
シュッ――――。
(――――ッ!)
一瞬だった。
助手がこちらをふり向いたと同時に飛んできた何か。そのスピードに掴むことはできず、かろうじてはたき落とす。
足元でカシャンと金属のなにかが床にぶつかる音がする。――短刀?
「さっすが騎士さまだね。王子にのぼせてても、ちゃんと護衛はするんだ」
その言葉に、サッと王子をかばうように前に出る。部屋のすみに控えていたライナルも気色ばみ、細められた視線を立ち上がった助手に向ける。
ダンスの先生だけは、状況が呑み込めてないのか、まったく動けないでいたけれど。
私だって、いきなりの状況変化に頭はついていかないけど、身体はキチンと反応してくれていた。
殿下に向けて投げられた短刀。投げた相手。つまり――敵。
「ま、今日のはちょっとしたご挨拶ということで」
じゃあね☆
ライナルがその身体を掴むより一瞬早く、軽くウィンクを残した助手がガラス窓を打ち破り、その身を空に踊らせた。
(しまった――!)
わずかに遅れて、ライナルとともに、助手が落ちたであろう庭を見る。しかし、そこにあったのは飛び散ったガラスの残骸だけで、助手の姿はどこにもなかった。




