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3.妄想の暴走

 「異常はないか」


 「ハッ!」


 朝、殿下がお目覚めであろう時間。朝の鍛錬を終えた私は、寝室の前に立っていた歩哨に声をかけ、軽く扉を叩く。


 「失礼いたします」


 返事がなくとも扉をわずかに開け、滑り込むようにしてなかに入る。このあたりは護衛の特権。護衛なんだから、護衛ゆえに、何時であってもおそばに侍さなければならない。

 天井高く、朝の日差しがさんさんと差し込む部屋。

 殿下の居室。

 訪れた人と話すため、また殿下がくつろがれるために、豪華なソファーとテーブルが備えられ、品の良い調度品と絵画が飾られている。

 その居室の左右、別の部屋に続く扉が二枚。一つは殿下の書斎、図書室から執務室へと続く扉。もう一つは完全な私的空間、殿下の寝室へと続く扉。


 「殿下?」


 少しだけ声をかける。

 おかしいな。

 いつもならすでに起きていらっしゃることが多いのに。

 たいてい起きて、朝食前にこの居室でくつろいでいらっしゃるのに。

 物音一つしない殿下の寝室。

 もしかして――。


 「殿下? 起きていらっしゃいますか?」


 軽く扉を叩く――が返事がない。

 まさか、ご病気とかっ!?

 昨日はお元気だったのにっ!?

 あり得る。あり得るわ、それ。

 昨夜は、デューリハルゼン公爵家の晩餐会に招待されてたけど、お帰りがかなり遅かったし。もしかしたら、そこでご病気をもらってきちゃったのかもしれない。私は全然平気だったけど、殿下は大勢の人に囲まれてたし、たくさんのご令嬢ともお話しされていらっしゃったし。

 ひょっとして、今、ご病気で苦しんでいらっしゃるとしたら?

 一人広い寝台の上で浅い呼吸をくり返される殿下。その銀色の髪が汗で額に貼りついて。白皙の頬が熱で赤くなって、目をギュッと閉じたまま、苦しそうに胸元の夜着を引っ張って。「うっ……」とか、少しだけ唸るような声を上げられて――。

 マズい。そうだったら、かなりマズい。

 もし殿下がお一人で苦しまれているとしたら。一大事どころの話じゃない。


 「失礼しますっ!」


 確認して、医師を呼ばねば!

 あわてて飛び込んだ、殿下の寝室。

 殿下、大丈夫ですかっ!?――――って、え!? ええええ――――――っ!

 

 「ん? ああ、もうそんな時間か。おはよう、リーゼファ」


 広い寝台。清潔なシーツが少し寝乱れてて。

 その上で気だるそうに軽く身を起こされた殿下。

 上掛けがズレ、起き抜けの殿下の、殿下の、殿下の――――っ!


 裸の上半身、丸見え。


 うわああああああああぁっ!

 すっ、スゴイもん見ちゃった!

 ちょ、ちょっとこれどういう状態よっ!

 殿下ってば、夜着、お召しにならないのっ!?

 

 窓から射しこむ朝日に照らしだされた殿下の裸体(上半身のみ)。

 少し筋張った首、鎖骨。広い胸板と二の腕は引き締まって美しい。細身ではあるけど、筋肉が足りないというわけじゃない。間違っても騎士の詰め所で見るような、「フンヌッ!」とか「ハッ!」とか言って、ムキッとメキッと見せられるモリモリ筋肉じゃない。

 張り詰めたすべらかな肌。薄い産毛が光に白く浮かび上がってる。

 

 誰かここに絵師を呼んでっ!

 この光景を後世に残すのよっ!

 いいえ、その前に私の記憶に焼きつけるのよっ!

 それこそ瞼を閉じれば思い出せるぐらい、クッキリ、ハッキリ、シッカリと!

 殿下のその物憂げな瞳、少しため息をこぼされる口元、軽く髪を掻き上げられた長いキレイな指。

 一字一句……じゃない、一挙手一投足余すことなく私の脳内に叩きこむっ!

 肩の筋肉の張り具合は? 襟足の髪の柔らかさは? あ、首筋にホクロ、発見! これは貴重な発見よ、絶対忘れちゃいけないわっ!

 

 「……すまないが、そこの棚にある瓶を取ってくれないか」


 びん? ビン? 瓶?


 「これですね」


 「うん、ありがとう」


 夢中になりすぎて、一瞬、なんのことか理解が遅れたけど、まあ、一瞬だし? 表情一つ変わってないし? 私が夢中になっていたことは、気づかれていない。

 言われた通り瓶を手渡すと、殿下がそこから小さな錠剤を取り出された。――薬?


 「……ちょっと、二日酔いでね」


 寝台脇の水と一緒に、手酌で飲まれた殿下。

 あああ。こういう場合、私が水を注いで差し上げればよかったのかな。「大丈夫ですか」とか声をかけて。そうしたら、「ありがとう、リーゼファ」とかお礼を言われたりとか。「いえ、それよりもおかげんはいかがですか?」とか訊ねようもんなら、「うん。キミのおかげで少しよくなったよ」とか言われちゃったりして!


 ――こんな情けない姿、きみに見られるなんてね。

 ――そんなことありませんわ、殿下。お辛いときはお辛いと、おっしゃっていただいたらよろしいんですわ。

 ――優しいね、きみは。

 ――いえ、そんな……。

 (ポッと頬を染める私)

 ――そんなきみだから、僕はこうして甘えられるのかもね。

 (と言って、なぜか寝台に腰かけた私の肩にポスッと頭をもたれさせてくる殿下)

 ――きみといると、僕はただのナディアード、一人の男として安らぎを感じるんだ。

 ――殿下……。

 ――二人っきりの時は、「殿下」ではなく、「ナディアード」と名前で呼んでくれないか。

 ――ナ、ナディアードさま……。

 ――リーゼファ。


 「きみがいてくれて助かったよ」


 へ?

 なに? 妄想が現実になった?

 妄想から引きずり戻された脳みそ。一瞬、思考が混乱した。


 「二日酔いだなんて、誰にも知られたくなかったからね。助かったよ」


 あ、そっちですか。

 薬を取ってくれてありがとう、と。

 そういう意味ね。


 「いえ」


 問題ありません。お仕えする主の身も心も立場も守る。それが私の仕事ですから。

 いやあ、それにしても危なかった。どうせ表情は何一つ変わってないだろうけど、妄想が暴走するところだったわ。


 「殿下、お目覚めでしょうか?」


 軽い叩扉の音。


 「ああ、ライナルか。入れ」


 扉が開き、一礼の後、殿下の従僕、ライナルが入室してきた。

 同時に私も一礼を残し、開いた扉から退出する。

 ライナルが入ってきたのは、この後、殿下の朝の支度を手伝うため。朝の支度、つまりはお着替え。

 さすがに護衛と言えども、私がそこに立って(ガン見す)るわけにはいかない。そんなことしたら、護衛という名の痴女だよ。

 パタリと閉じた扉。その扉を背に、軽く息を吐き出す。

 扉越しに聞こえる衣擦れの音。

 ああ、殿下がお着替えをなさってるんだあ。

 目をつぶるだけで思い出せるほど瞼に焼き付けた、殿下の裸体(上半身)。

 絹のシャツにシュルッと通された、たくましい腕。あの首筋には、どんな色のクラヴァットが巻かれるのかしら。

 裸の殿下も素晴らしかったけど、衣装を整えられた殿下もまたステキなのよね。

 さっき見たものと聞こえる音で、再び妄想が暴走し始める。

 マズいわ。

 頬の筋肉一つ動かなくても、脳内は妄想ではちきれそう。

 ダメよ、リーゼファ。私は「氷壁」、殿下の護衛なんだから。

 そういう妄想は、夜寝る前だけにしておきなさい。

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