24.物差しで測れないもの
「国に戻られるのですか?」
「ええ。事態の報告に近々帰参しようかと」
「そうですか。では、伯父上によしなにとお伝えください」
「承りました」
ノーザンウォルドの大使が帰国の途につく。
そう聞いて居てもたってもいられず、こうして二人っきりで会う約束を取り付けた。
彼に会うのは、これが最後かもしれない。そう思えたからだ。
壮年の域に入った大使。彼もまた二度とこの地をふむつもりはないのかもしれない。帰国準備で忙しいなか、自分の願いを快く聞き届けてくれた。
誰もいない庭園の四阿。互いの目の前には、茶の一つも用意されていない。
「殿下のご立派に成長されたお姿を、我が陛下にお伝えできることを、うれしく思っております」
「立派に……なったでしょうか」
「ええ。今回の事件の手際。素晴らしかったと思いますよ」
デューリハルゼン公爵の逮捕。
ヤツが行っていた不正、横領、賄賂、そして国王ならびに王太子殺害未遂。
王太子である自分だけでなく、ヤツは従兄弟である父王にも薬を飲ませ、命を奪おうとしていた。妃を亡くし塞ぎこんでいた父に少しずつ毒を飲ませ、思考を奪い、廃人となるように仕向けていた。父は政務を執らないのではなく、執れなくされていた。見た目は愛する妃を失った哀しみから。その実は、薬を飲まされていたから。
長年かけてその命脈を奪ってきたのは、急死され疑われることを避けるため。ジワジワと奪っていくことで、不自然さを消したかったらしい。
まあ、結局は露見し、命を奪われることになったのは公爵のほうだったが。
娘を王子妃に推挙したのも、権力者である祖母に気取られないために。王子とともに娘が死ねば、そのまま王位を簒奪しても、自分が黒幕だと疑われることはない。そう考えていたらしい。浅はかではあるが。
娘のフェリシラは、父親の悪事に加担していたものの、利用されていた感も否めないので、情状酌量となり、身分剥奪の上で修道院に送られた。後に恩赦などあるかもしれないが、今はそこでおとなしく蟄居していてもらいたい。
「それで、陛下のご容態は?」
「すぐに王政に携わることは難しいかもしれませんが、今は小康状態を得ています」
「それはよろしゅうございましたな」
「ええ。まことに」
父が回復し、鬼籍に入らなかったことを、泉下の母はどう思っているのだろうか。再会の時が伸びたことを喜んでいるのか、否か。
「大使殿。アナタは、かつてノーザンウォルドで母の護衛を務められてたと伺いましたが」
「ええ」
「母は、……幸せだったのでしょうか」
母に問いたかったことを、母を知る人に問うてみる。
「母は、両国の平和のため、ノーザンウォルドからこのアウスティニアに嫁ぎました。故郷を離れ、愛する人たちと別れ、この国に来ました。この地に嫁いで、子を産み、亡くなった。母の人生は、幸せなものだったのでしょうか」
かつて敵対し、戦争をくり広げていたこともある、ノーザンウォルドとアウスティニア。戦争は過去のものとなり、遠い記憶の彼方の出来事となっても、感情が好意的になることはない。
そんななか、友好のためと結ばれた婚姻。
父は敵国の王女だった母を愛し、仲睦まじい夫婦であったと伝え聞いている。短い結婚生活ではあったけれど、自分という子どもも生まれ、互いに想い合い、愛し合っていたと。
しかし、それは、本当のことなのだろうか。
母は、故郷に想いを、愛する人を残してきてないのだろうか。
心に沿わない政略結婚を強いられたのではないのだろうか。
どれだけ不本意であっても、王女である限り、結婚に異を唱えることは許されない。命じられたままに己の運命を受け入れる。それが王族の宿命なのだから。
「エルリーネさまが幸せであったかどうか。それはエルリーネさま以外の者が判じることはできません」
大使が静かに話し出した。
「けれど私は、幸せであったと、そう考えております」
「故郷を離れて?」
「ええ。ご家族という愛する人たちとの別れはお辛かったかもしれませんが、代わりに陛下から余りあるほどの愛を受けられ、アナタ様というお子を設けられた。短い期間ではあったかもしれませんが、それでもエルリーネさまはお幸せな人生だったと思いますよ」
そう……だろうか。
「母は、故郷に心を残してはいなかったのでしょうか」
「……ウワサを気にしていらっしゃるのですか?」
大使の問いかけに、平気を装っていたはずの肩がピクリと揺れた。
「私の知る限り、エルリーネさまに懸想している者は星の数ほどおりましたが、エルリーネさまが慕う相手は一人もおりませんでした。父王陛下が唯一のお相手です」
そう……なんだろうか。
「私には子はおりませんので確証はありませんが、子が両親のどちらかにだけ似るというのは、よくあることです。殿下のご容姿はエルリーネさまに瓜二つではありますが、ご気性は父王陛下に似ていらっしゃるのではありませんか」
似てる……のだろうか、父に。
「一途に愛されるあたり、ソックリだと思いますよ」
クスクスと大使が笑う。彼女とのことを、当てこすられているのだろう。
「殿下のご容姿がノーザンウォルドのものであっても、予定より早く、月満ちずにお生まれになろうとも、正真正銘、殿下はこの国のお世継ぎであらせられます。そこをお疑いになるなど、母君の高潔さを冒涜する行為です。たとえ、お子である殿下であっても、許されることではありません」
自分と同じ、大使の青い瞳が、真っすぐに心を射貫く。
丁寧に後ろに撫でつけられた銀色の髪。元騎士らしくピンッと伸びた背筋。堂々とした立ち振る舞い。軽く頬に刻まれたシワが、彼の人生の苦難を物語る。
――ナディル・イェンソン。
かつて母に仕えていた護衛騎士。
かつての母を知る、唯一の人物。
自分によく似た名前、容姿を持つ男。
「では殿下。私はこれにて」
「ああ。手間を取らせてすまない」
「いえ。殿下がご健勝であられること、かのご令嬢と、末永く幸せに暮らされることを、遠くノーザンウォルドの地にて祈念しております」
一礼を残し、きびすを返す大使。
その背中に、自分も背を伸ばし、軽く瞑目した。
* * * *
「こちらにおいででしたか、殿下」
大使が去ってしばらく。
ガサガサと音を立てて現れた騎士。
「お話があるとかで、部屋に大臣が参っておりますが、……いかがいたしましょう」
突っ立ったまま動かない自分を不審がっているのか。その声に戸惑いが混じる。
「ああ、すまない。行こうか。待たせておくのも悪いからね」
言って歩き出すと、どこかホッとしたようにつき従う青服の騎士。
初めて会ったころは、クラウスの忘れ形見として、単純に興味を持っただけだった。彼が不器用に接したおかげで、感情をどこか置き忘れてきたような娘。
寡黙で真面目で努力家。部下想いで、騎士としても優秀。
ピンッと伸びた背筋。真っすぐ前だけを見つめる菫色の瞳。
どうしてそこまで迷いなく立っていられるのか。どうしてそこまで純粋でいられるのか。
その強さが、羨ましいと思った。美しいとも思った。
彼女のようなゆるぎない自信が欲しい。真っすぐに立てるだけの力が欲しい。
気になったから、護衛としてそばに置いた。不謹慎かもしれないけれど、命を狙われたことは格好の口実だった。
そばに置いてみてわかったことがある。
寡黙に、無表情に見える彼女。
しかし、その内面では、さまざまな感情が渦巻いている。
けっして漏れださないように取り繕っているが、ふとした場面で、それはほんのわずかな変化となって、ポロリとあふれ出していた。
――かわいいな。
そう思ったら、感情が止まらなくなった。
いつか、彼女の心の内をすみずみまで暴いてみたい。戸惑い焦る彼女を堪能してみたい。
「氷壁」とたとえられる表情を壊して、笑顔にすることができたなら。どれほど美しく、魅了されてしまうのか。
感情が止まらない。
こんなこと、彼女を困らせるだけかもしれない。けれど、もう止められなかった。
僕は、彼女、リーゼファを――。
「で、殿下――?」
「……ごめん。ちょっとだけ、このまま――いいかな?」
立ち止まり、ふり向きざまに彼女を抱きしめる。
すがるようにその細い肩口に顔を寄せ、驚かせない程度に腕に力をこめる。
いや。
もう充分に驚いている。
全身が、石のように固まってる。心のなかはきっと、動揺なんて言葉ではすまされないほど、感情が右往左往しているんだろうな。彼女は気づかれてないと思ってるかもしれないけど、自分には手に取るようによくわかる。
そのことに、少しだけ笑みと――涙が一緒にこぼれ落ちた。
キレイな騎士服に、自分の涙が染みこんでいく。
「殿下……」
戸惑いを抑え、おずおずと自分の背中に回された彼女の手。
もう少し。もう少しだけこのままで。
すべての葛藤を乗り越えて、キミのように真っすぐ前を見て立てる男に戻るから。この国の王子として、キミが守るに値するだけの男に戻るから。
だから、今だけ。
今だけは、キミのその優しさに甘えてもいいだろうか。




