2.厳格と寡黙のなれのはて
「リーゼファ・アインローゼ。汝をナディアード殿下付き護衛に任命する」
そう騎士団長から命じられたのが、一か月前。
「謹んで拝命いたします」
ナディアード殿下。騎士団の面々。皆さま居並ぶ前での叙任。
片膝をつき、うやうやしく頭を下げたけど、私の頭ン中は、もういっぱいいっぱい。
だって、王子殿下だよ? それもナディアードさまの護衛!
これでドキドキしない女子がいたら、褒めてあげたいわよ。尊敬するわ。
ナディアード殿下は、この国の第一王子。
御歳二十二。
今は亡き王妃様譲りのキレイな顔立ち。この国では珍しい銀色の柔らかそうな髪と、深い青色の瞳の持ち主。
背も高く、物腰も優雅。
物語に出てくる王子様って、こんなかんじじゃない? ってぐらいに王子様。
ご令嬢から侍女、下働き、町娘まで。この国の全女子人気ナンバー1なんじゃないかな。
ウワサじゃ、使節として殿下と面会した他国の王女が一目惚れして、交渉を終えても「帰りたくない!」ってダダをこねたことがあるとか。(王女は、お付きの人たちに引きずられるようにして強制帰国)
実際、貴族のご令嬢は、毎日のように王宮を訪って、殿下とお話ししようと待ち構えてる状態だし。侍女たちも、誰が殿下のお世話をするか、争ってるって話も聞くし。
大人気なんですよ殿下。
その殿下の護衛に私が任命されるなんて。
あ~、夢でも見てるみたい。騎士やってきて、ホントよかったわ~。
なりたくてなった騎士じゃないけど、こういう未来が待っていたのなら、素直にやってきてよかった~って思う。今までの苦労が報われるってもんよ。
感涙。
神さまありがとう。私にこんな人生を与えてくれて。
我が人生に一片の悔いナシッ!
明日昇天しても惜しくない、幸せな私の人生……って、ダメダメダメ。拝命したばっかなんだから、昇天はさすがにマズい。任命したとたん、護衛がいなくなってちゃダメでしょ。
「アインローゼ。よろしく頼むよ」
上座、階の上にいた殿下が、スッと私の前に降りてきた。それどころか、私と同じように片膝ついて語りかけてきた!
いや、ちょっと。近いっ! 近すぎるっ!
そんな近くでイケメンを、ご尊顔を拝するなんて怖れ多すぎっ! 目が潰れちゃうっ!
「ハッ」
そう言って下向くのが精一杯。
だって。
お声も最高なんだもんっ!
高くもなく、低くもない。そのお顔によくお似合いの、柔らかいステキなお声。
眼福なうえ、耳福だわ。
苗字であっても呼ばれたなんて、もう、幸せ過ぎてどうにかなりそう。腰が砕ける……とか言うけど、こんなの身体中の骨が砕けちゃうわよ。
神さま、ありがとう。私にこんな幸せをくれて。幸せ、いただきすぎて埋もれてます。
「アインローゼ……。リーゼファって呼んでもいいかな?」
えっ!?
苗字を呼んでいただいただけでも満足なのにっ!
私なんかの名前をその声で音にしてもらえるとはっ!
なんですか、この怒涛の幸せラッシュはっ!
殿下のお声で私の名前が呼ばれるなどっ! それも、こんな間近でっ!
――――ハッ!
もしかして、これはかの有名な破滅前のフラグってやつでは!?
私、この後ポックリ死んじゃうとかっ!?
だから、ここで幸せ味わっとけっていう、神さまのお知らせっ!?
うわーん、ヤダようっ! せっかく殿下のお近くに侍ることができるようになったっていうのにっ!
名前、呼んでもらった幸せを抱いて、死ななきゃいけないなんて理不尽すぎるっ!
「……恐れ多いことでございます」
眉一つ、顔色一つ変えずに答える。
心のなかは、パニックポニックてんやわんやだけど、顔や身体は、その片鱗すら見せない表情の鉄壁防御。多分、ドキンッ! とか、トクンッ! とか、脈拍一つ変わってないと思う。
これも、父さまとお祖母さまの教育のたまものよね。
ご令嬢たちのように頬を赤らめたりしない私をどう思われたのか。わからないまま、殿下が私の傍を離れていった。
ああ、もったいない。
時間、止まって欲しかったなあ。
* * * *
私の母は、私が物心つく前に亡くなった。
私を育ててくれたのは、厳格な祖母と、寡黙な父。
父は王宮の騎士団長を務めており、家を空けることが多く、祖母が主に私をしつけてくれた。
「よいですか。自分のしたことに、『だって』、『でも』と言い訳をしてはなりませぬ」
祖母は、幼い私が悪いことをするたびに、そう言って叱った。
言い訳は見苦しい。悪いことは悪いと、素直に受けいれ謝罪する。言い訳は、自分の非を認めてないから出てくるもの。真に悪いと思っているのならば、言い訳などできないはず。
正論かもしれないけれど、厳しい。少しぐらいは言い分を聞いてくれてもいいのにと、思う言葉は身体の奥に呑み込むしかなかった。
そして、父。
――男の子がよかった。
そう父が話してたのを聞いたことがある。
おそらく父は、自分の騎士としての跡継ぎが欲しかったんだろう。
たまの休日、家に居る時に私にしてくれたのは、父子としての会話とかふれあいではなく、専ら剣術指南だった。
言葉を交わすことはほとんどなく、代わりに交えたのは剣。
剣士ならば、言葉ではなく剣をもって語ればよい?
口数の少なかった父は、剣を交える時も最低限の指導の言葉しかかけてくれなかった。
剣術だけじゃない。体術、弓術、槍術。騎士として必要なことは徹底的に叩きこまれた。
おかげで女でありながら騎士に叙任されるほどの技量を得、こうして殿下付きの護衛騎士に任命される栄誉をいただくことができたんだけど。
厳格、冷厳、峻峭、厳然。
寡黙、寡言、不言、無口。
そんな二人と交える食事は、まるで葬式かってぐらいに、静かで黙々と食べ物を口に入れるだけの行為だった。当然だけど、「父さま大好き」って抱きついたこともなければ、手をつないで歩いた記憶もない。
祖母が五年前、父が二年前に他界し、一人暮らしとなったけど、もともと話す相手がいない家だったし、家事全般は厳しい祖母にしつけられてたので、特に問題はなかった。
あるとすれば……、あ、そうだ。
あまりに静かすぎるので、家で私が倒れてるんじゃないかって心配を、近所のオバサンにされたことかな。生きてるのか死んでるのか。不安になるぐらい、ウチは静かなんだそうな。
(まあ、言葉は全部心のなか……だからね)
ニコリともしないどころか、ピクリとも動かない、表情筋の使い方を忘れた顔。
一応女らしい部分を残そうと伸ばしたけど、剣術とかの邪魔になるので、後ろで一つにひっつめたままの冴えない土色の髪。それでも、紐を解けばシュルンッ♪サラッ♪ってなればいいのに、バサッ、ゴワッ、モサッとしかならない剛毛さ。
かわいげがないと言われても仕方ない、吊り上がった目。呼吸は鼻でするものとばかりに引き結ばれた口。
剣術とかの鍛錬せいで、小さな傷だらけの手。身体を動かしすぎたせいなのか、女子の範疇外まで育った背の高さ。
ついたあだ名は、「氷壁」。
氷のように冷たく鋭く、何事にも動じない壁のごとき女騎士。
私の剣技とか立ち振る舞いからつけられた二つ名だけど。
……納得いかない。納得したくない。
認めなくないのよ。それが乙女心ってもんでしょ。
私だって可愛いもの大好きだし、一度ぐらいはフリフリのドレスを着てみたいって思ってるのよ!
髪の毛だって、フワッフワのクリンクリンに巻いてみて、リボンでまとめてみたいって思うのよ。
イヤリングとかネックレス、指輪もつけてみたいし、お化粧にだって興味ある。
詰め所で出されるガツガツ質より量でしょ男飯とか、お祖母さま直伝の茶色煮物飯ではなく、小さくって可愛い、甘いお菓子を食べてみたいのよ。
だけど。
似合わない。
この傷だらけの手に指輪は似合わないし、甘いお菓子では騎士として体力不足になってしまう。髪だって背丈だって、およそ令嬢らしい装いにふさわしくない。
私が無理して令嬢っぽくしたところで、笑われるだけだし、殿下のおそばに侍ることすらおこがましい。きっと。男が女装したって思われるのがオチなのよ。
わかってる。わかってるのよ。己の身の丈なんて。嫌って言うほどわかってる。
だから。
だから、せめて護衛騎士としてであっても、そばに侍すことができるのは、最高に幸せで名誉なことだった。
自分の身の丈幸せで、満足しなくっちゃね。