18.季夏にせまる猛獣
「――結婚ですか?」
「ええ。お互いに好意を持っていらっしゃるようですし。問題ないでしょう」
「急すぎはしませんか?」
「こういうことは早いにこしたことはありません。お互いに尊敬できる素晴らしい相手だと思っているのならば、問題ないでしょう」
王太后さまの言葉に、なぜか殿下が反論なさる。
…………? どうして?
お二人は、相思相愛なんじゃないの?
フェリシラさまは、殿下をお守りしたいと健気に申し出られたぐらいだし、殿下もまんざらでもないってかんじで、フェリシラさまを受け入れてたし。
なにより、メッチャお似合いだし。
「しかし、今は、ノーザンウォルドの大使が来ております。あちらにも思惑はあるでしょうから、ここで結婚を決めてしまうのは――」
「殿下」
王太后さまが殿下の言葉を遮った。
「あちらの思惑など気にしなくてよろしい。アナタが誰を妻に迎えるか。それはアウスティニアの問題であって、ノーザンウォルドは関係ありません」
あ、正論。
さすが、王太后さま。
陛下がお倒れになってから、ずっと国政を取り仕切ってこられただけあって、言葉から感じる威厳が半端ない。
「ですが……」
「いいですか、殿下。ノーザンウォルドとの友好は、アナタの亡き母君の結婚で硬く結ばれました。両国の間に、問題などありません。ですから、これ以上あちらの国とつながる必要はないのですよ」
何度も何度も代を重ねて婚姻を結ばなくても、友好状態は続いている。かつて戦争をしたことのある相手だけど、今は問題ない。
「今は、それよりも内政を束ねることが重要なのです。殿下もそのあたりのこと、充分ご存知ですわよね」
「それは……。承知しておりますが」
殿下が渋る。
「ならば、フェリシラ嬢を妻として迎え、アウスティニアの王統を守ることを第一義にお考えなさい」
殿下が深い嘆息とともに、椅子に身を沈められた。ギッと椅子の軋む音が、……少し辛い。
殿下、フェリシラさまとの結婚、あまり乗り気じゃないのかな。
あんなに想い合ってるようにみえたのに。
それとも、他に政治的に困ることとかあるのかな。
ノーザンウォルドとの友好をもっと重要視したかったとか。他の国の姫を考えていたとか。
いずれにせよ、結婚に政治的思惑が絡んでいくのって、すごくかわいそうに思える。例え、相思相愛であったとしても、いろんな苦労が待ち受けてるだろうし。
(私の両親みたいな、普通に恋愛して結婚ってことにはならないのかな)
騎士団員だった父と、厨房の料理番だった母。
腹ペコだった父が厨房に迷いこんで母に出会い、その料理の美味さに胃袋掴まれて結婚したって聞いている。母のことはあまり覚えてないけど、料理上手で朗らかに笑う人だったと、かつての母を知る人が教えてくれた。
殿下には、そんな私の父と母のような恋愛は難しいのかもしれない。
「――立場とか身分あるヤツってのは大変だよな。好きな相手も選べないなんてな」
一瞬、心を読まれたかと思ったその言葉。
ふり返ると、クックッと肩を揺らして侍女がうつむきながら笑っていた。
(まさか――っ!)
驚くより速く、剣を抜き、立ち上がった殿下の前で構える。
「あー、おもしれえ。でも安心しなよ、殿下。悩みもなにもかも、俺が殺して全部終わりにしてやるからさっ!」
「――――ッ!」
バッと視界一面に広がった侍女のお仕着せドレス。
左手で払い、視界を取り戻すと、高く跳躍した刺客と剣を交える。
「ハッ、さっすが女騎士さまだねっ!」
ガンッ、キンッ、ガッ!
無粋な金属音が四阿の屋根に反響する。
剣と剣がぶつかり合い、離れ、また受け止める。
一合、二合、三合。
力の限りぶつかり合い、受け流し、相手の隙をつく。
「リーゼファ!」
私の背後で、殿下がフェリシラさまを庇いつつ後ずさる。目の端で、ライナルが王太后さまを背にお守りしているのをとらえた。
ここで私が食い止めなくては。
ううん。
食い止めるんじゃない。コイツを倒して捕らえなくては。
「――――ハッ!」
気合いを入れ、殺気を込めた剣をふるう。
まさか、刺客が侍女に変装してただなんて。
気づかなかった自分が恨めしい。あれほど対峙して顔を見ていたのに。
剣が唸り、空を切る。
いや、慚愧も反省も後の話だ。
今はただ目の前の敵にだけ集中する。
「リーゼファさま! 殿下!」
剣戟の音に異変を感じたのだろう。アインツたち部下が抜剣しながら駆けつけてきた。
「……へえ。いい部下持ってんじゃねえか。女騎士さまよ」
四阿の出口を塞ぐように取り囲むアインツたち。
その部下たちをチラリと眺めて、刺客が口角を歪ませた。
「まったく。一撃で楽に殺してやろうって思ってんのにさ。どうして邪魔をするかねぇ」
軽口を叩く刺客。あれだけ剣を打ち交わしたのに、その息はまったく上がっておらず、まだまだ余裕といったふぜいだった。
「なあ、王子さんよ。好きな女に守られるってどういう気持ちだい? 男なら、愛する女を守る。それが普通なんじゃないのかい?」
挑発?
当然ながら、誰も返事などしない。
「ま、いっか。今回も失敗みたいだし。邪魔者は退散することにする――よっ!」
ガキンッ! と鈍い音をたてて、剣が弾き飛ばされる。
「――――――ッ!」
一瞬の跳躍。
(しま――っ!)
天井近くまで飛び上がった刺客から放たれた何か。
「クッ……!」
「殿下っ!」
目の前、私をかばうように広げられた殿下の腕。真紅の袖に突き刺さる針。
「うっ!」
「ぐっ!」
跳躍した刺客は宙を舞いながら、壁のように立ちはだかる部下たちにも攻撃をしかける。
(吹き矢――っ!)
突然の攻撃にとっさに顔をかばった部下たち。剣を持つ腕に突き刺さっていたのは、殿下のと同じ吹き矢の針。
「アインツ! エルンゼ!」
顔をしかめながら崩れ落ちる部下たち。そのあぶら汗をにじませ苦痛に耐える顔は、殿下と同じ。
(まさか、毒矢――?)
ありえないことではない。
「シュトライヒ! 医師をここへっ! 速くっ!」
「はいっ!」
唯一、矢を逃れていた部下に命じる。
「殿下っ! しっかりっ! 殿下っ!」
青ざめたフェリシラさまが、悲鳴じみた声を上げた。あまりの出来事に、王太后は動けないまま、口元を押さえて立っている。
「大丈夫……。痺れてるだけ……だから」
言って、殿下が腕に突き立ったままの針を引き抜く。
予断は許されないが、おそらく神経毒。マヒをもたらす薬が塗られていたんだろう。殿下の身体がかすかに震えているが、それ以上の変化はなさそうだ。
「ライナル殿。あとは頼みます」
低く告げると、大理石の床を蹴り、一気に駆け出す。
あの刺客。
何があっても絶対捕まえてみせるっ!




